04/16/2021
やっぱりあと30年くらいは
時間がかかりそうな。
自転車に少額違反金などの取り締まり新制度創設へ(Yahoo!:毎日)。何度かこの「あれこれ」でも触れてますが、自転車の交通違反の件であります。地域にもよると思いますが、多分大抵の人が「大丈夫」と思っている自転車の乗り方のほとんどが実は道交法違反・・・というのも現実だったりします。
非常にカンタンなことなんですが。自転車は都合のいい時に「クルマ」「歩行者」に変化できる乗り物ではなく。れっきとした「軽車両」であります。
これまで(何十年も)見逃されてきただけ、で・・・ここのところようやく取り締まりなども強化されるようになってきた、という次第であります。しかし現行の方法では取り締まり=刑事罰、ということになり・・・さすがにそこまでは、ということで↑記事のような新制度が創設される・・・ということであります。何せ実際に起訴されることはほとんどない、というのが現状なわけですし。
・・・個人的にはもっと厳しくてもいいんでは、とか思ってしまいますが・・・こないだの「ひょっこり男」みたいなのもいますし。でもそこまでやるには取り締まる側へに負担もどうしても出てきますし・・・まずはここら辺から、ということなのかも知れません。
そしてこの「先」が大事なことになってくるのでは、と。
こう言っちゃ何ですが「今の世代」はどうあがいても「安全な自転車」を実行できそうもないような気がしてます。・・・すでに何十年、祖父母の代から今の乗り方を受け継いできているわけです。それを今さら変えろ、それではダメだ、というのはなかなか難しい。
だから「次」の世代。今の小学生くらいが本格的に乗り始めるくらいには「安全な乗り方」でいけるようにならないだろうか、と。いや、さらに確実を求めるのならさらに「次」の世代、それくらいにならないと変わらないんでは・・・。
戦前や終戦直後くらいと今は全然事情が違ってるわけです。と言うことは今後数十年でも事情が違ってる可能性はあります。が、当時になかった「今の道交法」が今はあって、それが確実化しているわけで・・・それを実現できるにはやはり時間がかかるだろうな、と。
そのためには教育の場にも道交法などを持ち込んでみては、とか個人的には思うのですが・・・そういうとこにはなかなかいかないんだろうなあ、と・・・。
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03/01/2021
なんか動くもの
「車輪もの」の魔力・・・子供が電車にハマる、これだけの理由(Yahoo!:withnews)。・・・どっちかと言うと子供は「なんか動くもの」に反応しているような気がします。そしてそこから「大きい」「小さい」に発展していく・・・ような。
自分はそっち系の専門家でも何でもないんですが・・・まあ・・・なんとなくそうかなあ、と。
例えば自分は「生き物好き」「列車好き」ですが、そもそもは「生き物好き」でした。親父が釣ってくる魚から、身近で目にしていたバッタやコオロギ、飼っていたジュウシマツなどなど。もう数十年経った今の記憶の中ではそういった「生き物」への興味が先に立ってきています。
が、どこから「列車好き」になったか、と言えばこれは兄貴の影響であります。
兄は今でもかなりの鉄道好きで・・・それはガキの頃から変わらず。その影響を受けて自分も列車好きになった、という経緯?があったりします。・・・こうなるとなんだか「回るもの」というより自分の場合は「なんか動くもの」に興味持つようになったんかなー・・・とかそんなことも思ったりします。
三つ子の魂なんとやら、とは言いますが。・・・実際に結構年喰った先までもあの頃の思い出、というのは先々にまで影響してくるものであります。
自分の場合はそこから「文字」に触れたことでしょうか。親が「ナントカ全集」という47冊(ホントは52冊あるらしい)の世界や日本の名作を集めた全集をどこからか買ってきて・・・しかし両親は共に全然読まず・・・これを全部読破したのはいつだったか・・・小学生低学年の頃でしたでしょうか。
そこから今度は「ドルトル先生」これは47冊の中にもあったのですが、岩波の井伏鱒二訳に触れ・・・シートン・ファーブルに触れ・・・北杜夫へ、と。
