06/27/2018

高度な集団的戦略?

そりゃあ・・・そういうのがないと「狩り」なんてのは難しいと思いますが・・・?
ネアンデルタール人、集団で狩り・・・獲物に忍び寄り槍で突く(Yahoo!:AFP=時事)。世間で認知されているところの「原始人」といった風合いではあります・・・ネアンデルタール人。やや後のクロマニヨン人(年代的に重なっていた説も有力)と比べると「粗暴」「原始的」といったイメージが強いのですが・・・実際には繊細で綿密な「戦略」をもって生きていたのではないか・・・と。
・・・とは言えそういうイメージは後世の我々が勝手に付けたもので。現生人類だって後の世の知的生命体に「戦争ばっかしてた知能の低い連中」とか言われることになるのかも知れんわけですし。

ともあれネアンデルタール人・・・我々のそのものずばりの直系の先祖、というわけではなく・・・しかし無関係とも言えない。現生人類に対して旧生人類的な扱いもされることがあります。
姿形は現代のヒトと比べるとやや猫背で筋肉質、しかしすでに葬送などの文化的?生活も営んでいた・・・ともされています。・・・実際にはそれほど違いはないのかも知れません、我々と。
が、実は投擲能力、つまり「何かを投げる」能力がなかったのではないか・・・ともされています。槍のような武器は見つかるのだけど「投げて使ってた」かどうかはよく分かっていない。・・・実は「投げる」能力というのはほぼヒト独特の能力で(類人猿のは「放る」?)手先の器用さから脳の連携など・・・ちょっと、いやかなり複雑な方式?が要求されます。

それが今回「忍び寄って槍で突く」ということなんではないか・・・ということになったわけですが。
しかし投げるよりもそっちの方がはるかに大変なわけで。それには単独では無理。現在のヒトの狩猟だって単独で可能になったのは銃器があるからで・・・そういうもののない世界ではなかなか困難であります。・・・だから「粗暴で野蛮な原始人」的なイメージ、というのはこれを機会に改めてみたら・・・とか思うのですが・・・。
・・・まあ、無理だろうなあ、と。ヒトというのはイメージの生き物ですから。なかなかそこからは離れられない・・・。

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03/20/2018

どんな宗教でも

過激な宗派はあったものですし、これからも生まれてくるかと。
強硬派仏教の台頭、覆るイメージ(Yahoo!:AFP=時事)。たしかに今の主なイメージだといわゆる「アルカイックスマイル」という仏像にも似た微笑をたたえて静かに祈る、といったところですが・・・。
「宗教」と名がつく以上、どうしても「対立」は避けられないものだ・・・という言い方もできます。自分が信仰しているものが他の見方ではそうでもない、ということになる。あるいはこちらが信仰していないものを至上だ、として押し付けてくる・・・となると、エゴとエゴのぶつかり合いと言いますか・・・「うちの方が素晴らしい」ということが発端でケンカになるのはある意味仕方ないことかと。

ただ、それがただの口論とかならまだいいのですが・・・国を揺るがすような「テロ」にまで発展していくとまた話が違ってきます。
・・・しかし宗教の歴史にはどうしてもそういった血なまぐさい話が絶えず。仏教だって過去には日本での「僧兵」とかそういうのもありましたし。キリスト教もイスラム教もやはり「軍団」的なものを組織したりしていた、という過去が・・・いや現在進行形で、という見方もできます。

ただし宗教と言うのはかなり個人的な感覚になるので(主観の極地みたいな)全く興味ない人にとっては「?」な世界だったりします。それが近年では宗教観以外での影響が出てきているわけで・・・いやしかしこれもまたやはり過去にあった「宗教的侵略」と似たような状況、ということなんでしょうか・・・。

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11/15/2017

道を開く

そこまでこだわるかな・・・。
坂本龍馬が教科書から消える?(Yahoo!:ANN) 「暗記項目」としての坂本龍馬が消える、というのであればそれはそれでアリかな、とは思いますが。別にただただ覚えておくだけ・・・というのならたしかにあまり意味はないような。
社会は特に「暗記科目」と呼ばれて久しい科目であります。とにかく単語を覚える。
それはたしかに受験のためで・・・それを変えよう、ということなら賛成であります。ただ・・・覚えることで開ける道もあるはずで。そっちへの道を閉ざしてしまう可能性もあるわけであります。

自分は歴史好きですが、教科書で覚えたものはあまりありません。むしろ学校で習う前から知ってた単語も多く。好きなもんは大抵そんなものかと思われます。
学校で「覚えた」「暗記した」というのも今ほどに遠く?なるとあまり残ってはおらず。しかしそれで開けた「道」は今でも残っています。専門的に突っ込むわけでもない義務教育や高校教育ですから・・・何かのきっかけになればそれでいいのでは・・・と。受験のためでもそれは同じで、しかし「覚える作業」に成り下がるのはたしかに苦痛ではありますが。

・・・それと。歴史を、歴史的要素を「カネもうけ」に結びつけたがる昨今の風潮にはちょっと辟易してしまってます。天然自然と同じでそこに「あった」ただ「存在していた」のが歴史なわけで。有名要素でもって何とかカネを・・・というのはある意味浅ましいと思うのですが。要素を生かす方法はいくらでもあるのにただただ利用するだけ、というのはなんなんだろうなあ、とか。

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11/11/2017

想像外

誰にも「事実」は分からないわけですし。
ネアンデルタール人「野蛮」は間違い? 相互扶助の存在を確認か(Yahoo!:GIZMODO)。文明が発達していない→力で物事を進める→野蛮、というイメージ先行型、と言ってもいいかも知れません。
・・・繰り返しますが。誰も分からんわけです、ネアンデルタール人のホントの生活なんてのは。
出土した骨などから類推していくしかないのですが・・・「文明なんかない時代」ということになると、どうしても「野蛮人」的なイメージになってしまうわけです。ある意味・・・これは仕方ないことではあるのですが。

時々そのイメージ通りにならないと違和感を感じて文句を言う人もいますが。
多分に人間はイメージの生き物であります。なまじ「類推する」ということができるために他人や世界の他の要素を「想像」してしまうのです。・・・しかしその「想像」はあくまでもその個人の見識の範囲内のみであって、それ以上外に広がることはありません。
そのため大抵の場合「考えてたのと違う」ということになったりします。

ネアンデルタール人にとどまらず・・・類人猿、チンパンジーやゴリラにしたって通常思い浮かべるイメージとはかなり違う姿をしていたりします。例えば・・・チンパンジーというのは結構エグい性格や行動している、とか(幼い個体のあどけないイメージが先行しているせい?)。ゴリラも乱暴者ではなく結構臆病、とか(某映画の影響ですな)。
いや・・・考えようによってはこの世界というのはほとんどがそういった「想像外」に満ちあふれているのかも知れません。そして、その「想像外」に出会った時。
「そんなのあり得ない」「そんなのもあるのか」
で、その後の見識もまた変わってきたりするのです。

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09/02/2017

多分一生残る

それでもよければ、ですが。
アニメキャラの刺青「ヲタトゥー」イメージ変える?(Yahoo!:朝日新聞デジタル) ・・・変わらんだろうなあ、と。逆にヒかれることになりそうですが・・・痛車とかそういうのを見てる限りでは。
海外ではアニメキャラが人気、とは言っても外国人全員が無条件で好き、というわけでもなく。「好き」「嫌い」の比率はあっちでもこっちでもそれほど変わってないだろう、と思ってます。国によっては日本産?の同人誌は税関で没収されたりしますし。絵柄的にどうも・・・というのはどこの国にでもいるはずであります。

海外では「アート」的な扱いの刺青ですが。日本ではちと立ち位置が違っていたりします。・・・基本的に公共の場では見せない方がいい、ということになっています。公共浴場などでは「隠す」か「入るな」ということになってるのが普通であります(当然ですが刺青が当たり前の外国人からすれば理解できない・・・)。
しかしかつて日本でも刺青はフツーにあったものでありました。江戸期では一般的な庶民も刺青したりしてました。特に職人さんとか。・・・どっちかと言えばその「ノリ」がそのままちょっとコワイ系の方々に受け継がれ・・・それが「関わるとややこしい」といった風に現代では変換されてしまった、という観もあります。

個人的には別に当人がそれでよけりゃそれでいいや、というとこなんですが・・・刺青はその性質上(例え除去手術を受けたとしても)一生「何か」が身体に残ります。
これがペイント的な何かでそのうち消える・・・と言うのならまた違う話になるかと。しかし、一度彫り込んだら「何か」は残る。
・・・それがアニメキャラ。いや、まあ・・・当人がそれでいい、覚悟してる、と言うのならホントそれはそれでいいとは思うんですが・・・例えば花鳥風月とか龍のようなある意味「不変」のものならいいんですが、アニメキャラは時間経過と共にどうしても風化していくものであります、つまり・・・古くなる、どうしても。
10年20年して「今さらこんなキャラいやだ」となっても手遅れなわけで。むしろ、時間と共に消えるフェイクタトゥー系には合ってるように思うのですが・・・さて。

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06/25/2017

あってもなくても

20兆円「徳川埋蔵金」は実在するのか(Yahoo!:東洋経済オンライン)。個人的には「どっちでも・・・」と、なんかそんな感じだったりします。なんだか・・・現実感がない、と言うか。
ただ、一部の熱心なマニアやファンの間では頻繁に情報交換が行われていたり、実際に「掘っている」人も少なからずいるようであります。

自分が「なんだか・・・」というのはテレビでよく取り上げられるから、とかそんなこともあるかも知れません。昔から何度か番組化しているのですが。んー・・・なんでしょうね、なんか・・・「作ってる感」が激しいと言うか。エンターテイメントとして割り切って見る分には面白そうなんですが、実際にどう、となるとなあ・・・と言うか何と言うか。
「歴史」というのは欠落していくのが当たり前だろ、とかそんなこと思ってるからかも知れません。
100年前。日本では明治時代頃、ということになりますが今とは生活様式も言葉も全然違っていたわけです。その辺の文献もきちんと残っています。が・・・それはあくまでも「誰かが書き記したモノ」であって実際に自分が体験したことではない・・・いや、当たり前の話なんですが。でも結局は「伝聞の伝聞の伝聞の伝聞の・・・」に過ぎない「事実」というのはどこまで「真の『事実』」と言えるのだろうか・・・とかそんなことを思ったりするのです。
恐らく神サマ的な、ヒトを有史以前から・・・いやいやこの宇宙ができた頃から存在している「ナニカ」に示してもらわない限りこの「?」な気分は晴れることはないのだろうなあ・・・と。

その「?」を最も顕著に感じるのが「埋蔵金」だったりします。・・・ハナシ的には非常に興味深い。でもなんかな・・・と。
「埋蔵金」つまり「埋まってたお宝」そのものは実在します(出てきた時点でそれは「事実」です)が・・・どうにもあやふやな状態で「ある」モノ、というのは・・・どこまで信じたらいいのだろう、とかそんなことまで考えてしまって・・・???

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06/21/2017

ネコはどこからどこへ

有力な従来説では「紀元前数千年前の古代エジプトで飼い慣らされた」説と「それよりさらに数千年前に地中海にも存在していた」説が二つ、あったのですが。
ネコ家畜化、新石器時代に拡大か(Yahoo!:JIJI・AFP)・・・つまり「農耕民が欧州へリビアヤマネコを持ち込む」そして「後にリビアヤマネコのエジプト変種が欧州へ」ということになったのではないか、ということであります。
ただ。いずれにしても原種は「リビアヤマネコ」で・・・いわゆる「ネコ」的な動物、というのは中東からアフリカなどで多数存在していますがなんでコレがイエネコになったのか、というところまでは分かってなかったりします。・・・この辺イヌとも共通してますが・・・牛や羊といった「そのものを食べる」ための家畜ではなく守衛などの目的での「家畜」というのはなかなか由来が分からないような・・・いや、牛や羊や馬だってそんなもんですか。長く人類と付き合って来た動物なのに(だからこそ?)細かいところは伝わってきていない、ということなのかも知れません。

ネコは元来は「守衛」が主、とされています。ヒトが農耕を始めると作物を「貯蔵」していく必要が出てきます。が、そうなるとそれを荒らすネズミなども増える。さらに定住が一般的となっていくとそういった「守衛」的な役割はどんどん重要になっていきます。
イヌも、そういった目的に適していました。イヌは基本的に群れで生きる動物ですから、飼い主に従順で、そういった役割もこなしやすい。しかしネコは・・・原種リビアヤマネコの孤独を好む性質は現在のネコにも色濃く受け継がれています。

「キツネを飼い慣らす」という実験がありました。野生のキツネを何代も何代も累系飼育していく。・・・すると「イヌ化」が始まった、という実験結果があります。キツネは群れを作りませんが飼い主に慣れるようになっていく。さらにヒトが「かわいい」と思う丸顔になっていく・・・というものでありました。
この実験だけで「じゃあネコも・・・」と断言するわけにはいきません。が・・・可能性としてはゼロではありません。飼う側にしても「かわいい」ものの方を選択していくでしょうし。孤独なリビアヤマネコの中でも社交性のある血統が生き残って現代のネコにも続いている・・・?

数千年程度の話であります。そんなに大きな変化はないだろう・・・というのが一般的なんですが。それでも「適応」していった結果が現在のイエネコ、ということは言えるわけであります。
・・・ということは今から数千年後、ネコは・・・イヌは? どうなっていくのだろう・・・? 今の「流れ」をそのまま継承していくのかそれとも・・・?

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05/08/2017

消えないモノ

今でも存在する「タイプライター修理会社」(Yahoo!:dot.) しかも海外の話ではなく・・・日本国内であります。
「タイプライター」と言ってもローマ字で打てるタイプのものは、見た目がPCなどのキーボードに似ています。いや、キーボードを作る時にそのまま「移植」したんだろうなあ、と。PCの前だと「ワープロ」というのがあったんですがこちらのキー配列も一緒。タイプライターからワープロ、そしてPCとやってることはほとんど同じ(文章作成)なせいか見た目もほとんど変わってない、という・・・。

自分の家にも実はタイプライターがありました。インクリボンで文字通り「文字を打つ」タイプであります。キーを押すと細い棒が立ち上がり・・・その先端が文字を「打つ」のですが、紙とその先端の間にインクリボンを挟むことで「打撃」の威力でインクを紙に記していきます。・・・そのためインクリボンには打った文字列が白抜きでそのまま残ることになります。たしかコレをトリックに使った推理小説があったような。
ただ・・・一文字につき細い棒が一本。アルファベットでもちょっと無茶をするとこんぐらがったりしてました・・・。
後に自分はワープロも購入しています。こちらはPCとそれほど操作性は変わらないような。もっとも、画面がPCのようにカラフル?ではなかったのでその辺に違いがある、と言えば違いはありましたが。

配列そのものは今のPCにも受け継がれています。が・・・最近のスマホの入力方法なんかだとキーボード観はありませんからこれも今後はなくなっていく・・・のかも知れません。
それでも「残しておきたいものはどうやっても残しておく」という願いのある人間がどこかにいる限り、完璧に消え去ってしまうモノ、というのは実はそれほど多くはないのでは・・・と思いますが。

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05/05/2017

ゆとりが必要

4000年前の花壇? エジプトで発見(Yahoo!:時事通信)。それが例え宗教的・葬儀に関連している、ということであっても生きていくのに直接必要のなさそうな「花」用の場所があった、というのは当時すでにそういった「ゆとり」があったからではないか・・・と思います。
食うためだけに行動しないといけない状況では、まず「花」なんぞのためにそれ専用の場所なんか設けないでしょうし。・・・もっとも宗教だってそれ自体、明らかにある程度の「ゆとり」がないと立ち行かないもんだったりしますけども。そもそも「文化」「文明」自体そういった「ゆとり」がないと進まない・・・と言えないこともなかったりします。

あんましいい言い方ではないのは承知ですが。ヒマがあると人間ロクでもないことばかり考えるもんであります。
死者を悼むという気持ちそのものはそれこそ生きていくためだけに生活していた頃だって存在していたと思われます。ただ・・・後の世になって「ゆとり」ができてくると色々考えてしまうわけで・・・その一つが「花壇」と言えるかも知れません。
これが後に単純に「花を愛でる」花壇へと変わって行ったのか・・・そこまでは分かりませんが。しかしある意味「ムダ」とも思える施設を作ろう、という方向性は・・・やはり「ゆとり」が出てきて定着してきた、ような印象を受けます。

ただ・・・あくまでも全部「かも知れない」という話だったりします。実は↑この花壇はこれがないと生きていけないような「ナニカ」を生み出すための装置だった・・・! なんて可能性もゼロではありませんし。完全完璧に分かる事柄なんで歴史上早々あるもんではありませんし・・・。

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02/15/2017

完全に閉じるのは

まあ、不可能ですし。
小中社会科、「鎖国」表記消える(Yahoo!:読売)。「幕府の対外政策として一部の港しか開かなかった」とかそういうことになりそうであります。
・・・完璧に閉じた国、というのはちょっと難しい話で。「鎖国」と言われていても実際には海外の物品や情報は日本に入って来ていた、というのはよく知れらています。
例えば「解体新書」これは「ターヘル・アナトミア」という医学蘭書を訳したものですが、じゃあ、その原本はどこから来たんだ・・・と。完全に「閉じて」いたらそんなもん江戸にまで来るわけないはずであります。

ただ・・・情報的に、と言うか。一般大衆はほとんどそういうこと知らなかったわけで。
長崎や松前、というのは江戸市民にとってははるか彼方の地であります。江戸も中期以降になると庶民が各地を旅行するようになります。しかしはるばる長崎にまで行った、としても。出島からオランダ人はほとんど出られませんし清の人たちの町はあっても早々に立ち入るわけにもいかない。・・・あまりそういうのとは触れあえなかったりします。
・・・もちろん例外はあります。遊女は出島に出入りできたので・・・まあ、そういう出自の人が少なからず長崎にはいたのではないか、ということになってます。

それでも学問としての「蘭学」や清で漢訳された書籍などは入って来ていたわけで。そこから海外を見ようとした人たちの努力があったことは言うまでもありません。
海外への渡航は死罪であります。・・・その時点で鎖国じゃないか、という見方もできます。しかしそれも幕府の対外政策の一環で・・・と言われればたしかにそういうもんだ、ということにもなります。「大多数が外に対して目を閉じさせられていた時代」という認識は変わらないかと思われます。

ただ・・・個人的には「鎖国」という表記は嫌いではなく(好き嫌いの問題ではないのですが)。開国に対しての「閉国」とか「閉じ込められてた」的な言い回しとか、そういうのとはちょっと違っていて、実は鎖のすき間からかすかに外が見えていた・・・そんな雰囲気?があるような気がしていて・・・。

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01/24/2017

その名はアイスマン

5300年前のミイラ「アイスマン」最後の食事は「ヤギのベーコン」か(Yahoo!:AFP=時事)。これまで何度かこの「あれこれ」でも取り上げたような気もする「アイスマン」こと「エッツィー(Oetzi)」であります。
何者かに襲撃されて殺された、とされる古代人の遺体であり・・・これ自体が「遺構」とも言えます。
アルプスの山中で氷漬けの状態で発見。そのため当時は近年に遭難した人の遺体ではないか、とされたりしていました。

埋葬されている、つまり墓なら相当数見つかっています。が・・・このように事件性?に富んだ「遺構」というのは非常に興味深いものであります。・・・墓や居住地で見つかる品々とは違い、アイスマンが身に着けていたのは死ぬ直前まで彼が実際に使っていた器具であり、日用品であります。当時の人たちがどんな道具を使ってどんな暮らしをしていたのか・・・どんな書物や伝承よりも雄弁な「証拠」と言えます。
今回は「食べ物」であります。
野生のヤギのベーコン。・・・現代のようにくん製された肉、というわけではなく干し肉と思われます。狩猟によって得た肉を加工して保存しておく。
意外と思うかも知れませんが・・・実は結構多彩な食生活を送っていた、という話もあります。加工や調理というのは原理的には今も昔もさほど変わっていないと思われます。

さらに・・・胃潰瘍、ですか・・・。
こういうとこも変わらんもんかも知れません。人間の生活なんてそんなに大きく違わないもんなのであります・・・。

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10/28/2016

人は元々残酷な生き物です。

石器時代は平和じゃなかった? 6000年前の墓が怖すぎる(Yahoo!:ギズモード・ジャパン)。でもこういうのはいつの頃もある話なんじゃないのかな、と。現代の殺人事件で起きてることを後世の人たちが知ったら「まあ、怖い」と思う・・・かも知れませんし逆に「この程度か」と思うかも知れませんし。
いつの時代もそんなに変わらんと思うのですが・・・世界に一切の戦争や紛争のなかった時ってのは・・・「ヒト」が始まってから存在してたんだろうか、と。必ずどこかで殺し合いは起きているものであります。

・・・残酷だから、そういう性根だからこそ「救い」を他者にも差し伸べられるようになった、という見方もできたりします。
宗教なんかはその一端かなあ、と。救う対象はあくまでも一般人なのですが、救うのは神とか仏とか尊い存在ばかりで。・・・その代理人が言葉を伝えて救う、というのは実は結構残酷なことかも。いや、その存在そのものは一体何をどうしてくれたんだ、何もしてくれなかったけどあの代理人がなんか良い話してくれたぞ、あっちの方がエラいんじゃないのか・・・とかそんな風になってきたりしますし。そうなると何が「救い」なんだかよく分からない。

しかしこういうのはやはりある程度の「余裕」ができた頃合で生まれてきたのかなあ、とも。人間は残酷ですがそれだけではない。その一端が現れるにはちょっとした「余裕」が必要であります。
かと言って石器時代にそういう「余裕」がなかったとも思えません。なに、ちょっとしたゆとりなんてのはどこにでも作ることのできるもんであります。ちょっと美味いものが食えた、今日はなんだか気分が良い、とかそんなもんでもいいわけで。
・・・いつの時代も↑こういった残酷と救いはあった、と思われます。いや・・・今後もそんなもんだろうなあ、と。ニンゲンなんて早々変われるもんではありません。

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10/09/2016

制定までアリ?

「明治の日」制定の動き・・・維新150年の記念事業(Yahoo!:朝日新聞デジタル)。2018年に「明治維新150年」というのは西暦1868年10月28日(旧暦9月8日)に「明治」という元号になったから、ということのようであります。・・・当然ですが「明治維新150年」と言っても何をもって「150年」とするか・・・どの時点を「維新」とするか・・・と言うのは色々解釈できます。
例えば「坂本龍馬の土佐脱藩(1862年)」と捉える人もいれば「吉田松陰が松下村塾を引き継ぐ(1857年)」と見ても問題はないわけです。明確に「いつ」というのがあるわけではありません。
・・・まあ、でも・・・実際に「この辺りが明治維新の期間」というのはそれほど長いものではないですから、「大体150年くらい」という感じ?でもいいのかも知れません。

ただそれで「明治の日」制定、となると・・・なんかちょっと違うような気もしてます。
一つには「ナントカの日」というのが実は相当な数日本にある、ということであります。そのほとんどは休日でもなく(明治の日だって休日になる、というわけではなさそうですし)世の中でも知ってる人の方が少ない「記念日」だったりします。
「この日をナントカの日にしよう」というのは別にどこかに届け出る必要はないですから、団体や個人が勝手に(と言うとなんか語弊がありますが)作っても別に問題はないわけです。
もちろん↑今回の「明治の日」は与党内でそういう話が・・・というのが事実ならそういう「私的」な記念日ではなくなるのでしょうけど。

ただ。個人的なとこで。いや、そこまで明治維新を持ち上げるのはどうなんだろう、というもあります。スーパースターたちが綺羅星の如くその命を燃やし尽くした華麗な時代・・・みたいな印象もありますが、実際のところはそういう超人の世紀みたいな時代ではなく。
フツーの人たちがフツーに成し遂げた、それだけではないか、と。そりゃあ・・・今の時代に同じことやれ、となると話は違ってきますがあの当時はそういうことを起こせる「機」があった、と。それに乗った人たちが成し遂げた・・・と自分は思ってます。人間が起こしたことであって、それ以下でもそれ以上でもない・・・と。
だから必要以上に持ち上げて見せたり経済的な何かを期待する、とかそういうのもなあ・・・なんか・・・そこまでする必要あるんかい、とか思ってしまうのですが。

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09/30/2016

釣れますか・・・

この間ちょろっと触れた記事ですが。
沖縄で発見された「世界最古の釣り針」の信ぴょう性は?(Yahoo!:BuzFeed Japan) こういうのは実際に作ってみて試してみる・・・というのが一番なような気もするんですが、そういうとこまではいかないもんなんでしょうか・・・?
素材は「貝」ということで強度的にどうなんだ・・・という声もあります。形状も「かえし」がないので、なんともということですが「かえし」なしで釣る方法というのはいくつもありますし。
やはり実際に同程度のものを・・・というのが手っ取り早いような気もするんですが。

同じ地層からは獲物?と思われる魚の骨も出土。
・・・でもそれだけじゃこれらを「釣果」とするわけにはいきません。・・・ちょっと疑問なのですが・・・「釣り」をするのに最低限必要なのは「針」「糸」であります。ここに「重り」が加わりさらに「エサ」が揃えば「釣り」は十分可能であります。「竿」は・・・あった方がいいんでしょうけど、なくても可能ではあります。
「糸」「エサ」は時間が経てば劣化して消えていってしまいます。でも「重り」は・・・それっぽい石でも見つかってないんだろうか、と。例えば溝が彫り込んであって糸に簡単に縛り付けられるようになってる石、とか。
まだまだ研究が進むのを待つ必要があるのかも知れません。出土品の精査もまだ完全ではない、ということでしょうか・・・。

それと↑記事でちょっと気になったのが「これまで、旧石器人はナウマン象など陸上のほ乳類を獲っていたイメージが先行していましたが」「狩猟を中心に生活を営んでいたとされてきた旧石器人」(「」内↑記事より引用)といった辺りで。
・・・どう考えたって「山」より「海」の方がラクに食い物手に入るんですが。太平洋戦争当時、山に逃げると食べ物見つからずに部隊が全滅するけど海に逃げるとなんとかなった、てな話もあったりします。実際、小型の動物ばかりで何より数が違います。いくら集団生活してたって獲物を狩りやすい場所で生きていこう、とするもんなんじゃ・・・?
後の時代になると「貝塚」なんて明らかに水のそばで暮らしていた遺構まで出てくるほどであります。旧石器人だって似たようなもんじゃないのか・・・と門外漢は考えてしまうのですが。

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09/27/2016

どこまで繋がる

沖縄・勝連城跡からローマ帝国時代・オスマン帝国時代のコイン出土(Yahoo!:琉球新報)。どの時代から・・・と言うかどの「地層」から、というところでちょっと違ってくるかも知れませんが。実際にローマ帝国と何らかの繋がりがあって、その結果沖縄にコインが辿り着いたのかそれとも全然別の、例えば明治期辺りに資料的な意味合いで持ち込まれた・・・とか。
1669年と言うとすでに薩摩の島津氏の支配下?にあった頃でしょうけども。でも3、4世紀のローマ帝国時代、となると・・・詳細な歴史もまだまだよく分かってない頃ではあります。日本本土も沖縄も。

・・・これがもし日本のどこかの蔵から・・・とかなら「密かに持ち込んだな」ということになりそうなんですが。
今回は「出土」ということでちょっと事情が違うかも知れません・・・どこかから発掘、ということになりそうですし。ただ、実際のところ大陸と交流はあったわけで。その辺からするとあり得ない話ではありません。
江戸期にいわゆる「鎖国」状態となる前の日本は結構大陸との繋がりはあった、とされています。ただし島国ということで行き来はそれなりに覚悟と技術が必要でありました。・・・考えてみれば飛行機ができてから、ようやく日本人が自分の国から気軽に行けるようになった・・・と言う言い方もできるような。それまでは船を使うしかなかったわけです。もちろん危険もあったわけで・・・それなりの人たちでないと行って、返ってこれなかったわけです。

それは、まあ、日本に来る「海外の人」も同じなわけであります。いくら航海技術が発達している、とは言ってもどうしても危険は付きまといます。それでもあちこちへ出かけ、そして色々と繋がってきたわけです。
その結果としての現代、という考え方もでたりしますが・・・さて?
まあ、いずれにしても↑は今後の研究が待たれるところであります。もしかしたら大発見に繋がるかも・・・あるいは逆に、ということもありますけども。

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08/31/2016

隠れ?

「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」と名称変更する方向(Yahoo!:長崎新聞)。2018年に世界文化遺産登録を目指しているのですが、事前審査する国際記念物遺跡会議(イコモス)から「キリスト教の禁教期のことも盛り込んだ方がいい」との助言があり、「潜伏キリシタン」の含めるようにする・・・とのことであります。まだ確定、というわけではなさそうですが。
・・・隠れキリシタンじゃダメなんですかねえ・・・。
まあ「潜伏」の方が「隠れ」より文言的に上品?なような気もしますが・・・?

「隠れ」「潜伏」キリシタンとは説明するまでもなく・・・江戸期にキリスト教が禁止されても密かに信仰を守り続けた人たちのことであります。江戸期の「弾圧」はかなり厳しいものであり、それがために内乱まで起きています。・・・信仰の自由、というのは戦後になって明確に定められたものであってそれまでは結構野放し?的になっていた部分もありました。
しかし幕府という統治機関にとってはキリスト教、さらには海外から送り込まれてくる宣教師の存在は明らかに「敵」であり・・・国内から追放する必要がありました。そのための「弾圧」でもあったのですが、実際のところ戦国期から江戸初期頃くらいまでの「異分子への弾圧」というのはかなり激しいものがあったようであります。それは現代の常識からすると非常に凄惨極まりないものなのですが、日本の外へ目を向けてみれば同様のことはまだまだ行われているのが現状でもあります。そうそう人間なんて変わるもんじゃないです。

まあ、そういう背景もあって「隠れ」る、つまりバレないようにする必要がありました。バレれば・・・死罪。
特に九州北部にその一派は「潜伏」し・・・実は現代にもその末裔(血統的ではなく信仰信条的な)は残っている・・・という話もあります。
・・・そういう「禁教」的なとこも含めての助言、とのことで・・・やはりあちらの宗教的な事情、みたいなもんもあるんかな、とか思ってしまいますが。
日本人からしてみれば「なんで表に出すの?」的ななんか一種後ろ暗い印象もどこかにありますが。それでもその方がいい、というのであれば止める必要もない・・・ような、でもなんか隠しておいた方がいいような、そんな気もするんですが・・・。

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06/18/2016

そこにバター

最近は日本では品薄ですが。
アイルランド・沼地から2000年前のバターの塊(CNN)。結構な大きさでありますが・・・当時は食用の他に献上品や祭事用としても用いられていた、とのことであります。
沼地になった、というのも供物として埋められていた、と。しかし沼地というのは意外に保存性が良く・・・今日まで保存されていた、とのことであります。もちろん掘り出してしまったので急速に劣化していきそうですけども。
・・・食えないこともない、って話ですが・・・さすがに、ちょっと・・・。

バターは自分で作ることもできます。
ちょっと検索かけてみるといっぱい出てきます。最もカンタンなのは生クリームと塩をペットボトルに入れて(あらかじめ冷やしておくとなお良し、とのこと)5分くらい休まず振り続ける、というものであります。最終的に「乳清(ホエー)」と「バター」が分離すればそれで完成。
・・・なんで生クリームか、と言うと。生乳が手に入るならそっちの方がいいのでしょうけど。「振ればバターになる」ということは普通に売ってる牛乳は輸送中にもれなくバターになっちまう、ということであります。そのためそうならないように加工してあるので・・・乳脂肪を利用するなら生クリーム、それも乳脂肪分の多いやつで、ということになります。

しかしこの「振る」という技法は実は昔から変わらない技法なんだそうで。↑のころも多分似たような方法をとっていた、と思われます。恐らく生乳を輸送中に分離してしまってそれを食べてみて・・・とかそんなところからではないか、と思われますが。

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05/27/2016

勝手なイメージ

初期ネアンデルタール人、複雑な地下構造物を建造(Yahoo!:AFP=時事)・・・いわゆる現生人類、ホモ・サピエンスとは違った種とされる旧人類ネアンデルタール人であります。位置的には大分違いますが「共通の祖先を持つ」という意味ではチンパンジーやゴリラと現生人類の関係にも似ています。
・・・とか言っても実は過去に混血してたんじゃないのか、クロマニヨン人その他との関係はどうなんだ、とか色々あって、実際のところはまだまだよく分かってない、というのが実情ではあるんですが・・・。

これまでの「ネアンデルタール人」と言えばやや背中を丸めて歩き回り、あまりアタマの良くなさそうな行動ばかりで・・・というものでありました。それが実は「構造物」を作れるほどの知能があった、と。
・・・結構勝手にイメージ作ってたところがあります。その辺、今後は変わっていく・・・かも知れません。今後研究が進めばさらに新しい事実が出てくるかも知れませんし・・・そうなるとさらに変わっていく可能性もあります。教科書通りとはいかないもんであります。

ただ、直近の縁者とも言えるネアンデルタール人がこんな扱いだったわけで・・・となるとまだまだ他の事象についても分からんことの方が多いんだなあ、と。世の中知らないことばかりであります・・・。

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04/14/2016

まだまだありそう

いくつか複合的な要因がまだまだありそうですが。
ヒトの「一夫一妻制」理由は「細菌」(Yahoo!:AFP=時事) つまりは性感染症まん延した時期があり、その「対策」として複数相手の乱婚から一夫一妻制になっていったのではないか・・・ということであります。
・・・どうかなあ、なんかそれだけじゃないような気がするんですが・・・。
時期は農耕が始まった頃、となっています。ある意味生活が安定してきた頃なわけで、そういう状況下だとこういうことも考えるようになる・・・のでしょうか?

「一夫一妻制」というのは夫一人妻一人、つまりは現在のヒトの基本的な結婚形態であります。国や地域によっては違う形態の場合もありますが・・・大抵のヒトにとっては「普通」の話であります。
しかもヒトの場合「一夫一妻」のまま長年添い遂げる、という・・・これは猛禽類などではよく見るケースですが、それほど多いものではなかったりします。・・・生物の究極の目標は「オノレの分身を後世に遺す」ということであります。そのためなら別に相手は一個体に限らなくてもいいわけで・・・むしろ違う相手の方が残る確率は高くなります。
繁殖時のみに「一夫一妻」ではなく基本ペアで行動、というのはそれほど多くはないものだったりします。

その要因の一つとしての性感染症、というのはあるとは思われますが・・・それだけかなあ、と。
多分に「文化」というのも関係していそうであります。平たく言えば宗教的に、とか。何らかの「決まり」を守ることで文化的に成熟している、と見なされるならばこれもその一つ・・・なんだかどうなんだか。・・・何らかの利点がないとこういうのは定着していかないもんではありますし。
・・・いや、実は定着していないのかも・・・とか思ったりして。ヒトには実は一夫一妻制は向いてない、という話は結構あちこちで出てきたりするもんですし・・・。

12:24 AM | 固定リンク

12/26/2015

美味いかどうかは

別、ということかも。
イエス・キリストが飲んだワイン、イスラエルのワイナリーが再現に挑戦(Yahoo!:CNN)・・・「キリストが飲んだワイン」というのがキモなわけで、それが美味いかどうかはまたちょっと違う問題になるような気がします。
諸説ありますが、今から2000年くらい前のワイン、ということになります。世界で一番古くからある酒とされるワイン・・・2000年前でも登場してからかなりの年月経ってる、とされていたりします(なお世界で二番目に古くからある酒はビール)。

「当時は現代のように特定の種類のブドウからワインを造っていたわけではなさそうだ」(「」内↑記事より引用)
・・・実際「品種」として確定していたのかどうかも疑問であります。「あの辺のブドウ使うと美味いのができる」「いや、こっちの方が味がいい」とかそういうもんだったかも知れません。・・・そうなると「完全再現」はほとんど不可能ということになります。現在「イスラエルで古来からある品種」と言っても1000年前に移入されたとしても今では「古来」になってしまうわけですし。
ブドウの流通経路というのも結構複雑でしょうし。特にイスラエル辺り、となると・・・かなり複雑に物資が行き来していたと考えられます。そこから意中のブドウを選定する、というのは・・・?

