03/08/2021
向き不向きがある
こういう「ブロック」もいつかは破られるもんではあるのですが。
ツイッター創設者の「最初のツイート」競売に2億円を超える入札(Yahoo!:AFP=JIJI)。創始者、と言ってもただのツイートなわけですからいずれはネットの海に埋もれてしまってしかも誰がツイートしたかも分からんようなものになるんでは・・・と思いがちですが。
この「ブロックチェーン技術」というのはそういう安易?なものではなく。複製などを限りなく防御できるクラウド・・・のようなものなんだそうであります。ここに保存してしまえば他からは手出しできなくなる・・・と。
そこへツイッター創業者のツイートも、そしてそれへの「価値」は2億円以上、という記事なわけでありますが。・・・しかしそれもいつかは破られるもんではないのかな・・・とか。とかく「確実に守れます」という文言がここまでアテにならない世界もないもんであります。
コトは結構単純であります。・・・誰でも見ることができて、誰にも複製されない技術が欲しい。
実は人類はすでにこの技術を獲得しています。個人の「筆跡」「筆致」「描き方」「作成方法」などなどの確立。いわば個人の「クセ」を鑑定することによってその人が描いたり書いたりしたモノだ・・・という技術。これは骨董業界だけではなく、個人の「自分の創作」を表せる場ならどこでも適応される方式、だったのですが。
PC等によるデジタル技術の躍進により、敷居が大きく下がった(シロウトでも発表の場がずずんと増えた)代わりにコピーが粗製濫造されるようになりました。これはすでに国際的にも色々な場で議論が重ねれらて規制へ進みつつあります。
が・・・そこへ一石「ブロックチェーン」ですか・・・。
いずれはこれも破られてさいまうのだろうなあ、と。・・・いや、デジタル関連の方向性とは全く合わんわけで。唯一無二の創作物を残そう、と思ったらそっちではなく手書きのアナログで残すしかない、と個人的には思ってます。向き不向き・・・というコトバだけでは片付けられませんが、デジタルにはデジタルの、アナログにはアナログの主戦場があるわけで。
・・・君はここじゃないだろ、と。それぞれに合った方式を選んでいくのが最適解なんではないか・・・と。
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09/20/2020
ただのご都合主義?
注力しているようにはあんまし見えないのですが・・・。
テレイ各局がアニメに注力する理由・・・広告収入など激減、原作の取り合いも(Yahoo!:スポニチアネックス)。どうにも最近の大ヒット作が出て・・・テレビ放送だけではなく様々な分野でも注目されて・・・じゃあウチでも・・・とかそういう話になってきてるのかも知れんのですが。
ついでに10月からは相当量の新規アニメが放送開始される予定ですが・・・。
コロナ禍で製作現場(密になることが多い上に必ず声を出さないといけない収録現場など)が疎遠になって製作そのものがストップした作品が多く、今期はその「振り替え」が多く・・・その反動で10月から一気に作品が増えた、そんな観もあります。
アニメもドラマも作品であって、金儲けの道具ではない、という見方もできるのですが。
しかし実際に「収益」が出ないと意味がないわけで。クリエイターの発表の場、でもありますがそれだけではないわけであります。何らかの「収益」が出ないと皆が生きていけなくなります。が・・・そればっかのこだわってもそれはそれで味気なく、意味のないものであります。
ただ・・・各業界にはそれぞれの事情があり、そっちの方が儲かるのなら今度はそっちに乗り換えて、いやそうでもないならじゃあこっち・・・と軽薄に乗り換えていくのはやはりそれはそれで意味がなくなってしまうものであります。
昨今の状況では「即戦力」を求める傾向があります。・・・来たその瞬間から「使える」人材や素材。・・・そんなもん都合よくほいほい現れるわけないので、ある意味憧れをもって皆が求めるようになった、という見方もできるのですが・・・困ったことに必要以上にソレを求める現場が多いのも事実であります。
アニメも「今引っ張ってくれば儲かるだろう」という即戦力とされている・・・のかも知れませんが。そういう「ご都合主義」を続けた結果がただただ刈り取るだけで育てない、今後のことは何も考えなく、次はどれを食い荒らせばいいのか・・・と刹那的にコンテンツを潰していくだけの風潮を生んでいるわけであります。
注力、というより注目してるだけ・・・なのかも、と。どうせ例のアレのブームが一段落したらまた「たかがアニメ程度」となっちまうんだろうなあ・・・と。少しずつ向上しているとは言え、やはりまだまだ地位としては低い、使い捨てされる側なんだろうなあ・・・と。
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07/17/2020
落書きは落書きであって
犯罪になるケースが多々。
覆面作家バンクシーがロンドン地下鉄で作品を披露(Yahoo!:REUTERS)。当たり前ですがロンドン地下鉄は車内清掃の時に「作品」を清掃してしまった、とのことであります。動画みる限りでは油性のしつこい塗料だったのかどうかは分からんのですが・・・そうでなかったことを祈ります、と言うかあえてそういう塗料にして消えていくようにしていた、のかも知れませんが。
バンクシー、と言えば正体を明かさず社会風刺の強い「作品」を路上などに残すことで知られています。今やその「作品」はかなりの高額で取り引きされることも。・・・ということはどっかに画商的な存在がいる、ということになるのでしょうけど・・・?