ただ、その後中学になると今度は歴史小説(ご多聞に漏れず司馬に染まる)のは、まあ・・・これも親の影響かも知れませんが・・・。
動くものから文字へと気が移っていた、まあ、そんなもんでありました。
結局色んなもんに移り変わっていくものではあります。その中でこれはダメ、あれは良くない、と親が決めつけるのだけはやめて頂きたいなあ、と。・・・うちもそうでしたから。まあ、学校の勉強はしろ、といい家庭ではありましたが・・・。
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02/21/2021
学校で終わりの人生じゃない
学校現場で消えゆく「あだ名」呼ぶ賛否(Yahoo!:読売)。賛否、と言うか・・・一種異様な世界だ、というのはコレ定めた側は誰も思わなかったのだろうか・・・。
もちろん教室の、それも授業中に・・・とかそんな時には「さん」でも「くん」でも(こっちもイカンのだとか?)付けた方がいいと思いますがそうでもないフツーの時にあだ名も何もない、というのは・・・やはり異様だと思うのですが。
どっかのデストピアものにでもありそうであります。全員を一律に捉えて一律に行動させて思考を統一させる、とか。
こういうのは前にも「徒競走で一位二位を決めずに皆で手を繋いでゴールする」「勝ち負けの付きそうな競技は全部却下」「テストも順位を公表しない」などの「???」な方策がとられてきたりしましたが。あれは結局どうなったんだか・・・。
「いじめは『差』から起きる。だから『差』を消すように律すればいじめはなくなる」という・・・一種宗教めいた思考はまだまだ残っている、ということなのでしょうか・・・。
それに学校であだ名をなくしても結局社会に出ればあだ名は付くし競争にも巻き込まれるもので。人生のうちほんの数年ですが、若年期の経験は非常に有効であります。・・・先に学校で予防接種のごとく経験させておいた方が後々のためにもなる、と思うのですが・・・?
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01/29/2021
どちらか一方では
やっぱり併用できればそれがいいのかな・・・とか。
デジタル教科書、紙と併用か・全教科か・・・文科省が5案提示(Yahoo!:読売)。世はデジタル移行真っ盛りの中、どうにも進みの遅かった学校関連ですが。コロナ禍の影響も大きいこともあってかようやくこういう話が出てきたか・・・観もあります。
登校できないのなら自宅で学習を・・・。
というのはずっと言われてきてたのですが、実情はお寒いところでありました。デジタル機器の貸し出しすらままならず、対応したデジタル教科書も揃わない。しかし登校はできない・・・。
最近は「登校した上で感染防止策をとる」という方向になってきてますが・・・自主休校させる向きもあったり・・・それにしてもデジタル方面への「歩み」が必要なのは変わらんわけであります。
要は選択肢を増やす、ということかと。
デジタルでも紙でも同じように、どんな状況下でも学校教育が行えるようになればいいのでは、と。場所が必ずしも学校でなくても良い、そこまで踏み込めればまた展開も変わってくると思われます。
・・・これは学校なんかいらん、という話ではなく。他人や集団との接し方などを学ぶ、という側面はもちろん重要視されるべきであります。が、そればっかりにこだわっていても仕方ない・・・というのが現状であります。
機器に関してはどうしても個人個人にバラつきが出てくるものであります。そしてネットワークも地域によって差が出てきます。・・・この辺からまずきちんと平等に整えていく必要もあるわけです。
が、それ以前の「教科書はどうする?」というところがようやく本格的に始まってきた・・・というところであります。多角的に見続けていく必要がある、と個人的には思っているのですが・・・盲目的に「デジタル」「紙」と言い合っているだけでは何も進まないのですし。
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10/15/2020
ズレてる?