製法なんかは結構はっきりしてるようなイメージがあるんですが、どうだろう・・・とか。
やっぱり「完全再現」というより「どれだけ当時のものに近づけられるか」とかそういう方向になるのかなあ、と。・・・そうなると「これを契機にワイン売ろう」とかそういうのとはまた違った話になってくるような気がするんですが・・・「当時の雰囲気を残したワイン」とかそういう風にアレンジする、とかそういう方向に行くんでしょうか・・・?

12:17 AM | 固定リンク

05/16/2015

重い一秒

今年7/1に「うるう秒」、18年ぶりの平日実施(Yahoo!:Impress Watch)。7/1の8:59と9:00の間に余分な「1秒」を挿入して調整する、ということであります。平素ならあり得ない「午前8時59分60秒」が存在することになります。
通常に生活する分にはさほど影響なさそうなんですが。
非常に精密な機器とかネットワークとか。「1秒」の存在が重たい場所では影響が出る可能性がある、ということであります。そうなると意外なところに思いもかけない影響が出てくる・・・かも知れません。

そもそも「閏(うるう)」というのは今の太陽暦ではなく太陰暦を使っていた頃。太陰暦は月の満ち欠けを基本とします。月はほぼ30日で満ち欠けを繰り返しますが・・・これを一年、とすると若干の「ズレ」が生じます。そこでひと月をもう一回実施して調整する場合がありました。「閏何月」という風に表記されていて、何月を繰り返すか、というのを決めるのも非常に重要な仕事でありました。
何しろ今のように数年、いや数百年数千年先まで暦が決まっているわけではなく。計算と調整によって月々を決めていた頃であります。江戸幕府にもこの役職があって、「天文方」とか呼ばれてました。あの伊能忠敬が師事した年下の高橋至時(たかはしよしとき)はこの役職だったりします。

今でも「2/29」のある「うるう年」もありますが・・・「うるう秒」となると。
廃止や存続を求めて議論が続いている、というのも分からんでもない話であります。きっちり決めないといけない場合もあるわけですし。・・・ただ、まあ、普通に生活している分にはホントあまり関係なかったりするんで・・・実際、念のために周知を徹底した方がいいのですが、周知しても・・・「?」となるケースが多いような気もします。

02:42 AM | 固定リンク

05/08/2015

キッドの財宝

本当にあったのか・・・さて。
海賊キャプテン・キッドの財宝発見か、マダカスカル沖(Yahoo!:AFP=時事)。キッドの乗船の一つであった、とされる「アドベンチャー・ギャリー(Adventure Galley)号」とされる船を発見、さらに銀の延べ棒も多数発見、ということであります。
ウィリアム・キッド(Wikipedia)

よくある「海賊」のイメージとは若干違うものだったりします。キッドは元々は「私掠船(プライベーティア)」でしたが・・・後にホンモノ?の「海賊」へと転身していきます。
「私掠船」というのはあまり仲の良くない、戦争状態にあるような国の船に対して「海賊」を働いてもいいよ、と自国から認められた船で・・・某SFでも有名であります(自分も昔ちょろっと書いてましたが・・・そういうの)。「海賊」というより「雇われ兵」的な意味合いが強いものでもありました。何しろ奪った金品は国と分けないといけないのですし。
アメリカ独立の頃はこういった連中が束縛を逃れるために南下して「カリブの海賊」となっていった・・・という話もあります。

名前としては今でも有名なんですが、「キャプテン・キッド」しかしやはり「海賊」と言うと自由を愛する海のならず者・・・とかそういったイメージが強いもんでありますが、実際には犯罪者として処刑されているわけです。・・・当時はどんな風に受け止められていたんだろう、一般的には・・・?

これまでは「キッドの財宝」なんか存在しねーよ、物語の中だけだろ? ということになってたんですが・・・17世紀のことですし。本当のところは分からんわけで。正式な調査結果が出て本当のところが解明されて当時のことがもっとよく分かるといいな、とは思うのですが・・・やはり有名どこですから何かどっかから色んな何か?がありそうで、ちょっと心配?ではあります。
さらに「一方、国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)は直ちに、財宝探しのために貴重な遺跡を損傷した恐れもあるとして、クリフォード氏の財宝探しの手法を批判した。」(「」内↑記事より引用)というのは・・・一体どんな手法とったんんだクリフォード氏・・・。

05:01 PM | 固定リンク

04/09/2015

復活のブロントサウルス

まだ確定ではありませんが。
「ブロントサウルス」が帰ってくる? 別種だとする最新の研究結果(ITmedia ニュース)。分かりにくい方には分かりにくいと思われますが・・・昔々に「ブロントサウルス」という恐竜の名前があったんですが、今は「アパトサウスル」になっていいます。が、それぞれ違う種の恐竜ではないか・・・ということになってきてる、ということであります。
自分らがガキの頃恐竜図鑑とかそういった番組なんかには必ず登場していた「ブロントサウルス」であります。でっかくて首と尾の長い草食恐竜。「草食」か「肉食」か、というのはやはり好みが分かれるものであります。当時も「どっちがカッコいい」「こっちの方が強そうだ」「いや、こっちが好き」など古生物好きなガキは色々言い合ってたもんであります(自分はミョーなのが好きで、例えば古代亀アーケロンとか小型のオルニトレステスとか・・・これも当時と今ではかなり設定?の変わった連中だったりします)。
体がデカすぎて陸上じゃ活動できないだろう、ということで浮力を求めて水中で生活していた、とかされてました。でも、同じような「ブラキオサウルス」は頭のてっぺんに鼻の穴があるのにこいつにはそういうのがないのはなんでだろう? とかそういう話もありましたが・・・。

現在の研究ではこういうデカくて首と尾っぽの長い連中も陸上に住んでいた、ということになってます。デカいということだから体も重かったんだろう・・・ということなんですが、これを軽くする機能があった、ということでの変更であります。ただ・・・ブラキオサウルスの「頭のてっぺんの鼻の穴」はやはり存在していたらしく、なんでこんなもんがあるのか今でも謎らしいですが。

しかし「ブロントサウルス」の名前は消えてしまいました。これは「同じ種に名前付けた場合、先に発表した方を優先するね」という分類上の取り決めからで・・・そうしないと同じ種なのに別の名前、というのが乱立してしまう・・・先に見つかっていた「アパトサウルス」が「ブロントサウルス」と同じ種、ということになり消滅したわけです。
さらに。「ブロントサウルス」が発見された頃には化石は高く取引きされていました。今でもいますが「化石ハンター」的な者も多く、各地で採掘競争が激化。買い取り額は新種の化石の方が当然ですが高くなります。・・・そこで初期の「ブロントサウルス」の化石には「アパトサウルスの胴体」に「カマラサウルスの頭骨」が乗ったりとかそういうねつ造的なものもあり・・・その辺の事情もあって「ブロントサウルス」の名前が消えてしまったわけです。

ところが実は「アパトサウルス」と「ブロントサウルス」は実は違う種ではないか、という話が出てきたわけです・・・。
実は生物の分類というのは結構アバウト?なもので・・・そもそも自然界には存在しない「人間が勝手に付けた名前」で分けよう、という話ですし・・・前にあった名前が変わったり消えたり、というのはよくあることだったりします。複数の種が実は同じだった、とか・・・。
例えば「クロウミガメ」というウミガメがいるんですが。これが独立した種かそれとも「アオウミガメの亜種」かということでまだ決着ついてなかったりします。こういうケースは結構あったりします。モノによっては数年単位で学名変わったり消えたり逆に増えたり。

さらに化石の場合は証拠が少ないわけで。今生きている連中ならそのものを入手することは可能ですが、化石となってしまうと・・・そもそも「化石になる」というのはそれ自体が非常にまれなことだったりします。サンプル数が非常に少ない中で判断しないといけない。
だから今後もこういうことは起こるかも知れません。あの「ティラノサウルス」だってなんかの事情で名前が消えてしまう、ということがあるかも・・・?

01:24 PM | 固定リンク

04/04/2015

いつから楽しむ

人類最古の「楽器」動物の仕業だった(Yahoo!:ナショナルジオグラフィック日本版)。たしかに実際に「楽器」として使っている姿を確認できない限りそれが「楽器」である、と断定できない場合もあるわけであります。
↑の場合は穴の開いた骨なわけですし。
いくら規則正しく開いていた、としてもそれを「楽器」として使っていたかどうか、となるとまた違った問題になってしまうわけです。
ただし、↑で冒頭のネアンデルタール人のケースではなく、現生人類の「最古の楽器」として紹介されてる方は・・・明らかに人為的に加工された跡があるわけで、そうなると少なくとも何らかの「道具」であったことは間違いなさそうであります(もちろんそれが「楽器」か、となると・・・)。

しかし「最古の楽器」が「笛」というのはちょっと意外だったりします。てっきり打楽器的な何かか、と思ってたんですが。あるいはそういうのもあったかも知れませんが「遺構」として残っていない、とか。その辺の石や木を叩いてた、ということならそれが「楽器」だったかどうか、なんてのはほとんど分からんわけですし。
「楽器」である、ということが分かる形状だと「笛」が一番そうと分かりやすいからなんでしょうか・・・。

同じようなことは「文章」にも言えます。「現存する最古の文章」と言うと・・・「文字」というくくりならいくつか古代文字的なものが出てきますが、これが「伝え語り」も含む、となるともう分からないわけです。伝承として現代まで伝わっているものも多数あるのですが、それが正確に「いつ」からあるのか・・・というのは全然分からないわけで。
・・・そうなるとエンターテイメントの起源、というのはなかなか難しいものかも知れません。確たる証拠がほとんどないわけですから。・・・まあ、そういうのはあまり関係なく楽しめればそれでいいのでは、と言われればそれまでなわけですが。

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04/02/2015

いにしえの

約千年前に開発された薬で耐性菌が死滅(CNN)。「Bald's LeechBook」という10世紀頃、アングロサクソン人の医学書に載っていた眼病に対する治療薬をできる限り再現してみたところ、耐性菌・・・カンタンに言えば薬に慣れ過ぎて薬に効かなくなってきている菌・・・に対して有効だった、とのことであります。
まだ詳しい仕組みや詳細な効果は出てきてないようですが。今後何らかの方法で現代の医学の役に立つのではないか・・・という期待もできます。

温故知新・・・という風にも言えますか。しかしそれでも約1000年前・・・。
日本だと平安時代。紫式部が源氏物語を著したのが大体この辺り(と、されていますが詳細な年代は不明)になります。・・・医学書みたいなものは日本にもあったと思われますが・・・どんな感じだったんでしょうか。
イメージとしては占いやまじないめいた内容が多いんだろうか、とか。
が、その辺りは日本も外国もあまり変わらなかったんでは・・・と思われますが。それでも中には現代に通用するものもある、ということかと。と言うことは探してみればまだまだこういう例があるのかも知れません。
あるいは失伝してしまったものもあるかと。タイムマシンでもない限りもう二度と世に出ることはないわけであります。

逆に言えば現代の「知識」というものもはるか未来では「おお、こんなことが」的な風に捉えられることがある可能性もあるわけですけども。・・・どういう風に伝わっていくのやら・・・?
なお。「LeechBook」の「Leech」とはあの「蛭(ヒル)」のことであります。古来(近年も?)医療目的で使われてきたことから医学書をこう呼ぶらしい、とのことであります。

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11/30/2014

江戸期の東京

全部、というわけではなさそうですが。
スマートグラスを活用、江戸時代の東京を巡るツアー(Yahoo!:ITmedia ニュース)・・・とは言っても「皇居東御苑」「日本橋」スカイツリー」とのことですから・・・「江戸城」「日本橋」そして、ということになります。
キモはウェアラブルデバイス、つまり身に着けられる端末・・・専用メガネをかけて江戸期の東京へ、ということであります。バスに乗っていくと360度パノラマ映像での「江戸期の東京」を楽しめる、という趣向であります。

↑記事中には「江戸城天守閣」という表現がありますので・・・ということは明暦大火の前か、とか思ってしまいますが。
明暦大火は1657年に起きた大火事で、江戸の大半を焼いてしまいました。その中には「江戸城天守閣」もあります。なお、当時の実質的な宰相保科正之(徳川家光の異母弟)の言によりその後江戸城の天守閣は再建されることなく現代にまで続いています。
「皇居東御苑」は旧江戸城、つまり今の皇居の一部が公園みたいになっている場所で、何か特別な事情がない限り一般人でも無料で入れます(実は某アニメにも登場)。そこに「天守台」という場所もあって、そこは「天守閣」がかつて建っていた場所でもあります。
・・・行ったことあるんですが・・・ちょっとした物見台、と言うか・・・小高い台、といった感じでありました。今はホント公園みたいになってるので、ここにあの江戸城が・・・と言われてもなんだかピンとこなかったもんですが。

日本橋も明暦大火で焼失。ただし、日本橋は江戸期以降何度も何度も焼けたり建て替えられたりしてます。ちなみに現在のは19代目なんだそうであります。

・・・まあ、別にそこまでこだわって「1657年より前の江戸を再現」というわけではない、と思いますが。あくまで「江戸期の東京を体感してもらう」ツアーなわけですし(スカイツリーのあった辺りって何かあったっけか・・・)。
ただ、どんなCGなんだろう、というのはたしかに興味ありますが・・・なんかCGCGしたもんなのか、それとも自然?な様子に仕上がっているのだろうか、とか。
しかし・・・一人1万2千円の昼食付き、ですか。高いと見るか安いと見るか。一泊というわけでもないですし・・・さて?

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03/07/2014

NINJA

ハローワークで「忍者募集・秘伝書支給・流派不問」(Yahoo!:ねとらぼ) 正確には「忍者講師募集」といったところでしょうか。小学生を対象に江戸期の忍者の「秘伝書」を使って学ぶ・・・忍者学院。
実際、「忍者」というのはそれこそ江戸期の講釈から現代のマンガまで幅広く題材として使われてますが・・・かなり「イメージ」の絡む題材で、結構色々な解釈ができそうな代物ではあります。

何かの番組で「望月家(伊賀忍者では名が知れている)」の・・・本家じゃないと思いますが分家の当主、みたいな人に話を聞く、というのがあって
「これが秘伝書らしいのですが」
と巻物をいくつか。それっぽい図も載ってます。ただし
「私は読めませんし、口伝とかそういうのも伝わってないです」
と・・・苦笑い。まあ、現代の「忍者」はそんなもんかも知れません。

これが海外に行くとまたちょっと事情が違ってきます。
「NINJA」というのは寡黙なスーパーヒーローみたいな扱いになってます。日本ではどっちかと言うと「闇に潜んで生きる」「刃の下に心で忍ぶ」とかあんまり「ヒーロー」してるイメージではなく。時代劇だと大抵やられ役とか黒幕ですし。・・・ただ、最近は海外のそういった動き?を捉えてか結構「明るい」忍者も出てきてますけど・・・アメコミとかあっち系の「NINJA」は・・・なんか楽しくなるぐらい勘違いしてたりして、逆に面白かったりしますけども。

そもそもの発祥は実はよく分かってなかったりします。体術はやはり大陸伝来か・・・とされたりして、それが修験道と結びついたのではないか、という説もあります。修験道とは密教系の仏教の流れを汲むもので・・・山野を駆け巡って厳しい荒行を重ねていった、とされています。その中で体術も磨かれていった、のかも知れません・・・。
九字と呼ばれる「臨平闘者開陳列在前」もその流れから、とされていますが、さて。
実際本場とされる日本でもよー分からんもんだったりしますが。江戸期のヒマな時世にあれこれ付け加えられていったんだろうなあ、と。その辺は「海賊」と似てるかも知れません。実像と伝わってるモノは大分違ってるような・・・ああ、しかし、両方とも某週刊マンガ雑誌では大人気だったりしますが・・・。

「手裏剣は投げるのではなく撃つ!」といった格言?もあったりしますが・・・。
それでも時代の流れにはナニモノも逆らえないものであります。忍者の先生を公募しても、生徒が小学生でも・・・いやしかし、なんかこういう創作物もどっかにあったのような・・・なんかの・・・玉?

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01/09/2014

あれば食う

古代ローマの都市・ポンペイ・・・キリンやフラミンゴを食べていた(Yahoo!:時事)。・・・まあ、現代から見れば「え?」ということになりそうですけど、考えてみりゃ人間なんてのは何でも食う「雑食」動物の代表格みたいなもんで。その場に「食材」として存在していればどんなもんでも食べちまうような気はするのですが。
ただ・・・地中海のイタリアにあるポンペイに、どうやってキリンやらフラミンゴやらが食材として運ばれてきたのだろうか、とかそんなとこは気になります。

古代ローマ帝国と言えばその版図はかなり広く、ヨーロッパから北アフリカまでもその勢力下にあった、とされています。
・・・しかしキリンやフラミンゴはどっちかと言えばアフリカの南の方に住んでます。フラミンゴなら北の方にもいると思うのですが・・・キリン、ですか。そう簡単に捕まるような地域が北の方にあるのかどうか・・・?
となると南の方とも通常的に交易していた、ということになります。そうでないとそんなもんが「食材」として存在してるわけないわけで。日本の江戸期に象が来たことありますが、これは単発的な「見世物」であって断続的にでも輸入される「食材」ではないわけです。

まあ、そういう疑問?もあるんですが・・・キリンて美味いのかなあ・・・。
どっかの国で食えるところもあるらしいですが。やはり草食動物なんでそっち系の味?なのかな?とか思ってみたりして。
・・・そう言えば古代ローマでは「魚醤」を使っていた、という話もあります。↑記事の「塩漬けの魚」というのはそれ関係のものなのかな・・・とかそんなことも思ったりします。

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12/05/2013

知ればいいだけ

再来年2015年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」に決定・・・主人公の杉文って?(ネタりか) 井上真央主演、というところには何もなかったようですが、主人公があまりメジャーでないことから一部では批判が起きている、という・・・。
何とも狭量なファンであります。
知らなかったら知ればいいだけで。時間はかなりあるのですから「吉田松陰」でググるなり調べるなりすればいいだけのことであります。あるいは逆に全然知らない状態でいきなり知識をアタマに放り込んでみる、とか。
観る前どころかまだ製作も始まってないうちに「ちょっとねえ・・・」とか言うのなら、今からもう観ない! ということにしておけばいいだけのことだと思うのですが・・・他のキャストでまた違った層が騒ぎ立てたりするんでしょうか?

杉文は吉田松陰の妹であります。
なんで「吉田」の妹が「杉」か、と言うと二人とも生まれた時は「杉」だったからです。松陰を生んだ杉百合之助が「杉」家を、兄弟の大助が「吉田」家を、そして文之進が「玉木」家をそれぞれ継ぎました。が、吉田大助は体があまり強くなく、兄の子(甥)の松陰・・・当時は大次郎・・・を養子に迎えます。当時は「家」に誰かいないと取り潰されますからこうやって養子をとるのは当たり前のことでありました。
しかし養父大助が病死、まだ10歳未満の大次郎はやはり叔父の玉木文之進の厳しい指導のもと、11歳で藩主の前で山鹿流兵法を見事に講ずるほどになりました。

・・・というのが「兄」の松陰なわけです。その妹ですからやっぱり最初は「杉」家からなんだろうなあ、と。・・・当時の長州藩てのは幕末前、ということもあってかなりビンボーだったとか。それほど身分も高くない家柄ですし(一応吉田家は兵法師範なんですが)。
何せ関ヶ原で負けた西軍の大将・毛利家が藩主なわけです。知行は一気に十分の一程度。でも家臣団はあまり減らずについてきた、とか。・・・そうなると臣下に渡す米もない。
そこでこれまでも石高も十分の一にする、とかそういう方向になったようで。・・・幕末前てのはどこの藩も基本的にビンボーなんですが、その中での長州藩。この後から一気にビンボー脱出、となっていくんですが・・・。

かえって違った側面からも見れると思うのですがねえ・・・マイナーな主人公の方が。それになんかどっかで聞いたような名前ばっか、てのもなんか面白くなさそうなんですけど、個人的には。

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11/27/2013

いつの生まれか

ネパール・釈迦の生誕時期示す遺跡?(CNN) 大体ですが、釈迦は紀元前6世紀頃に活動していた「仏教の開祖」であります。・・・三大宗教と言えばキリスト教・イスラム教・そして仏教ですが、仏教は他の二つとは違った部分があり(キリスト教とイスラム教には共通の『天使』がいたりするんですが)その開祖とされる釈迦もやはり謎の多い存在ではあります。
いや、イエスもマホメットも現在では正確な姿を知ることなんかできないんですが。
例えば現在日本国内はもちろんアジアで目にする「仏像」も元来は存在していないものでした。

イスラム教は現在でも「偶像崇拝」つまり「何か」を写し取った「像」を崇める・・・いや、存在することすら許していません。・・・程度の違いはあるようですが、ある宗派ではテレビも禁止だったりします。
そのためイスラム系では様々な図形を組み合わせた幾何学文様が盛んになりました。モスクの壁一面に描かれていたりしますが・・・過去にイスラムに占領された歴史のあるスペインでもやはり幾何学文様が残っています。

仏教も当初は偶像崇拝を禁止する・・・という意味合いかどうかは定かではありませんが「像」はありませんでした。釈迦の物語も口頭で伝わるか、あるいはどこかでは「記号」として塔に記していたのだとか。
それが東西の貿易が盛んになり・・・いわゆるシルクロードの時代・・・「西」のギリシャ彫刻が仏教と融合して現在の「仏像」がアジアのあちこちで造られるようになりました。偽物も多いとされる「ガンダーラ仏」は明らかに西洋系の顔立ちをした「仏像」として残っています。

・・・そういうところもあるのでしょうけど。さすがに紀元前6世紀頃となると残っているものが少ないでしょうし。完全にそう、とは言い切れないところなのでしょうけど。実際、すでに100年以上の差が出てしまっているわけです生誕時期の予測。
今後の研究が待たれるところであります・・・。

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10/27/2013

「日本」という名前

スペイン南部の「コリア・デル・リオ(Coria del Río)」に多く住む「ハポン(Japón)」姓の人々と日本人の遺伝子比較研究始まる(Yahoo!:読売)。英語読みだと「Japón」は「ジャポン」となりますがスペインでは「ja」を「ハ」に近い音で発音するので「ハポン」となります。そこでスペインのハポンさんたち、となるわけです。
コリア・デル・リオは1614年、仙台藩の伊達政宗の家臣支倉常長が率いる慶長遣欧使節団が滞在したことで知られています。「ハポン」姓はその数十年後から始まった、とされ・・・慶長遣欧使節団とゆかりのある人物か、あるいは当時の日本人で残留した人物がそう名乗ったのでは、とされています。
実際に日本人によく似た人たちもいるんだとか。真偽のほどはともかく、こういう繋がりがあるのはなんだかちょっと愉快?ではあります。

司馬遼太郎・・・だったと思うのですが。何て題だったかなあ、短編で日本の侍が仲間を探しにスペインまで行ってしまった・・・という話があったような。それまでどう見ても日本人っぽい面構えの人はいなかったのだけど、スペインのバスク地方で「あっ!」という人を見つけて駆け寄ったらたしか斬られちゃったとかそんな話だったんですが。
鎖国が始まったのは徳川の世になってから、なんですが確立したのは三代家光の頃。それまでは相当数の日本人が海外に出ていました。中には住み着いて土地の血に混ざっていった・・・という人もいたかも知れません。アジア方面ではそういう事例があったと思われるのですが、事情があるのかなかなか表には出てきません。

・・・実はアメリカはテキサス州に「サツマ」という地名があったりします。欧米ではそういう事情もそれほどないので、例えば日系の国会議員サンなんてのもいるわけです。まあ、こっちは明治以降になってから、なんですが。
しかし・・・数百年前、となると。さすがに当時を知っている人が生きているわけもなく、科学的な調査によってしか往時を知ることはできないわけです。
なんか・・・意外なところで繋がってそうな気もしますが。世界というのは実は結構狭いもんですし。先祖代々日本在住、と思っていたら実は違ってた、とかそんなんもありそうですし・・・スペインのハポンさんたちも詳しく調べてみたら・・・というのもありそうであります。

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09/28/2013

くろいの

東京オリンピックに向けて「江戸城天守閣再建」の是非(Yahoo!:R25)・・・いや、まあ、別にいらんと思いますが。
江戸城の天守閣は黒いことから「黒天守閣」とも呼ばれていたらしいですが1657年の明暦の大火で消失。現在に至るまで再建されていません。皇居東御苑にその跡地?の台地が残ってますが・・・色々事情があったようで正に「跡地」になってます。ちょっとした小山のような印象。
そもそも東御苑にしても見た目はただの公園みたいなもんで。もちろん、元が大きなお城なので起伏が結構激しかったり歴史的に有名なポイントもありますが・・・あそこへ、ぽん、と天守閣だけ建てる、というのもなんだかなあ、と。やるんなら全部再現しますとかそういうのの方がいいんでは・・・と。

それに「2020年、東京五輪には内外から約1千万人が来訪するといわれています。ですが、東京には日本の歴史や文化を誇る建造物がない。今こそ、日本一壮大で美しい城だった江戸城天守を再建する好機です」(「」内↑記事より引用)てのも。
例えばスカイツリーだってあります。歴史的な文化を誇りたければそういった寺社仏閣はいくらでもあるのが東京でもあります。古い建物=文化的、というのはいささか安直なような。それに、今天守閣作ってもそれは結局「平成の天守閣」になるだけで江戸期のものではないわけです。
・・・さらに・・・「日本一壮大で美しい」って。350年ほど前に焼失してるのになんでそんなことが言えるんだか。お城が好きなのは分かりますが、別に無理に建てる必要もないのでは・・・というのが個人的なとこであります。しかも500億を寄付で・・・って、集まるのかなあ。
ああ、でも意外と集まるかも知れません。やはりオリンピック記念的な意味合いで。でも東御苑て一応皇居の一部ですから(普段は解放してますが何かあったら閉めることがあります、と記されてました)その辺の兼ね合いが・・・とかそんなことになるかも知れませんし・・・。

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07/17/2013

自分、サッカー好きじゃないんですが

むしろ球技全般あんまし好きじゃないんですが・・・格闘技系とか、すぱっと勝敗が決まるのが好きだったりして。
世界と戦えるサッカーのために本田圭佑はいらない(Yahoo!:webスポルティーバ)。まあ、「専門家」はそういうところなんでしょうけど。サッカーとしての動きとか(空手なんかの格闘系の動きなら・・・さて?)は全然分からん門外漢としてもちょっと気になったのは・・・意識かなあ、と。
海外と国内は全然事情が違うわけです。
格闘系だとよく言われるのがムエタイでしょうか。母国タイでは生活のためもあって強くなろう、と必死な若いファイターがたくさんいます。・・・正に一攫千金、登りつめれば大金が入りますが・・・ほとんどは夢破れてしまいます。しかしそういったハングリーさで今でも真剣勝負を見ることが出来る・・・(一部では真剣ゆえのむにゃむにゃ、というのもありますけど)。

サッカーに関しては日本は後進国だったわけです。各種予選に参加しても進めない。
それが近年になって躍進を続けている、というのは戦略や作戦が高度になった、というわけでもなく。ただ、そういう意識が高まったからじゃないか・・・と自分は思ってます。アジア系選手がどうしても「高さ」も「強さ」も欧米系やアフリカ系選手に比べたら負けてしまうのは別にサッカーに限ったことではなく。そこで勝負したら負けてしまうのは当たり前だ・・・と。
では何で勝負するか、と言えばチームプレイしかない。個人個人で勝てないなら集団で勝ってしまえ、これは人間に限ったことではなく。明確な例だとアリやハチといった社会的昆虫とか・・・類人猿の系統も個々では勝てない敵に集団で襲いかかる戦法をとったりします。

そのセンから行けば日本の戦法はそれ決まり、かと思ってたんですが。
本田選手は「あんなんは当たり前だ」と切って捨て「個々の力を高めんでどうする」と言い切りました。・・・この辺の「意識」というのがどうなんだろうな、と自分は思うわけです。サッカー、というかなり人間の野心に基づいたスポーツならでは・・・とか。

そもそもボール一個でできるスポーツ、というのは今でもなかなかありません。さらに古代、と言うかそもそものサッカーは「ボールを奪い合う」というのが目的であって「足で~」とかそういうスポーツではありません。
例えば「ラグビー」というスポーツがあって、これは足しか使えないサッカーの試合中に興奮した選手が手で持って・・・というのではなく。どうも「何でもできる試合じゃ危ねえだろ」「じゃあ足限定にしようや」「ちょお待てや、それやったらオモロないやろが」「しやったら足だけと何でもありに分けたらいいやろ」「それええな、そうしよか」・・・という会議があった、とかそんな話を聞いたことがあります。・・・いや、真偽のほどは定かじゃないんですが・・・サッカーというのはあまりにも限定的なスポーツな割にルールの軽視(完全無視ではななくて・・・バスケットボールもそうなんですが、ルールをある程度は無視できる幅が広いと言うか何と言うか)が大きいので、そういうこともあるのかな、と。

その分人間の本能に訴えるとこも多いスポーツなわけです。
だからこそ「上」を目指す「意識」というのは必要なんではないか・・・と思うのです。馴れ合いはいらない。そういう「意識」は必要ではないか、と。・・・技術うんぬんよりもまず「意識」、というのはどこの世界でも同じなわけで。身体的特徴とかそういうのの前に・・・となるとサッカーも格闘技もあんまり変わらんな、と・・・。

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04/14/2013

時空を越える?

「桜田門外の変」が焦点? 滋賀県彦根市市長選(@nifty:読売)。・・・この記事、最初に題名見た時は「桜田門外の変だから既成勢力に対する抵抗とかそんなもんかな?」と思っていたんですが。
まさか本当に安政7年3月3日(1860年3月24日)の「桜田門外の変」に関することだったとは・・・。
有村次左衛門に関しては司馬遼太郎などの歴史小説でも色々出てきますし、当時の大老・井伊直弼暗殺の際に水戸藩士ばかりの中で一人だけ存在していた薩摩藩士(襲撃予定者に次左衛門の兄・雄助を含む薩摩藩士がいたのですが、藩の意向で足止め→後に切腹)ということでは有名なのですが。

彦根というのは井伊家が領有する藩であり・・・十五代藩主が井伊直弼であります。
関ヶ原で功を上げた初代・井伊直政が得た地であり、さらに幕末まで井伊家が領有してました。そのためもあって「藩主を殺した男の親族の子孫など・・・」とかそういう物言いのなったと思われるのですが・・・。
何を今さら言っているんだろう、と。
これがもし薩摩の地からはるばると「彦根を手中に収めに来た」」とかそういうこと言ってるのなら(かなりアブナイ言い方ですが)そう反論?するのは、まあ、分からんでもないですが。今から150年以上前のことを持ち出して「そんな人物は市長にふさわしくない」とかってのは・・・色んな意味で大丈夫なのかな、と。

まあ、選挙期間中というのはこの手のウワサやなんかが様々流れるもんらしいですが。
それにしても・・・もっといい攻撃材料?はなかったのかな、と。実は色々な話?のある人らしいのですが、この現職市長は。どうもジョークではなさそうですし・・・簡単に「ほっといたらええ」というわけにもいかないような。まあ、これで現職市長の方も危うくなる・・・んでしょうかね? ヘンなこと言い出した、と。

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04/06/2013

二つほど 4/6

色々と二つほど。

一つ目。ヒトラーの著書「我が闘争」著作権切れ以降はどうなる?(Yahoo!:読売) ドイツでは今でも発禁の書であります。あのヒトラーが書いた、というのもあるのでしょうけど・・・やはり内容が内容だから、ということでしょうか。
それでも誰かが書いた、という創作物に違いはなく。ドイツでは著者の死後70年過ぎると著作権が消滅します。・・・現在は当人がいませんから、通常ならば関係団体などが保持するかと思われます。しかしモノがモノだけにバイエルン州政府が保持。それでも有効期限は設定されているわけで、2015年以降にパブリックドメインとなるわけです。
・・・それなら発禁はどうなるのだろう、と。でも書の内容が内容なわけです。
さらに学術的な意味は、となると。・・・その辺は難しいところであります。歴史資料として・・・とは言ってもやっぱり内容が・・・と。・・・簡単に反面教師とかそういうわけにもいかないようであります。

二つ目。1000万年前に絶滅した謎の哺乳類、海で生活?(Yahoo!:読売) デスモスチルス。・・・どっかで目にしていた名前なんですが・・・どこで見たのか思い出せない・・・。
束柱類、という分類がされています。
これは発見されていた歯と思われる化石が「柱を束ねたような」形をしていたからで・・・これで貝などをバリバリ噛み砕いていたのだ、いや、これで地上の草を臼でひくように食べていたのだ・・・などなど。そもそも全体像はあくまで「想像図」であって本来の姿は100%分かってるわけではありません。
・・・化石なんてそんなもんかも知れませんが。大抵は一部分しか見つからず、全身がそのまま出土なんてのは非常にまれ。そのため別の恐竜の化石をくっつけてでっち上げたブロントザウルスとかそんな話まで。
今回の研究結果もこれで確定、ということになるのかどうか・・・またしばらくしたら「実は違った」とかそういうことは絶対ない、とは言い切れません。

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03/29/2013

そこに足跡

15世紀の本にネコの足跡(Yahoo!:ナショナルジオグラフィック)。インクに足を浸して、その足で本の上を歩き回ったようで。いや、歩き回った・・・わけではないのかも。横切った、とかそんなもんですかねえ・・・足跡のつき方からするとフツーに歩いてたわけではないような。

・・・ちょっと気になったのが、これ、本を書いてる時にネコがいたのかそれとも手に入れた本を読んでる時だったのか・・・?
別にどっちゃでもいいんですが、別に。
↑記事にもあるように手書きの本(当時はまだ印刷技術が未発達)なのですが。それへネコが足跡刻んでるわけです。本の作者が執筆中にネコが、ふ、と横切ったのかそれとも本の所有者が読んでる最中に・・・?

本、というのは手書きの当時は大変に高価なものだったとか。何せ大量生産ができませんから。内容にもよりますが本当に重要で貴重な内容の場合、写本なども作られていたのではないか、と。そんな本にネコが足跡、てのは・・・どうなんだろう・・・?
・・・でも画像見る限りでは・・・あわてて拭いた、とかそんな感じもなく。どっちかと言えばそのままにしておいた、とかそんなもんのような・・・?