某オークションで落札と同時に額縁がシュレッダーと化して絵を切り刻んでいく・・・という「作品」もあったりしましたが。
その作風がどう、「美」としてはどうなんだろう、というのは非常に好みの分かれるところではあります。個人的にはそこまで好きではない、というところなのですが、いかんせんその手法のためにどうしても多数からも批判を受けることになります(あえてそれも狙いの一つなのかも知れんのですが)。
つまりは・・・落書きなわけです。ただの。
素材となった対象のほとんどは許可を得ておらず(中には自宅っぽい場所もあるのですが)ほぼゲリラ的にスプレーで落書きしています。・・・それが芸術作品となっている、ということで真似をする連中も出ています。・・・かなり前ですが日本でもなんだかそういった「路上アーティスト集団」的なものを取り上げた記事があって「これはオレたちの名刺だ」とかそんな風な複雑な紋様を紹介してたりしましたが・・・。
結局は落書きであります。ただの。
描く側がどう思ってるかは知りませんが、落書きは消す必要があります。一度容認してしまうと、どんなちっぽけなものでもそこから落書きは増殖していきます。そしてさらに大きな犯罪を呼び込む可能性が高くなります。その一歩を封じるためにも消す必要があるのですが・・・描いた本人が消して回った、てな話はあまり聞かず(↑バンクシーの「シュレッダー作品」てのはありますが)関係者が地道に消すしかないのであります・・・。
結局は誰かに迷惑をかける存在でしかないのに「芸術だ」と持ち上げても・・・と。どこかなんか理不尽?な気がするのです・・・。
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05/31/2020
伝説なんてそんなもん
伝承とか昔話とか・・・ニンゲンの語り継ぐもんなんてそんなもんだと思うのですが。
アマビエブームで見逃されたこと、民俗学者がつづる「物言う魚」(Yahoo!:withnrews)・・・実際にはこの「物言う魚」アマビエは疫病の象徴ではなかったのか、という論調であります。実際、このアマビエは画としては一点しか現代には流布しておらずその但し書き?には「疫病が流行るからこの姿を護符にせよ」というだけで「我が姿を護符にすればその疫病を防げる」とは明記していません(そもそも「アマビエ」という名も「アマビコ」「アマエビ」の誤表記という説もあり)。
じゃあ、そんなもん意味もないのではないか、外見上?が良かったコレが流行ったのではないか、という話なのですが・・・。
いや、まあ・・・そんなもんでしょ。
人間一人の記憶にしたって曖昧なもんであります。それをネタに扱うテレビ番組があるくらいで・・・いやしかし実際のとこ、今から30年40年も前の頃のことを事細かに語ってみろ、と迫られて・・・当時のこと100%完璧に語れる人間が果たして実在するのかどうか。
30年どころではありません。20年・・・いや10年前でも。「あの時あんたこう言ってこうやったよな?」と言われて完全に再現できるのか、と言えば・・・アヤシイもんであります。・・・もちろんそこに「あ、アレはヤバかったからごまかそう」という意識はない。とは言い切れません。しかしそれも含めて。ニンゲンの記憶、そしてそこから紡ぎ出される伝承なんか曖昧極まりないもんなのであります。
だから後世の歴史家は複数の記録を求めます。文字に残された記録。第三者とされる記録。が、そういうのも限界があって、時間が経てば経つほど記録数に限りが出てきてよく分からん状態に陥っていきます。
だから歴史なんてのはどこからどこまで「事実」か、なんて考えるのはある意味無意味であります。タイムマシンでも開発されて、その目で直に歴史上の現場を「視た」としてもその「視た」ニンゲンによってその「事実」はそのニンゲンの「真実」となって他へ伝聞されて・・・広がっていくかと。
結局100%の「事実」なんてな伝わりようがない・・・どこかに主観的要素が入って、そしてそこへ後の世の主観がさらに入り込んで、入り込んで、入り込んで・・・全く違う要素になっている可能性もあります。