授業にスマホ解禁の動き・・・文科省は「制限」(Yahoo!:西日本新聞) 授業中にスマホ、という行為をどういった向きで捉えるか・・・ということでもあります。地方や地域にもよりますが(日本全土の100%でスマホや携帯がフルに使えるわけではありません)学生にとってはスマホは結構当たり前な器材であります。・・・無論学生だけではなく。社会人でも必須になりつつありますし・・・スマホのアプリがないと買い物もできない、何もできない、という店もあったりするくらいであります。
デジタルネイティブ、という言い方もかなり古くさくなってきてますが。
今の中高生は生まれながらに身近にスマホや携帯があって、物心つく頃には親など近い大人が持っているソレをフツーにいじっていた世代であります。しかし学校に入ると「制限」されてしまうのが今の流れであります。
・・・すでに一部の私立校などでは授業に利用するケースもあるようですが・・・自前のスマホ、ではなく学校からタブレット等を配布、という場合が多いような。やはり私物では・・・ということなのかも知れんのですが。
考え方によっては「なんで文房具はいいのにスマホはダメなのか」というようにも捉えられます。・・・ノートや鉛筆では勉強以外に使い道がないから、スマホなんか持たせたら遊ぶに決まっている、と、まあ・・・そういうとこかな、とは思いますが。
しかしその割?には日本の教育関連のデジタル化事情はかなりおサムイものであります。タブレット配布、と言っても地域や学校によってバラつきがある、ネット環境も整っていないところもあったりする。・・・図らずもコロナ禍でその辺の「欠点」があぶり出されてしまったりしています。もちろん現場では改善しよう、という向きがあるのですが・・・私物スマホの活用もその中の一つとも言えるのですが・・・上の方はまだまだ、ということになりそうな。
どこかにしがらみ的なナニカがあるのかも知れんのですが(解禁の言い出しっぺを皆が恐れるとか責任所在は・・・とか)そういうこと言ってる場合でもないとは思うのですが・・・その辺がズレてる・・・のでしょうか・・・。
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08/25/2020
選べるようにすれば
よかったんじゃないか、とかそんなことも思いますが。
ジャポニカ学習帳に「昆虫」が戻ってきた!(Yahoo!:まいどなニュース) ちょい前?にこの「あれこれ」でも触れたかも知れんのですが、伝統?のジャポニカ学習帳、その表紙から「昆虫」が消える・・・その理由は「キモい」と思う人がいるから、と。
・・・いや、まあ、たしかにその辺は人それぞれなんですが。
昆虫を含む「ムシ」が平気(あるいは大好き:自分含む)な人たち・・・老若男女を問わず・・・からすれば「はあああ? なんでだ?」となるんですが大キライな人たちからすれば「良くやった!」となっているんだろうなあ、と。・・・ムシ好き、なんてのは大抵の場合は世間からあんましいい目では見られないので、なんとなーく「ああ、そうだよね、そういうもんだよね・・・」とか思ってたんですが。
「新しい学年になったとき、各学校の先生方が一括して授業で使うノートを注文していただくもの。(中略)算数の14マスの様式となると1つの品番しかありません。つまり、1つの種類につき1つの表紙しか選べないのです。だから、昆虫が苦手な子にも配布してしまうことになってしまって・・・」(「」内↑記事より一部引用)
・・・アレって生徒が好きで買ってもんじゃなかったんかい、と。・・・なんか自分のはるか過去の記憶だと「学校で使うノート」=「自分で買ってくる」=「ジャポニカの」的ななんかそんなっぽいのがあったような気がしてたんですが・・・。
そりゃあ・・・先生が一括して買うのが全部同じならさすがに嫌がる生徒も出てくるだろうなあ、と。これは花や植物の絵にすればいい、という問題でもないわけであります。植物の絵ならみんなが好き? さて・・・それもどうなんだろう、と。
単純に複数の表紙から先生方なり生徒なりに選ばせる、とかそういうことにはできなかったのかなー・・・と。実際のとこは版元のサービス的なとこが大きいのか、と思われますが・・・だったら受け手の学校側からも・・・というのは無理だったのかなあ、と。
ムシ好きからすれば非常に悲しいことでありましたジャポニカ表紙からの虫消去。しかしそういう内情があるならあるで・・・昨今の多様性重視からもそういった手法を取り入れることも可能なんではないか、と思いますが・・・善意であっても結果的にどこかが窮屈になるのなら、そういった「変革申請」「意見具申」は必要かと思いますが・・・?