さらに書斎のような場所だったから近くにインクがあったんだろうか、とか。作者ならインクがあって当たり前ですが、所有者だったらなんでインクがそばにあったんだろう・・・とかそんなことまで考えてしまいますが。

しかし15世紀でっせ。よく今まで残っていたなあ、と。やや方向が違うような気もしますがコンクリートに残ってるイヌやネコの足跡を思い出してしまったりして。アレもこんな感じで後世に残ったりするんかなあ・・・とか。

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02/17/2013

調査・・・

いやしかしそれは本当に「調査」なのか・・・。
著名古墳への立ち入り調査始まる(iza!)・・・卑弥呼の墓、とされる箸墓古墳などへの「立ち入り調査」が許可された、とのことで。実施は今月20日。実はこれまでもいくつかの古墳の「調査」は行われてきてた、とのことですが・・・。
しかし。「ただ見て回る」というのは一般的に「観察」と呼ばれる行為であります。果たして「調査」としてしまってもいいのだろうか・・・とは思うのですが。
・・・それでも大きな進歩だ、というのが実は率直なとこだと思われます。古墳はあってもなかなか踏み入ることができない「調査」できない。国民性、と言いますか祖先を大事にする、という概念から「墓を暴く」ということに対して一種のタブー(天皇陵にはまた別のタブーもありそうですが)があるのかも知れません。

でもよその国の墓へ日本の調査隊が行ったりしてるもんなあ・・・。

古墳ができた頃、というのは今でもよく分かっていない時代だったりします。いや、歴史なんてほとんどがそんなもんで。比較的現代に近い近代史にだってまだまだ「謎」があったりします。
・・・「事実」というのは一つしかないもんなんですが、「真実」は人の数だけあります。どっかの元首相みたいに客観的に物事を見る・・・なんてのは人間には不可能であります。その人間が研究している歴史、という学問なのですから・・・それはさらに広がっていくことになります。

もちろん、学者に限らず誰でも「歴史の事実」を知りたい、と思うのではあります。が、それは本当は不可能なのかも知れません。タイムマシンでもない限り。
それでもできるだけ近づけたい、という思いから「調査」が始まるわけですが・・・「観察」ではなあ・・・でもそれでも今までとは違うわけですし・・・何らかの「収穫」を期待したいところなんですが・・・どうなるんでしょうね・・・?

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12/13/2012

チーズに歴史あり

およそ7000年前のチーズ作りの証拠が土器に(Yahoo!:AFP=時事)。意外だったのですが、実はチーズは「最古の加工食品」とも呼ばれていて、定説では6000年ほど前に始まっていた・・・とされていたのですがそれが1000年も早くなった、ということになります。
チーズとは言うまでもなく牛など家畜による乳がないと製造できず。家畜がいる、ということは狩猟採取だけで放浪する生活から農耕などの定住型になっていた・・・ということでもあり(遊牧民というのもありですが)さらには家畜を殺さずに食料を得ることもできた、ということでもあります。

・・・どんなチーズだったんだろうなあ・・・。
現在のチーズは発酵によって得ることができます。そのためチーズによっては発酵が進みながら売られているもの(ナチュナルチーズの一種)もあったりして。日本でフツーに売られているのはプロセスチーズという何種類かのチーズを混ぜてさらに発酵を止めてあるものだったりします。・・・実は発酵中というのは運搬や保存がややこしくなるものだったりします。
しかし古代のチーズ。発酵させてたのかどうか・・・?

例えば「蘇」という乳製品があります。古代中国から当時の日本・・・奈良時代とか飛鳥時代とか・・・にも伝えられました。牛乳から作るのでチーズか、と思われましたがこれは発酵を必要としません。
ただ煮るだけだったりします。ただひたすら。
3時間煮ると牛乳は甘くなる(@nifty:デイリーポータルZ)
この製法のせいもあったのか、いや、牛乳そのものが貴重だったのか・・・蘇は大変に高価な滋養食でもありました(蘇の代用品を作ろうとしてできたのが大豆由来の豆腐だった、なんてな話をどっかで聞いたような)。しかしその後日本では蘇はあまり作られなくなり・・・明治になってから西洋のチーズが入ってくるようになりました。

・・・でもチーズのそもそもは皮袋に乳を入れておいたら中で液体と白い固まりになってて、食べてみたらウマかったから広まった・・・という発酵(むしろ皮袋の酵素の作用)みたいな話もありますし。さて。
実際、本当の起源というのはまだ分かっていないんだそうで。蘇にしてもチーズにしても、当時から大変に有効な食品だったことには違いなかったりしますけども。

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11/04/2012

イヌが役に立つ

縄文時代早期にイヌを埋葬・・・国内最古(Yahoo!:JIJI)。「埋葬した」ということが分かっているということですから通常的に食材だった、とかそういうわけではなく・・・何らかの役に立っていた、ということになります。
それもかなり深い仲?でないと埋葬なんかしないわけで。その辺、どんな間柄だったんでしょうか・・・。

イヌはヒトとの繋がりが最も深い動物の一つであります。
恐らくは狩猟採取が主だった時代に一種の猟犬のような存在だったのか、あるいは番犬的な意味合いが強かったのか。現在は正しくコンパニオンアニマルとなってますが(一部では違いますが)何かしらの「役」に立ってないと繋がりが深まることはなかったのではないか、と。
ネコの場合は農耕が始まってネズミの害が出るようになった際に役立ち始めた・・・という説があります。ニワトリやウシ・ヒツジなどは言うに及ばず。何らかのカタチで役に立っていた、と考えられるわけです。

そしてもう一つ。イヌという動物はどっから来たのか、という疑問も。
オオカミやリカオンなどのような野生の動物を飼いならした、ということになってますが・・・世界で同時進行的に飼いならしが行われていたのか、それとも一部の地域で成功した「飼いならしたイヌの祖先」が広まっていったのか。・・・実は「イヌ」というのはほとんどがほぼ一つの種、と言われています。カタチは様々に変わっても大元は一つではないか・・・と。そうだとしたらどこから来てヒトに関わるようになったのでしょう・・・?

日本の縄文期のイヌ。土着だったのかそれとも・・・。実は結構ナゾの多い生き物だったりします。

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09/09/2012

ふろ

山科本願寺跡から「サウナ風呂」の跡発見(Yahoo!:毎日)。かの蓮如もつかったかも知れない、とのことであります。
これは「サウナ風呂」となってますがいわゆる「蒸し風呂」のことであります。熱した地面に塩水を撒いて蒸気を発生させる。「塩水」というのは当時こうやって浴びると健康になる・・・という話だったからだそうであります。・・・今は・・・そういうことはしないんでしょうか、サウナとかあんまし行かないんでそこまではよく分かりませんが。

日本で「風呂」というと現代では浴槽に湯を張ってそこへはいる、という「風呂」になってますが・・・こういうスタイルがいつ定着したのか、というのはまだはっきりとは分かってないんだそうであります。
少なくとも江戸期からではないか、と。実際、ある程度の量の水を確保できて、さらに薪も豊富にある。そうでないと「湯」なんか大量にキープできませんから、やはり日本が落ち着いて?きた江戸期くらいからなのかも知れません。それまでは↑のように熱した石とか地面に水をかける「蒸し風呂」や川など水場での沐浴が普通だった、のではないか・・・とか。

吉川英治の「宮本武蔵」あれにもお杉ばあさんが入浴するシーンが出てきます。・・・まあ、ばあさんだからどう、とかマニアックだなあ、とかそういうのではなく。その後の展開に繋がる重要なシーンではあったのですが・・・ばあさん、別に驚く様子もなく風呂に入ってましたから意外とフツーだったのかも知れません。あれの設定は江戸初期ですし。
一方で「風呂」と言えば有名なアノ時代劇も年代的には江戸初期になりますか。当時あんだけあっちこっちに「内風呂」なんてあったのかなあ、とかそんなヤボなことも思ったりしますが・・・さて。

実は今の日本人は風呂好き、と言われてますが江戸期はそうでもなかった、という話もあります。江戸後期から明治にかけて「湯屋(風呂屋)」が大流行します。今の銭湯の祖ですが、マッサージしてくれるところがあったり軽く食事がとれたり×××なのがあったり・・・と。そこらへんから今の「風呂好き」が始まったのかも知れません。
まあ、それでも世界的にもそうはないのかも知れません。一日一回は必ず風呂にはいる人の方が多い国、なんてのは。あ、シャワー浴びるってのも加えたらそうでもないかも知れませんが。

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08/02/2012

こしょうがねえから

カンボジア産コショウをブランド化・・・国際市場を視野に(iza!)。ベトナム・インドネシア・インド・ブラジルなどが現在のコショウの産出上位国とのことであります。実はカンボジアは20世紀前半までは世界でも有数のコショウ産出国だったらしいのですが・・・1970年代の内戦で生産が中断。その復権を目指そう、ということのようであります。
・・・よく考えてみたら様々なスパイスの中で最も身近で、自分も結構使ってるのにドコ産かは全然知らなかったりして。南の方で作られてるのかなー、とか漠然と思ってたくらいで。

「コショウ」と言えば歴史の授業では欠かせない「大航海時代」であります。
冷凍や冷蔵技術のない時代、肉などの痛みやすい食材を保存するのはかなり大変なことでした。腐敗・・・つまりどうしても腐ってしまう。そこでコショウに含まれる、ピペリンによる抗菌・防腐・防虫作用を利用した食材の保存方法が用いられるようになったのですが・・・ヨーロッパなどではコショウを栽培できず。
そこで「インドに行けばコショウが手に入る」ということでアジアやその他地域への帆船による統治化が始まった・・・いや、これだけじゃないのですがコショウもその原因の一つではあったわけです。

現在では当時のように「金と同量で取り引き」とそこまで高価ではなく。粉になったものはフツーにどこでも買えますが。
基本的に4種類あるんだそうであります。「黒」「白」「緑」「赤」と。黒いのは「ブラックペッパー」としてフツーに売ってます。白い「ホワイトペッパー」も最近では単品でも目にするようになってきましたが・・・「コショー」として小ビンで売ってるのは両方をブレンドしたものであるようです。
この二つは別種でもなんでもなく。実は同じコショウ(Piper nigrum)の実だったりします。
「ブラックペッパー」=未熟な実を皮ごと乾燥させたもの
「ホワイトペッパー」=完熟した実を水につけて皮をむいたもの
さらに
「グリーンペッパー」=未熟な実をそのまま加工(塩水漬けやフリーズドライなど)したもの
ということになっていて、基本同じ植物の実、ということになります。

しかし「レッドペッパー(ピンクペッパー)」はコショウの実ではないものとコショウの実を完熟させた後乾燥させたものと二種類があるとのことで。用法なんかも違うと思われますが・・・そこまで使ったことはないので、どんなもんだかちょっと分からなかったりします。・・・今度何かに使ってみようかなあ・・・そんなに値の張るものではないようですし。

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04/12/2012

よくあったことじゃないけど

全くのゼロ、とは言い切れないような。
日本人の末裔? スペインの「ハポン(Japo'n)」さんDNA鑑定へ(Yahoo!:読売)。スペイン語では「Ja」は「ハ」に近い発音をするので「ハポン」と言えば「日本」ということになります。…出身地を名前や姓にする、というケースはあちらではよくあることらしいので(ドン・キホーテもそうなんですかね「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」)、日本から来た人間が「ハポン」と名乗ってもおかしくはないわけです。
ただ…どこからどういった由来で来たのか、というのはたしかに興味をそそる話ではあります。

↑に出てくる「慶長遣欧使節」関連の頃以降、日本は鎖国してしまい海外との窓口は長崎のみ…となってます。そのため外国や世界の情勢を数百年に渡って知ることができなかった…と。そのため明治になって開国すると大変な混乱が起きた、と。
大体はそんなもんだと思うのですが、自分としてはなんかそこまでかっちこちに正に鎖で縛り倒して国を閉じてたわけじゃないんじゃないかなあ…とか思うのですけども。

タイの山田長政の例もありますが。こちらは鎖国前に活躍?した?とされてる人物ですが。
少なくともタイには日本人街があったようで。何かのテレビ番組で何か(何だったっけ…)日本語の名前がついた橋か何かが今でも残っている、とやってたんですが…ソレ見た時にすごく疑問だったのが
「なんでその頃からの日本人の末裔が出て来ないのだろう?」
でした。実際はそういう方々が今もおられて生きてらっしゃるのかも知れません。でもその番組見る限りではそういう話がとんと出てこなかったので…。戦争のこととかもありますんで、そういう事情もあったのかも知れんのですが。

…日本人が海外に全然出なかったわけじゃないのでは、と。…で、その人たちの末裔というのはまだどこかにいるのでは…。

ロシアに漂流した大黒屋光太夫一行でもロシアに残って結婚した人もいます。でもそういった記録が残っていないケースも多々あったのかも知れない。長崎に入る船は役人もかなりきびしく調べますが、出て行く船はそうでもない、という話(シーボルト事件の発端…)もあります。密航が常態化していたとまでは思いませんが、そういう例がいくつかあったのかも知れない…。

「スペイン(バスク)」「日本人」と言えば司馬遼太郎にそういう短編があったような。完全に鎖国する、というのは実はほぼ不可能で、何かしら小さなことでも何でも外から入ってきては…出て行くことも、ある。
世界は実は繋がっているのですから。否応なしに。

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04/10/2012

そっとしておく?

今年で沈没100年。タイタニックに迫る「危機」?(Yahoo!:ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト) 実際、今月15日で100年となるので…それに合わせて当時の雰囲気をできるだけ保って出港・沈没現場付近で式典を行なう(Yahoo!:NNN:動画ニュース)、というイギリスの旅行プランもあるとか。
…まあ、「熱狂的なファン」というのもいるみたいですし、一種のイベント…という見方もできなくはないですけど。まだまだ遺族がご存命、ということを考えると…なんか複雑ではあります。

↑の「危機」というのは潜水艇によってホンモノの「タイタニック」への損傷が増しているのではないか…ということであります。映画「タイタニック」のジェームズ・キャメロン監督が自ら潜水艇に乗ってホンモノを見に行った、という話があります。潜水艇なら潜水に関してシロウトでも潜ることはできます。…と言うよりあんな海底に潜水服着てでも出るのは非常に危険であります。訓練すればそういうことができる、とそういう話もありますが、そこまでやるもんなのかどうか…。
で、観光目的の潜水艇が船体を破損、というのもなあ…ツアーを企画してるディープ・オーシャン・エクスペディションズ社のマッカラム氏の「むやみにぶつけるわけがない」という言を信じたいところではあります。ゴミ…ああ、でもたしかに浮上する際のバラストは多数ばら撒かれてる可能性は非常に高いですか。

しかしそれでも「船体の汚れを落とし、ロボットを使って防汚塗料を塗るための許可を申請しているのだ」(「」内元記事より引用)てなとこまできちまうと。なんだか違った方向へ進んでやしないかい? とか思ってしまうのですが。…そっとしておいてもいいんじゃないか、とか…。
例えば戦艦大和も沈んでる場所が分かってますが、今のところ「船体の汚れを落とし、ロボットを使って防汚塗料を塗ろう」てな話は出てきてません(大和の場合は艦橋が吹っ飛んでて船体が真っ二つになってるから、てのもあるかも知れませんが)。
…その辺、日本人の感覚とは違うのかなあ、とか。でもタイタニックがそういう「海底の電子博物館」になったとして…関係者はどう思うのでしょうか。その辺も、ちと気になります。

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03/27/2012

二つほど 3/27

様々に二つほど。

一つ目。宮崎県で縄文時代の最古の食用植物発見(Yahoo!:時事)。別記事ではノビルの他にツルマメなんかも見つかったとのことであります。そしてもちろんそれらをすりつぶしたりした、とされる道具類も見つかってます。
縄文時代と言えば、石器中心の時代と金属器中心の時代の境が曖昧とされる日本では最も古い時代区分とされています。そのため期間もかなり長く1万年以上前から5000年ほど前まで、と(そのため1万3千年前ということは…縄文時代最初期)。それ以降は弥生時代に突入していきます。
縄文時代は狩猟採取が主、とされています。動物を狩ったり植物を採ったり。そんな植物にはノビルなどがあった…ということになります。ドングリの採取は前から知られていたように思うのですが、ノビルやツルマメ、それに加工用の道具もきちんとあったということで…かなり色んなものを食べていた、いや食べ始めていた時期なのかも知れません。
なお。ノビルというのは現在でも時折食用になる植物だったりします。ガキの頃だったか、近所の人たちがノビルを採りに行く、というので川原に連れて行ってもらった記憶があります。いや、そんなに難しいものではなく…それっぽい長細い葉っぱを引っこ抜いて根元がふくらんでいたらノビルだ、とかそんなもんだったような。意外と身近な食材だったのかも、実は。

二つ目。単行本不振で「いきなり文庫」が主戦場に?(Yahoo!:産経) もちろん「いきなり文庫」という文庫ができてこれが大変に盛況だ…ということではありません。日本の従来の小説の出版方法は「まずハードカバーの単行本」が出てしばらくしてから「安価でサイズも小さい文庫化」という流れだったからで。それが最近はコストや手軽さの影響からか「いきなり文庫化」が増えている、と。
…いや、ライトノベルでは当たり前なんですが。そもそも「ハードカバーのライトノベル」てのはほとんどありませんし。
こういう風に「多極化」していくのはそんなに悪くないことだと思うのですが。自分なんかは最初から「文庫派」で…置く場所がないからとかそんなんもありますが…どちらかと言えばかさばる上に扱いにくい(寝転がって読みにくい)ハードカバーの単行本よりも文庫の方が好きだったりします。
でも世の中には逆に単行本のあの重厚な雰囲気が好き、という人も当然いるわけで。そういう人たちにとってはあんまし好ましいニュースではないわけです↑は。
だから「文庫の方が売れるのか、じゃあ全部そうしちまえ」ではなくて…本の内容や雰囲気によって変えるとか、そういう風になっていったらいいのになあ…と思うのですが。

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01/26/2012

そぐわないのかなあ

むしろこういう人物の方が未来には必要なのかも。
二宮金次郎像、各地で撤去相次ぐ(Yahoo!:毎日)。とは言っても誰かが各地の金次郎像にいちゃもん付けて回ってるわけではなく。元来が戦前から戦中にかけて建立されたものばかりなので…やはり老朽化、というのも大きいようであります。戦中には金属像は軍に供出された、という歴史もあったりします。
…自分の通ってた小学校にも石像があったような記憶があります。あれは…まだ建ってるんでしょうか…?

二宮金次郎は後に二宮尊徳と名乗った人で…江戸期、相模生まれの人であります。
1787-1856ですから江戸の中期から後期、ということになります。実際、天保の大飢饉の時に「夏なのに秋ナスの味がする」と細かな異変に気づいて近隣の農家に稗を植えさせて飢饉の被害を減らした…という話も残ってますが(どうも伝説っぽいと言う説も)。いずれにせよ様々な施政によって藩だけではなく民にも大きな影響を与えた人物だったりします。

そもそもは農民の生まれですが、最後には幕臣に取り立てられています。こういう例は実は地方の豪農や豪商から武士になった、ということで少なからずあったりします(多くはないですが)。例えば伊能忠敬もそういった人物の一人だったりします。
…しかしそうカンタンに名字帯刀できるわけもなく。当たり前ですが相応の実績があった人物にのみ許されることではありました。
尊徳の場合は己や家族が消費する分を計画しておいて(分度:ぶんど)残った分を村の役に立てる(推攘:すいじょう)方法を推し進めていってます(これを金貸しで行なっていた、という話もあります。通常より長めに貸し付けて安い金利を得る、これを推攘として役立てる)。当然ですが各人が各人でばらばらに「利」を得ていて貯め込んでいては村の役には立たないわけで。長い目で見れば、自分のもうけ分?を差し出して今は損したと思ってもいずれ村が栄えればその何倍もの「利」が還ってくる…という思想かと思われます。…実行するのはかなり難しそうですが。でもそれなりに力のある人物の呼びかけなら実行は不可能ではなさそうな…。

…でも石像の二宮金次郎は薪を背負って本を読む少年の姿。
どうもそういった「改革者」ではなく「薪を背負いながら本を読んで勉強したえらい人」みたいなイメージで。「勤勉」「節約」…実際にそういった思想はあったようですが戦前や戦中のそれとはまた違っていたような。しかしそういったイメージで道徳の教科書にあたる「修身」にも取り入れられ小学校に像が建てられた、ということのようで。
…そのせいでどうも「戦中教育の象徴」みたいに言われることもあったようであります。さらに↑記事のように「歩きながら本を読むなんて危ない」とかそんな声もあって…さらに老朽化もあって…撤去。

戦国期の武将などのように派手な活躍してた人ではありませんが…こういう人たちがいたから今がある、というのもあると思うのです。歴史ブームだ、とか言われてますが結局は一部の有名人にだけスポットが当たっている、というのはブーム前と変わってなかったりします。
小さなことから再評価に繋がることもある、と、そういう見方もできるんですが。よく知られていないけど実はスゴイ人、というのはまだまだたくさんいるものなのです。

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01/11/2012

取り合わない方がいい

兵庫県の井戸敏三知事がNHK大河ドラマ「平清盛」を「薄汚れていて見る気がなくなる」と批判(Yahoo!:読売)。…ここまでなら個人的感想か、で済むのですが。そりゃ、そういう感想を持つ人がいてもおかしくはないわけで。まあ、公人という立場にある人間がこういうこと言っちゃうか、というところはありますが。
問題は「平清盛」のロケは兵庫県内でも行なわれたり、大河ドラマ関連地ということで観光客誘致活動をやっている、と。それがあんな汚い番組見せられたら観光客が来なくなるかも知れない、だからNHKに改善要求するかも知れない…というなんだか本末転倒なこと言い出したところにあります。
…前に「龍馬伝」やった時もどっかの企業が「ウチの創設者はあんな小汚い人物じゃない」とか妙なクレームつけてたりしましたが。NHKの「公共放送」という体質上、注目はされますし歴史上の人物を取り上げる以上どうしてもこういうクレームなんかが来るもの、とは思いますが…それにしても。
無知で力のある人間が思い込むとこうなるんだなあ、という見本でもあります。「龍馬伝」の方はいつの間にかそういうクレーム?は消えたみたいですが(最後の方できちんと立派になってましたよねえ?)、さて?

個人的なとこで言いますと「取り合わない方がいい」であります。まともに相手しなくていい。別に番組内容を変更する必要なんかありませんし…兵庫県知事だからと言ってその言葉を重用する必要もない。
そもそも当時の日本はそんなもんでしょうし…という声もあります。
NHKの最近の歴史物や時代劇では「リアルさ」が追求される傾向にあります(そうでない、娯楽要素を前面に打ち出したものもありますが)。「坂の上の雲」なんかいい例で。何が感心、と言うか非常に納得したと言うか、皆がそれぞれ「方言」をしゃべっていたことであります。
いわゆる「共通語」ができたのは明治の後期。それまではみんな出身ぞれぞれの国言葉だったわけです。場合によっては会話が成立しないこともあったとか。ほとんど外国人と会話してるようなもんだったわけです。…それじゃ「日本国」としてやっていけない、ということで「共通語」ができたのですが。

もちろん、そこまでリアルにやるとドラマとして成立しませんからある程度でもいいと思いますが…それぞれがそれなりの「方言」で会話する、というところにリアルさを感じてしまったわけです。…それ以来、なんか他局の時代劇とか見てしまうと…いや、エンターテイメントとして、ではなく…なんかもの足りないなあ、とか。武家言葉は武家言葉としてたしかにアリなんですが…なんか薄っぺらく見えてしまう、ような。

前にツイッターで取り上げた「タイムスクープハンター」もそういうリアルさを追求してました。正座とか。そういう流れで今回の「平清盛」が出てきた、となるとたしかにそういう「汚さ」を用いたリアルさが出てきてもおかしくはないと思いますが。
例えば黒澤明の「七人の侍」では農民の衣装は半年くらい泥田に埋めておいたとか。リアルに「汚す」というのはこういうドラマだけではなく模型などでも非常に重要なテクニックになっています。ただ適当に汚したってリアルさは出てきやしません。どうすれば年代物っぽく見えるか、こうしたら使い古し感が出る、というのは無数の試行錯誤や先人たちの知恵や技術によって受け継がれてきたものでもあります。
…「平清盛」の瀬戸内海ロケで平家の船を現役最後と言われる木造船船大工が新造した、というドキュメントやってましたけど。そこではもちろん「汚し」をやるわけです。海戦に強いとされていた平家がまっさらな船で出るわけにはいきますまい。
「なんか複雑じゃのう」と船大工の人は言ってましたが。でも、そういうリアルさの追求はあっても良いのでは、と。

「時代考証は史実に忠実にするとの方針は聞いているが、時代考証を学ぶために見るのではない」(「」内↑記事より引用)…ですか。エンタテイメントとして作る以上、たしかにリアルさだけでは人は惹きつけられません。ウソでもいいから演出などのテクニックが必要になります。
でもウソだけで塗り固めたものなんて…誰も見ないでしょう。それこそチャンネル回す気がなくなる。リアルとウソをちょうどいいバランスに仕上げる。そこがエンターテイナーの腕の見せ所でもあります。さらに「こんな時代でもあったのか」という教養のエッセンスがあればまた違った方向性も見出せるでしょう。

大河ドラマは長丁場であります。上げて下げる方法もあれば下げて下げて一気に上げる、という方法も色々ある。…そういうのを一切考えずに一回見ただけで「こんなのダメだ」と切り捨てるのは早計ではないでしょうか? 短編小説を単発で映像化してるわけじゃないんです。
さらに。あちこちで批判されてるからって「あの発言は撤回いたします、いやあ、清盛いいですね」とかやったら…逆に赤っ恥ですな。まさかそんな狭量なことはしないと思いますけど…?

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08/03/2011

正直あんまり認めたくない

しかし…これが真実ということならもっと対策を急ぐ必要があります。
今世紀は千年に一度の「巨大地震世紀」か(Yahoo!:産経)。これは今から1200年ほど昔の平安時代の西暦869年に貞観地震(Wikipedia)や887年に仁和地震(Wikipdia)など大きな地震が相次ぎましたが…これと最近の状況が似ているのではないか、ということであります。
実は日本は古来から地震が多発していた国なのですが、その割に「資料」という形ではたくさんは残っていなかったりします。モノによっては地名や伝承としては残っているのですが、それでは十分な資料とは言えず…しかしそれでも地道な研究の結果、いくつかの巨大地震の姿がようやく明らかになってきたりしています。

関東や三陸沖、というのは以前から…と言うより阪神淡路大震災前からでも地震の多いところ、ということで意識もされてきてました。関東大震災もありましたし、幕末には安政大地震なども起きています。
対して関西ではあまりそういう意識はなかったのですが…阪神淡路で大きく変わることになります。
しかし実際のところは…仁和地震は南海トラフ沿い、つまり関西圏で起きた大地震、ということになります。…この分だと日本で完全に地震に対して安全なところなんて…いや、地球規模でもそういう場所というのはなかなかないのではないか…とか思ってしまいます(それでも世界には地面が揺れるなんて信じられない、と地震に対して実感ない人がいるのも事実なんですが)。
…地球が生きている証拠だ、なんて人もいますが。学問的な話ではなく実生活上の話としてはあまりあって欲しくない話ではあります。

それでも嫌がってばかりもいられません。腹くくってきちんとした対策を…! といきたいところなんですが現状としては…なんだか、ちょっと。もう少し時間をかける必要があるのかも知れません。東日本大震災関係ですらまだまだ不十分だってのに、さらに未来の大地震に対しても…というのは今はまだまだ難しいような気がするのですが…でも自然災害は待ってくれませんし。しかも地震だけではありませんし。
大災害が起きる前にある程度なんとかできるようなシステム作り、というのは…やっぱり早々にできるもんじゃないんでしょうかね…?

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07/11/2011

高い低い

国内トップ級、170cm超の縄文人(Yahoo!:ヨミドクター)…現代だと、まあ、普通の身長ではあります。男性、とのことですし。しかし縄文人の男性は平均で150cmほど、されていますので…170cmとなるとかなりの長身、ということになります。

昔の日本人は背が低かった、とされています。…とは言っても統計の取りようなんかないので、諸説色々あったりします。例えば。江戸期の頃から明治にかけては身長はそれほど高くなかった(それこそ150とか160とか)けども、それより前、戦国時代辺りは結構長身の者がいた…という説があります。
これは食生活が原因ではないか、と。戦国時代は肉も魚も何もかも食べていたのに江戸期に入ると肉食が禁止されたから背が低くなった…というものであります。
…肉食に関しては江戸でも「ももんじや」として食ってた、てな話がありますし…実はよく言われるように「肉食なんてもっての他」と肉食全面禁止とかそういう話じゃなかったんじゃないのかな…と個人的には思ってます。もし本当に肉食なんぞしたら自分が四つ足になっちまうからダメ! ってなことだったらマタギの存在はどうなるんだ、とか。
俗説を引き合いに出すならば「ウサギは飛ぶように走るから鳥の一種で食っても良かった」なんてのもありますし。そこまで厳しいもんじゃなかったんでは…と。ただ、明治に入っても肉食する際に神棚を紙で覆った、なんて話もありますんで、宗教的習慣的にタブー視してた人たちもいたのは事実だと思ってます。

…ちょっとわき道へそれましたが。
日本人の身長が飛躍的に伸びたのはやはり昭和に入ってから、とされています。食の欧米化とかそういうのもありますが、やはり栄養が豊富になったから…というのは大きいかと(だから戦国期の方が身長高かった、てのはあながちウソではない…?)。
「六尺豊かな大男」という比喩?表現があります。一尺は30cmほどですから現代風に言えば「180cmほどの大男」ということになりますが…これくらいだと現代なら結構あちこちにいそうであります。
実は江戸期以前、立派な人、というのは身長が高い、とされてきました(そのせいか身長に関する記録というのはなかなか真贋が分かりにくい?)。有名人などは皆身長が高くなってます。…例外、と言うか恐らくは他からモレてしまった…と思われるのが豊臣秀吉でしょうか。まあ、太閤サンはその方が親しみがあっていい…という声もありますけども。

しかしそれでも180cmなわけです。…やはりその頃は背が低かったから180cmでもかなり高い部類になっていたんだ、いやいやあくまで言葉遊びの一環だろ? 語呂が良さげだから「六尺豊か」なんだよ…。
…結局のところはっきりしたところは分かってないんじゃないのかなあ、と。なんだかんだ言っても縄文人にだって背の高い人くらいいただろ、と言われればそれまでなんですが。

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06/02/2011

やっぱりもったいない

「土佐勤皇党再結成」の三志士像、JR高知駅前に(Yahoo!:毎日)。…ようやっと、と言うか何と言うか。落ち着き先?が見つかったみたいですが…結局そうなるんですね。別に無理に作って置かなくてもいいんじゃないのかなあ…?