例えば今のコロナ禍だって後世になっては「どこかの国の陰謀で~」とか「海中から現れた妖怪が~」とかそういうことになってるかも知れません。伝説伝承なんてのはそんなもんであります。時勢や状況、国内の状態や国民情勢によって・・・生かされたり殺されたり。都合のいいものだけが残るわけでもなく、そうでもないもんでもキッカケや縁によって思わぬ変化を遂げたり。
まあ・・・そんなもんだと思うのですが。
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12/07/2019
もちろん楽観視はできませんが
サンマ水揚げ量史上最低の見通し、8~11月で昨年比68%減(Yahoo!:KYODO)。たしかに今年は「初動」が大変に悪く、8月終わりから9月初頭にかけては近所のスーパーでもほぼゼロの日が続いたりしてました。しかもどれもこれもかなり小型。そのため去年からの解凍サンマが安く並んでいたりしましたが・・・それがここのところへ来てようやく価格も安定した「生サンマ」が並ぶようになりました。
・・・しかしこれで楽観、というわけにもいかず。来年は・・・どうなるんでしょうか・・・?
乱獲、この一言に尽きる、というのが大勢の見方であります。
外国籍の船もそうなんですが、そもそも枯渇してきているサンマ資源を奪い合ってどうするんだ・・・といったところであります。そもそもは時期に大量に獲れるために「大衆魚」となっていたサンマであります。それがそうではなくなるのかも・・・と。
一方で地球規模での環境の変化を挙げる声もあります。
これは様々な要因が複雑に絡み合っていて、「コレ」というものありません。「コレ」さえやっとけば全部オッケー、てなカンタンなものではなく。・・・しかしその変化にサンマが付いていけていない、そのために数が減ったのでは・・・と。
漁業というのは多分に自然に左右されるので、こういう都市もあるさ、と楽観的な見方もできなくはないのですが・・・それにしても。
恐らくは今後十年から数十年単位でこういった「変動」が起きるかと。もしかしたら近年まれに見る大豊漁、という年がそのうち来るかも知れません。が・・・とてもそこまで楽観できるような状況ではないわけで・・・。
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10/19/2019
美の基準
「科学的に」最も美しい顔の女性、トップ10発表(Yahoo!:シネマテゥデイ)・・・まあ、思い切り欧米主観ではありますが。何をもって「美」とするか・・・その基準の一つに「黄金比」を用いた結果、ということなんだそうであります。
まあ、たしかに黄金比は「美」の基準の一つではあります。
が・・・こんだけ曖昧な「美」というもんにかっちり決まったカタチを求めても・・・意味あるんだろうか、とかそんなことも考えてしまいますが。
人間の主観なんてのはそのヒトにしか理解できないもんであります。
ある人は可愛い服に「美」を感じ、ある人は割れた茶碗に「美」を感じる。そこにはただの「感覚の差」があるだけで、優劣なんかはもちろんありません。他の人にとってはくだらない、汚いものでもある人にとっては最上の「美」ともなる。
しかしそれでは本当にただの自己満足だけなので・・・いや、別にそれでもいいやん、と言えばそうなんですが・・・何らかの「基準」が設けられるようになってきました。誰が決めた、とかそういうものでもなく・・・恐らくは、自然と。
そんな風にやはり曖昧なものなので、基準の一つに黄金比、というのも分からんでもないのですが・・・いや、実際のところは曖昧すぎてその時その時によって感じ方も違ってきたりするので・・・昨日は大絶賛してたくせに今日は・・・とか。
やっぱり曖昧なもんであります。・・・そしてそういうものだからこそ皆が挑戦したがるのかも知れません。美の絶対的基準とか、そういうのを。