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04/29/2020
その方が良さそうですが
多分議論だけで終わるんじゃないかなあ・・・。
「9月の入学・始業」村井宮城県知事私案の教育関係者ら戸惑い(Yahoo!:河北新報)・・・こちらは日付的には昨日のものなのですが「こういう時にしか社会は変わらないんじゃないか」小池東京都知事、学校の「9月入学」に賛成(Yahoo!:AbemaTIMES)、とその後に各方面からも色々出ています。荻生田文科大臣も「選択肢にある」的な発言をしていたりします。
世界的に見れば「9月入学」の方が主流なので、今後日本の学生が世界に打って出るためには9月入学の方が良い・・・という論調は昔からありましたが、このコロナ禍で休校が続く現状ではいっそのことこっちへシフトしてしまえば・・・ということになってきているのですが。
そのためには「4月入学とすべし」という法律を変えなければならず。一応?現行の法律でも大学は入学時期を己で判断できるらしいのですが・・・高校まで4月入学・3月卒業では入学までに間が空くのでどうしてもうまく行かず。結局4月入学のまま、ということになっています。
もし9月入学にシフト、となると相当の範囲での影響が予想されます。小中高から大学・専門学校はもちろん幼稚園や保育園・学童保育所に受験や塾関係。さらには教育関係の出版業界から各種予備校に・・・神社などにも関係しそうであります。
そして・・・学校のその後。つまりは就職も9月以降、ということになるので日本に存在する企業各社が対応に追われることになります。ある意味で日本がひっくり返ることになります。
しかしたしかにこう言っちゃなんですが好機でもあるわけです。もし、本当に変えたいのなら。実際、休校措置が来月で終わる、というのは・・・ここんとこの状況ではまだまだ疑問符が付きますし、そうなると明らかに学生さんの夏休みが消え失せるかあるいはどこかに「ひずみ」が生じます。その負担を考えたら・・・思い切って、いっそのこと・・・。
ただ、前にも述べましたが日本の教育関連というのはかなり保守的であります。↑この「9月から」の話も今は一気に広まってますが、どこかで収束してしまえばそれまで、ということになりそうな。そして結局各方面に「きしみ」を生じながらなんとかやり繰りしていく・・・ということになりそうな、なんかそんな気がしてます。・・・いや、やるのならホント一気にやってしまった方がいいんでは、と個人的には思うのですが・・・。
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04/27/2020
方法はいくらでも
オンライン授業、対応模索の日々(Yahoo!:西日本新聞)。・・・いや、本格的にやるんだったら機材一式は全て学校から支給、システム的に不可能な部分がある(例えばネットに繋ぎにくい地域)というのならそこだけはオフラインで、とか。
もっと思い切ったことするならばどこかにクラウドで「教室データベース」的なところを作っておいて、そこへ物理的に有線で接続すればオンライン授業と同じようなことができるようにする、とか。ネット環境とクラウドの教室を完全リンクさせておけば繋がりにくくても同期は可能なんじゃないのか・・・と。
最低限でも機材は学校から支給、というのは実行可能なんじゃないのか・・・と思いますが。正直、現行の日本の状況では「さあ、今からオンライン授業を始めますよ!」とやっても素直?に実行できる学校が一体どれだけあるのか・・・。
個人的に・・・ですが。日本でも最も旧態依然としているのは教育関係じゃないか・・・と思ってます。結構前からネットを使った授業を、という指摘は(韓国の事例を見るまでもなく)あちこちから出ていたのにも関わらずほとんど手を付けず。付けても地方ごと、学校ごと、と限定的。
もちろん私立などのように動きやすい?ところは結構早くから一部の導入が進んでいますが。しかし・・・全体的ではありません。
進み方がどう、内容の統一が・・・というのなら文科省が音頭取ってどんどん進めていけばいいのですが・・・なぜか二の足を踏んであまり積極的ではないように思えます。
コトはネット関連だけではなく。・・・その他教員の働き方改革から生徒・学生への接し方の変化なども。今はこういう事態であります。変わっていかないと生き残れない。かのダーウィンの進化論を持ち出すまでもなく・・・今のままでは結局ジリ貧で、にっちもさっちもいかなくなってしまった・・・というのだけは避けて頂きたいところなのですが。
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04/03/2020
オンラインでも
医療崩壊を防ぐ切り札? オンライン診療はコロナ禍を機に日本でも進むのか(Yahoo!:AbemaTV)・・・なんか、ちょっと、個人的にはそこまでは無理なんじゃないかなあ・・・と。
↑記事中では「オンライン教育」にも触れています。こっちもコロナ禍によって学校のほとんどが休校している現状(そろそろ限定的に再開するところもあるそうですが)ではかなり有効な手段なのですが・・・全部の学校で、となっていないのも現状であります。
よその国はそういうところが結構進んでいるところもあるのですが。
あるいはテレワーク。学生や病院にかかる人たちだけではなく勤め人も自宅で仕事、となればこれも有効であります。・・・ただ、これは業種にかなり左右されますし自宅環境によっても違ってきます。しかし、その辺はまだどうにかなるような・・・どうしても対面販売しかできない業種は仕方ないとしてもできる企業はどんどん乗り出しているような観もあります。
テレワーク。これはもしかしたら今後も根付いていくのかも知れません。
が、「オンライン診療」「オンライン教育」となると・・・どうなんだろう・・・?