震災前だったんですが「志国高知 龍馬ふるさと博」で桂浜の坂本龍馬像の脇へ武市半平太と中岡慎太郎の像を置いて「土佐勤皇党再結成」をやろう…! という話があったんだそうであります。…大河ドラマに乗るにしては遅すぎる、とか、なんでその三人なんだ、とか色々言われてたんですが。中でも「桂浜」というのはなぜか(立派な像があるんですが)「坂本龍馬の聖地」みたいになっているらしく、そこへなんでこの二人を入れにゃならんのだ、的な意見もあったとのことで。
…個人的には聖地がどう、と言うより…てっきりきちんとした「銅像」か何かを建てるのかと思ったらイベント合わせの発泡スチロールてのが。なんでそんなデキの悪い「こうしときゃ客が来るだろう」といかにも地方の何も知らん人たちの考えそうなことするのか…そういうとこが、ちょっと、いや大分気になってました。

この「あれこれ」で触れた後、やはり見直しが入ったらしい、ということは知ってました。が…やはりと言うか東日本大震災後に無期限延期となっていたということまでは知りませんでした。
で、結局龍馬を加えた「三志士」像をJR高知駅前に設置されるパビリオンでお披露目…。
なんかそれだとフツーにどこにでもありそうな建物になっちまうんじゃ…とか。たしか桂浜とかはりまや橋とか高知の名所にあるお土産物屋さんだと大抵龍馬像があったような。あれは桂浜の像のレプリカですから今度の「像」は多分別のものになるか…と思うのですがそれにしたってどこにでもありそうな「像」になっちまいそうな…。

なんかもったいないなあ、と。せっかく高知でやるんですからもっと幕末ファンを唸らせるようなイベントやってもいいんじゃないのかな…と個人的には思うのですが。龍馬だけが高知の偉人というわけではありますまい。武市半平太も中岡慎太郎ももちろん高知の偉人ですが他にもいっぱいいます。特に幕末~明治にかけてはキラ星のごとくたくさんの偉人を輩出しています。
大河ドラマで注目されたから、と言っても過去に何度も取り上げられてる高知。他にない素晴らしい特徴を持ってるのに、なんでこんな使い方になってしまうのか…もったいないなあ、と。やっぱり。

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05/30/2011

そのぴらみっど

オリジナルの世界七不思議(一般的には:ギザの大ピラミッド・バビロンの空中庭園・エフェソスのアルテミス神殿・オリンピアのゼウス像・ハリカルナッソスのマウソロス霊廟・ロードス島の巨像・アレクサンドリアの大灯台)のうち唯一現存しているとされるギザの大ピラミッド。クフ王のピラミッドとも呼ばれていますが「秘密の小部屋」に謎の印があることが発見(CNN)されました。
「秘密の小部屋」とはピラミッド内にある文字通り「小部屋」なのですが、そこへ至るトンネルは到底人が通れるものではなく。そのため探査用のロボットを使って調査していたりします。

…なんでそんな「小部屋」があるのか、というのもあるのですが。
実は「ピラミッド=王の墓」という認識もすでに最近では「?」が付き始めている、という説もあります。一昔前にもそういう「何のために作ったのだろう?」という謎?になっていたのですが「王の墓」ということで論争に一段落してます。が…最近になってまた諸説が出始めたような観があります。
そもそもこのピラミッド、純粋に高さだけでも14世紀までは人工物の中で世界一だった、というほどデカいものであります。
その製作には大量の人員と時間が必要だったとされています。やはりちょっと前には「たくさんのドレイをこき使って建てられた」という話になってたんですが…どうもそういうのではなく。きちんと雇用して報酬を払っていた、というのが最近の研究で明らかになってきてます。ピラミッドの周辺には作業員たちの町や村のようなものもあって、雇用促進の効果もあったのでは…とかそういう説もあります。

しかし何分にも建てられたのがかなり昔、紀元前なわけで実情が分かってないのも現状なわけで。例えばピラミッドとスフィンクスの関係にしてもなんだかピラミッドを守っているように見えたりしますが、実はスフィンクスの方がはるかに古かった…という説があったり(ギザの三大ピラミッドとはほぼ同年代という説も有力)。あるいは今は砂漠みたいになってますが実はあの辺は当時は緑豊かな土地だった…とか色々諸説あったりします。
…まあ、歴史なんてそんなもんではありますが。
その分「遺構」として残ってるピラミッドは大変に重要な証拠となり得るわけです。

それでもまだまだ分からんことばかりなわけで。…全部解明できるのは…と言うよりそんなん無理なのかも知れません。でも知りたがるのは人間の本性なわけで…そういうとこはいくら年月が経っても変わらんもんなのかも知れません。

05:03 PM | 固定リンク | コメント (0)

03/29/2011

どうでも…よくない

東日本大震災により地震計など計測機器が多数ダウン(Yahoo!:毎日)。これによる最も身近な弊害の一つが「緊急地震速報」の誤報であります。いきなり携帯が鳴り出して、すわ地震か…! と身構えても何もない。あるいは速報が出るほど大きな揺れもない。これは観測機器網が崩壊して精度が落ちているのが原因の一つ、とされています。

あれだけ大きな地震だったのですから、観測機器の入ってる建物だって全部無事なわけはありません…たしかに。
地震計もそうですが津波関係の機器にもかなり大きな被害が出た、と聞いています。どれくらいの高さの津波か、というのを計る機器があるんだそうですけど、それも相当数壊滅。そのため実際にはどれくらいの高さの津波が襲ってきたのか、正確には分からないのだそうであります。
そこで現地を調査して被害状況から類推する、という方法がとられています。
これは過去の地震や津波の被害を調べる時にも使われている手法ではあります。まだ観測機器も何もない江戸期やそれ以前にも大地震や津波は起きていました。その時の規模(マグニチュード)はもちろん計測はできませんが…被害から割り出すことはできます。

例えば高知市に「宝永町」という地名があります。伝承によればこれは江戸期の宝永四年亥10月4日(1707年10月28日)に起きた宝永地震(Wikipedia)による津波の被害が激しかったからだ、とか、その後津波を防ぐための堤防が築かれた場所だからだ、とも言われています。何しろこの津波は高知のお城下を海に変えてしまうほどだったそうです…。
この宝永地震も当然ですが現代のような記録は残っていません。古文書や地形の変化などから割り出していった結果、西日本では最大級の被害をもたらした地震だった…というのが分かってきています。

…震度とかマグニチュードとか、そういう数字はどうでもいい、実際に困っている現場を救うことだけ考えよう、というのは間違いとは思いません。全部は。でもこういう数字や調査の積み重ねから次の災害を守る手立ても生まれてくるものではあります。
もう「今後」のことも考え始めるべきだと思うのです。100年に一度、1000年に一度なんだから…と突き放してしまうのではなく。少しでもいいから被害を減らせる方法が出てくることを願います。

04:00 AM | 固定リンク | コメント (0)

03/11/2011

やめといた方が #2

結局3体にすることにしたようですが…。
中岡慎太郎・武市半平太(瑞山)のレプリカ像を後ろにずらすことで坂本龍馬に「配慮」(Yahoo!:毎日) なんと言いますか…やっぱり何やりたいんだか分からない…。
ただ、この「志国高知 龍馬ふるさと博」は来年の3月まで、つまり一年間続ける長いイベントとのことで。そのために様々な切り口を試みる必要はあるようであります。

前回「やめといた方が」で「もっと他の志士にも目を」と書いたんですが…よく調べてみるとこのイベント、そういうこともやらないわけではないようであります。梼原町でも何かやる、とのことで(別に歴史うんぬん、ってわけじゃなさそうなのがちと残念)。那須信吾の出身地であります。こういうことでもないと名が知られないかも知れませんから…何もしないよりはマシなのかも知れません。

個人的にはそんなレプリカいらん、というところなんですが。↑記事には賛成反対両意見が載っていてなかなか鋭いもんがあるんですが。
…たしかに観光立県?みたいなことを前々から言ってますけどそれと県民所得は関係ないですし。何よりこんなショボいので客集めよう、というやり方が気に食わんだけで色々やるのに反対する人はそれほどいないと思うんですがねえ。ちんまいのは県の方ではないか…とか。
合成樹脂のすごさとかそんなんもどーでもいい話ですし。ま、こんなんで役人の手柄になるって言うんならその程度の役人なんだろ、ってことですし。他にも色々な場所でイベントやるんですから桂浜に集中するわけでもないでしょうし…。

前にも書きましたけど、高知と言うのは龍馬も含めて志士に関するものがいっぱいあって、さらに他にも色々ある、他の県にはないものをたくさん持ってる県なんです。それを生かして色々やろう、というイベントだと思われるのになぜか大河ドラマで~今龍馬ブームだから~と、その辺の「底力」を信じていない。
そういうとこがなんかうすら寒く感じてしまうわけです。交通の便の悪さとかマナーとか人口の比率とか、もちろんそういうマイナス?面はあるにはあるんですけど、まだまだ他にはやれないこともできる県のはずなんです…少なくとも自分はそう信じてます。だから…もったいない、とかそういうことも思ってしまいます。

それでも。…別記事で「志国高知 龍馬ふるさと博」開幕(Yahoo!:産経)というのがあったんですが、その中に尾崎知事の「龍馬ブームなき後の今年、さらに全国に高知を発信していきましょう」(「」内元記事より引用)というのがあって。
…本当にこう言ったのかなあ、と疑ってみたりして。高知県知事ですよ…? 龍馬のブームだけの高知じゃないって分かってるはずでしょうに。しかも「なき後」って大河ドラマ前提の龍馬ブームってこと…ではないですよねえ…?

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03/03/2011

やめといた方が

いいと思うんですが。今から違約金払ってでも。…正直何したいのか分かんないです。
高知県・桂浜の坂本龍馬像の脇に中岡慎太郎と武智半平太(瑞山)の像を並べよう→ファンが猛反対(Yahoo!:読売)。そのため今はちょっと頓挫しているようなんですが、イベント(「志国高知 龍馬ふるさと博」)は5日から開幕で、その目玉企画として土佐勤皇党を再結成させよう、と。説明には時間が必要、てのもどうかと思いますし「桂浜は龍馬の聖地」てのもなんだか…いや、竜馬が住んでいた現在の高知市の中心辺りから桂浜てのは実はかなり離れているんです。バスで何十分とかそれくらい。だから龍馬がまだ土佐にいた頃に桂浜でどーん、とうつ波見ながら「世界は大きいぜよ」とか言ってる、てのはちょっと無理があるんじゃないのかなあ、と個人的には思っていたりします。そんなに頻繁に行けるような距離じゃないもので。…後の神戸海軍操練所とか長崎の海援隊とか、そういう頃なら海にも近かったんでは…と思いますが。
まあ、「聖地」というのはそういう意味ではなく。坂本龍馬像が立派に立っている地、ということでの「聖地」だとは思いますが。

…しかし。中岡慎太郎は室戸。そして武智半平太(瑞山)は須崎に立派に銅像が立っております。特に室戸の中岡慎太郎と桂浜の坂本龍馬は向かい合っている、とされ…果てぬ海外への夢をまだ追っている、という見方もあります。
そんな像の脇へ二体。しかもきちんと「銅像」ならまだしもレプリカ並べて「土佐勤皇党復活」て。
カタチだけ並べて何になるんでしょう? 昨年の大河ドラマで人気を博したから、と言うのは分からんでもないですがだからってそんなテキトーなことするくらいならやらない方がマシなんではないでしょうか…?
しかも勤皇党復活ならもっと半平太寄りの人物…大石弥太郎とか那須信吾とかそういう人物にスポット当てた方がそれこそファンが喜ぶと思うのですが。幕末の志士それぞれの出身地にはまだまだ資料が残されています。中には世間に知られていないものも多数あります。「龍馬伝」によって高知に注目が集まる、と言うのなら他の高知の志士たちを幅広く知ってもらおう…というのも手なんではないでしょうか。

…「龍馬」「幕末」というだけで十分に客寄せになると思います。そういう他にはない、強いモノを持ってる高知なのに。こんなくだらんこと考えてよく平気だな、と。金さえかけりゃ、時流に乗りさえすればいい、とそんなもんじゃないてのは龍馬の生き方見てたらよく分かると思うんですが…?

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02/17/2011

二つほど 2/17

色々に二つほど。

一つ目。国民新党亀井氏「今の民主党見ていると連合赤軍を思い出す」(Yahoo!:産経) なんか色々ツッコんでみたいところなんですが。まずは…あんた方はその民主党と組んで与党を名乗っているんじゃないのか、と。こないだも国民新党のヒトが「郵政改革ができないならうんぬん」てやってましたけど。…ナメられたもんですねえ、民主党。数の上では優位この上ないのにこんなことまで言われちまうとは。
それに「連合赤軍」ですか。多分内ゲバがどう、ということを言いたいのだと思いますけれど。
例えも古すぎるし言ってる内容も「?」なもんだし。内部抗争がどう、と言うのなら「ヤクザじゃあるまいし」とかそんなんでもいいでしょうに。わざわざ連合赤軍持ち出してくる理由もよく分かりません。暗に警察出身だ…とでも言いたいのかそれともこないだ獄中死した幹部を思い出したからこういうこと言い出したのか…。
まあ、自分は個人的にこのヒトが大嫌いなせいもありますけど…何言ってんだろ、というのが正直なとこではあります。

二つ目。京都・高山寺の「鳥獣戯画」実は一枚の紙のオモテとウラを剥がしたものだった(Yahoo!:毎日)。これは掛け軸なんかでは時折見られる技法で、一枚のものを複数枚にしてしまえる…とかそんな話をどっかで聞いたような(こち亀にそんな話があったような)。それと同じようなものなんでしょうか…?
しかし江戸期に、というのがなんとなーく納得できた部分ではあります。王朝文化への関心が高まったのが江戸初期てことですから…4~500年前に製作されていた、ということになります。そういった過去のものを鑑賞できるような余裕が出てきた時代…と個人的には思っているのですが。人間、余裕がないとなかなかそういうものに触れようとはしないような…?

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01/18/2011

どんな味だったんだろ

ちょいと気になるところではあります。意外と現代のとそんなに変わらないもんなのかも知れませんが。
アルメニアで世界最古のワイン醸造所発見…6100年前のもの(ナショナルジオグラフィック)。これまで「醸造所」として確定されていたものの中で最古だったのはイスラエルの3600年ほど前のものだった、とのことで。一気に3000年ほども過去に遡ったことになりますが…ワインの存在そのものは↑記事によればさらに1000年も遡れる(ただし醸造所跡は見つかっていない…)らしいので、今後の研究・発見によってはまだまだ昔のものが出てきそうではあります。

アルメニア、という国は位置的には中東になりますか。旧ソ連邦の一員だったのですが、独立。トルコ・イラン・グルジア・アゼルバイジャンに囲まれた国ですが、アゼルバイジャンの飛び地に挟まれていたり領土内にも飛び地があったりする、という…さらに隣国トルコとも色々あった国でもあります。
アルメニア共和国(外務省)
アルメニア(Wikipedia)
実は301年に世界で初めてキリスト教を国教として認めた国でもあり、現代でも国民のほとんどがキリスト教徒という、中東ではあまり見ない?国になっています。

ワインと言えば世界最古の酒、ということもあって世界中で飲まれている飲料なわけですが…↑記事で重要なのはそこが「醸造所」だったらしい、ということであります。…つまり、その頃すでにブドウを栽培してワインを作る施設があった、ということであります。遺跡から見つかった「足踏み式ブドウ圧搾法」はたしかについ最近まで行なわれていた方法ですし。今でもそういう風にやっている醸造所、というのはあるのかも…?
効率を重視してかなり大掛かりな施設だったのかも知れません。そういうものがあった、ということはつまり飲む人も多かった、需要もあった、ということになります。

酒を造る、というのはどこでもいつの時代でもバクチ要素があるものではありました。それを原材料からきちんと確保して一定条件下で失敗の少ないように造る…という「方式」もやはりどこでもいつでも考えられてきたものであります。
日本酒もそうですし、ワインもそうであります。…そういう施設が6000年前にはすでにあったわけです…。

ただ、↑なんだか現代と事情がやや違うのかも知れません。醸造所付近は墓地だったらしいですし。そうなると皆が通常普通に飲むためのものではなく、何らかの儀式などにワインを供していたのかも知れません。実際、酒と宗教やそういった関連というのは結構多いものではあるのですが。
今後の研究を待ちたいところではあります。しかし…一度飲んでみたいものであります。6100年前の人たちが飲んでいたワイン。ほんと、どんな味がしていたんだろう…?

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12/30/2010

次は子供

歴史大好きな「歴女」に続き今は「レキッズ」(iza!)って、なんか何でもアリみたいになってきてますが。ただ、「歴女」にしても「レキッズ」にしてもどっかで流行らそう、ここら辺をプッシュしておけば流行る…みたいな動きが見え隠れするのが、どうも。まあ、そういうことででも経済活動と言うか元気な人が増えるのは…まあ、いいことかな、とは思いますが本来はそうやって煽るもんではない、と思ってます。
そうやって「作られた」流行てのは長続きしないもんですし。真の意味での「流行」とは言いがたいもんがありますし。
それにグッズを買う、とかそういうのはなんか趣旨が違ってきてるような…まあ、その辺も人ぞれぞれなんではありますけども。

自分の場合は歴史好き、と言うより知識好きなのでその中に「歴史」があった…というもんだったんでは、と思ってます。ただ、ガキの頃から周囲に「歴史好き」がいたりしたので影響ゼロとは言えません。
「バカは死ななきゃなおらない」森の石松とか。
そういう話ばっか聞かされたりしたら、多少なりとも興味を持つか完璧に拒絶反応示すかどっちかになると思われます。が…自分の場合ちょっとは興味を持った方でありました。だから?中学や高校の時は歴史…特に幕末が好きでそっち関係の小説読み漁ったりしてました。当時はまだグッズとかそういうのがあまりない頃でしたんで、歴史小説というのが一番身近な「歴史」だったりしました。

え…授業の「歴史」…ま、選択制だったので「日本史」を高校では選んだのですが…なぜか担当の先生がかなりの高齢で非常勤でめったに学校に来ない。で、代わりの先生が授業やるんですけどそうなると連続性がない。結局江戸入ったくらいで課程終了、という…だから授業はあまり記憶に残ってません。
その後興味の対象は幕末から江戸期にシフト。理由としては一つは多様性があります。「江戸期」と一言で言ってもかなり長い期間なわけで、幕末だって江戸期の一部ではあります。そして…なんで幕末にああいう状態になったのか。その理由の一端は実は関ヶ原から始まっている、という「歴史の流れ」を実感したかったからでもあります。
考えようによっては平安どころか大和王朝ですら全て幕末、いや現代にまで繋がっています。そして「現代」は今度は「未来」へと繋がっていくわけです。こりゃあ…大きな話だ、と。

…まあ、そこまで行くと行きすぎなような気もしますが。色々知っていくのは楽しいもんだな、と確信?させてくれたのが歴史だったりするわけです、自分の場合。

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12/23/2010

しょうぎばん

鳥取県出雲市で最古の「将棋盤」が見つかる(iza!)…という話が。アレ? 正倉院にたしかなんかそんなんがなかったっけ…と思ったらこっちは「碁盤」でした。碁の方はこうやって見つかってるのですけど、将棋盤は江戸期のものがこれまで最古とされてきたそうで。今回は室町時代ということでさらに古いものが見つかったことになります。
将棋(Wikipedia)

将棋「盤」ではなく「駒」の方は結構古いのが見つかっているんだそうで。1058年という説が有力で…↑の「盤」は1506年らしい、ということですから相当の開きがあることになります。
将棋はチェスなんかと同じ起源で「盤(ボード)の上で駒を動かして遊ぶゲーム」として知られています。やはり「盤」があったはずなんでしょうけど…出土しない。駒だけ見つかる、というのはやはりある程度の大きさがあるため残りにくい、とかそういうことなのかも知れません。何せ江戸期以前の将棋には駒の数も多いもの(大将棋とか中将棋とか…現存してます)があったらしいですし、そうなると現在のと同じ大きさだったわけではないでしょうし。江戸期以前だとそういう様々な将棋が混在していた、となると色々な大きさの「盤」が存在していたのでは、と考えられます。

↑記事でちょっと気になったのが…盤に刃物による傷跡があり、まな板などに再利用されていたのではないか…という辺りであります。まさかどっかの剣豪のように将棋盤で刀を受けた(…なべぶたでしたっけ)わけではないでしょうに。てことは古くなった将棋盤は再利用されたり捨てられたり(今回の「盤」もゴミ捨て場から見つかってますし)してたんでしょうか…。
そういうとこ、現代とはやや違うような。将棋盤は将棋盤として最後まで…一部では美術品のように扱われてますし。

…将棋盤とは若干話の方向がそれるのですが…。
↑のWikipediaの記事の中に「将棋禁止の危機」というのがあります。終戦後にGHQから将棋を禁止する、という話が出たそうなんですが…なんか面白い?やりとりなので長いですけど引用させて頂きます。
『GHQは「将棋はチェスとは違い、敵から奪った駒を自軍の兵として使う。これは捕虜虐待という国際法違反である野蛮なゲームであるために禁止にすべきである」と述べた。それに対して升田(引用者注:当時の日本将棋連盟関西本部長代理)は「チェスは捕虜を殺害している。これこそが捕虜虐待である。将棋は適材適所の働き場所を与えている。常に駒が生きていて、それぞれの能力を尊重しようとする民主主義の正しい思想である」「男女同権といっているが、チェスではキングが危機に陥った時にはクイーンを盾にしてまで逃げようとする」と反論』(『』内↑Wikiepdia内より引用)
これにより将棋禁止の危機は去った、そうなんですが…やるなあ、と素直に思ってしまいました…。

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12/07/2010

刻んだタバコ

こないだたばこは値上がりしましたが…値上げの影響がほとんどない(30円アップ)ため、普通の紙巻きではなく「刻みたばこ」をたしなむ人が増えているんだそうで。
刻みたばこの人気上昇中、若者にも(Yahoo!:毎日)。そりゃあ、キャンパス内でいきなりキセル取り出されたら結構人目引きそうではあります(一応キセルの正しい?持ち方というのもあるんだそうで、下から包むように持つんだそうで)。しかも「キセル」と「紙巻き」というのはほとんど違うもんだったりしますんで、紙巻きと同じ様にキセルを…とやると戸惑うことがあるかと思われます。

タバコ、と言っても数百年もの歴史のあるものですからそのたしなみ方は様々だったりします。
現在では「紙」で巻いた「紙巻き」が主流ですが、これは取扱いや持ち運びに気を使わなくていいから普及したんでは…と個人的には思ってます。それまでは「パイプ」や「キセル」のような「刻んだタバコの葉を特定の器具で吸う」というのが主流でありました。
これは何が違うか、と言うと。吸う時にあまり動き回れなかったりします。つまり、キセルで歩きタバコはほぼ無理でしょう…パイプだって似たようなもんですが(吸い方が若干違うんですが)キセルよりは「長持ち」します。しかし紙巻きのように気軽に吸えるようなもんではありません。

キセルの場合はほんの一つまみ程度。そんな微量な葉を金属でできた「雁首(がんくび)」の火皿へ、そして火を付け…やはり金属でできた「吸い口」から吸う。正に「一服」したらそれで終了。火の通った葉を捨て(まだまだかなり熱いんですがこれをてのひらで転がすじいさん、てのが昔はよくいたそうで)また葉を取り出して…火をつける。結構頻繁に葉を取り替える必要があります。これを歩きながら、となると…ちょっと前方不注意になりそうな。
パイプはパイプで結構たくさん葉が入るのもあるんですが、これは煙を吸う、と言うより香りを楽しむ、と言うか。一説には紙巻きのように大きく吸い込んで吐くのではなく、軽く吸って楽しむもんなんだそうであります。その辺は葉を刻まない「葉巻」と似ているかも知れません。
…いずれにしてもゆったりとした場でゆっくりと楽しむもので。せかせか歩き回ったり灰皿いっぱいになるまでチェーンスモークする、というものではないように思います。その辺、現代の事情に合うかなあ、と。
まあ、そういうのも含めての「キセル」「パイプ」ですから場に合わせてチョイスする、というのも手なのかも知れんのですけども。

なお。列車や電車で不正乗車することを「キセル」と言いますがこれは金属=カネ、つまりキセルは雁首と吸い口が金属で間の羅宇は竹など植物。乗った駅と降りた駅付近だけカネ使ってキップ買ってその間の乗車賃をちょろまかすことから来ていて「中間無札(ちゅうかんむさつ)」と呼ばれています。
ただで乗る無賃乗車は「サツマノカミ」でこれは平家物語に出てくる平忠度(たいらのただのり)の官名「薩摩守」との語呂合わせ?でキセルとはまた違った意味になります。

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11/15/2010

一つの歴史

ではないか、と思うのですが。
アップルPCの祖「Apple I 」が英サザビーズオークションへ(CNN)。どうも「予定落札価格が高すぎる」という声もあるようですが…美品とのことですし、それが相場ならそういうもんなんじゃ…とは思いますけども。相場なんてのは変化していくもんですし。

Apple I (Wikipedia)
「Apple I 」は最近ではPC以外にも色々やってる「アップル社」の共同創業者スティーブ・ジョブズ氏とスティーブ・ウォズニアック氏が1976年から開発・販売を開始したPC…いや、当時はそういう言い方もなく(ホームコンピュータというのはその後にアップルが広めたんだそうですが)いわゆる「コンピュータ」そのもの、ということになります。1976年から1977年の間に200セットほどが作られ、170セットほどが売れたんだそうです。
…「セット」という呼び方が合うと思います。
これは現在のPCのように買ったら即起動…というものではなく。言ってみれば「自分で組み立てるコンピュータ」であります。後に後継機とされる「Apple II 」が出ましたが、こちらは現在のとそんなに変わりなく、買って即起動、ということができる機種ではありました。
Apple II (Wikipedia)

昔はこういう風に「自分で組み立てる」形式が多かった…というエッセイか何かをどっかで読んだような。もちろん、ネットも何も全然普及していない頃の話であります。今のようにPCが普及したのにはネットや周辺機器の影響も大きいのですが、やはり買ってきてすぐに起動して何かできる、というのも大きかったのかなあ…とか。キカイに関してあまり知らない人でもすぐに起動できますし。まあ、道具としてPCを見るならば別にどんな仕組みか、とかそんなんはどうでもいいわけで。期待した通りに、いやそれ以上に動いてくれればそれでいいわけですが。

今後はどうなっていくんでしょうかね。前に「PCではなく専門化されたコンピュータが主流になる」という予想を紹介しましたが…やろうと思ったら何でもできる、という「PC」の方向性というのは、なかなか変わらないのかも知れません。

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11/10/2010

ムズカシイ

「カラス天狗のミイラ」実は鳥(トンビ?)の骨と粘土(Yahoo!:読売:画像あり)。これは和歌山県御坊市の「生身迦樓羅王尊像(しょうじんかるらおうそんぞう)」をCTスキャンで調べたところ、中はトンビと見られる鳥の骨と粘土を組み合わせて作ったものだった…ということであります。像自体が仏像のように木を彫ったりしたものではなく…見た目からしてカラス天狗のミイラをまつったもの、とされてきていたものではありました。
↑記事によれば「夢がなくなる」ということで公表を差し控えてきていた、とのことで…たしかにその辺の判断が難しいところではあります。

実際、江戸期にはこういう、言ってしまえば「ニセモノ」が結構あちこちにあった、という説もあります。サルと魚で「カッパのミイラ」とか。とある高名な学者が日本近海に生息する動物をまとめた本の中に「人魚」があった、とか(しかも西洋風のマーメイドではなくて、ホントの人魚)。もちろんこういうのは現代から見ればただの笑い話みたいになってしまうのですが…自分は江戸期になってくると日本人の生活に余裕が出てきたから、こういうのが増えたんじゃないのかな、と思っております。
…それ以前にだってこういうのがなかったわけではないのですが…。
遊び心というのはちと不遜かも知れません。でも実際にはこういう風になっているんじゃないか、もっとホンモノっぽく作ろう…という職人の心意気のようなものがあるモノばかりであります。これがもし、生活に追われて通り一辺倒なモノしか作れないような状況だったらここまで見事なモノはできますまい。

そもそも太古の洞窟に見事な動物の絵が…というのだって余暇ができたから、という見方もできます。ああいうのはぱぱっと描いてしまえるもんではありません。それなりに時間をじっくりかけてやっと完成できます。…もしかしたら作成者は皆から怠け者扱いされてたのかも知れんのですが。でもそういう時間ができて初めてこういう優れたモノが作れる…。
…まあ、人間、どーでもいい時間ができるとろくなこと考えないもんなんですが。そういうのと一緒にしてしまうのは、やや、気が引けるのですが…。

像の名に「迦樓羅(かるら)」があることから仏教系(天竜八部衆に迦樓羅王あり…元々はインドのガルーダ:ヴィシュヌ神の乗り物)とも考えられますが、現地のことや「カラス天狗」ということからすると仏教は仏教でも密教…修験道としての信仰の対象であった、と考えられます。
どんな由来であっても(他人の迷惑にならない限りは)信仰の対象となってるモノはそっとしておきたいな、と個人的には思ってます。いや、そりゃ、実際はどんなもんなんだろ、という好奇心?があるにはあるんですが…よそ者に踏み込んで欲しくない領域、というのはどこにでもあるわけで。そういうとこから公開を控えていた県の判断には賛成でありました。
…でもこういう素晴らしい技もあったんだ、ということを公開するのは大事なことでもある、とも思うので…現地からの十分な了承が得られているのなら逆に公開してよかったのかな、と…この辺がムズカシイところだったりします。

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11/01/2010

言われてみれば

そう見えないこともないんですが…ううむ?
1928年のチャップリンの白黒無声映画に「携帯電話で話している老女」?(Yahoo!:ギズモード・ジャパン) 記事中には投稿された動画へのリンクが張ってあって、ちょいと見てみましたが…うーん…たしかに「補聴器」「アタマかいてる」とか言われると…なんかそれっぽいような。
補聴器というのは実は電子機器と古くから関連があって、真空管ができた頃(1920~1930年代)にはすでに補聴器に取り入れられてかなりの小型化や携帯化が進んでいた、らしいです。しかもアメリカでの話。ただ…あんな風に「キカイ」の方を耳に近づけるものではなく。すでに「イヤホン」のようなものまで開発されていたらしいので…ああいう風には持たないんではないか…とか。

電話そのものも1928年ならすでに普及している頃であります(これもアメリカでの話)。ただ…当たり前ですが当時は有線なわけで「携帯電話」となると爆発的に普及したのはつい最近の話になりますから、さすがにそんなもんがあの年代にあるわけはありません。
…となるとやはり未来人…?
しかし。例えば2010年のヒトがいきなり携帯持って1928年に行っても、こっちも話なんかできるわけはありません。無線電波での通信可能な携帯、とかいうのならともかく…フツーの携帯では使う電波帯が無線とは違うので受信はできないでしょう。現在の携帯は通信衛星や基地局など電波をきちっと管理できる体制ができているのでここまで便利になってます。もちろん、当時はそんなモノは影も形もなかったわけで。そして…これが重要なのですが…携帯1コでは何もできません。一体誰がかけてくるのかあるいは誰にかけることができるのか。

もしあの老女が携帯で何かを話しているとするならば…誰か相手が、つまりは仲間がいる、ということになります。あるいは時空を越えて通話できるとか…?
…たしかに何か、こう…きちっとした説明がつきにくいお話ではあります。しかもやけにリアルですし。あの動きが…たしかに何かと「話して」いるように見えますし…一体なんなんでしょうね…?

03:15 AM | 固定リンク

10/21/2010

二つほど 10/21

日本で二つほど。

一つ目。「迷惑メール」で3人を書類送検…法律改正2年で初の摘発(Yahoo!:毎日)。「改正」というのは特定商取引法のことで、「承諾を得ていない相手に勧誘電子メールを送るのは違法」…つまり当初は「違法ですよ」ってだけだったんですがそれでは効果がない、ということで罰金100万円が課されるようになったものであります。「承諾を得ていない相手」というのもなんかミョーな気がするかも知れませんが、こうしないとメルマガなんか全部引っかかっちまいます(メルマガにしても結構怪しいのもありますけど)。
ま、罰金刑になったのはそれなりに抑止力が発生するのでしょうけど…改正2年でやっと初の摘発、てのもなあ…。
迷惑メールに関してはかなり前から正にその「迷惑性」について指摘されまくってたはずなんですが。たしかに人命に直接関わることではないですし、よほど変なこと(内容を完璧に信用するとか)しない限り実害はないもんなんですが、それにしても…ウザいことこの上ない。
もっとがしがし摘発してもいいと思うのですが。何度かここにも書いてますが「法律でダメってやっておけばみんなやらなくなるだろう」…たしかに数は減りますが、もうそんな悠長なこと言ってられない事例も多数ある、ってことをそろそろ理解してもいいと思うのですが。

二つ目。大阪市内で多数の「タコツボ」出土(Yahoo!:産経)。大阪など関西圏ではタコと言えばたこ焼き…しかしそのタコは大きなマダコですが。今回出土したのは小型のイイダコ用のタコツボとのことであります。
しかも今回出土したのは100個以上。
年代は4世紀くらいとのことで。場所からすると当時の漁師が保管していたか放置したか、というよりもなんだか海の中に設置したのが残った…というのが正しいのかも知れません。当時はそこは海の底だったのではないか、と。エビやカニの巣穴も見つかったらしいですし。
地形てのは結構変わってきてるもんではあります。…関東平野だって4世紀と今じゃあ、大分違ってるかと思われますし。

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10/20/2010

柔らかくはない

記事中にもありますが…恐らく現代で言うところのパンケーキとかそういうものだったのではないか、と。
3万年前の人類が「平焼きパン」を食べていた可能性が(Yahoo!:ロイター)…小麦も酵母もなかった(と言うより人類がまだ利用していなかった)時代ですんで、たしかにイモか何かの粉を水に溶いて焼いただけ、というものであった可能性は高いです。なお、麦の栽培が確認されたのは紀元前6000年とかそれくらい前で、酵母の利用は古代エジプト(紀元前3000~30)発祥、とされています。つまり3万年前どころか1万年前くらい前には現代のような柔らかいパンはもちろん、小麦粉もなかったわけで、大分違った「パン」となっていたと思われます。

現代でも焼きますが…パンケーキ。むちゃくちゃカンタンに言えば古代人が作っていたソレと同じように、小麦粉を水で溶いてフライパンで焼けばでき上がります。…ただし、甘味も何もありませんし、ふくらし粉も入ってないのでふんわりふかふかでもありません。焼き方にもよりますが、かなりべどっとした感じのものになります。
…しかしこれでもやり方はあるもので。例えば極限まで薄く焼く…という方法もあります。
あるいは中東などで食べられているように「窯で固く焼く」という方法もあります。あるいはピザ生地も突き詰めれば↑こういうものになってしまうので、技術でもって美味しく焼き上げる、なんてことも可能ではあります。

それでも酵母の存在というのは大きいもので。これによって「パン」が劇的に変化した、とも言えます。偶然により見つかった、となってますが…最初に食べた人間はどんなことを思ったのやら。発酵食品てのはどれもそうですが基本、偶然による発見てことになってます(近年の発酵技術による新発見…とはまた別で)。
やはり最初に食べた人間はどう思って口に入れたんだろうなあ…と。それが数千年も人類にとって必要不可欠なものなる…とはさすがに思ってなかったでしょうし。「美味そうだな…」と思ったのかそれとも好奇心から食べてみちゃったのか、その辺は謎ではあります。
…まあ、なんかどうでもいいっちゃどうでもいい話ですが。今現在我々は美味いパンが食べられるんですから。

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10/10/2010

四割超

今さら観もややありますが。
西日本のカメ、42%がミシシッピアカミミガメ(Yahoo!:産経)。いわゆる「外来種」というやつで、ちょっと前には夜店なんかで「ミドリガメ」として売られていた(今は…どうなんだろ?)種類であります。腹の紋様がある意味毒々しく、コレがどうも…なんて人もいたりしましたが。
特に熱帯産というわけでもなく…小さいのを買う→しばらくするとデカくなる(甲長で30cmくらいのを見たことがあります)しかも水が汚れて臭い→捨てる、という外来種が定着してしまう固有の過程を辿っている種でもあります。…一つにはカメなどの場合は「捨てる」んではなく「逃がす」という概念なのかも知れません。これが日本にはあんまりいそうもない種(過剰なまでに派手とか、あまり見ないカタチとか)なら別ですが、ミドリガメだと腹見ない限りカタチとしては日本によくいる種とそれほど違いはありません。しかも温度も問題ないですし。
逆に熱帯産だと「放したってすぐ死ぬだろ」と安易な気持ちで「放す」人もいますが…いずれにしてもカンタンに捨てる・逃がす・放すことがどういうことに繋がっていくのか。いざ飼おう、とする前にきちんと考える必要があります。

ところで。↑記事読んでて「?」となったのですが…クサガメって日本固有種かどうか議論が分かれてたんかい。
調べてみると…今年の7/31にこんな記事が。クサガメは外来種だった!(msn:sankei) …遺伝子的に韓国など半島系のクサガメとほぼ同一。しかも江戸期以前の遺構から骨などが見つかっていない。さらに江戸初期から中期の学者が記載していない(シーボルトも記載していない)…と。どうも江戸の後期に韓国などから入ってきたのではないか…と。さらに中国など大陸系のクサガメは1970年代に夜店で「ゼニガメ」として売り出したのが由来、という話もあったりして。
…そういうとこ、なんだかミドリガメと似てるような…。しかもクサガメとニホンイシガメ(日本固有種)は交雑可能(ウンキュウという名で流通している)で雑種世代も繁殖能力を持つ個体が多い、と。

ミシシッピアカミミガメとクサガメ・ニホンイシガメの交雑個体、というのは…なんかどっかで聞いたような気もするんですが、実際にはほとんどない、という話もあって。そういうとこは違うかも知れんのですが、外来種となると心配されることの一つが交雑による「遺伝子汚染」なわけで。場合によってはクサガメを駆除しないといけなくなるんではないか…と。ただ、外来生物を規制する法律は基本「明治以降」に日本に入って来た種、なんでクサガメには適用できません(そうでないとさらに昔々に入って来たスズメとかモンシロチョウまで規制しないと)。
…しかし。交雑がそれほど悪いことなのか、という声もあるにはあります。純血にそんなにこだわる必要があるのか、と。種、というのは様々に変化していくのですが、その中に「他種との交配によって変化する」という方式もあるんでは…という説があったりします。
そもそも「純粋な種」なんてもんはあり得ないわけで。どっかで別種の因子が入ってきて、それで別の可能性を見出せるようになってるんでは…という説でもあります。
ま、追実験のできない(数百万年とかかかるし)話ですんで…実際はどうなんだか分からんわけですが。それに、やはりあるがままに残しておきたい、と思うのはヒトの性なんではないか、とも思いますし。

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10/03/2010

日本最古?のスシ

鳥取・大山寺僧坊跡から最古のスシの遺物発見?(Yahoo!:毎日) とは言っても見つかったのは炭化米、つまり焦げて真っ黒になってしまった米の塊で…当初は「最古のオニギリ」とか言われていたんだそうであります。…それが「スシ」ではないか、とされたのは「押し固めた跡」があったこと、何か植物質のモノ(葉?)で包んであったからなど、とのことであります。
なお…この「スシ」は押し寿司と見られています。関西地方では良く見るバッテラとか鱒寿司とか。ああいうのに似たものではないか、と。

誤解のないように申し添えますと。現在寿司屋や回転寿司店で見る「握り寿司」ではない、ということです。
寿司がいつ頃からあったか、というと。今現在主流の「握り寿司」なら江戸期、大体1800年代の始めから中ほどの頃の文化や文政年間が発祥となってます。その頃の寿司は今とは違う点がいくつかあったようで。例えば今のと比べると大きい。時代によっては1カンでご飯茶碗一杯分はあったようで…こうなると主食であります。さらにネタにいわゆるナマモノが少ない。当たり前ですが保存技術が今ほどに発達してなかったので…煮たり焼いたり。あるいはヅケにするのが主流だったようであります。
そして屋台が基本。戦後になって屋台でナマモノが扱えなくなって姿を消しましたが。寿司屋の「カウンター」は屋台をそのまま屋内に持ち込んだから、という話もあります。

それとは別に文献上なら平安期、日本でも日本以外でもさらに昔からあったとされている「スシ」は「なれずし」とも言い、米と塩と魚を合わせることによる発酵食品で、多くは保存食でもありました。
今現在ですと、正式?に残っているのは滋賀県は琵琶湖産のフナをつかった「ふな寿司」でしょうか。…フナを米と合わせるんですが出来上がると米はほとんど原型をとどめていません。古来の「スシ」はこの米をとりのぞいて漬かった魚を食べる、というものだったようで。米は発酵させるための調味料?だったわけです。
しかし時代が進むと時間がかかる「なれずし」は「米も一緒に食べる」形式に変化していきました。米粒の形をなくすにはかなりの時間がかかりますが、そこまで時間かけんでも…ということで米粒残して一緒に食べるようになったのではないか、と。一説には取り除いた米は捨てることになり、もったいないからそうなったんだそうであります。

今回見つかったのもこういうタイプのもの(そうでないと米粒まで残らない)なんですが。現在は押し寿司には酢飯を使いますけど当時は多分使ってなかったんじゃないのか、とか色々違いや疑問はありそうで。しかし…調理したモノ、というのは遺物としてはまず残りません…これまでスシや料理の研究が困難なのもそこに原因の一つがあるんだとか。…そういうとこ、生物の化石に似てるような。基本的に骨格など硬い部分がないと残りませんし。羽毛が化石として多数残っていたら恐竜の想像図だって大分違っていたのかも知れません。

多分火事か何かで焼けたため今回は残った、とのことで。…焼き寿司? いやいや、炭化ってことですから非常な高温にさらされ続けたと思われますが。

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09/04/2010

そんなに変わらないんじゃ

ないのかな、と思いましたが。現代と比べて。
縄文晩期の「ペット霊園」?見つかる(Yahoo!:読売:骨の画像あり)。食糧の動物は当然解体されて食べられてしまっていますから骨として見つかってもバラバラなんだそうですが…この「霊園」の場合まとまって見つかっているそうで。亡くなってもきちんと埋葬してあった可能性が高い、ということであります。

現代でもネコとその人気を二分するイヌでありますが。実はよく分かっていない部分も多い動物だったりします。
その形態の多さでも知られていますが、あの多種多様なのは「品種」であって基本全部同じ「種」だったりします。何千年か前にヒトに飼われ始めたのは分かっていますが(今回のようにきちんと埋葬されてるケースが各地であるんだそうで)では一体どんな動物を飼い馴らしていったのか…となると。まだ確定していないのが現状でもあります。
候補としては「オオカミ」「リカオン」などが上がっていますが。…なんか一種だけを飼い馴らした「イヌの祖先」が世界中に広まって行った、といよりは複数の種が各地で「イヌの祖先」になってそれらがあちこちで融合して今のイヌの原型になった…とか個人的にはそんな風に思うのですが。でもそうなると「同種」と判断できるほど遺伝的に近い、というのが説明つきませんか…地理的に離れた地域に似たような存在が…というのはなかなか難しいかも知れません。

イヌには社会性があるためヒトの命令に従いやすく、まずは番犬や狩猟犬からヒト社会に溶け込んでいった…とされています。現代ですとそういう必要はあまりなくなってきましたから癒しを求める対象、というようになっていますが数千年前ではやはり実用?一点張りだったのでは…と。
これもどうなんだろうな、と個人的には思ってます。
実は現代と事情はそれほど変わらないんじゃないのかな、と。例えば洞窟に見事な絵画を残した石器時代人もいます。…宗教的な何か、というよりも絵を描くヒマがあったというところに注目したいわけで。基本、絵画とか音楽とか文章てのはヒマがないと作り出せません。そういうヒマができつつあってヒトの文化的活動が広まって行ったのでは…。

それがイヌの登場によって狩りの効率が上がってヒマができた、という説もあります。…自分としては「イヌを飼う」ということ自体がヒマ、あるいは生活の余裕の表れだったんではないのかな…と思うのですが。現代だって生活に追われてるヒトはたくさんいるわけですし。でもそんな中でもイヌを飼ってるヒトもたくさんいるわけですし。
人間の生活なんて数千年程度では早々変わらないんじゃないのかな、と思ってるわけです。

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08/28/2010

実は身近な年代?