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11/12/2018
「なんとなくいいね、コレ」
それでいいんじゃないか、と思いますが・・・。
間違いだらけの日本人の西洋画鑑賞(MSN:AERA.dot)。そりゃあ、たしかに知識があった方がより深く楽しむことができます。が・・・こう言っちゃ何ですが所詮は絵画であります。好き・いいね・なんとなくイヤだな・よく分からない、でもいいんじゃないか、と思いますが。
実際にはもっと細かい事情や状況があったと思われますが・・・ざっくり表すと西洋画はルネサンス「前・後」で大分違ってきています。「ルネサンス前」だと基本的に宗教画で・・・つまりはキリスト関連の絵画ばっかりだったわけです。・・・もちろんその辺での落書き、とかそういうのもあったとは思われますが。しかし現代にも残るような「立派」な絵画はほとんど宗教画となっています。
「いや、もっと別のもん描いてもいいんじゃ・・・?」
というのがルネサンスで、それ以降様々な絵画が描かれるようになり現代に至っています。
他方で日本の場合も仏教画というのは存在しますが・・・どっちかと言うと「山水画」つまりは自然の風景を表したものがほとんどでした。・・・これも江戸期というぶっちゃけて言えばみんなに結構ヒマができた(それより前は戦争だ、なんだと忙しかった)頃に
「もっと別のもん描いてもいいんじゃ・・・?」
ということで様々な絵画が描かれるようになった、というのが個人的な見解であります(実際にはもっと複雑で色々な要素が絡み合って現代の様々なアートになっていたはずなんですが・・・)。
色々あるんだから色々な楽しみ方があってもいいわけで。たしかに色々知っていた方が色々楽しめるのですが・・・無理に知識を詰め込むよりも絵画ならまずはできればホンモノを観てみて。
「なんとなくいいな」
と思ったらそれでいいのでは、と。絵画を含む「娯楽」なんてのはそんなもんだと思うのですが。
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04/23/2018
表現方法の一つとして
残っていかないかなあ・・・。
富士フィルムが黒白フィルムの生産を終了(Yahoo!:AllAbout)。いわゆる「モノクロフィルム」であります。黒と白しかない写真が撮れます・・・カラーではない写真。かつてはモノクロオンリーだったのですが、後にカラーフィルムが普及。そして現在のデジカメ(特にスマホ)全盛の時代になってきたわけであります。
フィルムカメラとデジタルカメラの大きな違いは↑記事にもあるように「面で捉えるか」「点で捉えるか」にあります。「大体この辺がこんな感じ」というのと「一つ一つで点で示すべき」というのと・・・まあ、そんな感じじゃないか、と個人的には思ってますアナログとデジタルの違い。
例えば対象を完璧に画像として記録する、ということが目的ならばなるべく高画素のデジカメで撮影した方がいいわけです。しかし「撮った側の手法」などを重視するのなら・・・それは撮り手の事情やツールから色々考えていって、その結果がフィルムカメラ(それもモノクロ)というのならそれで突き進めばいい、ということになります。
そりゃあ・・・デジカメの方がいちいち現像する手間もありませんし、手軽に撮影できます。しかしそれが全て、それで全部のシャシンが確定できるわけではありますまい。
表現方法・・・プロもアマも何もなく・・・の一つとしてフィルムカメラはアリ、ということなのであります。自分が表現するのですから、自分で決めちゃって問題はありません。
モノクロでも大変に味のある画像、というのは実はフィルムデジタル問わず存在していますし。ただ・・・富士は日本では老舗のメーカーでしたから、それが販売終了、となると・・・やっぱりさびしいなあ、と思ってしまったりします・・・。
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12/08/2017
時代が戻ってる?