「診療」の方もこれもやはり診療科によって左右されるものではあります。いくら何でも現行の技術では「オンライン外科手術」は不可能であります。しかしそれ以外なら? その辺をきちっと分けて専門家や現場の医療関係者の意見もきちっと聞いての導入なら有効かと思われるのですが・・・なんだか動きが鈍い?ような気がしています。
ここには旧態依然とした医界の現状?的な事情が出てくる、のかも知れませんが・・・ソレ言い出したら日本の業界なんてのはどこにでもそういう「旧態依然」は存在しています。変えるのなら今、ということでもあります。
そして「教育」の方も。・・・どこかの自治体の学校で「タブレットはあるけど校内ネットワークでしか利用できないから自宅学習はムリ」というのをニュースか何かでやってましたが。・・・その辺もネットワーク開放かなんかすればいいだけの問題ですし。
タブレットがない学校というのもあります。どっちかと言うとこっちが問題かも知れません・・・今から買い揃えてネットワーク構築してソフト導入。・・・こういうとこに予算使った方がいいんじゃ・・・。
進められるなら進めた方がいいに決まってる「オンライン」なんですが。これもどこかで強権的に一気に強引に推し進めるしかないのかも知れません。・・・無理だ無理だと渋っているうちは何も進まない、ということでもあるのですし。
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02/05/2020
上を目指せば
いくらでも上に行ってしまうものなのですが。
「スペック低くても問題ない」日本マイクロソフト、文科省構想対応パッケージ提供(Yahoo!:ITmediaNEWS)。たしかにスペックがどうこう、と言うより頑丈さの方が先かな、という気がしないでもないのですが・・・だったらタブレット端末でもいいんじゃないのか、とか。
時代的?にノートPCですら今の学校やご家庭にそぐわないのでは・・・とかそんなことも思ったりしますが、それはさすがに行き過ぎですか・・・。
前に「コンピュータって何?」と子供がタブレットからのノートPCになるデバイスを自在に使いこなしている、それこそマイクロソフトのCMがあったりしましたが・・・道具として使うのならどんどん身近に、軽量・小型化していくのは流れでもあります。
一昔前、自分がPCを求め始めた頃はもっとデカいもので。デスクトップという据え置き型が当たり前でした。・・・いや、そうでないとスペックが・・・という時代でもあったのです(なお、当時はノートPCではなくラップトップ)。
しかし昨今ではそれなりのスペックをどんなマシンでも安定して出せるようになってます。そしてそれはスマホやタブレットでも同様に。ぶっちゃけ、フツーに検索してフツーに文章書けてフツーに絵描く程度ならよほどの欠陥品でもない限り問題ないレベルであります。・・・それより上、高解像度でめちゃくちゃなスペック要求されるゲームとか、ばっちりとした動画編集やら学術的にハイパワーが絶対必要、とかそういうのだともちろん話が違ってきますけども。
学校で使う分ならそれ程度、と言うと語弊がありますか・・・しかしそれほど高スペックでなくてもいいし、それならタブレットで安価に・・・というのもアリかも、とは思いますが・・・耐久性で言えばやはりノートPCですかね・・・。
ただ、ちょっと問題なのはこういうPC系には疎い(正確には成人以降に本格的に触れ始めた)世代がまだまだ官公庁を始め各界では中枢なわけです。本当の意味での「IT立国」を目指すのなら・・・生まれて物心ついた頃からすでにデジタルデバイス当たり前な世代、そういった若い人たちがどんどん世の中に出てくるようにならないと・・・なかなか難しいかも、と。人間、自分が分からんもんをとっても怖がる生き物で、それは加齢と共に顕著になってくるものなのであります。
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12/17/2019
万難を排して
これで入試改革の二本柱が二本とも折れてしまったわけですが。
大学入試、国語・数学の記述式延期を発表(Yahoo!:毎日)。二本柱の一本目は「英語民間試験」ということで民間に英語の試験を委託、という方向だったのですが・・・様々な弊害?があって断念。そして二本目が「国語・数学記述式」だったのですが・・・こちらも断念、と。
いや、まあ・・・試験を改革しよう、より良い方向へ持って行こう・・・というのは別に悪いことでも何でもないんですが。しかしコトは確実性を求められます。それが結構あっさりと折れてしまう、となると・・・受験生はもちろん周囲もたまったものではありません。
変えるなら変えるで、きちんと変えて欲しかったな、と。
過去にも英語のヒアリング試験を導入する、その最初期の頃には機械の故障とか座った場所によってはよく聞き取れなかった、とかそういうのもあったりしました。導入当初というのはどうしても何らかのトラブルが起きるものなので、仕方ない、という見方もできなくはないですが・・・当事者にとっては納得できるものではありますまい。
これを限りなくゼロに近づけるのはどうすればいいか、と言えばそれは入念な準備しかないわけです。
今回の「記述式」に関しては、採点者が不足する・質が低下する、なんてのは誰がどう考えたって予想できるトラブルなわけであります。これまで基本マークシート採点でキカイがやってたのをヒトがやる、となればマンパワーが不足するのは当然のことなわけで・・・。
その他もなんかお粗末な感触であります。・・・大丈夫なんかな、と思ってたんですが・・・まさか本当にここまで、とは・・・。
受験に関してはシビアな運用が求められます。それは受験する側(受験生だけではなく周囲の様々な立場の人たち)にも色々な用意が必要となります。新方式があるかも、となればそれこそ色々な準備が必要になるんですが・・・その労力も全部パー、ということに。・・・今後も入試改革は続くと思われますが、万難を排して安定した運用を願いたいものであります。
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11/07/2019
もぐもぐに専念?