山口県で勝海舟より一つ下の186歳、発見(Yahoo!:読売)…とは言っても「生存を確認」ではないのは最近新聞やニュースでよくやっている「名ばかり高齢者」で有名ではあります。
↑これは戸籍上「存在している」というだけでご本人は残念ながらすでに亡くなっていると思われます。…国によっては年齢概念のヒジョーに薄いところもあるそうで、確実な情報がなくて「推定○○○歳」という高齢者がいたりしますけれど。日本だってあまり良くない日に生まれたりすると出生届出す時に勝手に誕生日移動したりした…なんてことも昔はあったそうですし。そこまで細かく対応することないことなのかなー…とか思ってしまったりしますが。

ただ、「名ばかり高齢者」には別の問題があったりします。…年金の不正受給、という問題が。
すでに亡くなっているのに「生きてます。だけど人には会いたくないそうで」とか家族が役所の人の面会を断ってしまえば「そういうものだろうなあ」とその後も訪問したりせず、しかし年金は受給され続けるわけで。そうなると「実はいついつに死んでしまったのです…」と年金を自主的に返納するケースもなかった、とは言いませんが…そのまま生きていることにして受け取ってしまう、ということも起こり得るわけです。実際、子供(とは言っても50歳とか60歳とか)の生活費になってた、なんてこともありました。
まあ、↑のような「超高齢者」になると戸籍だけはあるけど住民登録はない、というのがほとんどなんだそうで。こういった年金不正受給は少ないのかも知れんのですが。やっぱりなんだかんだ戦争なんかでごたごたしてしまうと戸籍抹消というのも難しかったのかな…とか。日本てのは行き倒れの人の身元確認率が非常に低いんだそうで。こういう人は今後もなくならないのかも知れません…。

ところで。幕末、と言うとかなり昔のお話のように思えますが…186歳で勝海舟よりも一つ下。勝海舟が活躍したのは当たり前ですが20歳とかその辺りからなわけで。しかも今注目されてる坂本龍馬なんかはもっと年下になります。
実はそんなに昔じゃなかったんじゃないのかな…と。江戸期だって終わったのは150年とかそれくらい前。もうすでにその時代に生まれた人、というのは存在してないことになってますが…数百年とか千年とか。そんなに昔じゃない、当人はすでに亡くなっていても親族とか関係者の関係者とかはまだ生き残っている、まだまだ実感が残ってる程度の昔なんじゃないのかな…とか思ってしまうのです。

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07/11/2010

二つほど 7/11

華麗?に二つほど。

一つ目。ドイツ・占いタコのパウルくん(2歳)実は明るい方の国旗を選んでいただけ?(Yahoo!:スポニチアネクス) サッカーW杯で驚異の的中率を見せている「マダコ」であります。方法としては対戦国の「国旗」が入った透明な箱(エサ入り)をそれぞれ二つ用意して、どっちを選ぶか…というもの。当初は明らかにW杯盛り上げのための軽いネタ…とかそんな感じだったんですが。次々と予想が的中していって、ちょっとした話題になってしまいました。
自国ドイツの負けを予想してしまい、しかもそれが本当になって「食ってやれ」とかそんな意見まで。逆に勝ったスペインからは「英雄だ」とか何とか賞賛されたんだとか。
…しかしなぜこうも当たるのか。↑一説によればタコは明るい配色のモノに引かれる傾向があり、ドイツ国旗の赤と黄色に反応したのではないか…と。たしかにスペインの国旗の方が赤と黄色の領域が広くなってます。…もちろんこれだけで決まってしまうわけではないでしょうけど。でもドイツと戦った相手ってたしかに赤とか黄色とかが少ない国旗になってるような…。
3位決定戦は見事に「ドイツ」で的中。ここまで的中率100%。そして…日本時間の今日深夜に行なわれるオランダvsスペインの決勝戦ではスペインの優勝を「予言」…スペインの国旗の方が派手なんですが…さて、今回のW杯の予想を100%でしめくくれるのでしょうか…?
ちなみに。マダコの寿命はそんなに長くない(1年~3年程度)らしいので次のブラジル大会でパウルくんが予想できるか、と言うと…ちと難しいそうです。

二つ目。大老井伊直弼が殺害された「桜田門外の変」奉公人の証言見つかる(Yahoo!:読売)。「桜田門外の変」とは水戸・薩摩系の浪士に幕府の重鎮である大老が殺される…という当時としても驚きの事件であり、これをきっかけに暗殺や粛清が加速した…という見方もできるほど大きな事件ではありました。
井伊家と言えば徳川家にとっては譜代中の譜代。「井伊の赤備え」と呼ばれ、常に幕府の中枢にあった家であります。実際、大老や老中もかなりの数輩出しています。…そんな名家が扱い上は浪人に討たれてしまう…しかもやすやすと(ただし雪が舞っていたので刀の雪よけを付けていて抜刀しにくかった、とか襲った側も慣れていないので手間取った、とかそんな話もあったりして)。
…警護の武士とかいなかったんかい、と思うかも知れませんが。実際にはかなりの数の武士がいたはずなんですが、そこはそれ幕末直前であります。数百年の泰平の世のため一度も抜刀したことのない武士なんかいても役に立たなかったんでは…と言われてたんですが、実際に↑のような内容の文書が出てしまうと。まあ、そんなもんではなかったのかな、と妙に納得してしまうものではあります。
何せこれよりもっと前、松平定信辺りの頃、老中田沼意次の息子・意知が江戸城内で殺害されてますが…この時も(江戸城内だから脇差でも帯刀してる武士はいっぱいいたはず)↑と似たような状況だったんじゃないのか、逃げちゃった連中も多かったんでは…てな話が残っています。
まあ、そこまで平和だった、ということはなるのですが。時代的に刀振るう時代じゃなかったんじゃないのか…江戸期てのは、とか。
それでもこれも時代の流れと言うべきなんでしょうか…幕末も時代が下がってくるときちん?と刀を振れる「戦う武士」が多数出てくるようになります。その辺、どっちが良かったのか…意見が分かれるところかも知れません。

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06/29/2010

「劇」と「実」

「時代劇」と「史実」の区別もつかないのかな…と色んな意味でかわいそうになってきしました。
歴史ドラマのウソとホント(iza!)。そりゃあ…史実を調べ上げるには相当の「力」が必要であります。かの司馬遼太郎氏は一作品書き上げるのにトラック一台分の資料を必要としたとか。それ故にあれだけの臨場感あふれる作品を世に送り出してきたわけですが…そこまでの財力も時間もないのが一般的な創作家ではあります(もちろん他に本業があっても時間を作って偉大な功績を収めた方も多数いらっしゃいますが)。
分かりやすく作って何がイカンのかな…別に歴史の授業やってるわけでもねーのに。

…まあ、江ノ口信天の私見ではございます。別に↑記事に異論と言うか「はあ? 何言ってんの? ンなくだんねーこと言うなや」とかそういう異見を述べたいわけでもないんですが。
時代劇てのは西洋のファンタジーみたいなもんではないかと。物語に妖精やら天使やら出てきても史実を持ち出したりはしますまい(ちょっと強引かな)。さらに進めていくと。アメリカにおける西部劇=日本の時代劇というのもアリなんではないかと思えるわけです。

例えば。遠山の金さんや大岡越前にあるようなお白州の「階段」、これは実はこんなもんなかったらしく、さらに江戸期の調べ物てのはああいう風に芝居がかるもんではなく…武士がいるなら縁側に、それ以下ならお白州に、とかっきり分かれていて…粛々と進んでいったもののようで。階段で「おうおうおう!」なんてのはもちろんなく。その遠山の金さんにしても実際は評価がヒジョーに分かれる人物だったりします。
でも。なんでそんな「階段」とか「金さん」とか注目されるのか…?
そりゃ、その方が面白いからです。やはり個人的な考えですけど、宮本武蔵なんかいい例だと思われます。江戸期の講釈師が色々付け加えていったから今日の「武蔵像」があるわけで。恐らく江戸の初期頃には誰も知らなかったんじゃないか…と思ってます。同様に坂本龍馬も。子母沢寛「勝海舟」に龍馬が出てきますけど、今ほど大きく扱われていません(とは言ってもそんなに昔の書ではないんですが)。でも大きく扱われた方が面白いから今日のような「龍馬像」になってきてるわけです。

ちょんまげの自作とか、その辺は個人的に面白いと思うのですけれど(あんな大きなマゲ結ってるわけないです、日常的に)「言葉」がどうにもおかしい、てのはなあ…立証しようがない問題でもあります。いくら文語と口語で違いがあるったって「こうだ!」と当時の人たちが確実に話をしていた言葉、なんてのは調べようがありません。
なおかつ当時の甲州弁…無理でしょ、そんなん。
今の時代、何をどう作っても「時代劇」にしかならんのです。それは拳銃の抜き打ちをするアメリカの西部劇と一緒であります。馬に乗って牛を誘導して列車に乗せる「カウボーイ」が存在したのはわずか30年程度と言われています。さらに、西部劇でよくある「銃による決闘」のシーン。リボルバーが普及するのよりちょいと前の話で、一説には保安官は副保安官を常に連れていたとか。何をするか、って言うと…元込め一発きりなんで予備の銃を持って歩いてたらしいです。さらにさらに。一発きりですから当たることもまずなかった、とかそんな話まで…。

結局のところあの頃そんな言葉なかった、あるはずねえ、とか重箱のスミつついて喜ぶよりも、その時代の雰囲気を楽しめればいいのでは、と。所詮無理なんですし。今の世でタイムマシンでもない限り(本当にできたら色んな意味で世の中変わりますけど)「真実の姿」なんてのは絶対確認できないんすから。
…今の歴史的資料だってもしかしたら間違ってる可能性だってあるんですし。
想像力しか実現できない世界なんですよ、過去てのは。どんな有力な証拠が出たって簡単にひっくり返っちまう。そんな可能性があるのに「これこれでないとおかしい」「あんなこと言うのは変だ」てのもなあ、と。正解なんかどこにないってのに。

所詮は「劇」なんですよ、「実」がどこにあるのか分からんのですよ、と。ま、そういうことなんですが…拙作「鋭鬼」もなあ…かなーりヤバい橋渡ってますからねえ…一応、作者としてはある程度ソレっぽい「実」は求めているつもりなんですが…やっぱり「劇」ですね。その方が気楽…って言うと語弊招きそうですが…アレは「時代劇」という「史実」ではなく娯楽のつもりで書いてはいるんですが、ねえ…。

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06/18/2010

肉を喰う

平城京の役人は肉食だった?(Yahoo!:産経) 基本的に日本人は肉食をしない、ということになってます。一つには675年に天武天皇が肉食禁止令を出しているからでしょうか(理由は諸説あるんですが)。その後も「仏教徒は肉食を禁じられているから」ということで肉を食べなくなった…ということになってます。江戸期にロシアに漂流した大黒屋光太夫も、漂流先では勧められた肉を断っていた…とかそんなエピソードも残っています(もっとも、後にはみんな食うようになった、てな話もあります)。
…じゃあ、動物を狩ることを生業としている猟師はどうしていたんだ? という疑問も湧きますけども…↑の肉食禁止令は猟師は対象外だったとのことで。でもその後もみんな結局肉食してたんではないか、とか。あるいは江戸に存在していた獣肉販売店「ももんじ屋」の存在とか。江戸幕府は仏教保護が方針でしたから、肉食がダメな仏教がそれほど広まっているのならそういうのがあるのはおかしいんでは…?

実際のとこ「ももんじ屋」で売られてるのは「薬」ということにされてたりして。あるいは「四足」を喰うのがイカンのであって「二足」の鶏やそれっぽく走るウサギならいいんではないか…と、結局は喰える機会は実はそれなりにあったんじゃないかと思われます。獣肉系の特産品が伝わっている地方もありますし。
そもそも「仏教では肉食を禁じているから」てのもどうか、と。戒律の一つ「不殺」からで精進料理とかそういうところから来ていると思われますが…じゃあ、一般市民は結婚もしなかったんかい、と。修行僧ではないヒトがそこまでしていたのかなあとか思ってしまいますが。まあ、流派が多いですからそういう宗派があってもおかしくはないですが、ここまで皆が守るほどだったのか…と言えば疑問が残るような気がします。

今ほど普通に流通してなかっただけなんじゃないのかなあ…というのが個人的な考えだったりします。
実は日本でも牛を喰ってた、という記録はあります。いや牛だけじゃなくて馬も。こういうのは基本的に農耕用ですんで喰ってしまうとそれだけ力が減ってしまいます。だから、食べるのは老いてしまったりよほどの場合のみ。が…その場合は正に「薬」なわけで。調理法にもよりますがかなり硬いものだと予想されます。現代の食肉用の若い牛とは全然違うほどに。
鶏だって今の50~60代以上の方なら結構普通家庭で「シめ」てましたがやはり若鶏の方が柔らかくて美味いんだそうで。今、スーパーで売ってる鶏肉は若鶏のみです。もし、卵を産まなくなった廃鶏が出てきたら…食べ慣れてない人はまず受け付けないんじゃないでしょうか…?

今とは位置づけが違う、とでも言いましょうか。牛や馬はあくまで「農耕用」であって「食用」じゃない。でも食べる時は食べることもある…くらいの。で、食用はまた別の肉があったわけで。
「ももんじ屋」で売られているのは牛や馬ではなく狩ってきた野生動物の肉。こういうのの処理方法(血抜きとか)は時代が変わってもさほど変わらんもんですが、鮮度の問題は残ります。ある程度「熟成」させた方が美味い、という話もあるにはあるんですが…程度ってもんがありますし、今のような交通網がない江戸期に周辺の地からの即日配達なんか期待できますまい。良くて現在で言うところの東京都二十三区内くらいなんではないでしょうか…当時は今とは違って結構そういう動物がいそうではあるのですが。そういうのを主に喰ってたんではないか、と。

…一説には肉食をしてた(というより誰も禁止できなかった)戦国期から江戸初期の頃の日本人の身長は今とさほど変わらず。逆に肉食をしなくなったとされる江戸中期以降の日本人は背が低くなった…と、そういうのもあるんですが。
なんか、もっと貪欲に色々喰ってた気がするんですがね。まあ、守らないといけないもん、てのは時代それぞれですんで何とも言えんところもあるんですが。でも人間てのは喰うことに関してはどんな制約も跳ね除けてしまう、そんな生き物ではないかと思ってるんですけど。

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01/28/2010

二つほど 1/28

なんか色々壊れてる二つほど。

一つ目。平野官房長官、外国人参政権問題「地方が何言っても関係ない」(Yahoo!:産経)、つまりは国の住民なのだから参政権を与えるべき、とそういうことをおっしゃりたいのではないかと思われますが…大丈夫かな、なんか疲れてらっしゃるんじゃないですか、休養でもとったらいかがですか、と色々心配してしまいます。「地方参政」ってまにふぇすととやらには書いてあったんじゃないですか? でもその外国人参政権は書いてなかったんじゃないですか? まにふぇすとってそんな簡単に破棄していいんですか。国民との契約じゃあ、なかったんですか…へー…契約ってそんな軽いもんだったんですか…。
先日も普天間基地問題で日米が過去に同意した「辺野古沿岸へ移設」…その辺野古沿岸が含まれる名護市市長選挙で移設反対派候補が当選しても「斟酌する(考慮する)必要はない」と発言(Yahoo!:時事)してますし。肉体よりも精神の方がちょっと疲れてらっしゃるのかな…まあ、激務でしょうしね官房長官て。継続していくのは大変なことだとお察しいたします。
ただ…これがもし本気でおっしゃってるのなら…ホントに大丈夫ですか、と。なんか壊れてるんじゃないですか、と。これじゃ民主党もたまったもんじゃないでしょうし。ホント、テキトーな発言は聞き飽きてるんです。
…ところで。裸の王様って童話、知ってますか?

二つ目。曹操の墓を証明するために「曹」姓「夏侯」姓の男性募集中(Yahoo!:時事)。なんかこっちも壊れてきてるような。以前ちょっと紹介した「三国志の曹操の墓」発見! ですけど。その後「ありゃニセモノだ」「証拠品は盗掘品だ」「今までいくつ同じような墓が出てきたと思ってんだ」と内外から批判と言うか冷たい視線と言うか、そういうのが集まってたんですが。まあ、こういうのの真贋というのはなかなか決着つかないもんですから(何千年前の人なんだか)そう簡単にはいかないかな…と思ってたんですが。
DNA鑑定やるから姓の同じ男性募集、て。
一つの方法ではあるんですが、なんか方向性が狂ってるような気がしてならんのです、個人的には。例えば「私は曹○です」てな男性が来たとして。…その人が本当に昔々からずっと「曹」の血を継いできたか…ってどうやって証明するんだろう、と。途中で何かの事情で改姓したことがない、と言い切れるんだろうか。いや、姓は正しくても先祖のどっかで養子とか入って血の繋がりが絶たれていたらどうするんだろう…? とか。
DNA鑑定ですから「近い」という結果が出る可能性は十分にあります(どこでそう繋がってるか分からないもんですし。人口の多い中国ですし)。で、もしそういう結果が出たら「ほら見ろ。これでこの墓は曹操のだ」と言い切ってしまうつもりなんだろうか…と。
…もうちっと…副葬品とか文献とかそういう方面から攻めて欲しいな、と思うのですが。…ある意味、ですけど別に無理に確定しなくてもいいんじゃないのかな…とか。そんなことも思ってしまいます。遺族が生き残ってるわけでもない現代では、タイムマシンでもない限り100%の確定は不可能なわけですし。

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01/18/2010

そんなこと言い出したら

たしかに何も教えたりできませんわな。
郷土の偉人、授業で教えるのは不適切? 一部教員からクレーム(iza!)…まあ、なんか、ミョーな雰囲気持ってる人たちっぽいですが。「価値観の押し付け」…そう言ってくる側も価値観を押し付けてきてるような気もしますが。

人間の歴史なんてのは所詮は血みどろの戦争の繰り返しなわけで。特に山口県や鹿児島県など幕末の志士たちを輩出した地域で「あれは人を殺してるから教えたらダメだ」みたいなこと言い出したら、どんな英雄も授業では使えないことになってしまいそうな。
結局「くさいものにはフタ」ということなのかも知れませんが。そういう血なまぐさいことを教えなければ戦争は起きないだろう、みたいな。
んじゃあ、完璧に、完全に排除してくださいな。テレビはもちろんネットも全部ダメですしマンガなんかもっての他。活字は全部検閲入れてちょっとでも「戦」「血」なんか出てくるようなのは全てカット。教科書にももちろん。ダメな部分は黒く塗りつぶしておきましょうか…そうなると歴史はもちろん生物の授業なんかできませんなあ…食物連鎖てのは基本何かを「殺して」食うんですから。
学校以外でも徹底してもらわないと。親兄弟にも全てそういう話題を口にしないようにさせて、もちろん夫婦ゲンカや兄弟ゲンカもダメ。常にニコニコして「汚い」言葉も使わせない。外へ出すとそういう「不安分子」がいっぱいですから家の中で…えっと…何してたらいいんでしょうね?

そうやって育った子供。いざ自分で生活とかそういう時になったら…どうなるんでしょうね? 生きていけるんでしょうか…?

…全てが清くても、全てが汚くてもダメなんだと思います。人はパンのみで生きるものではなし、水清ければ魚住まず。清濁を呑みこんでその上に自分を構築する。他人の可能性を「価値観が違うから」と排除しない。そして何より…子供てのは敏感なんですよ。そうやって「作られた」自然ではない環境を即座に見抜きます。そして…取り去られたモノを逆に求めるようになる。
あ…これは子供に限ったことではないですな。人間てのはそう簡単な生き物じゃないんです。

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12/28/2009

ホントなら

すごいことですし、他の国でも盛り上がりそうなんですが。
中国の安陽市安陽県の安豊郷西高穴村の「曹操高陵」を三国志の「曹操」の墓と断定(Yahoo!:サーチナ)…別ソースでも三国志・曹操の墓発見(Yahoo!:時事)と、ありますが。
…なんだかホントなのかな、とか思ってしまうんですが…2世紀とかそれくらいのことになるのに、ここまで言い切れるのかしらん? とか…。ま、そういう事例が世界中に全然ないってわけでもないんでアリなのかも知れませんが。

なお、その頃の史書が「三国志(正史)」となります。今現在色々なメディアで活躍?してるのは後に編纂し直された「三国志演義」と呼ばれる創作要素の多分に入った書物が基になってます。一応「正史」では魏が正統ということになっているんですが…ご存知のように演義では(特に日本では吉川英治版や横山光輝版の影響が強い…)劉備の蜀が中心になっていたりします。
その魏を建て、発展させたのが曹操であります。曹操と言えば三国志では非常に名の知れた、どころか主役級の一人であります。三国志そのものをあまり知らない、という人でも「ソウソウ」という名前くらいは聞いたことがあるかも…知れませんがちょっと希望的すぎますか。いずれにせよ高名な人物であります。

よく知られている話の一つに軍略書として名高い「孫子」に曹操が注釈をつけた「魏武註」「魏武帝註」の孫子が存在している…というのもあります(入手もカンタン)。孫子の成立は紀元前ですから時代的にはもちろん、内容的にも高く評価されてる、ということになるのでしょうか…。

…日本では織田信長と並んで「悪のヒーロー」的な扱いの曹操なんですが。それでも人気のある人物には違いないわけで。そういう人の墓です、てのは…なんかやっぱり複雑なんですが。一説には曹操は墓荒しを嫌ってかなりの数の墓をダミーとして造らせた、なんて話もありますし(ちなみに剣豪・宮本武蔵の墓も荒されないために複数ある…なんて話もあったりしますけども)。
それでも学術的に正統ならばそれはたしかに曹操の墓、ということになるのが正しい、とは思うのですが。まあ、2000年近くも経っちまえば100%の真実なんてのは誰にも分からなくなってるもんなんですが。

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12/09/2009

二つほど 12/09

公共的に意味はないでしょうけど、大変に興味深いことで二つほど。

一つ目。難波宮(726~784:大阪市)で藤原宮(694~710:奈良県橿原市)のかわらが出土…これだけ見ると「ちょっと前の時代のが出てきてもおかしくないんじゃない?」とか思いそうですが…よく考えてみると地理的にも「?」っぽいところがありそうな。なお、かわら本体?を作ったのは香川県三豊市の宗吉瓦窯(むねよしがよう)というところなんだそうであります。
いくつか説が出てきているそうで。一つは香川→橿原へ運ばれる際水揚げした大阪で落としたのではないか、と。もう一つは時代的にはそう離れていないので藤原宮のかわらを難波宮で「リサイクル」したのではないか…というもの。
それぞれなんとなく理解はできそうなんですが。ただ…最大のナゾ?はなぜかこのかわら、出土した一枚きりなんだそうで。落としたにしろリサイクルにしろまとまった数が出てくるはずのなのに、なんで一枚だけ? という辺りがなんとも。
こういうナゾてのは結構ごろごろしてそうなんですが…日本史。やはり興味深いところではあります。

二つ目。暗室で50年余飼育して1400世代経たショウジョウバエ、暗闇に適応。…なんか「進化」という言葉は使いたくないんですが。もっと大きな変化と言うか明らかに別種とか別属とかそういう風に変わって初めて「進化」なんじゃないのか…とか個人的には思っておるのですが。
しかし実験内容はとてもスゴイもんであります。やり方は簡単で光の入らない暗室内でショウジョウバエを飼育するだけなんですが…それを50年以上。京都大理学部動物学教室の森主一教授(故人)が1954年に開始して…それから現在まで連綿と続いてきたそうであります。
ショウジョウバエというのは一世代が非常に短いことでも知られています。つまり、何らかの事情で獲得した形質(この場合暗闇に適応)を次世代に速やかに伝えやすいわけで。さらに「暗闇で飼育」という不利な状況下だと生き物てのはそれに対抗するような手段を獲得していくようになり(全部が全部ってわけでもないんですが)、条件を絞ることで獲得していく「純度」もかなり高くなるのでは、と。…光の入らない洞窟なんかだと目がなくなったり白っぽく変化したりしますけど、あれの圧縮版みたいなことが実験室で起きていたことになります。…やや大げさに言えば、ですが。
今後も飼育が続くのではと思われますが。願わくばたくさんの人がこういう地道な実験や作業があることを知って頂きたいな…と。単純な作業や思考を積み重ねていくことでようやく結果を得ることができる。ぱっと実験してぱっと結果出るだけが事業じゃない、と思うのですけれど。

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10/16/2009

二つほど 10/16

どうでもいいようなそうでもないような。

一つ目。警察庁が「家出人捜索願」を「行方不明者届け出書」に(iza!)…まあ、名称そのものに対しても広く意見を募集する、というもののようですが。
↑記事によればそもそもは「行方不明者」を「所在不明者」にしよう、という案だったらしいんですが…「所在」というのがなんかヒトじゃなくてモノ扱いっぽくて、ちょっと…ということで「行方不明」になったんだとか。
…別にどっちでもいいような気がするんですが、正直なとこ。
多分堅苦しいとかそういうことで「家出人捜索願」の名称を変更しよう、とかそういうとこだと思うのですが。すでに実生活…と言うよりよく目にするドラマやマンガの中でも「捜索願出しとこうよ」みたいにすでに定着している言葉なんですから別に変える必要もないんじゃないのか、と。変えるのは大分向上してきていると個人的には思ってますが警察の「お役所姿勢」なんじゃないのかな、とか。…ああ、でもそういうとこも変えるためにもまずは色んな名前の変更を、とかそういう論調もあるんでしたっけ…。

二つ目。こちらはどーでもいい…こともないかも知れませんが。第二次大戦中のイタリアの独裁者・ムッソリーニはイギリスのスパイだった(Yahoo!:時事)。最初はネタか何かかと思ってたんですが…どうもきちんと?した研究結果に基づくもののようであります。
そうは言っても。実際にムッソリーニが「独裁者」として連合国と戦ってた時に「スパイ」だったわけではなく。第一次大戦当時に当時ジャーナリストだった彼にイギリスが戦意高揚の記事を依頼した、というもので。なんかただ「昔はそういう仕事受けてました」的なもんなんじゃないのかな…とか思ってしまいましたが。

07:28 AM | 固定リンク

10/01/2009

皮肉なもんであります

現在も不況だ、と言われてますが…過去にもやはり「不況だ」どころか「大不況だ」とされた時代がありました。1930年代初め頃で「大恐慌時代」とも呼ばれています。が…大恐慌時代の方が死亡率も低下、平均寿命も伸びていて人に優しい時代だった(CNN)という研究結果が発表されました。調査そのものはアメリカで、なんですが。傾向としては日本やスペイン、スウェーデンでも見られるとのことであります。

なぜ「長寿」傾向になってたか、と言うと要するに「忙しくなかったから」ということのようで。
つまり好景気→仕事の量が増える→より高いレベルの仕事が要求される→ストレスなどがたまる…という仕組みで、これが不況になると仕事が減るので睡眠時間や余暇の時間が増え、心身ともに余裕ができる…ということなんだそうでありますが。
皮肉なもんではあります。景気がいい時は仕事もたくさんあって、収入も増えるんですが。逆に不況になると収入も減ってしまって気持ちも落ち込んできたりするもんなんですが…考えようによってはそっちの方が長生きできる、と。

まあ、一つの「傾向」でありますんで、例えば今不況だからみんな長生きできるぜい、というもんではありません。ただ、実際に外で飲んだりせずにうちで飲む、なんて人が増えてるのも事実だったりします。その方が安上がりだからんですが…やはりリラックスできるうちで飲んだ方が体にも心にもいいんではないか…とか思ったりもしますけれど。
こういうのはやはり気持ちの持ち様なのかも知れません。不況だ、と言ってもこういうプラス要因を見つけていけば気持ちも明るくなるってもんですし。

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09/05/2009

そういうもんなんじゃ?