「いかがわしい」バルテュス作品、展示に非難で署名9000人(Yahoo!:JIJI・AFP)・・・別記事には「8000人」というのもあったりしますが。いずれにしても一定数以上の人が「いかがわしい」と思った(少なくともそれに賛同する署名をした)ということになります。
→バルテュス(Wikipedia)
1900年代に活躍したフランスの画家で本名はバルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラ (Balthasar Michel Klossowski de Rola) ちなみに日本の方と結婚したりしています。
一種独特?な雰囲気のある画風で、どこか哀しみを帯びているようにも思えますが・・・たしかに少女や裸婦を描いたものも多かったりします。
・・・でもこれで「いかがわしい」どうこう言われてもなあ、というのが正直なとこで。
実は「絵画」というのは本来は・・・と言うかヨーロッパで中世頃には基本的に「宗教画」オンリーでした。キリスト教の各名場面を描く。しかしそれだけじゃあ、ちょっと面白くないなあ・・・ということで色々描き始めたのが「ルネサンス」の時の波の一つでありました。これ以降、宗教画ではない、画家の「発現」の場としての絵画が増えていきます(もちろんこれは絵画だけではなく様々な芸術にも影響を与えていきます)。
そうなると・・・やっぱりエロの方面にも進出?していくんですが。
さすがに当時そこまではダメだろ、ということで「人間の裸はNG」ということになります。じゃあ、何の裸ならいいのか、となると「神話上の登場人物」つまり「実在しないキャラ」ならOKということになりました(それでも「いや、ちょっとここまでは・・・」的な修正が入ったものもあるにはあります)。
その後時代が進むと芸術はどんどん自由になっていきます。そもそもヨーロッパ以外の地域では別に宗教画限定ではなかったわけですし。アフリカやアジアなどそれぞれの文化がそれぞれと交わっていくことで変化は加速していきました。今ではその頃のような「規制」はほとんどないようなものなんですが・・・。
ここへ来て「人の好み」という芸術の最大根幹によって「規制」される、という・・・何とも皮肉な、と言うか。過去の「これは宗教画じゃないじゃないか!」的な嫌悪感再来、と言うか。
イヤなら見なきゃいい、というのは至言なんですがなぜか己の感覚を相手に押し付けようとしたがる、と言うか。賛同者を容易に集めることができる、というのもその一因かと思いますが・・・こんなことが続けばどんどん萎縮していくかも知れません。みんな同じような絵画に彫刻に文芸。そんなの・・・面白いですか?
・・・ただ、今回の救い?は「メトロポリタン美術館に近い消息筋によると、作品の撤去や解説文の修正を行う予定はないという」(「」内↑記事より引用)心強いコメントであります・・・。
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09/02/2017
多分一生残る
それでもよければ、ですが。
アニメキャラの刺青「ヲタトゥー」イメージ変える?(Yahoo!:朝日新聞デジタル) ・・・変わらんだろうなあ、と。逆にヒかれることになりそうですが・・・痛車とかそういうのを見てる限りでは。
海外ではアニメキャラが人気、とは言っても外国人全員が無条件で好き、というわけでもなく。「好き」「嫌い」の比率はあっちでもこっちでもそれほど変わってないだろう、と思ってます。国によっては日本産?の同人誌は税関で没収されたりしますし。絵柄的にどうも・・・というのはどこの国にでもいるはずであります。
海外では「アート」的な扱いの刺青ですが。日本ではちと立ち位置が違っていたりします。・・・基本的に公共の場では見せない方がいい、ということになっています。公共浴場などでは「隠す」か「入るな」ということになってるのが普通であります(当然ですが刺青が当たり前の外国人からすれば理解できない・・・)。
しかしかつて日本でも刺青はフツーにあったものでありました。江戸期では一般的な庶民も刺青したりしてました。特に職人さんとか。・・・どっちかと言えばその「ノリ」がそのままちょっとコワイ系の方々に受け継がれ・・・それが「関わるとややこしい」といった風に現代では変換されてしまった、という観もあります。
個人的には別に当人がそれでよけりゃそれでいいや、というとこなんですが・・・刺青はその性質上(例え除去手術を受けたとしても)一生「何か」が身体に残ります。
これがペイント的な何かでそのうち消える・・・と言うのならまた違う話になるかと。しかし、一度彫り込んだら「何か」は残る。
・・・それがアニメキャラ。いや、まあ・・・当人がそれでいい、覚悟してる、と言うのならホントそれはそれでいいとは思うんですが・・・例えば花鳥風月とか龍のようなある意味「不変」のものならいいんですが、アニメキャラは時間経過と共にどうしても風化していくものであります、つまり・・・古くなる、どうしても。
10年20年して「今さらこんなキャラいやだ」となっても手遅れなわけで。むしろ、時間と共に消えるフェイクタトゥー系には合ってるように思うのですが・・・さて。
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