・・・自分らの時はどうだったかなあ・・・。
給食中、おしゃべり禁止時間帯がある学校(Yahoo!:中国新聞デジタル)。地方にもよるかと思いますが、自分が小学生の頃・・・関東地方では・・・そういう時間はなかった、という記憶であります。
ただ、自分らの頃は「好き嫌いなく食べろ」だったので・・・残すことはできず。↑記事にもあるような「昼休みかけてでも食べろ」という時代でありました。実は自分は当時は一種の甲殻類アレルギーで、イカとかカニ・エビを食べると口の中が腫れてくるのですが・・・それでも「食べろ」でした。今じゃ考えられないことではあります。
しかしそれでも「一切しゃべるな」というのは・・・なかったような。
やはり地方によるのかなあ、とは思いますけども。
やはり食べる時におしゃべりできた方がいいのかも、とも思いますが・・・色々事情があるものですし、一概に「良くない」「必要だ」と断ずるわけにもいかないようにも思います。
・・・実は結構こういう「慣習」というのはあちこちに残っているような。それは意味のあるものもあればすでに失伝しているものもあるでしょうし。本来なら不必要、と判断されればなくしていくべき、なのでしょうけど・・・。
やはりそこにも色々事情が絡んでくるわけで・・・そうなるとややこしいことになりそうな・・・。
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09/09/2019
予算と慣例と・・・?
デジタル教科書、なぜ本格的に学校で導入できない?(Yahoo!:京都新聞) すでに一部の私立校などでは導入されているケースもあるようですが、↑記事のように「一部の生徒だけ」というところになんか違和感?を感じるのかあるいはそういう慣例なのか・・・じゃあ全員分導入すれば、となると今度はそんな予算ない、ということになりそうであります。
・・・あるいは「慣例」の方で言えば「教科書と言えば紙に決まっとる!」的な人たちが上の方にいるから、とかそういうこともあるのかも知れんのですが。
デジタル教科書にも良い点・悪い点がそれぞれあります。デジタルだから全部良い、というわけではありません。
例えば電源とか。当たり前ですがバッテリー切れたらタダの板、であります。大規模災害などの後に授業、となった時に肝心の教科書が・・・ではお話になりません。
しかし良い点である「各人の状況に合わせやすい」というのは紙の教科書にはちと難しい部分であります。・・・そりゃあ、各人の状況に合わせた教科書を全て用意する、ということができれば話は別ですが、そっちの方が予算的にキビシイことになりそうで・・・。
結局のところは「時間が解決する」とかそういうありきたり?なところに落ち着いてしまうのかも、とか。↑紙の教科書にこだわる「慣例」に関しては時間が経てば、あと数十年・・・いや、そこまでかからなくてもそれなりの年数で突破できそうであります。となると「予算」は・・・これは「慣例」がなくなればまた状況も変わって来ると思われます。
本当ならこういう教育現場でこそ最新の技術を用いて欲しいところなのですが。それがなんだかあまり技術と関係ない(導入する、という技術そのものはさほど困難ではない・・・)話で色々ごたごたある、というのは・・・やはりもったいない話であります・・・。
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05/19/2019
そこにも「時短」
結構意見が分かれそうですが・・・?