正しい日本語をきちんと使うよりも意思疎通のためなら誤用も辞さない「現代人気質」(iza!)…ってほどでもありませんか。つまりは本来の意味があるのだけれどそれだと相手に伝わらない可能性があるので、あえて違う意味で使う、そういう気質が現代人にあるのでは…ということなんだと思いますが。
いや、言葉なんてのはどんどん変わっていくもんでしょうに。昔なら皆が皆きちっと意味を守って使っていたのに今の人は気分で変えるから困る…みたいな言い方されてもなあ、と。江戸期辺りからでも今と違う言葉の使い方してるケースなんてのは探せばたくさんありますし、状況的には今とそんなに違ってなかったんではないかと。
…まあ、こういうもんじゃないのかな、とか思いますが言葉なんてのは。

ただ、明らかに行き過ぎた乱用…というのはさすがにどうか、と。漢字の間違いなんかもそうなんですが場合によっては意味が真逆になってしまったりして。そうなると意思の疎通に若干の「害」が出てくる…というのはたしかにアリではあります(そういうのも全部引っくるめての「変化」だ、という見方もありますが)。
そういうとこも「空気読んで」の言葉の変化なのかも知れませんが…さて。
いちいち全部昔の通り変化しない「きれいな日本語」だけ使え、というのも息が詰まりますし。かと言ってどうせどんどん変わって行くのだから「変わる日本語」だけにした方がいいんじゃね? てのもなんか違うような。昔の言葉も残しつつ今の言葉も取り入れていく…というのが理想なんではないか、と。まあ、ホントに「理想」ですが。しかし現実としてはお互いがお互いを受け入れなくても勝手に融合して勝手に次世代に伝わって行ったりしますんで、言葉というのは面白いもんであります。

かつて日本では「書き言葉(文語)」と「話し言葉(口語)」は別モノでした。そんなに昔の話じゃありません。江戸期はもちろん、明治大正昭和辺りまで素養の一つとして文語は残っていましたし、一般の人でも手紙は文語で話す時は口語で、なんて場合もよくあったんだとか。その文語は「候文」とか呼ばれることもあって、語尾に「候(そうろう)」と付けたりしてました(もちろんこれだけじゃないですが)。実際に話す口語では「なんとかでそうろう」なんて話し方はしてなかったわけです。
いわゆる「言文一致」という動きはすでに明治の頃からあったんですが。江戸期だってなかったわけじゃないんですが…それ以前からそういう形でしたし。なかなか変わらなかったんじゃないのかな…と。さらにそれ以前になると「かな」は女性が「漢字」は男性が、という風な区切りがあったりもします。

…まあ、そんなにかっちりやる必要もないんでないの? とか個人的には思ってますが…それでも一部の変化には「?」とか思ってる自分もいますんで、その辺は、まあ…変化した先は自分では確かめようもないんで、後世の人がどう使っていくか次第になっちまうような。今がたがたやっても仕方ねえよ、とか思ってしまうのですが。

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09/03/2009

二つほど 9/3

剣道やらミツバチやらで二つほど。

一つ目。最古級の剣道用具、見つかる(Yahoo!:京都新聞)。最古級、と言っても江戸後期・天保年間くらいとされているんだそうで。天保・弘化・嘉永・安政…と幕末へ向かって行きますが天保元年は1830年、安政元年は1854年と15年も離れていなかったりします。
なんせモノがモノですから江戸後期でも十分に「古い」ということになってしまうわけです。基本、消耗品のようなっものだったんでは…と思われますし。逆に言えばよく残っていたなあ、とか。
剣道となる前、「剣術」の発祥については諸説ありますが(剣や刀を使う文化てのは世界中にありますし)この防具のあった江戸後期ともなると有名どころの流派も揃っていた時期ではあります。町道場も各地にあって武士ではない町人も剣を習えたのですが…道具の問題、というのはそれ以前からあったりしました。…今は竹刀に面や胴をきちんと着けますが。これ以前、特に江戸初期とかになると木刀に普段着で稽古したりしてたんだそうで。
…木刀ですから当然当たれば痛いわけです。いや、ヘタすると命にかかわる大事に至ることもありました(この辺、色々解釈があって、そういう苛烈な場で生き残っていったから強くなる…いやいや危険だからみんなおっかなびっくりやってて思い切りやってはいなかった…とか)。
後に改良されて(またこれもそんな人も斬れない武器じゃ稽古にならん、とか…色々)人に害を与えにくい武器防具で技を磨く、という風になっていったのですが。この辺の事情は徒手空拳で戦う流派も同じだったりしますが…手加減しやすい分こっちの方がマシだったのかも知れません。

二つ目。ミツバチの大量失踪はウィルスが原因(iza!)。日本のもそうなのかどうなのか。ちょっと分かりませんが…対応策が具体化されれば日本でもどうにかなるのかも知れません。
ウィルス、と言っても特定のウィルスではなく何種かあるようですが。いずれにしてもミツバチの体内の「タンパク質合成工場」の生産能力を低下させ、他の病気であるとかストレスとかそういうものに対する抵抗力を落としていった…というのが原因のようであります。そういう状態になったらハチは相当に弱るか死んでしまいます。…結果巣の中は大混乱となり大量に「失踪」してしまう…。
しかしこれで100%解明されたか、と言えばそうではなく。なぜ一時期に集中して大量に発生したか、とかそういうのは全然分かっていませんし。てことは…今後もまたこういう状況になる恐れがある、ということになるんでしょうか…?

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08/24/2009

いいも悪いも

そりゃ、管理するにもお金はかかりますし。どうにもこうにも仕方ないんで売ります、というのは部外者がどうこう言えるもんでもないんですが。
滋賀県の円満院、重要文化財などを含む物件競売成立(iza!)。ものとしては平安時代から、という古刹であります。この「物件」は今年6月に競売にかけられていたことが発覚、負債額を含んで10億円で落札されていた(iza!)…という話があったりしました。

…経営難、というやつでしょうか…。
重文クラスになると維持費もかなりかかるらしい…というのは時折聞く話なのですが。曲りなりにも「お寺」で「平安期から存続」してるってことは、それなりにヒトの集まりと言うか係わってきてた人たちてのはかなりの数になると思うのですが…競売にかける前に何か案はなかったのかな…というのが正直な感想だったりします。しかし競売(キョウバイではなくケイバイ)てことはいわゆる「差し押さえ」みたいな状態になってた、てことでしょうし。仕方がないと言えば仕方ないことなのかも知れません。
ただ、それこそ部外者があれこれ言うことではないと思うのですが…なんかもったいないなあ、と。それだけ長く続いてきてたのによその人のものになっちまう、てのは。まあ、個人的な感想なんですが。

探せばこういう「物件」てのは全国でも結構あるんじゃないのか…とも。何せ最近の状況が状況ですからどうしても現状を維持できない…というケースはあるんでは、と。周囲が納得してやるのなら問題はないようにも思いますが。…でもなんとなくもったいない、と言うかさびしいなあ、とはやっぱり思ってしまいます。

ところで。↑二つの記事は時期は違えど同じことに関係した記事なんですが。
同寺院は「詳しい者がおらず答えられない」としている。(6/01:元記事↑より引用)
円満院は「担当者がいないのでわからない。コメントできない」としている(8/24:元記事↑より引用)
…やっぱり色々あるってことかも知れません…。

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07/31/2009

二つほど 7/31

海外なんだけど日本にも関係すること二つほど。

一つ目。F22、事実上の生産中止へ(Yahoo!:JIJI)…F22ラプター。高いステルス性・攻撃性を持ったアメリカの戦闘機で、日本としては次の主力戦闘機にしたいなー…という方向だったのですが。そもそも軍事機密がこれでもかってくらい満載で「他国への輸出は、ちょっとなー」とアメリカ側はあまり乗り気ではなかったんですが…そのアメリカ自身もF22を生産会社から買う予算を組まない、ということになり…結局事実上の「生産中止」、と。
まあ、日本が買うにしても「意味ないんではないか(あくまで戦闘機なんで)」という意見はありましたし、何より高額であります。1機のお値段で現行のF15が10機買える、とかそんな話まであって…だったらもっと安くて使いやすそうなやつはどうだ、と例えば戦闘機というカテゴリにはちょっと収まらない万能型のF35なんてのがオススメされてたりします。あるいはヨーロッパ産のユーロファイターとか。もちろん、これらの方がはるかに安価ではあります。
…本当は国産機がベストなんだと思うんですけどね…F2の次ってあるのかしらん。今のうちに開発しておかねばってかなり昔から言われてたんですけど…やるんならそろそろ本気出してもらわないとな…と思ってるんですが。

二つ目。夜郎自大。「夜郎」の本当の位置はどこ? 中国の三つの県で争奪戦(Yahoo!:産経)。「夜郎自大」の意味は日本でも中国でも同じなんだそうで。「身の程知らず・世間知らずで自信過剰なさま」となります。…これは前漢の時代、中国南西部の山奥にあったとされる「夜郎」という小さな国が当時強大だった漢の使者(時代からして「前漢」ですし)を迎えた時に「我が国夜郎と漢、どっちが大きいのかね?」と自信たっぷりに夜郎国王が言い放って使者たちの失笑を買った、というのが由来なんだそうで…かの「史記」にその記述があるとされています。
しかし何分にも昔のこと。今はどこが「夜郎」なのかは分からないわけで。「史記」の記述でも確実には…と。
そこで三つの県が立候補?県おこしのために色々やってるらしいんですが…こういうのは日本でも、いや、どこの国でもあることなんかもなー、と。なんかヘンな暴動とか亀裂とか生まなきゃそれはそれでいいんでは、とか思ってしまいますけども(逆に馴れ合いのワザとらしい握手なんてのもどうかと思いますが)。
どうせ最終的には「分からん」ことになるわけですし。それでかえって3県とも潤ってくれたりしたら、それはそれでイイことなんでは…と。

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07/25/2009

江戸期…

と言いたいところですが、興味本位で覗いてみるだけならどんな時代でもいいかな、と。…明治なんか面白そうなんですけどね。逆にもっともっと昔の古墳時代とか飛鳥時代とか、文献もきちんと残ってないような時代というのにも興味あったりします。今現在全く知られていないモノを知る、ということに対してはぞくぞくするような興味を覚えてしまいますが。

ただ…「生まれ変わる」となるとその時代で生活せにゃならんわけで。そうなると…なんか厄介かも知れんなあ、と。現代の記憶?を全部持ったまま「生まれ変わる」と結構キビシイもんがありそうですし。その時代の人間として「生まれ変わる」んならそれはそれで問題なさそうですけども。
例えば「なんば歩き(ナンバ走り)」というのがあります。
これは陸上の末續選手が参考にした、とされたことでも知られていますが…「同じ手と足を同時に出す」つまり右手右足、左手左足をそろって出しながら前へ進む、という歩法です。言うまでもなく現在我々がフツーに歩く時は右手左足、左手右足が同時に出る歩き方でこれとは全然違う歩法になります。一説によると昔の日本人はみんなこの「なんば歩き」をしていた、と。それが明治以降欧米化が進むと現代のような歩き方に変わって行った、と…。
明治以前に生まれ変わったらそういうことまでせにゃならんのかな、と。別にイヤとかじゃないんですが…現代の我々がイメージしてるのと実際は大分違った世界だったんじゃないのか…とかそんなことも思うわけです。そうなるとまた違った生き方になるかも知れない…。

…とか、まあ、そんなミョーなことも思ってしまいますが。

実は「なんば歩き」に関しては諸説色々あってよく分からんのが現状だったりします。有力?なのは江戸期の飛脚がコレ使ってがんがん移動してたってとこですか。歌舞伎の所作には現在でも残ってますけど…一般の庶民はこんな歩き方せずに我々と同じように歩いてたって説もあります。
身体の運用上なんば歩きは有利だ、とかそんなんもありますけど実証はされてませんし。結局のところはよく分からない。

まあ、どの時代に生まれ変わってもそんなにやってるこた、変わらんのじゃないのかな、と。背景や事情は違うでしょうけど、外から見るとの中で生きるのは全然違うものでしょうし。でも本質的な「生きて死ぬ」てのは変わらんわけで…じゃあ、どこでも同じじゃないか、とか(冒頭でも同じようなこと言ってましたが、自分)。
そんなわけで…「もし生まれ変わるならどの時代?」という問いに対して自分は「どこでもいいや、生きていけるなら」と答えようかな、と。ちょっとズルいかも知れませんけど…。




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04/10/2009

平賀源内と…

一応?の歴史好きではあります。学校の社会の授業では特に日本史が好きだったりしたもんです。でも当時は幕末が好きだったんですが、授業ではほとんど触れてなかったような。なんだか平安時代とか戦国時代とか…なんかその辺しか記憶に残ってなかったりします。

元来はそういう「幕末好き」だったんですが…最近はちょっと傾向が変わってきてます。「江戸時代好き」に流れて行ってしまった、と言うか何と言うか。「幕末」だって江戸期の最後の方なんですが…もっと前の中期、文化文政とか元禄とか。そういった一種「まったり」してる江戸時代が好きになってきてます。
この「江戸中期」というのはちょっと面白い時代ではあります。個人的な考えなんですが…日本人が一番ヒマを持て余してた時代なんじゃないか、と。戦国時代から江戸初期にかけての合戦やらいくさやらは起きず。かと言って後期から幕末への幕藩システム崩壊による混乱もなく。人口もそれほど多くなく…でも日本中が「まったり」してたような。そんな気がする時代ではあります。
…そうなると人間、ロクなこと考えないもんで(笑。
様々な大衆芸能が花開いた時期でもあるんですが、もしこれが色々あった時代だったらこんなの広まったりしないんではないか…とか。忙しい世の中だからこそそういう「芸」は広まるんだ、という説もありますがヒマと余裕がある時代だからこそこういうのが増えたんでは…というのが個人的意見ではあります。

その中で「一番ワケワカラン」人物が平賀源内であります。
元々は讃岐浪人。つまりは武士であります。が…色々あって脱藩状態に。浪人として江戸に住んだのですが…やったことや発明したものは数知れず(「エレキテル」が有名ですが、あれは自分で作ったものではなく修理したものではありました)。例えば秋田に西洋画を根付かせようとしたり浮世絵に多色刷りを導入してみたり。あるいは世界初の「博覧会」開いてみたり…と。何をどうしたいのかワケワカラン人物ではあります。
でもそういうとこが好きなんですが。

源内と同時期に活躍?した人だと他にも工藤平助、なんて人もいます。この人は仙台藩の藩医なんですが蝦夷地、つまり今の北海道のことを書いたりしてます。なんで? と思うかも知れませんが意外なとこに繋がりがあったりして。実は五稜郭に代表される「蝦夷地開拓」のルーツてのはこの時代からあったりするんです…。
他にも司馬江漢とか。ウソつきなんですけど科学者なんですよねえ…さらに有名どこでは前野良沢(前野蘭化)とか。林子平に高山彦九郎なんかもこの時代の人たちではあります。
現代にも脈々と繋がっている歴史の一端てのはこの時代から、いやもっと前からあったんだな…というシリアス?な面もあったりする江戸中期のお話でありました。



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02/02/2009

浅間山と桜島

噴火、してしまいました…今日の明け方に群馬県と長野県の県境にある浅間山が小規模な噴火、上がった噴煙は300mとも2000mとも言われています(iza!)
一方で今日の午前には鹿児島県の桜島も噴火。こちらは小規模な噴火というのは時折あるもんなんだそうですが…今回のは噴火警戒レベル3の「入山規制」にまで上がったとのこと。浅間山もレベル3になってますし…なんだかこういうのが続くとやはり不安になってしまいます…。
Yahoo!国内トピックス:火山活動

実は昔々に一度、鹿児島に行ったことがあります。その時は雨がぱらぱらと降っていて。しかし道路なんかには黒い筋…ぱっと見砂鉄でもぶちまけたんか? とか思うようなものがあちこちに。…それが桜島の火山灰だ、ということを知ったのは結構後のことでありました。小学校のプールに灰よけがあるのも鹿児島だけなんだそうで…それだけ日常的に降ってるわけであります。
今回の浅間山も火山灰が結構遠くまで降ってます。
噴火口近くでは灰どころではなく石も降ってる、てなことですが…関東では一部で降灰が見られる程度になってます(もちろん長野や群馬では相応の灰が降ってるんじゃないかと思われますが…)。ただ…今後の状況次第によっては何らかの被害が出ることも予想されます。

浅間山は過去にも何度も噴火を起こしてます。その中でも有名なのは「天明の大噴火」でしょうか…村を壊滅させるほどの溶岩流や火砕流、そして熱泥流によって多大な被害が出たという記録が残っています。江戸の広い範囲でも降灰を記録し…一説には天明の大飢饉の遠因にもなった、とされていますが(時期が若干合わないという説も)どうもこの頃というのは世界のあちこちで噴火があったようで。不安定な頃だったんでしょうか…そういった天変地異が後にフランス革命を引き起こし世界を変えていった、という説もあったりします。
浅間山(Wikipedia)

しかし…日本てのは火山国でもあったんですねえ…というのを再認識してしまった次第であります。ホント、大きな被害とか出なきゃいいんですが。

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12/09/2008

どっちでもいいってわけには

いかないんでしょうなあ…。
ギリシャvsマケドニア、国名論争まだまだ続く(iza!)…「マケドニア」の名は紀元前のアレクサンダー大王の時代に隆盛を誇った国の名前。当時はギリシャも支配下に置いていたため(むしろ統合と言うか吸収と言うか同化と言うか)現ギリシャの「マケドニアはギリシャの一地方」という主張も分からんでもないんですが。
アレクサンドロス3世(Wikipedia)
「古代」マケドニアはアレクサンダー大王の死後分割、そのうちの一つが現・マケドニアになってるわけですが…民族的に「古代」とは繋がりはないんだそうであります。

古代マケドニア王国のアレクサンダー大王と言えば東征による「東西融和」でも知られています。
地中海から東へ東へ…とその版図を広げて行ったわけですが、行く先々には当然ですが自分たちとは全然違う文化があります。宗教的にも人種的にも様々。古代マケドニア軍は非常に強力でそういった各地を平定していったんですが…そこで取る選択肢は二つ。自国の文化を押し付けるか相手の文化を取り込んでしまうか。
…結果として後者を選び、東端の日本にまで影響を及ぼす「東西融和」文化が生まれることになったわけであります。
…実際のとこ、どうだったのかな…と思うことはあります。これ、その当時からしてもかなり珍しいと言うかなかなか受け入れられない考えだったんではないかなー…と。普通は征服した土地に勝者側の文化を持ち込んで、敗者側の文化が同化はしていくけども勝者側の色が濃く残ってしまう、ということになるんではないかと思うのですが。
もちろん古代マケドニアのだって勝者と敗者半々てわけでもないのでしょうけど。…当時は非難とか反発とか結構あったんでは…とか。
一つには時間もあるのかも知れません。紀元前、ということでざっと2000年以上。それだけ経ってしまえば当時は突飛なことでも少しずつ受け入れられていって何とかカタチになっていくもんではないか、と思うのですが。

国家間の問題てのもそういうものかも知れません。…時間が経てば色々と変化していく…すっぱり解決とかそういうのではなく。少しずつカタチを変えて皆に浸透していくもんなのかも知れないなあ…と。

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09/19/2008

コイを食う

…と言っても自分、食ったことないんですが…鯉。
しかし弥生人はコイを養殖していた(iza!)とのことで。何のために飼うか、と言えばそれはもちろん食用のためであります。現在だともっぱら観賞用になってるような気もしますが…長野とかあちらでは郷土料理にコイがありますか。あ、そう言えば霞ヶ浦のコイ養殖ってどうなったんだろ…ちょっと前に鯉ヘルペスが大流行したんですが。

丈夫で頑健、何でも食べる上に成長も早い方。ただし、基本的に口が下向いてるんで底性のモノを喰らいます。…でも池のコイは浮かんだエサでも平気で食べますから、あんましそういうのは関係ないかも知れません。しぶとさに関しては、濡れた新聞紙でくるんでおけばしばらくは陸の上でも生きてる…とかそんな話もあります。試したことないのでホントかどうか分かりませんが。
「釣りキチ三平」で有名な矢口高雄氏のエッセイマンガにたしか「コイの稚魚売り」の話があったような。「三平」本編にも同じような話があったかも知れませんが…春先にコイの稚魚を農村に売りにくる人が毎年いたんだそうであります。
そのコイを買い取って休耕田なんかに放し飼いにして冬前に収穫。貴重なタンパク源になっていたようであります(大抵は真っ黒な鯉なんですが…たまにその中に色のついたのがいてそれが自慢だった、とそういう話もあったように記憶してます)。

…弥生人の養殖プロセスとあんまし変わらんような。ただ、弥生時代にコイの稚魚を専門に育ててる人がいたとはさすがに考えにくいので、その辺は例えば親をどっかでキープ(ため池とか)しといて稚魚をゲット…とか? 稲作と共に鯉養殖が広まったんならそういうこともあるかも知れません。

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09/16/2008

「ぽち」さまざま

飼い犬の名前、1位は「モモ」(Yahoo!:nikkei TRENDYnet)
アイリスペットどっとコム 犬といっしょ(右に『犬の名前大調査!2008 結果発表』の項目があります)
個人的な感想ですけど名前としてはかわいらしいのものが多いのではないかな、と。総合1位の「モモ」もそうですけど2位の「マロン」3位「ナナ」と。男の子ランキングでも1位「レオ」同率2位「チョコ」「マロン」と…昨今の飼い犬事情がよく出ているような。昔は番犬として一軒家で飼われてた犬が多かったんでしょうけど、今はマンションで小型犬が多そうですし。飼う目的も番犬ではなくペットとして可愛がるのが主な目的。自然、↑こういう名前が多くなってしまうのではないのかな…と。
ところで犬の名前と言えばやはり「ポチ」ではないかと(古っ)。しかし↑のランキングでは2頭しかエントリーしてなかったという(モモは54頭)…やっぱり今風じゃないんでしょうか…。

さてこの「ポチ」の由来。最近は情報系やクイズ番組なんかも多いんで、そっちでも結構取り上げられてますが…なんで「ポチ」なのか。大きく分けると二つの由来があります。

1.外国語由来
これはフランス語「petit:小さい」英語「spotty:ぶちのある」「pooch:俗語で犬」が最有力であります。外人が犬をこう呼ぶのを見てそれが若干変化して定着していった…というものです(余談ですが明治の頃「外人は洋犬をカメと呼ぶ」という認識が日本人にはあったそうな。カメ=亀ではなく…「come here」を「カムヒア→カメヒヤ→カメヤ」と聞きなしてそうなった、とか)。
他にもチェコ語で「ポチ」は「こっちにおいで」という意味で犬に向かってそう言ってたのが広まった…という説もあったりします。
2.日本語由来
そもそも日本語で「ぽち」というのは小さい点とかそういう意味であった…というもの(小さな点が散らばる意の「ぽちぽち」にはブチとかまだらの意味も)。そこから班のあるブチ犬なんかに名づけられたというものではあります。例えば陶磁器では小さく欠けたところを「ホツ」と呼びます。…多分これも同じ由来なんではないか、と個人的には思っておりますが。

まあ、実際のとこはよく分かってないわけですが。何せ古いことですし。
ただ…この名称が一般的になったのは明治に入ってからで、さらに明治30年代から40年代にかけて一種のブームになったこと(明治以前の書物にも出てくるんだそうですが、それほど多くはないようです)はたしかなようで。
…かの文豪二葉亭四迷がフランス人が「petit」の意味で犬を呼んでいるのを見て拾った犬に「ポチ」と付けた…という話(関川夏央『二葉亭四迷の明治四十一年』)があってこれが広まって行ったという説も。ただし、なんか猫にも「ポチ」ってつけてたって話も載ってますんで(この辺、ポチ=ぶちなのかも)当時は犬限定ではなかったのかも知れません。
他にも有名どころでは「花咲爺さん」のポチがいます。
内容は、まあ、有名ですんで省きますが。実はこの物語成立はかなり古く室町時代辺りと言われています(年代的には室町~江戸初期と広い)。…でも有名な歌では裏の畑でポチが鳴いてて、ということは正直じいさんの犬の名はポチ? 明治より前なのに? …なんでかと言うと歌の方は明治になってからできたもので(「はなさかじじい」石原和三郎作詞 田村虎蔵作曲:1901年(明治34年)『幼年唱歌 初編下巻』)物語の方ではポチではなくて「シロ」の場合が多い、と。ただ歌の方が有名になってしまって「花咲爺の犬=ポチ」という構図が定着してしまった、という…。

なんか長くなっちまいました…最後に1910年(明治43年)の「犬の名前ランキング」をネットで見かけたんで紹介をば。
1位ポチ(15頭) 2位ジョン(13頭) 3位マル(12頭)
…うーん…やっぱり世相?を反映してるのかなあ…2位のジョン…。

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09/11/2008

二つほど 9/11

イノシシやらキケンなカタツムリやらで二つほど。

一つ目。縄文人、イノシシを飼育していた?(Yahoo!:京都新聞)
歴史の授業ですと「縄文人=狩猟採取生活」「弥生人=定住農耕生活」というのが定番になってます。縄文人は狩猟を中心として生活していて一定の住居を持たない。一方弥生人はコメ作りなどの農耕を主としていて集落を作るようになる。やがてそこへ後の古墳時代などの基礎ができてくる…と。その弥生時代になるとブタ、つまりは飼い慣らされたイノシシの骨も見つかってるんだそうで、そうなると一体いつ頃から家畜として飼育してたのか、は実はよく分かってなかったんだそうで。しかし縄文人もイノシシを飼育してた、となるとまた違った解釈もできるんでは、と。
…まあ、こういうのには決まった一定の型なんかなかったんではないか、てのが個人的な意見なんですが。畑作る縄文人とか狩猟生活オンリーの弥生人とかそういうのも存在してたんじゃないのか、と思ってます。
例えば江戸時代てのは仏教の影響で肉食が禁じられてた、だから日本中どこでも肉食はしてなかった…という印象がありますけれども。実際は「薬」ということで結構食ってましたし、現在でも古くからの猟師の伝統が残ってる地域は、じゃあ江戸時代にはその伝統が途切れてたってことになるんだろうか…とか。簡単に枠組みにしまいこんでしまえるもんではないんではないか、と思うのですが。

二つ目。昨年10月、鹿児島での「殺人カタツムリ」騒動(iza!)
沖縄などのアフリカマイマイの話はよく聞くんですが、鹿児島にも上陸してたのか…と。モノがモノだけに要警戒な生き物ではあります。ただ、元来が熱帯性の生き物なので例えばさらに九州を北上して…というのは考えにくいんだそうであります。
…でも熱帯性の生き物って実は関東圏でも繁殖してたりします。何らかの要因がその生き物を肯定するように重なれば、実は「温度が低いから~」というだけでは制御しきれなくなるのかも知れない…?

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07/25/2008

二つほど 7/25

今日も今日とて二つほど?

一つ目。滋賀県の古刹で江戸期の「今後落書きはしません」誓約書発見(Yahoo!:京都新聞)。例のイタリアの件でもそうですが…落書き、というのはいつの時代でもあったんだなあ、と妙に納得してしまったお話ではあります。
どんな内容の落書きなのか記事中にはないのですが(まさか夜露氏苦とかそんなんではありますまい)やっぱり自分の名前とかなのかなあ、と。お寺という場所が場所ですんでそういうのは敬遠されるだろう…というのは現代の我々の感覚なのかも知れません。江戸期のお寺というのは単なる宗教施設ではなく戸籍登録所であり集会所であり相談所であり。庶民の出生から結婚から葬式まで全部お寺の「人別帳」で管理してましたから結構色々とお世話になる場所だったわけで。
…てことはそんな場所に落書きなんかするわけない…ですか。ある程度タブー?というか「触れてはいけない」ような場所ほど落書きてのは多いような気がしてるんですが。やっぱりお寺は今も昔も荘厳であるべき場所だった、ということになるのでしょうか…。

二つ目。ニュージーランドで「フラ・フロム・ハワイ」は少女の人名として不適格、改名を認める(CNN)…海外でもやはりあるんですなー…こういう珍名騒動てのは。
DQNネーム(子供の名前@あー勘違い・子供がカワイソ)
これ↑は日本の場合ですが。例えば当人も別に意識してなくて(意味合い的に「オイオイ」な名前でもなく)周囲も、まあ、認めてて読みがちょっとややこしい名前、とかならまだいいんですが…明らかに当人が嫌がってるようなら裁判起こすまでもなく改名OKとかにしてもいいんでは、とか思ってしまいますが。…あー…でもそれ認めると珍名と普通の名の線引きが難しくなりますか…。
記事によればニュージーランドは不快感を与えるような名前をつけるのを法律で禁止してるとのこと。日本の場合は名前用の人名漢字というのがあってある程度ブレーキにはなってますが、それでもひらがなやカタカナならつけることは可能ではあります。…あんまりなのは役所で受理しない、とそういう風になってると思ってたんですが。今は…どうなんだろう? ↑のサイト見る限りじゃ、なんだかそういうこともなく結構フリーになってきちゃってるのかな、とも思いますが。

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07/14/2008

100年とちょっと経ちました

「何が?」と言うと…「ツングースカ爆発」から、です。ロシアはシベリア中部ポドカメンナヤ・ツングースカ川上流で1908年6月30日に起きた大爆発なのですが…いまだにナゾの多い爆発として知られています(CNN)
ツングースカ大爆発(Wikipedia)
なんせ100年経ってますから「隕石衝突説」「謎の天体落下説」「UFO墜落説」などなど様々な仮説が上がってきてるんですが…いまだに「コレ」というのがない、というのが実情でもあります。

「爆発」のあった地域、当時は「ロシア帝国領」でした。
ご存知のように今は「ロシア連邦」になってますけどその前は「ロシア共和国」でした(1992年「ロシア連邦」に確定)。その前は…「ソビエト連邦」で当時は世界有数の社会主義国家で、こっちもまた色々あったんですが主権国家としての完全独立は1991年(ちなみに格闘ゲームの草分け「ストリートファイターII」に出てくるザンギエフの出身、最初は「ソ連」で赤い国旗だったんですが…その後ソ連が崩壊、続編では「ロシア」で現在の国旗になってる、という…ゲームでナマの歴史を体感できたりしてたのですが)。
ではその前は、と言うとロシアは王政でした。最後の王朝をロマノフ朝と言い「爆発」があった時の王朝でもあります。その「爆発」の3年前の1905年にはすでに労働者のゼネストも起きてましたが…第一次大戦中の1917年にニコライ2世が退位して革命成立、「ソビエト連邦」となってその後1991年まで社会主義国家として運営されていくことになります…。

さらに1904年には日露戦争などもあったりして。1908年というのはそういう国家レベルでの混乱がたくさんあった頃ではあるわけです。…そんな時に大爆発があったからと言ってわざわざシベリアまで調査なんかに行けるか、という状況だったんでしょうか…。
結局本格的な調査は1920年代、つまりはソ連としての国情も安定してきた頃になってからでした。もっと早くなんとかならんかったんかなー…と。
…まあ、今さらそういうことを言っても始まらんわけですが。世情に影響されない事象なんてあるわけもないですし。ただ…なんかもったいないなあ、と。きちんと直後に調べていたらとんでもない発見なんかがあったかも知れないと思うと、ちょっと。
しかし。それも部外者の勝手な郷愁ではあります。爆心地に最も近い町では100周年を記念してイベントやるみたいですが…「いん石の破片やら宇宙人らを探すのはもうやめて、天然ガスや石油でも掘ってくれたらいいのに」(「」内↑元記事より引用)てのが現地の人の本音のようで。
たしかになー、そっちの方がいいよなあ…もう100年も経っちまってるんだしなあ…そろそろいい区切りなんではないかい? と、まあ、なんだか住民の気持ちも分からんでもないなあ、とか思ってしまったりして…。

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06/20/2008

気ままに旅する

そういうのが望みだったようで…。
江戸時代の天文・測量学者で詳細な日本地図を作成した伊能忠敬の問答の記録が見つかる(iza!)。本当に詳細な「大日本沿海輿地全図」をほぼ実測(自分で日本全国を歩いて…仕上げ前に亡くなってしまいましたが)して作られたことでも知られています。

この地図、実は完成したはいいけど当時の幕府にとっては「最高国家機密」扱いとされ、実際に公表されて日本人が自国の姿を目にすることができるようになったのは明治時代に入ってから、なんだそうですが…。
今のような技術のない時代です。どうやって地図作るか、と言えば実際に自分が歩いて海岸線の距離を測り、山の高さを測り、街道の長さを測るしかありません。忠敬は自分の歩幅が一定になるようにクセをつけていた…なんて話もあるほどではあります。
さらにこの方、家業の関係で学問に打ち込んだ時期が遅いことでも知られています。…そもそも「師匠」となった幕府天文方高橋至時は10も年下であり(忠敬51歳の時に師事)しかも先に死なれる、ということにもなっています。…それまでも天文や測量を独学では学んでおり、全くのド素人がいきなり全国測量なんかやったわけではないのですが(伊能家だって国学者出してる家でもあります…忠敬は養子ですが)それにしてもその執念と言うかやる気というのは素晴らしいものがあります。何せ今より平均寿命は短いご時勢でしたし。

この地図は彼の死後に「シーボルト事件」という多数の知識人が処罰される事件に深くかかわってしまう(しかも師匠の高橋家は断絶)のですが…運命とは異なもの、と思わせてしまうものではあります…。

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05/29/2008

ユメぶち壊し

と言うか真実なんてそんなもん、と言うか。なんだかもったいない?ような気もしますが。

以前5/10に「二つほど」でちょろっと書いた「水晶ドクロ」ですが。あれはフランスのケ・ブランリ美術館蔵のものでしたが…19世紀に作られたニセモノということが判明してしまいました。…今度はスミソニアンと大英博物館にそれぞれある「水晶ドクロ」もニセモノではないか、という疑惑が持ち上がってます(Technobahn)。これで世界にあるうちの3コは「ニセモノ?」となってしまったわけで…まだ他にもいくつかあったと思うんですが…そっちの方も調査のメスが入るんかなあ、そっとしといた方がいいんかなあ、とか思ってしまったりしてます。

その他にもジェームズ・マディソン米4代大統領に贈られた「隕石製ピストル」、実は…(Technobahn)
これは決闘用に二丁が一組になったピストルで、隕石でできている、もしくは銀製である、ということだったようなんですが。英オックスフォードシェアの粒子加速器(ISIS neutron source)まで使って解析した結果そのどちらでもなく実は東南アジア辺りでよく見られる粗悪品だった、と。
その後ジェームズ・モンロー米5代大統領にまで引き継がれたピストルではあるのですが…。
「いったいどういった経緯で、安物のピストルが隕石製のピストルということになり、果ては米国大統領にまで寄贈されるまでに至ったかに付いては不明だと述べている」(「」内↑元記事より引用)
…こりゃあ、ミステリとかそういう系統の話になりそうではあります。
なお、某アニメでもおなじみの隕鉄あるいは隕石で打った刀、というのは実在してるらしいんですが…実際は強度が足りなくて実用向きではないとかそんな話をどっかで聞いたような。…現存、してるんだろうか…?

いかにも、というオーパーツの類もそうなんですが、今まで詳細不明とされてきたモノがこうやって科学的に解明されていく…てのは一種の達成感みたいなもんもあったりするんですが…逆に罪悪感のようなものも漂ってきてしまいます。いや、そこまでやらんでもいんじゃないのかな、とか。
これが詐欺とか誰かをだます目的とかで語られたもんなら徹底的にやったれ、とか思ってしまうのですが。
…謎は謎のままの方が美しいのかなあ、と。水晶ドクロも隕石製ピストルも「それはそれでこういうもん」と、そっとしておいたらそれが真実になってたわけですし…。

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05/10/2008

二つほど 5/10

ちょいと長めに二つほど。

一つ目。聟島(むこじま)に移送のアホウドリのヒナ、もうすぐ巣立ち(iza!)。これは国の天然記念物でもあり絶滅危惧II類にも指定されているアホウドリ、これの保護のために鳥島から聟島へ10羽のヒナを移送する計画があって…その経過ということになります。

ご周知の通りアホウドリは1949年に一旦「絶滅宣言」が出されたものの二年後に鳥島で再発見される…という劇的な復活?を遂げた鳥でもあります。…絶滅の原因は人間が乱獲した、というのが一番大きいです。名前の通り地上では重い体を持て余すことが多く大量に殺されて羽毛を採取されていきました…。
海上に出ればその長い翼で悠々と長時間飛び回ることもできるのですが。
そのため繁殖地は離島のような地に限られてきました。人間だけではなく他の動物…例えば犬や猫の類であるとか。ネズミの類ですら卵の脅威になり得ます。火山島である鳥島はそういう意味でも繁殖地に適していたのですが…それが裏目に出るのではないか、という危惧もつきまとっていたわけです。

現在、アホウドリの大きな繁殖地というのは切り立ったガケの下、さらに傾斜地になってる場所なんだそうで。こういう場所だから「復活」できた、人間に見つかることもなかったのでは…とされていますが「傾斜地」のため卵が転がり落ちることもあり、別の候補地への誘導(デコイ:模型を使った誘導)も進んではいます。が、何より鳥島は火山島なので噴火してしまえば何らかの影響が出るのではないか…という懸念も。そこで噴火の心配のない聟島への移送が計画された、と…。
アホウドリてのは自分が育った場所へ戻ってきて営巣する習性があります。聟島でのヒナが育ってそして聟島で繁殖していってさらに数を増やしていけば…と強く願っていますが…さて。

二つ目。水晶ドクロ、まがい物と判明(iza!)…有名なオーパーツの一つでもある「水晶髑髏」なんですが。アステカ文明の栄華の極み、と言うかなんでこんなのが当時作られたなんだろう、ということで世界の謎的にも紹介されることもありますが…。
世界にはいくつかコレがあって、そのうちフランスのケ・ブランリ美術館蔵のものは16世紀のアステカどころか19世紀末くらいに作られたものだ、となってしまったわけで。…他のやつはどうなんだろう、とは思いますが。
…まあ、こういうのははっきり「まがい物だぁ」と言われるよりもその過程を愛でる、というかそのナゾめいた存在感を楽しむ、というか…無理に現実に引き戻さなくてもいいんではないかい? ってのはちと言いすぎですか…。
それでもああいうのが本当にあり得ない時代に造られたのかどうか、ってのにも実は興味あったりしますし。その辺のアンバランスさと言うかいいかげんさが人間の性なんかなあ、とも思ってしまいます。

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04/29/2008

三つほど 4/29

「サイエンス」「生き物」「歴史」で三つほど。

一つ目。マレーシアで遺伝子操作した「蚊」の自然界放出を計画中(Technobahn)
これは何が目的か、と言うと…蚊の撲滅です。遺伝子操作によって純然たる「不妊オス」を作り出して在来のメスと交配させる。できた卵から生まれた幼虫(ボウフラ)はもれなく死滅する…というものです。一部、というより柑橘系を荒らすミバエでは放射線などによって「不妊メス」を作り出して駆逐する、というのはこれまでも行なわれてきてます。が、遺伝子操作してまで…というのは前例がなく。…大丈夫なんだろうか、と、ちと不安になってしまいますが…。

二つ目。「一個5000円」のタネなしビワ、初出荷(iza!)。↑の遺伝子操作とは違ってこれは品種改良の成果の賜物ではあります。
ビワとと言えば真ん中に大きなタネがごろごろと入っていて、たしかにコレがなかったらどれだけ実が増えるんだろう、とか思ったりもしましたが。…それでも個人的には特に邪魔だなあ、と思ったことはないんですが。でもこれはこれで食べてみたいような気もします。味や香りも良い、とのことですし。…でも高いなあ…5000円あったら普通のビワが何個買えるんだろう…。

三つ目。インカ文明で見られる「頭部穿孔」は呪術的な意味ではなく高度な外科手術の跡(Technobahn)。某三つ目漫画では第三の目の跡、とやってましたが…実際は手術の跡ではないか、と。
昔々の文明となるとなんだか現代よりも劣っているんではないか…とかそういう風に思われがちですが、尺度が違うと言うかなんと言うか。ある部分においては現代より劣っていてもある部分においては現代より勝っていたりします。逆にこういう技術を現代でも応用して、というのは一つのやり方でもあるのですが。

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03/30/2008

コシヒカリの祖先は…

実はあんまし美味くなかった、というお話。
日本で最も人気のあるコメの品種「コシヒカリ」のDNAを調査した結果、粘りのもとは「愛国」という品種に由来(@nifty:毎日)している、ということが分かったとのこと。「粘り」というのはご飯として炊いた時に重要視される要素の一つで…特に日本では粘りのあるコメの方が人気があります。
大まかには粘りのあるジャポニカ種、さらさらしているインディカ種、と分けることのできるコメの系統なんですが。逆に言えば、やや細長いカタチをしていて粘りのないインディカ種を愛好する方たちにとっては粘りのあるコメなんて…と敬遠されてしまったりするんだそうで。他の美味い要素である「匂い」も結構国によって意見が分かれることもある…んだとか。その辺は、まあ、たしかに色々あるもんではあるんですが。

ところで…記事中に、ちょっと気になるコトが載っていたので調べてみました。『昭和初期にまずいコメの代表格とされた「愛国」に由来』(『』内元記事より引用)…て、「愛国」てのは一体どんなコメだったのかな、と。
Google検索:米 愛国 酒
…基本的に酒米だったんかー…そりゃ、あんまし美味くはなさそうだなー…と。
酒米(Wikipedia)

あくまで一般論なんですが、酒造りに使われるコメは不味い、ということになってます(愛国は酒造好適米てわけじゃないらしいんですが)。これは含まれてるタンパク質の量だとかが「食って美味い」てのと「酒造りに適してる」のとは方向性が違うからなんだそうで。普通に炊いても美味くないんですが酒造りには最適、とされるコメの品種もある、ということです。
逆に食って美味いからってそのコメだけで造った酒が美味いか、と言えば…どうなんでしょうね。
こないだ読んだマンガ「もやしもん」には「お酒の原料はだいたいがそのものは味が悪いモノだけど」(「」内は講談社刊もやしもん第6巻P187より引用)というセリフもあったりして。…あ、なーんか分かるなあ、と思ってしまった次第ではあります。
…無理にねじ曲げたりしないで、適した方法で賞味した方が作った側も食べる側も食べられる側も良い結果になるんではないかい? と思うのですが…さて。

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03/27/2008

ちょっと見てみたい

気もします。どんな風に動くんだろうか、とか。
1917年(大正六年)に公開された日本で二番目に古いとされるアニメ映画「なまくら刀」修復、公開へ(Yahoo!:産経)。これは「現存している最古のコマ撮り式」アニメ映画、ということになります。これより5ヶ月前に「芋川椋三玄関番の巻」というのが上映されたそうなんですが、こちらのフィルム存在は未確認とのこと。
映画と言っても2分程度の作品だそうですが。よく残ってたもんだな…てのもありますが、修復した、てのもある意味すごいような。90年も前のモノで…いや、現代の技術にも通じる何かがあるのかも知れません…フィルムにも内容にも。
幸内純一(Wikipedia)

元々「アニメ」とは何か、と言えばラテン語で「魂」などを意味する「anima」から来ており、それが「animation」となって日本へ来て「アニメ」になった…と。これは静止している画に「魂」を吹き込んで動画にする、といった意味合いではないか…と思われます。
まあ、フツーに観る分にはどーでもいい話ではありますが。
今でこそそれなり?の市民権を獲得しているアニメやマンガですが。一昔前にはあんまりいい目では見られてませんでした。「子供向け」というイメージは、まあ、背景が背景ですんで(少年向けマンガをアニメ化というのは一種王道でもあります)ある意味当然なんですが「あんなくだらないモノ」という目で見られることも多かったわけです…って、今でもそうか。

↑の短編アニメ映画が上映された時の反応、てのはちょっと分かりませんが。
それでもマンガとは切り離せないのがアニメでもあります。そのマンガも大正や明治の頃、というのは今のようなストーリー仕立てのマンガよりも例えば新聞の風刺画のようなマンガとか。あるいは大衆向け小説の挿絵の類であるとか。そういったものが多かった…という話を聞いたことがあります。これは「鳥獣戯画」辺りから江戸期の「八犬伝」や葛飾北斎などなどへ続く「文字と絵画」の表現方法へと連綿と続いてきた流れの一つではないか、と個人的に思っております。その延長線上に現代のマンガもアニメも、あるいはゲームですらあるんではないか、と…。
もちろん「文字と絵画」というだけではなく「鳥獣戯画」の動物の生き生きとした滑稽さとか「八犬伝」の絵入りで魅せる技法とか。そういうのも受け継がれてきてるわけで…簡単に「くだらねえ」と無視はできないと思うのですけれど…どうでしょうね。

…そういう「経過点」でもあり「原点」もあるような90年前の作品なんですが…公開される、とのことで。…どうしようかな、行ってみようかなあ…来月。こういう機会を逃がすともう会えないかも知れないわけですし…。

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03/17/2008

クマが有罪

マケドニア。はちみつを盗んだクマに有罪判決(Yahoo!:REUTERS)…とは言っても野生のクマなんで罪をつぐなえるはずもなく。かわりに国が罰金を払う、という判決になった…と。
こういうのをどっかで聞いたなあ、と思ったら「動物裁判」というのが中世ヨーロッパの記録には残ってます。文字通り被告は「動物」で、ジョークでも何でもなく大真面目に裁判やってたんだそうで…被告に弁護士がつくケースもあったんだとか。
動物裁判:Google検索結果

現代の我々からしてみれば「何遊んでんだか」とか思うかも知れませんが。でも、まあ、こういう「考え方の違い」てのは歴史上いくらでも出てくるものではあります。現代では何気ない行為が百年ほど前ではとんでもない行為だったり、あるいはその逆とか。数百年も経ってしまうとさらにその差は広がっていったりもします。
当時では常識であったんでしょうか…動物が裁判にかけられる、ということが。
そう言えばドリトル先生シリーズにもそんな話があったような。あれはイギリスのお話ですが、犬が証言者席に座る…というくだりが。もちろん犬は人間の言葉はしゃべれませんので、ドリトル先生が通訳をする、というもので。でも検事はそれを信用しなくて、じゃあ、まずは検事の飼い犬でテストしてみようか…とかそういう感じでしたか。

一方で…この「動物裁判」、現代では一部復活してたりします。…森林伐採の被告として「樹木」が出てきたり、あるいは絶滅寸前の動物が出てきたり。あるいはペット関連の裁判ですとか。ただ、日本では人間以外が訴えを起こすことはできないので裁判になる前に却下されますけども。

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03/16/2008

ある告白

今頃になって…という観も強いのですが。でも、当人にとっても関係者にとっても辛かった数十年ではないか、とは思いますが…。
「サンテグジュペリを撃墜したのは私だ」元ドイツ空軍パイロットが証言(Yahoo!:読売)。「星の王子様」や飛行機モノで有名なフランスの作家・サンテグジュペリですが。第二次大戦末期に連合国のロッキードP38ライトニング(胴体が二つある特徴的なカタチ)の偵察型F-5Bに乗っての偵察任務中にその消息を絶ち行方不明…とされています。
こないだその機体ではないか…とされるものが海中で見つかって、引き揚げ作業が始まったりしていますが…。

それでも、実はこういう「最期がよく分からないケース」というのは結構あるものではあります。日本だと坂本龍馬とか。慶応3年11月15日(1867年12月10日)に京都の近江屋で陸援隊の中岡慎太郎ともども暗殺されましたが…この事件の主犯?はいまだに謎とされています。…「私がやりました」と元見廻組隊員・今井信郎が明治になって告白しましたが…これも本当なのかどうか、現在でもあれこれ憶測が絶えない案件ではあります。
しかし…もし本当に今井氏がやったとして…後の明治になってから告白した、というのは↑のホルスト・リッペルト氏と同様に苦しんだのかなあ…どうなんだろうか。

サンテグジュペリに関しては箱根に「星の王子様」のミュージアムがあったりして。世界的にファンも多いんですが、飛行気乗りだった作者らしく他にも飛行機モノの小説も出しています。
…実は「星の王子様」って、通しで全部読んだことがない、という…エセファンではあります、自分。逆に飛行機モノの小説の方は読んだことあるんですが。かなり細かい描写までされてあって、さすがは飛行機乗り、と妙な感心してしまったのを覚えてます。

それにしても…、「あの操縦士が彼でなかったらとずっと願い続けてきた。彼の作品は小さいころ誰もが読んで、みんな大好きだった」(「」内↑元記事より引用)てのは…哀しいものがあるもんではあります…。

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03/04/2008

ンな昔のことなんか分かるかよ

…と言ってしまえばミもフタもない、ですが。
織田信長が壮烈な最期を迎えたことで知られる「本能寺の変」、舞台は寺の建物ではなかった?(Yahoo!:産経) …実は本能寺境内に別に宿泊施設を作って、そこで寝泊りしている時に明智軍に急襲されたのではないか、とのこと。つまりはドラマや時代劇などでよく知られる「炎上中の本能寺で矢尽き槍折れるまで戦ったが…」というシーンはあり得ないのではないか、ということになるんですが…。
まあ、どっちでもいいんではないか、という気もしますが。「本能寺で信長は最期を迎えた」というところまでは変わらないようですし。

歴史、というのは結構興味深いもので。
はっきりした証拠や証人がまだまだ残ってる近代史ならともかく(それでも人によって解釈がバラバラだったりするんですが)江戸期や戦国時代、さらに室町平安…となると残ってるのは誰かが記した書物やかすかな物的証拠くらいになってきます。…そうなると「本当に本物の」事実なんてのはなかなか出てこなくなってしまいます。
人間の記憶なんてのは実は結構曖昧なものではあります。主観ゼロの人間なんて古今東西存在してません。
そういう人間が記したり残したりしてるわけですから…100%客観に基づいた資料、なんてのが出てくるわけもなく。仮に出てきたとしても判断する側も100%客観のみで、なんてのは不可能。そのため事実とはかすかな「ズレ」が生じてしまってそれがさらに後世に伝わってさらに「ズレ」が広がっていく…。

でも、ま。そういう「ズレ」まくった歴史というのが良くないというわけではなく。逆にそういうのが歴史の本道なんではないかな…と個人的には思っておるわけであります。
主観が入りまくって「ズレ」た資料。でもそれが複数出てきた場合は…その「ズレ」からまた違った姿も見えてくることもあります。もちろんそれは「正しい」見方ではないのかも知れませんが…それもまた「真実(事実ではなくて)」であるのでは、と。本当に本物ではなくてもある意味「正しい」歴史になるんでは…と。

信長の本能寺にしてもあそこで最期、ということになってますけど「もしかしたら生き延びてたのでは?」的な説もありそうですし。そういうのも色々見ていくとまた違った「歴史」が楽しめるんでは…と。

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02/22/2008

ねこー!

今日、2/22は実は「ねこの日」なんだそうで。これは「猫の日制定委員会」が公募して1987年に制定(主催はペットフード工業会)とのことで…「222」が「にゃんにゃんにゃん」と読めるから、なんだそうではあります。
ペットフード工業会
ということで各方面でも色々とイベントなんかもやっていたそうで…「ネコ」関連の雑誌を購入した方にキャットフードをプレゼント(Yahoo!:市ケ谷経済新聞)なんて企画もあったりしました。

以前にもちょろっと述べましたが、猫てのは犬とともに人間とは関わりの深い動物ではあります。
有史以前から人間てのは幾種類もの動物を飼い慣らしてきました。その目的は様々で、食用から運搬用や狩猟用など色々あります。どういう経緯でそれぞれの動物を飼い慣らしていったのか…てのは諸説ある上にその種によって違ってくる場合が多いので一概にこう、と言い切れるもんではありませんが、それでも人間に足りない部分を補ってもらおう…という願いがあったのは違いないようではあります。
馬はモノやヒトを運び、牛は乳や肉を提供してくれる。
犬は元々は狩猟用や警備用だったのではないか、とされています。人類がまだあちこち放浪する生活を行なっていた頃からの良きパートナー。群で行動するので飼い主をリーダーとして認識させてしまえばあとは従順に言うことを聞いてくれる。しかも品種の改良ができるのでより目的に沿った犬を作り出せる。…もちろん、これは長い長い年月をかけていった結果、なわけで。犬の原種とされているオオカミには例えば「従順さの芽」はあっても犬のそれとは大分違う…とかそういう話だったりします。

一方で猫はどうなんだ、と言えば…これは人間が穀物を栽培し始めて、定住するようになった頃からの付き合いではないか、とされているんだそうで。定住して田畑作るようになると穀物を貯めておくことができるようになり、生活が安定してきます(そのため貧富の差が生じてうんぬん…てのもありますけども)。が、その貯めておく穀物てのは他の野生動物から見れば奪いやすいエサにすぎない。…特にネズミなんかがそういう「害獣」となってしまうわけで。そこで猫を飼ってネズミなんかの小動物退治に使おう…ということだったんではないか、と。
しかし猫は犬とは違って品種の幅があまり広げられなかったようで。犬は大きさ一つとっても相当な違いがありますが、猫は…あんまり差が出ない家畜なのではあります。

ちなみに「犬の日」は11/1で、これは「猫の日」と同時に作られたんだそうで…由来はもちろん「ワンワンワン」…別に1/11で11/11でも良かったんじゃ…とは思いますが。
なお「戌の日」となるとこれはまた別の日で。妊娠5ヶ月頃の「戌の日」に帯(岩田帯)を巻いたり安産を祈願する、というもので…犬が多産で安産なのにあやかる意味もあるんだそうではあります。
安産を祈る!2008年戌の日カレンダー(All About)

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01/03/2008

Uターン2008

と、言うことで(?)お正月も三が日ラストとなり…いわゆる「Uターンラッシュ」が始まっております。
Yahoo!国内トピックス:交通情報
…昔はそれこそ60キロの渋滞とかあったんですが、最近はそうでもなく。昨日ちょろっとテレビのニュース見た時には30キロくらいは予想されてましたが…実際はどうなんでしょう。コレ書いてる時点(大体16:00)でもすでにあちこちで渋滞が始まっているようですけども。
さらに空の便から鉄道、と。今日がピークで今週末ほどまでこの混雑は続く、とされています。

渋滞が短く、でも混雑の期間が伸びて「薄く長く」なったのは、一つには休暇のとり方が変わったことがあるんだそうです。
昔々…江戸期から明治期辺りだと商家への奉公、なんてのがありました。子供の時分から「丁稚(でっち)」という使い走りのような役割で働いていたわけです。大変に厳しいものだったようで、しかも住み込みは当たり前。実家に帰れるのは盆と正月のみ、それも最初の数年は里心がつくから、と帰してもらえなかった…という話もあります(これを題材にした落語もあります「薮入り」)。
で…時代が下がって大正・昭和。今度は地方から都会へ…という人の流れができていくようになります。地方から働きに出てきた人たちが帰れるのもやはり盆と正月。他の時期に休みがとりにくい時代なので(いや、今でもそうか…)この時期に休みが集中。みんな地方へ帰るので年末前に「帰省ラッシュ」が、年始後には戻ってくるので「Uターンラッシュ」が始まるようになりました。

ところが昨今はまた事情が違ってきてるようで。
休みを分散させるところが出てきて「じゃあ、正月は無理だけど四日には帰れるから」と、そういう人も増えてきてるわけで…そうなると苛酷だったラッシュも緩和されてくるわけです。
…また少し時間が経つとまた事情が変わってくるのかも知れません。が…実家に帰って皆に会う、という目的だけはなかなか変わらないもんなのかも知れません…。

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09/20/2007

ようやくと言うか

なんと言うか。宮内庁が明治天皇陵と神功皇后陵への立ち入り調査を許可する方向で検討中(iza!)。これまではまず認められることのなかった「陵墓への立ち入り調査」ですが。今年の1月に宮内庁が内規を改定、そういう申請があれば検討して許可することもある、というようになった…と。

例えば、有名なとこでは仁徳天皇陵という面積では世界でも最大規模の墳墓があります。が…これは「伝」仁徳天皇陵なわけで。ここにこういう方が埋葬されたらしい…という話が伝わってる状態なわけです。資料から見れば間違いないんだけど…実際に調査してみたらどうなんだろう? という疑念?があるにはあるような。…古墳のほとんどが(全部が全部じゃないんですが)発掘や調査されずに丁重に残されているのが現状でもあります。
実際に調査できたらどれだけの真実が出てくるのやら…。

しかし。モノは現在も存続してる皇室に深く関係してくるものではあります。そうむやみやたらと掘り返したりできるものではありません。不敬、とかそういうのの前に感情的にどうか、と。自分のご先祖様の墓を後から開ける、というのは…どういう気持ちなんだろうか…。天皇家というのはほぼ間違いなく直系の先祖が分かる家系ですんで、墓にはほぼ間違いなくその方が入っている、という可能性が非常に高いことになります。学術的にはもちろん貴重なんですが、感情的にはなんだか複雑なものがあります。なんだか見世物にされてるような。

…でも過去の正確な歴史を知りたい、という欲求はやはり誰にでもあるわけで…しかも今までまず許可されることのなかった調査が、限定的ではありますけどできるようになる、てのは期待も大きくふくらんでしまうのですが。…何せそういう調査ができなかったせいか、かなーり怪しい諸説が飛び交っているのもまた現状なわけです。そういうのを整理してみたいなあ…とか。
ただ、こういうのは即座に結果出るもんではありません。今回の調査にしても、もし許可が下りたとしても開始は来年以降。結果とかそういうのが出るのはさらにその後。そして研究の結果は…となると…数年で何か新発見があればそれはとても早いことになるんじゃないのか、と…。

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09/04/2007

ネコがいた

兵庫県姫路市の古墳時代の遺跡。そこから発掘された6世紀末~7世紀初頭の須恵器にネコのものらしい足跡が(iza!)…うつわの内側にそれっぽい足跡があった、とのことで。焼く前のやつにイタズラか何かで踏み込んでしまったんでしょうか…。
定説?では現在の日本の猫は8世紀頃渡来人が持ち込んだ、ということになってるそうで。それをも覆す珍しい発見になるかも、とのことではあります。
なお…須恵器(すえき)とはそれまでの土器である土師器(はじき)とは違い、青く締まった焼き物です。土師器は野焼きといって屋外の火の中で焼きますが、これだと温度が上がらず(500度~800度程度)強度に問題がありました。しかし須恵器は大陸から伝えられた技法によって窯を築いて焼くため温度が高く(1100度以上)、丈夫な焼き物となります。
須恵器:Google検索結果

一方でネコ、というと…今世界で「ネコ」といってる動物の起源は…リビアとかその辺でしたか。もちろん世界各地にはそれぞれの地独特の「ネコ」がいます。例えば日本ならイリオモテやツシマのヤマネコ。これらが↑のネコとどっか関係あるのか…というと…よく分からんような。まだまだはっきりとは解明されてない、と思います。イヌだって似たようなもんですが。はっきり「コレがイヌの原種だ!」てな動物はまだ確定されてなかったような(イヌの原種はいくつかある、てな説もありますが)。
結構身近な動物でも謎がたくさんあったりはするもんではあります。

須恵器は貴重な品だったのか有力者の墓に副葬品として一緒に葬られることが多かったそうですが…↑のネコの足跡付きの須恵器は「ネコ好きの権力者のために造ったんでは?」という声もあるんだそうで…。

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08/01/2007

二つほど 8/1

「生き物」で二つほど…。

一つ目。南硫黄島で新種の陸貝4種発見(Yahoo!:時事)。東京都が世界遺産入りを目指している小笠原諸島の一つになります。
進化の小宇宙:小笠原のカタマイマイ
元々固有種の多い小笠原諸島ではあります。植物にも動物にも和名のアタマに「オガサワラ」とつくものがどれだけいるのやら。
そもそもなんで「小笠原」か…というと小笠原なにがし、という人物が発見した…というあんまりアテにならない話もあるんだそうですが。それでも江戸期にはすでに知られていて「無人島(ブニントウ)」なんて名前で呼ばれていました。…林子平の「三国通覧図説」という本にこの島のことが載っているのですが。実は林子平よりずっと後にペリーが来航して所有権が問題になった時(その頃小笠原諸島にはイギリス人も在住)に、いや、外国にもその名が知られている…という証拠で出されたのがフランス語版・三国通覧図説だったとか。
実はペリーもその本のことを知っていて、交渉で揺さぶりをかけるために使ってみた…とかなんだか外交の難しさを今でも伝える話にもなってたりします。
今の小笠原はもちろんれっきとした日本領なんですが…↑固有種は忍び寄る外来種の影に少しずつ侵食されているのが実情ではあります。

二つ目。46年ぶりにコウノトリのヒナが巣立ち(Yahoo!:読売)…ついに、という観があります。
今後定着していくんだろーか…結局全滅てなことになったら…とか結構ネガティブなことまで考えてしまうのですが、それでも馴染んでいって欲しいなあ、と。単純にそう考えたいのが本音ではあります。…次はトキだ…てのは…さすがにまだ無理ですか、やっぱり。

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06/28/2007

二つほど 6/28

気になり続けてる?ことを二つほど…。

一つ目。石見銀山、世界遺産に「逆転」登録(Yahoo!:読売)…以前「銀の出る山(07/05/13)」のところでちょろっと書きました石見銀山。「登録延期」だったのが逆転、登録されることになりました。人の手による「産業」を柱とした「産業遺産」としては日本初になります。
…当初は難しいのかな、とは思ってたのですが。
↑記事中にはそこまで詳しいことは載ってませんが、色んなとこでの綱引きや駆け引きがあったんでは…と勘ぐってしまったりして。世界的に知られている…とかそういうことだけではありますまい、登録されるということは。「産業」というとどうしても各国とか団体とかの思惑も大きく絡んできてしまうのではないか…と。そこまでは考えすぎですか…。
それでも歴史好き・時代劇好きにとっては嬉しいもんではあります。これによって多くの人にその名が知られることになるのですし。

二つ目。奄美地方、梅雨明け→平成19年の梅雨入りと梅雨明け(速報値:気象庁)
沖縄に続いて奄美地方も梅雨明けとなりました。時期的には大体平年並みといったところのようなんですが…問題は降水量ですか。今年は太平洋高気圧がどうも弱いらしく、梅雨前線が思うように北上できない、という状況になってます。…そのせいで梅雨前線が南に停滞してしまうので南の地方は雨が降ってるのですが…。
北の方、つまり本州や中国四国は空梅雨状態になってます。この分だとやはり渇水が心配ではあります…。

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06/06/2007

やや不謹慎(自分が)

…最初聞いた時はシャレかジョークかと思ってたんですが。
アメリカのオハイオ州にオープンした「天地創造博物館」で聖書の観念を科学的?に証明(FNN HEADLINES)…と、そういう展示をしているとのことで。
…別にどういう宗教が悪いとか(そりゃ人に迷惑かけてるのはイカンですが…って、あれ?)そういうことは言いたくないのですが…でもそういう「真実」てのは人の数だけあるって言われりゃそれまでではあるのですが。
自分もキリスト教徒というわけでもないですし、近くにそういう人がいるわけでもないので…どうも見方が偏ってしまうのをご了承ください。…部外者が言うとやっぱり不謹慎になるもんではありますんで…。

宗教と科学というとどうしても「対立」が出てきてしまうものではあります。
今現在でも科学サイドでは「生命の起源」というものを探っております。これはまだまだ諸説あるものでどれが完全に「正しい」とは言えない状態。もしかしたら正解を探し出すことは限りなく不可能に近いのではないか…という見方もできてしまいます。
が、宗教…キリスト教ではこれに答えを出してます。「神が全てをお造りになった」と。
ではそれを万人が理解できるように説明してくれ…というのが科学サイドの意見なわけですが宗教側はそれをなし得てません。…「神」の定義そのものだって宗教宗派個人によってバラバラなのに万人が理解できるように、てのはかなり難しいような。そもそも宗教てのは救いを求める場であって真相究明をする場ではない、という見方だってできますし。
考え方の根本が全然違う「宗教」と「科学」なのでどうしても「対立」が起きてしまうわけです…。

で、↑こういう博物館というのは科学の領域だと思ってたんですが…そこへ宗教が乱入?してしまうとなると。これはなんだか一種のルール違反のような気がしてしまうわけです。これが「こういう考え方もあるんだよ」的な展示ならまだ理解できるんですが、「こっちが真実だ」的なもんだとすると…そこまで介入?してもいいもんなのかどうか、と。
しかも↑いくつかツッコめるところがあったりしますし(ただの誤植なのかも知れませんが)。そもそも恐竜の形だって調査方法だって科学の手法で得てきたものなんじゃないのかなあ、その辺も宗教の手法でどうにかした方がまだよかったんではないかな…とか無宗教の自分なんかは思ってしまうわけではあります。

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05/13/2007

銀の出る山

島根県の「石見銀山(いわみぎんざん)」の世界遺産登録に対して「記載延期」勧告(Yahoo!:毎日)…2001年には暫定リスト入りまでしていたのですが。理由は「世界歴史的にも価値があるって言うけど…物証は?」とのこと。つまりは証拠示せ、ということなんでしょうけど…。
島根県:石見銀山トップページ

金とともに世界中で愛好されてきている銀ではあるのですが。
日本だと佐渡の金山とともに有名なのが石見の銀山でした。実は日本は昔は鉱物資源の輸出国として有名だったのです…って、まあ、今でも出るとこでは出るんですけど量が少なすぎて意味がない、と言うか。どっかの本で「鉱物資源の見本市」てな言い方されてましたが…言いえて妙、と言えば妙ではあります。
その中でも銀は特に有名で。室町期から江戸期…鎖国してたって貿易はしてましたから…では諸外国にも多量に輸出してました。↑にもあるように世界の銀生産量の三分の一は日本産だった…なんて話もあります。そのため個人的には世界遺産登録はすんなり行くのかな、と思ってたんですが…さて?

ところで「石見銀山」と言えば時代劇好きには別の意味で有名ではあります。…いわゆる「毒薬」というやつで「ほら、石見銀山だ。こいつを使いな」とかワケ知りの渋い兄さんが殺し用に差し出してくる…なんてのはよくある場面ではあります。
…この場合の「石見銀山」とは何か、というと簡単に言えば「ヒ素」になります。…ヒ素、となると現代のミステリ物でも出てきそうな。現在は農薬に化合物が使われていて、事件にもなったりしますが…元々はネズミとり。戦後になってクマリン系の殺鼠剤が出てくるまではこれが主流だったそうです。
なお、前述の石見の銀山からこれが出たのではなく、近所の笹ヶ谷鉱山(現在は廃鉱)からヒ素(ヒ石)が出てこれをネコイラズとして売り出す際に知名度の高さを狙って「石見銀山の~」とやったんではないか、とのことではあります。

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03/29/2007

「いが」と「こうか」

三重県伊賀市の市長さんと滋賀県甲賀市の市長さんが手裏剣対決、負けたら勝った方の市をPR…というのが3/24に行われたのですが。結果は伊賀市長さんの勝ち。…ということで甲賀市役所に伊賀観光のポスターがお目見え(Yahoo!:京都新聞)。「ノルマ」ではあるのですけれど、甲賀市役所では今後も伊賀ポスターの掲載を続けていくとのことです。
なお、「伊賀」は「いが」と読みますが「甲賀」は正式?には「こうか」と読みます。地名では「甲賀市」は「こうかし」となります。…しかし忍者関係の時だけは「こうがにんじゃ」になるんだそうで。
伊賀上野観光協会
甲賀市観光ガイド

江戸期の講釈辺りが起源になるんでしょうか…伊賀vs甲賀の忍者対立。もっとも徳川方についた伊賀と豊臣方についた甲賀ではどうしてもそういう構図になってしまいそうではあります。格好のネタではありますし。…ただ、どうしても伊賀が善で甲賀が悪、といった風になるのも時代の流れと言うか勝ったのは徳川だから仕方ないと言うべきでしょうか…。
そもそも「にんじゃ」とは何だろうか、という疑問もあります。
元々は鎌倉時代とか室町時代とか。あるいはそれ以前から存在していた諜報活動を専門に行う人たち…といったところでしょうか。敵方の情報を探ったり様々にかく乱してみたり。暗殺などの「ウラ」で動いていた人たち、という印象があります。
実際のとこは…どうなんでしょうね、正確なことなど分かりはしないのですが。
ただ、江戸期以前の武士というのは普段は農耕作業やってていざという時に刀や槍持ってはせ参じる…という形が基本だったわけで。忍者と呼ばれた人たちもやってることはそういう「武士」と変わらない。フツーにそういう業務?をこなしていただけだ…ということなのかも知れません。海外物でよくあるようなスーパーマン的な役割では決してない存在。フツーに呼ばれてフツーに仕事してただけ、なのかも知れません。
それでも特殊な技能を持っていたことは間違いないわけで。例えば薬作ったりだとか罠仕掛けたりだとかはそこらの人が簡単にできるもんではありません。そういう特殊な技能を持った人たちの集団なわけですから色々と使われたんではないでしょうか…ホント、色々と。

現代でも宗家みたいなのが残ってるとか、秘伝の巻物もある…とかそういう話もありますが。…市長同士の手裏剣対決とか、そういう害のない方向で残っていく方がイイのかも知れません…色々と。

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03/16/2007

じしょの原稿

群馬の古書店で日本初の英和辞典の原稿が発見されました(Yahoo!:時事)。束ねた古紙として仕入れたもの中に混じっていた、とのことで…やはりこうやっていつのまにか散逸してしまうもんなのかも知れませんが…今回は良かったなあ、と。貴重な資料ではありますし。

発見されたのは「英和対訳袖珍辞書(えいわたいやくしゅうちんじしょ)」という文久二年(1862年)に堀達之助によって編纂された辞書の原稿です。…この辞書は元々「新ポケット英蘭辞典」(H.ピカード編)という英語→オランダ語辞典のオランダ語の部分を日本語訳していったものでした(原題からして"A New Pocket Dictionary of the English and Dutch Languages"、袖珍てのはポケットの意なんだとか)。
実際に膨大な量の単語を集めたりまとめたりする手間が省けて簡単そう?に見えますが、こういう編纂作業てのは一人では絶対に出来ませんし、時間と情熱が必要になります。ましてや日本初ですし。
ではそのオランダ語を日本語訳するのに使われた可能性のありそうな辞書は、と言うと…やはりハルマ和解でしょうか。江戸ハルマとも呼ばれるそれは寛政八年(1796年)に編纂作業を終了、コンパクトにまとめられた「訳鍵」まで発行されました。1857年にはその訳鍵の増補版「改正増補訳鍵」も発行されてます。
一方でズーフ・ハルマ、つまりオランダ商館長だったヘンドリック・ズーフが協力して完成させた蘭日辞書があります。こちらも「改正増補訳鍵」と同時期に「和蘭字彙」となって改訂版が出たりしてます。

…って、以前にも書きましたっけか、ハルマ関係。
その江戸もズーフもどちらもフランソワ・ハルマという人が編纂した蘭仏辞典の「仏」を「日」と入れ替えていく…という作業をやってます。その時も当然ながら何かの辞書が使われたはずでしょうし。日本で初めての本格的な蘭日辞典、となると両ハルマになりますが…断片的ならいくつかあったわけで。そういうのをも全部編纂し直さないといけないわけです。
なお。前野良沢と杉田玄白が中心となって訳していった、とされている「解体新書」。この当時はまだこういった本格的な辞書は日本には存在してませんでした(何せハルマ和解編纂の中心人物稲村三伯の師が大槻玄沢。この人は杉田玄白の「玄」と前野良沢の「沢」から名前をもらった二人共通の弟子。…実は三伯と年代はそれほど変わらないらしいのですが…)。

そう考えると辞書てのも…単純にスゴイなあ、とか思ってしまったり。英和だけじゃなくて国語辞典や漢和辞典でもやはりこういう歴史てのは存在してるんでしょうし…。

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01/19/2007

まんじ

ドイツの「鉤十字禁止」EU拡大にヒンズー教徒が反発(CNN)…ドイツでは学術的などの特に必要な場合を除いて「鉤十字(ハーケンクロイツ)」の公的な展示なんかはできないんだそうで。特に「右まんじ」はタブーとされていますが…。

まんじ、ハーケンクロイツ、スワスティカ…「卍」です。
右巻き、左巻きがあってそれぞれ意味が違います(一説には右巻きが「力」で左巻きが「愛」)。日本のお寺のマークとして使われるのは「左巻き」で、ナチスのそれは「右巻き」です。全部が全部そう、というわけではないそうなんですが。ナチスの方で左巻きてのもあるそうですし。
日本の場合ですと「まんじ」と入力して変換させると左巻きの方が出てきます。…右巻きの方は出てきません。記号として存在してるらしいんですが。
卍(Wikipedia)

知らない人から見ればよく分からん記号の一つ、ではあるのですが…ユダヤ人にとっては仇敵とも言える、かのアドルフ・ヒットラーがナチのシンボルとして使用したことから禁止や廃止を求めるようになっています。当時のナチ党というのは当然もう存在していませんが「ネオナチ」と呼ばれる過激な右翼組織は存在していて、今でもこの「鉤十字」を使っているそうです…。
一方で、この「まんじ」は仏教やヒンズー教では別の意味を持っていました。幸福のシンボルという意味合いが強いとのことで…実は日本でも家紋にまんじを使ってるケースがあります。津軽氏や吉田松陰、阿波蜂須賀家などがそうです。

と、いうわけでそもそもは悪いイメージではなかったんじゃ…と考えたくなりますが。
しかしユダヤ側から見れば…悪、というのは大きいわけで。でも単なる渦巻き紋みたいなもんだろ、とデザインだけ見ることもできるわけで。…こういうのは結果出しても結局どっちも納得しない、という方向へ行くのが常ではあるのですが(例えばここでドイツの主張を完全に採ったとして…ヒンズー教徒は簡単に納得できるのかどうか、と)…やっぱり水掛け論になってしまうような。そんな気がしてます。
…日本でも時折出てくるんですがね「まんじ」関連。某格闘技の紋章とか…。

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08/16/2006

…なんだろう…

まずはこちらを
福岡県宇美町の正楽遺跡から出土した土器片(Sankei Web)
時代は室町期辺りらしいのですが…たしかにカッパとか鬼とか…。
むしろパ○ットマペッ○を連想してしまいそうな。いや、ウシでもなさそうなんですが、なんとなく。

やっぱりカエルとかそういう系統なのかなあ、という気はするんですが…いや、あるいは動物とは全然関係ない「何か」の一部なのかも…とか。三本程度あった脚の一本ではないかとことですし。これを組み合わせたら全然別の「何か」が現れてくる、とか。残りの脚とか破片とかが見つかったら詳細に直結しそうではあるんですが、こういうのはなかなか見つからないでしょうし。
ただ、「遊び心」てのは意外と古くからあったんじゃないか、と個人的には思ってます。
土偶とか土器とか。全部が全部実用一点張りのがちがちのクソ真面目に作ってた…てのはどうなのかな、と。生活に余裕が出てくるとこういう「遊び心」が出てくるという説もあります。昔々の人類の祖先が壁画などを残していて呪術的な要素というのも言われているんですが…こういうのが残せるようになった、ということは大分余裕が出てきていたのでは…ということです。まあ、狩猟にせよ農耕にせよその他にせよ、それだけにかかりっきりではない時代になってきてたんではないか、と。
…こういうのは現代でも通用しそうではあるのですが。やはり余裕というのは必要ではあります。

さてこの土器。なんだか逆に「これだ!」とか断定されない方がいいんじゃないか、とか思ってきてます。こういう怪しい?土器てのは例えば「寅さん土偶」とか結構あるもんらしいのですが…謎のままであれこれ想像するのも楽しそうではあります。

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04/26/2006

一種のタイムカプセル

シーボルト、と言えば江戸期に日本を訪れ、いわゆる「シーボルト事件」の発端になったドイツ人としても知られていますが…その他色々なことに影響を及ぼしていった人物でもあります。例えば「鳴滝塾」という長崎の蘭方医・蘭学者養成塾?創成のきっかけになったり(もちろん塾長として赴任)。そして日本に西洋のことを伝える一方、西洋に日本のことを伝えた人物でもありました。
何せ日本の動植物ではかなりの数、この人が関わっています。
オランダ・ライデン自然史博物館の琵琶湖固有種の標本は淀川水系で採取か(Yahoo!:毎日)…アユモドキと言えばシーボルトが世界に紹介したことで知られている淡水魚ですが、これも淀川水系で採取したのではないか…とのこと。

当時、基本的に外国人(日本国内に入れるのはオランダ人と清国人)は長崎の外へ出ることはできませんでした。…特にオランダ人は。出島という扇型?の埋立地にのみ居住や行動が許されていました。実際は他国人でも(シーボルトはドイツ人)オランダ人のふりをして日本に入って来ることはできたそうですが。逆に出島に入れる日本人も制限されてました。が…こっちも通詞(通訳)の付き添いという名目で出島に出入りしてた日本人もいたそうですから、あいこ、と言えばあいこではあります。
しかし、そういうオランダ人のふりした他国人が唯一江戸にまで来れる機会があります。数年に一度商館長が「江戸参府」して将軍を訪ねることがあるのです。当然長崎から江戸までの大名行列が組まれることになります。瀬戸内海は海路で行くのですが、東海道はずっと陸路。…シーボルトもこれに同行していて、この間に色々調査してたのではないか、とされてるわけです。動植物の採取だけではなく富士山の高さを測量した、とかそういう話もあります。
こういう調査等はシーボルトに限ったことではなく、例えば浅間山の大噴火にちょうど居合わせたオランダ人が描いた噴火の絵?なんてのも残っているんだそうです。

江戸期の標本の数々…。
こういうのをきちんと調査できたら江戸期の日本の淡水魚の様子、だけではなくその他にも色んなことが分かるのですが…結構シーボルトの標本、てのは散逸してしまっているんだそうで。それらを集めて調査、となると…かなりの時間がかかりそうではあります。すぐに、というのは無理っぽい。言い方変えれば今まで知られていなかった標本、なんてのがどっかからひょっこり出てくる…なんて可能性もあるんですが…。
いや、標本ではないのですが…実はシーボルトが江戸へ来た時になんと江戸城の見取り図を手に入れていた、という話があったそうで。でも現物がないので本当かな?という状態だったそうです。しかし平成になってからそれが発見されてます。こういう話は他にもまだまだあるのかも知れない…。

なお、多数の逮捕者が出て自身も国外退去になってしまった「シーボルト事件」、その発端は大きな成果をあげることのできたこの「江戸参府」にあった、という…なんだか皮肉な結末になってます…。

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04/08/2006

事実はそれこそ闇の中

イスカリオテのユダ、と言えば「裏切り者」としてよく知られている人物。キリスト教徒でなくてもその名は宗教画にとどまらず劇、小説、映画、あるいはマンガやゲームでもやはり「裏切り者」となっている、という…皮肉?な知られ方をしています。
キリストの13番目の使徒、とされていて会計の任を担っていたが不正も多く、ついには金に目がくらんで当時キリストを狙っていたローマの官憲に所在を通告、キリストは磔の刑になってしまいます。ユダ本人は…そのことを悔いて自殺してしまったという…。
しかし。実はユダはキリストの忠実な弟子であり、ローマの官憲に引き渡したのもキリスト本人の意思で、ユダは裏切りなどしていないという説が浮上してきているとのことです(Yahoo!:読売)

研究が進められていたのは「ユダの福音書」です。「福音書」とはキリストの言行を弟子が記したもの、とされている書で、新約聖書に記載されてます。じゃあ、12使徒全員分が現存しているのか、というと…マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4使徒が載っているのみです。
私は別にキリスト教徒でもありませんし、神学を志していたわけでもないのですが。
聞きかじった知識によりますと、世界最古の書物とされている聖書、これは現在今まで全て全く同じ内容だったわけではなかった、という話があります。途中で何回も編集が入っているというわけです。何せ約2千年の長い歴史を持つ宗教ですから様々な説話や伝承が入り込んでくる。
そのうち内容があんまりよろしくない、とされたものは「外伝(げでん)」や「禁書」に指定?されて聖書には載らなくなります(未来永劫ではなくて復活した事例も…あったっけか?)。…ここに「ユダの福音書」も含まれているようです。なお、これが異端の禁書に「指定」されたのは2世紀くらいとされています。ちなみに…例の「666の獣」とか「ハルマゲドン」とか記載されている、とされている「ヨハネの黙示録」ですけど、そもそもはこれも「外伝」なんだとかそういう話もあります。

でも、「ユダは裏切り者ではない」という記載があったとしてもそれが本当かは、もう、誰にも分からないわけで。
イメージとして定着しきってますし。ユダ=裏切り者と。ハイエナ=腐肉あさりの卑しいヤツ、と同じようなもので。実際は集団できちんと?狩りや獲物の強奪をしているのに姿形から「おこぼれを狙ってる」と長い間勘違いされてた、という…ハイエナ。
こういうのの事実なんか判明するわきゃないんですが…でも、様々な角度からの検証や色々な証拠からの解説。そういうので既知の概念を打ち払う、てのは期待させてくれるような、どこかワクワクドキドキさせてくれるもんがあるんですが…。

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02/08/2006

カイロが出土

実は意外と歴史のある「カイロ(懐炉)」、このほど京都で平安-江戸期のごみ捨て穴と思われる場所から大量に出土しました(Yahoo!:京都新聞)。…とは言っても見た目は普通の「石」です(石釜の再利用なんだとか)。これを温めて布などに包んで暖を取ったことから「温石(おんじゃく)」と呼ばれていたそうです。
懐炉(Wikipedia)

現在ですと、いわゆる「使いきり」「使い捨て」カイロという、紙のような布のような袋に何かザラザラしたものが入ったものを持ち歩きますが…これは鉄粉が酸化する時に発熱することを利用したものです(そもそもは脱酸素剤の類を開発していた時に考案された、てな話をどっかで聞いたような…)。
↑コレの発売は1978年。それ以前は…と言うと木の灰などを利用した「灰式カイロ」やプラチナの触媒反応を利用した「白金カイロ」などがありました、いや、今でもあります。…両方とも会社名や商品名になってます。貼るタイプのカイロですが「植物名+灰」という社名でのCMもありますし、「ハクキンカイロ」は今でも「白金カイロ」を販売しています。
…昔々、子供の頃ワカザギ釣りに行く時に使ってたのがこの「ハクキンカイロ」だったんですが…かなーり熱かった記憶があります。熱量は結構あるもんなんだそうで、たしかに使い捨てカイロとは比べ物にならなかったような。
でも使い捨ての方が手軽ですし。場面場面で使い分けるといいものなのかも知れません。

さて、京都で見つかったこの「温石」、原理的には今では「湯たんぽ」として使われているものと同じです。最近は見かけないものなのか(それ以前に使ったことないんですが…)、と思っていたら…実は湯たんぽてのは密かに人気が出てきてるんだそうで。昔ながらに湯を入れるものだけではなく、中身がゲル状になってて電子レンジで温めてから使うものなんかもあるそうで…暖を取るて目的は変わらんのですけど、手段てのはどんどん新しいものが出てくるもんではあります。

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01/09/2006

いわゆる「不敬」?

モーツァルト(1756-1791)と言えば誰でも知っている有名な作曲家。直接結びつかなくても「ああ、なるほど」といつかどこかで聴いたことのある曲ばかりです。
そのモーツァルトの遺骨とされている頭蓋骨を鑑定、結果は「立証できず」(Yahoo!:JIJI)
写真(Yahoo!:JIJI ドクロそのものなんで、耐性のない方は見ない方がいいかと)

…どういう経緯でそういうものが存在するのか、ちょっと分かりませんが(なんだか死後に掘り起こした…てな話をどっかで聞いたような気はするのですが)、生誕250年にあたる今年、200年もの間真贋が争われてきた論争に終止符を…!! てなとこだったようですが、いわゆる「歴史の闇」に沈むことになってしまったようです。
たしかに昨今の鑑定技術てのはモノスゴイ勢いで発展してきてるものではあります。
同じ音楽家ですとベートーベンの頭髪。現存しているもので、「本物」とされているものがあるのですが…それから「当時のワインに含まれていた毒物」中毒で亡くなったのではないか、と鑑定されたり。実はあのアインシュタインの脳も部分部分があちこちで保管されている、という話もあったりします。…あんまり気持ちのいい話ではありませんが。

一方で…なんでしょ、こういうのは国民性の違い…とでも言うのでしょうか。
例えば日本で「奥州藤原三代のミイラを掘り起こして実際に検証!」てな番組が果たして放送されるんだろうか、そもそも製作できるんだろうか、とか。仮に放送できたとして…受け入れられるんだろうか、とか。
なんだか一種のタブーに触れてしまっているような、とてもいけないことをしているような…生理的に受け付けないことをしているような、そんな気分になってしまうのです。死者に対する礼儀…とか。そういう面で欧州と日本、やはり違いが出てくるのかも知れません。

でもでも一方では…その骨が果たして本物なのか知りたい、という思いもあったりして。日本でも遺跡発掘しないと過去のことは分かりません。でも遺跡ってのにはもちろん墓も入ってるわけで…。

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11/25/2005

とみくじ

江戸期は富くじでしたが、今は宝くじ。今日、11/25は年末ジャンボ宝くじの発売日です。→宝くじネット・ドットコム
こういうのは一種の縁起物でもあるわけですが。しかし、一等前後賞合わせて三億円…。一枚だけ買って一等当選…というパターンはあんまりなく、最低でもン十枚単位で連番とか、それくらい買って当てに行く、と言う話をどっかで聞いたことがあります。とすると…前後賞も含めて当選、という形は結構あるのかも知れません。

江戸の富くじは例えばどっかのお寺がやる、どっかの藩がやる…というもので、幕府が率先して全国規模でやってた、とかそういうもんではありません(当たり前か)。富くじにしろ宝くじにしろ、基本的に主催者が儲かるようにできてますんで、そこそこ名の通った団体ならみんなやろうとします。今は法律か何かあったと思いますが…江戸期はどうだったんだろ。藩内でしか通用しない富くじとかそういうのはあったと思いますけど…。
今でも自治体が中心になってやってますんで、その辺の事情は違いがないのかも知れません。

しかし、富くじの場合はまさに「バクチ」で、今の宝くじが一枚100円とかそんなもんで気軽に買えますけど…富くじ一枚で一分(いちぶ)とかそれくらいはしたそうで。えーと、現代で言うと…いくらぐらいだろ、当時の職人さんの手間賃が月に一分ほどだったって話があります。だから…万単位の金額…いや…十数万とかそれっくらいはしてしまう…と考えることもできます。金持ちならともかく庶民にとっては正に「夢を買う」わけで。当たりゃ大きいですけど外れたら…。
なお、当時も一等からそれ以下、当選金額は色々あったようです。

今日の宝くじの発売日に並んで買う…というのも一種の縁起かつぎなんでしょうけど、江戸の場合だと当たった家のしゃもじを借りてくると当たるようになる、とか。そういうのもあったようで。この辺のところも現代とさほど変わってないようです。
しかし。現代になるとこんな???な話もあります。…去年の宝くじ換金忘れ合計22億5000万円(Yahoo!:Kyodo)…これは去年の年末ジャンボの話。てことは…他の宝くじも合わせたらとんでもない金額になりそうな。去年の年末ジャンボの換金期限は来年の1月4日。心当たりのある方はぜひ確認を…。

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11/22/2005

「女性」と「女系」 #2

皇位継承権問題で「長子優先」を全会一致で確認(Yahoo!:毎日)…まだやってます、この「問題」…よく考えてみりゃ、たしかにすぱっと答えが出てくるものでもないんですが…やっぱり時間、かかっちまうもんなんですねえ…。

「長子」ということは、男女の区別なく今上天皇に最も近い子孫が皇位を継承できることになります。
ただ、この確認はあくまでも小泉首相の私的諮問機関である「皇室典範に関する有識者会議」での確認、ということで法的(意味合いがちょっと違うかも)な拘束力はありません。順調に行けばこの会議の結果をもって、次の通常国会で審議・採択という流れになります。…それまではまだ時間があります。
当然のことながら↑こういう結末に反対が出ることは予想されるわけで。例えば寛仁親王殿下のエッセーでの「やはり男系重視の方が…」発言とか。実際にその文章を読んだわけではないので、どうこうとは言えませんが、身内からしてみりゃ、やはりやりきれない部分もあるんではないかと。こういうことに関してもっと皇族の方々からも意見を「確認」してみてもいいんではないか…と個人的には思うんですが。でも…難しいでしょうねえ、戦後からこっち、こういう意見を公的には(私的にも?)述べるのもなんだか禁止されてるような状況ですし。
少し前の皇太子殿下の「雅子に対する~」発言でも相当あちこちから色んな声があがってましたし…そうなってくるとどこら辺が「開かれた皇室」なんだかなあ…とか思ってしまったりして。

まあ、そういうどうにも「お飾り」的な要素があるのは、ある意味、仕方ないかな…という観もあるわけですが。逆に…べらべら自分の主張をしゃべり倒す皇族の方々てのも…やはり想像しにくいわけで。そういうとこ、やはりイメージの問題でもあるような。

さて…一応の一区切りとなりそうな今回の「確認」ですが。これからどういう方向へ行くのか…気になるところではあります。

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10/27/2005

「女性」と「女系」

小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が「女性・女系天皇を認める」方向で一致(Yahoo!:YOMIURI)。ずいぶんと長いこと議論してて結局その結末かい、とちょっとやさぐれてみたりして。…いや、天皇は必ず男でないといけない…なんてことはないんですが。ただ、なんだかずいぶん長いこと引っ張ってきた観が強いもので。まあ…簡単に結論が出る問題ではなく。今の皇太子殿下はまだお元気ですし(…当たり前だ)、愛子さまも問題なし、となると…やっぱり時間のかかることになりそうな。今すぐ次の天皇を…というわけではありませんし。

いわゆる「二元支配」という体制でした、昔の日本。
天皇家の祖先については神話の世界になってしまうほど古い家系、ということは分かっていても、そもそもは…となるとよく分からない。…この辺、民族だの思想だの色んな要素が複雑に絡み合ってますんで…うやむやの方がいいかも知れないんですが。
ともあれ、天皇家+どこかの家、という形はすでに貴族社会が繁栄し始めた頃からあったわけで。その後の武家社会においても同様。江戸期になって安定してきても「天皇は京都、将軍は江戸」ときっちり分かれてました。…建前は天皇家の治める国家、しかし実は徳川将軍家が実権を握っている…という形だったわけです。外国からは結構奇妙に見えたようで。開国を迫る国にとってはどっちと協議したらいいのか分からない。
これが崩壊?したのが明治以降。天皇をもって日本の元首とする…という方向へ。この時「二元支配」はなくなり、後の民主主義国家への変遷、そして終戦後「象徴」として権力のない存在となって現代に続いています。

しかし、権力がないったって影響はばりばりにあるわけで。特に戦後、無数にあった「宮家(天皇の血族)」を解体していくつかが民間人?となりました。それにしたって一般庶民のように路頭に迷ったわけではなくそれなりの地位になりました。なお…宮家と、江戸から明治に変わった時の「華族」は違います。こちらは公家がなったもの。つまりは天皇家の家臣がなったもの。将軍家の家臣などの武士は「士族」となりましたが…こちらの多くが没落してしてったのに比べると…いや、華族もそれなりに大変だったんでしょうけど…。
ちなみに天皇家から民間に嫁いだ先は「島津」と今度は「黒田」。…いやまさか関係ねーとは思うんですが、ね…。

さて…宮家も整理されて数が減って、正式な跡継ぎは今上天皇陛下と正妃である皇后陛下の御子のみ…となってくると今度は大きな問題が。
子供が生まれなかったら…どうしよう。
それまでは側室もありましたし、宮家もたくさんあったんで、正統に生まれなくても二番目、三番目が控えてました(この辺は江戸期の武士も同じ)が…側室もなく宮家も減って。しかも…昭和天皇~今上天皇~皇太子…と「男の子」が生まれていない。皇太子が即位されたとして、次はほぼ間違いなく愛子さま。で、その次は…? となってしまったわけです。
別に今まで男尊女卑だとか、そーいう理由で「女性天皇」を認めてなかったわけではないのです。「女性天皇」は問題ない(過去にもたくさん例がありましたし)のですが「女系天皇」を認めるかどうか…が大きな問題になってました。「女系」とは女性の子供の意。女性天皇の子供が天皇になる…というケースは今までなかったんです。皇室典範でも「男系の男子を天皇とする」になってますし。

今回の結論はこの「女系」を認めた…というところに大きな進歩があります。生物学的・遺伝的に見れば男系だの女系だの、てのはおかしな話なんですが。しかし…色んな要素が歴史的にもこんがらがってしまってきてる天皇家。一応の結論は出ましたが…例えば女性天皇と結婚した男性の扱いであるとか、そういう面での問題は山積み。やっぱりまだまだ時間がかかりそうです…

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10/16/2005

ビールの復元と…

キリンビールが江戸から明治にかけて製造された三つの「日本最初のビール」を復刻(Yahoo!:毎日)
文化年間のオランダ商館長ヘンドリック・デゥーフ(ズーフ)の文字通り「日本最初のビール」、嘉永年間の蘭学者川本幸民の「日本人が初めてつくったビール」、明治のアメリカ人ウィリアム・コープランドが「日本で初めて量産したビール」…商品化も検討中とのことで。一度飲んでみたいものではあります。

…この中で、気になったのが「ヘンドリック・デゥーフ」、誰だったっけかなあ…とか思ったらあの「ズーフ・ハルマ」のデゥーフ。
この方は日本に11年間滞在してました。…もちろん当時の日本は鎖国してましたから、観光なんぞではなく。1799年から長崎は出島のオランダ商館長だったんですが…在任中にナポレオンが彼の本国オランダを占領。なんと地球上でオランダ領は出島だけ…という目にあってしまいました。
「出島」は今では埋め立てられて島ではなくなってますが、その場所に「ココからコノ大きさで」なんて観光案内版みたいなのがあります。狭いです。よくこんなとこで我慢できたよなあ…というくらい狭いです。

だから、本国で飲んでいたビールを再現してみたんではないか、と。
そしてこの人は蘭日辞典も作ってます。それが「ズーフ・ハルマ」で「ズーフ」は彼の名前。「ハルマ」は「フランソワ・ハルマ」というフランス人のことで、この人は「蘭仏辞典」を作った人。…実は「蘭日辞典」を作る際、あっちこっちから採取してきた無数の単語をいちいち並べ直して訳をつけて編集して…とやると非常に手間がかかる。そこでこの「蘭仏辞典」のフランス語を無視して(どうせ読めないし)オランダ語だけを別に写していって、そこへ日本語訳をつけていけば手間がはぶける、という方法がとられました。なんせ辞典ですから整然と単語が並んでます。集めた単語を整理しなくていい。それで名前が「ズーフ・ハルマ」になったわけで。
実はこの作業、稲村三伯(海上随鴎)を筆頭とする当時の蘭学者たちがすでにやってました(1796)。それが「波留間和解」で、こちらは江戸で作業してたので「江戸波留間」と呼ばれたりしてました。対してデゥーフの方は「長崎ハルマ」と。

…もちろん他にも色々やってたんではないかと思いますが。ビールや辞典だけではなくて。絶望の極致だったんだろうなあ…故国がないんですから。
その後ナポレオン失脚によってオランダも解放、ようやく憧れの故郷へ帰ることができたのですが…出島に出入り可能な長崎遊女との間に息子をつくっていました。もちろん母子をオランダに連れていくわけにはいかず、長崎に残りました。名前は丈吉で、後に苗字が許されて道富丈吉。

…なんだかなあ、江戸時代の話になると、どうも長くなっちまう…いや、ビールの方は販売されるようなら、ぜひとも飲んでみたいんですけど。

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07/21/2005

今日は夏の土用の丑の日

というわけで…いや、どんなわけだのウナギ( Anguilla japonica )の話です。
日本で蒲焼きになるウナギのほとんどは養殖物ではあるのですが。養殖、と言っても種親を用意して卵を産ませてそこから殖やす…という「完全養殖」ではありません。2003年に三重県の水産総合研究センター養殖研究所で成功はしているんですが、商業ベースに乗せるまでにはまだ、至ってません。…ということで河口でウナギの幼魚・シラスウナギを捕まえてきて育てて売ることになります。
そのシラスウナギの値段が高騰、過去最高に?(Yahoo!:Kyodo)…まだ「過去最高」ではないようなのですが。このままいくと…ということのようで。今年の夏の土用の丑の日は7/28ですが…その頃がやはりピークとなるようです。

ちなみに…「土用の丑の日」とは「季節の終わり18日間にある丑の日」という意味。
五行思想の流れを汲んで、春=木、夏=火、秋=金、冬=水、と季節に四つを当てはめ、残った土を季節の終わり18日間に当てはめてます。つまり「土用」とは一年に四回あることになり、「立秋(秋の始まり)」の前18日間が「夏の土用」となるわけです。「立秋」は毎年変わりますが、今年は8/7。…すでに「夏の土用」に入ってることになり、十二支で「丑」にあたるのが7/28、というわけです。だから今日7/21は「夏の土用の午」。
なお、土用は18日間ですから十二支が一巡してしまう場合があります。そうなると「土用の丑」が二回ある…なんてこともあります(二の丑)。

…今年はシラスウナギが不漁なわけであれだけ値段が上がってるわけですが。念のために申し添えますと…シラスウナギをどっか河口とか海とかで見つけて(相手は数センチ単位ですが)、無許可で獲るのは法律違反になります。たしか罰則もあったような。漁業権とかそういうのが色々と絡んでいるものなので…もし見つけても勝手に獲ってはいけません…ということで。

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06/19/2005

今日は「父の日」

6月の第三日曜日がそれです。…やっぱり影が薄いようですが(Yahoo!:JIJI)。まあ、食いもん関係の祝日の方が思い出として残りやすいから…てのもあると思うんですが。正月におせち食って、節分で豆食って。土用の丑でウナギ食って。しかも接する時間が少ない場合が多いんで、父親の方がどうやったって贈り物はもらえそうもない…とか。まあ、色々細かい事情はあると思うんですが。

由来なんかはあっちゃこっちゃで出てますが…代表的なところでWikipediaの父の日の項目を紹介させて頂きます。
…面白いのは、両方とも発祥はアメリカなんですが…母の日の方が先に祝日として1914年に認定。父の日正式認定はなんと1972年。…日本でもすでに知られていた頃ではあります。
贈る花も、いくつか。母の日は赤いカーネーションとなってますけど…父の日は何なんだか。
調べてみると色々あります。一般的なのは「バラ」のようです。↑のWikipediaの記事にあるように由来となったドット夫人が「白い」バラを父の墓前に捧げたから「バラ」。そのため亡くなった父には「白い」バラ、元気に生存してる父には「赤い」バラ、という話もあります。…じゃあ、「黄色」は?
日本ファザーズ・デイ委員会が「素敵な父に感謝の意を」という趣旨から日本メンズファッション協会とともにベストファーザーの選出・表彰をやってます(今年は…)。その賞が「イエローリボン賞」。そんなところからも「黄色い」バラもどうぞ…ということになったようです。
実はタンポポだ(黄色繋がりではなくアメリカのイベントで参加者が胸につけて…とのこと)、という話もあるんですが…さて。

実際どっか影薄い父の日。まあ、それで母優位だの女性が強いなど言われても…とか思うんですが。ただ浸透しきってないだけで…しかもそーいう「記念日」てのは男女や人間に関係なくいっぱいあるんですが…。

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06/06/2005

古名「黒瀬川」

同じ名前の川もありますが、こちらは「黒潮」のお話。
昨年夏から始まっている「黒潮大蛇行」はまだまだ続く見通し(Yahoo!:YOL)本州南方海域の黒潮の流れについて(第四報:気象庁)
黒潮とは南の方から日本列島に沿って北東へ進み、だいたい銚子沖くらいで大きく東へ進んで日本から離れてしまう海流のことです。「黒」潮の理由は、黒潮は普通の海水に比べて不純物が少なく透明度が高いので周囲より色が暗く見える…という説もあります。
なお、逆に北から南下してくる海流は「親潮」と言います。

さらになんで古名が「黒瀬川」かと言うとこれが本当の川のように流れが速いから。しかも基本的に日本列島の沿岸に沿って流れてますんで、昔から海運事業などに利用されてきました。江戸時代以前の船、てのは結構大きかったんですが…徳川家康が江戸湾から船で攻め込まれるのを恐れて船に規制をかけた(帆柱一本で積める石数も指定)もんで、あんまり大きくなく、しかも海岸線に沿って航行する船が江戸時代では主流でした。
そういう船ですが黒瀬川にうまく乗れば江戸に早く着ける。
しかし…今回のように東海沖あたりで沿岸を大きく離れてしまう「大蛇行」が始まってしまうと…当時は羅針盤だの何だのてのはありませんでしたし…漂流して遭難してしまいます。
土佐の漁師だった中浜の万次郎(ジョン万次郎)が遭難したのもこの黒潮の大蛇行で流されたのではないか…とされているとか。現代ではこういう漂流遭難てのはめったにありませんが、この頃は命がけの航海でした…。

一方で高知ではカツオが不漁。同じ黒潮の恩恵を受ける和歌山もヤバそうなんですが…どうなんだろう。
明確な理由もまだまだ分かっていない黒潮大蛇行。早いとこおさまってくれるといいんですが。

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05/08/2005

天皇の名前

昭和10~30年代に一部の天皇陵の指定の見直しを検討?(Yahoo!:YOL)…今でも天皇陵=天皇家のお墓には入れないわけですが…当時はもっとそういう規制(ちょっと意味が違うか…)がきつかったわけで。それでも見直しが検討されてた、となると…かなり切羽詰った?状況だったんでしょうか…。
天皇の一覧(Wikipedia)

今現在の天皇陛下は百二十何代目、となってますけど…実は正確に何代目、なんてのは分かってません。どこの国でも似たようなもんですが。近代になってからや古代中国のようにマメに記録してた、なら話は別ですが…特に長い期間続いている系譜には諸説が出てくるものではあります。
天皇家にしても初代の神武天皇は神話扱いされてますし…その後何代かは架空となってます。
そもそも今、学校の歴史の授業で習ってる「○○天皇」の○○は後で勝手につけられたものだ(下手すると蘇我馬子とかその辺りまで)…という話もあったりして。極端に言えば証拠はいくらあっても全部状況証拠、実際にその名で呼んでたっつー物的証拠はないやんけ、と。つまりはもう、誰にも分からない…。あんまりにも年月が経ちすぎて。

…つってほたくっとくわけにもいかないので戦前から…いや江戸時代頃からでも天皇に関する研究てのは続いてきてます。しかし天皇陵の発掘や調査は原則不可(原則じゃないか)、文献あさって状況証拠でもいいから証拠見つけるしかない。しかしンな昔のこと、どうしてもあやふやに…で、やはり天皇陵に関しても見直し、となってくるようです。
現代では…見直しはやらんかな。宮内庁はやらない方針のようですが。たしかに特に必要ないかも…いや、発掘などができるようになるとスゴイとは思うんですが。
しかし研究目的でもやたらに立ち入り許可すると貴重な史料がダメになるんではないか、とかそういう声も。だったら今のように原則でも何でも立ち入り禁止にしとけばずうっと守られる…。

なんか、本末転倒な気もしますが。そういうもんかも知れません。

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03/22/2005

蝦夷、えみし、えびす、えど

古代に蝦夷(えみし)と呼ばれた東北地方の古代人の血脈解明へ(Yahoo!:Kyodo)…4月から本格的な人骨調査開始、ということですが。結構昔から関係はささやかれていたようですが、本格的な関係の調査、というのはこれが初めてということのようです。

人間(ヒト:Homo Sapiens)というと分類上には単一の「種」になりますが、その差異は様々にあります。その中の「日本人」というひとくくりにしたって多種多様。いくつかの起源が唱えられてますけど、実際には確実に確定できないのが現状で。…そもそも「日本人の起源はどこどこの何々だ!」っつーのもナンセンスなような気もしますが。相当に長い年月他から隔離されてきてたわけでもなく、色々とあちこちからの「血」が混じってくのはある意味当然なわけで。

…でもまあ、何につけても分類したがるってぇ気持ちはなんとなく分かるもんです。大体なんとなく大ざっぱに大まかに日本人の源を分けていくと「北」「東」「西」「南」とこんな感じでしょうか(オイ。
その「北」はいわゆるアイヌ民族が主になっているとされていますが、「北」と「東」の主になっているのがいわゆる「えみし」というやつです。ヤマトタケル絡みでも名が出てきますが、「西」から来たとされている新興勢力に抵抗した「東」の有力勢力という見方もあったりして。その辺はそれこそ確定情報も何もないんで様々な説があります。
その中には名前にその名残がある、というのもあります。タイトルの「蝦夷、えみし、えびす、えど」は全部同じ言葉から出てきたものだ、というものがそうです。…細かいところ言えばこれも異説異論があるもので(えびすは中国の東夷由来、とか)本当かどうかはそれこそ分かりませんが。

でもこういうのは昔々の話だから…という声もありますが…なんとなく、ですけどこういう「どっか違うような」くらいの差は今でもあると思ってます。私は「東」→「西」→「東」というように日本の中を移動してきたのですが…なんか顔立ちが違うよなあ、とか雰囲気も違うよなあ、とかそう思うことはよくあります(気質の差ではなくて…見た目の印象の違い、というやつです)。
実は…そういう私の大元は「南」。両親の出身県を言うと「ああ、たしかにそういう顔立ちだよねえ」と納得されます。「西」にいた時はそうでもなかったんですが、「東」に来ると自分でも何か納得してしまったりして。こういう違いてのはどうやっても残っていくもんなような。で…コトは日本だけでもないような。他の国でもこういうのはあるんじゃないのかなあ、と。

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06/12/2004

のろいの人形

…かも知れないモノが京都で発見されました(Yahoo!)。…正確には人形(ひとがた)ですが。
京都市右京区西院西溝崎町の平安京跡から木製(杉)の男女?二体の人形。どちらもこの時代にしては珍しい立体的な造形で、当時のことを知るよい資料…となるのは、まあ、現代からすれば当然ですが…両腕、とされている部位がはずれていて、近くで見つかったそれを修復してみると後ろ手に縛ったようにも見える…。
男?とされる大きい方は20センチほどで、女?とされる小さい方は15センチほど。名前と見られる文字もそれぞれ本体から見つかった…とのこと。
発見されたのは前述の地域の「井戸」の中から。…井戸ってのは生活に密着してたせいか、結構ヤバめなお話が多いもんなんですが。そういう印象のせいでもないのでしょうけど、今回の人形は「男女の仲を裂くための呪いの人形」だったのではないか、と。

人名漢字に「呪」が入る、かも、知れない(Yahoo!)昨今なわけですが。それにしても本来はどういう人形だったのか。本当にそういう呪い的な目的で使われたのか。あるいは別の…? 最低限なんらかの人の手が加わってるのは間違いないわけで、そう考えると今も昔も変わってないような。何らかに願いを託すのは現代でもよく見られる情景ではあります。
それなら…むしろ呪ったり呪われたりってのは当たり前の姿? なんて突拍子もないことも考えてみたり。…いや、でも…呪われるのはイヤかなあ…と。「呪」と「祝」は共に神に祈る人を表していて、実は同じ語源だ…なんて説もあるそうですが。

この人形、京都で展示されるそうです(6/11~6/27)(財団法人京都市埋蔵文化財研究所)

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