「時短運動会」広がる、廃止論まで飛び出す学校と親のホンネ(Yahoo!:NEWSポストセブン)。まあ、最近はなんか色々言われることも多いので・・・運動会も「時短」で、というのは、まあ、たしかに「今風」かも。
元来は恐らくは身体を動かすのが目的で、そこから派生?してくる連帯や責任論などは後付け、といったところなんでしょうけど・・・?
現在の場合は「体を動かす」よりも一種の成果発表会といったところであり・・・それなら別にここまで規模でかくしなくても? 全員参加、みたいなことにしなくても・・・というようになっていくのもまた仕方ない話かも知れません。
個人的なとこで言うと・・・自分は運動があまり得意ではなく。自然と運動会もあまり好きではなかったものですから・・・そこまで最高の思い出もありませんし・・・まあ、なくなるとなってもそれはそれでいいんじゃない? てなとこだったりするのですが。
しかし人によっては我が子の成長の場、として必須にしたい人もいるでしょうし・・・運動好きな子供にとってはまたとないチャンスでもありすますし。そうカンタンに短くしたりなくしたり・・・というのも難しい話ではあります。
皆がある程度でも納得できるのなら「変貌」も仕方ないかと思われます。ほとんどの人が「いらない」とホンネでは思っていても建前で盛り上がっているフリをしている、とかそんなことになってるのなら意味なんかとっくの昔に失われているわけですし。
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05/06/2019
まだやってるとこあるんだ
・・・というのが正直なとこであります。
不登校や会食恐怖症の原因にもなる、学校の過剰な「完食指導」(Yahoo!:オトナンサー) 自分は小学校が給食で、中学校・・・違ったっけか、どうだったか・・・なんかあんまし覚えてないんですが多分弁当だった、ような記憶があります。
そしてガキの頃は「甲殻アレルギー」でした。多分軽度のものだったと思うのですが・・・イカやエビが食べられない。食べると口の中が一気に腫れ上がってちくちくする。特にカニはダメで、ひとかけらでも口にできなかったりします。
・・・余談ですが、うちの実家は親父が釣り好きだった影響で母が魚をさばきます。で、自分もガキの頃から手伝っていました。実はイカも結構釣ってきてそれもさばくのですが・・・自分は触れていただけで手首になんかぽつぽつができたり、とやはり体質的?に合ってなかったようであります。
でも当時はそういったアレルギーだから、というのはあまりなく。給食で八宝菜なんかが出てくると、仕方なく口に放り込むしかない・・・。
結局口の中は腫れるのですが。それでもそういうこと言い出せる雰囲気でもなかったりしました。・・・やはり牛乳がダメ、とかそういう同級生もいたわけです。そして昼休みに「居残り」で一人残されてそれこそ「完食」させられる。そういうのを見ていたので・・・かなり無理して食べていた記憶があります。
・・・ただ・・・この辺は記憶が曖昧なんですが・・・イカとエビが入った八宝菜、というのは結構出てきた記憶があるんですが・・・他のメニュー、例えばイカフライとかそういうのは・・・あったんだろうか、と。なんか・・・八宝菜「だけ」苦労して食べてたような記憶しかなかったりします。
今は昔ほどひどくはないんですが(それでも積極的に食べようとは思わない)・・・今だったら結構問題になっていたのかなあ、とは思います。そして最近はアレルギーとかそういう方面でも配慮してくれる学校が増えてきている、と聞いて安心していたのですが・・・。
いや、まだ「完食指導」とかやってたんだ・・・。
ちょっと残念であります。ありゃたしかに一生残る「イヤな記憶」だったりしますし。場合によってはかなり重篤な状態になってしまう、というのも分からんでもないですし・・・。
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04/22/2019
時代は流れる
人も流れる。・・・事情も流れて変わっていく・・・。
「家庭訪問」岐路に・・・「やめる」「希望制に」など(Yahoo!:丹波新聞)。これは兵庫での話ですが、全国的に色々物議を醸していると思われます。
・・・実はまだ続いてたのか、と個人的にはちょっとびっくりしてるのですが。
そう言えば小中学校の頃にあったな、と。自分らよりもさらに上の年代になると「先生がおいでになる!」ということでご馳走を用意したりしてた、なんて話もあります。当然酒なんかも出て、親も先生も酔っ払って次の訪問先は先送りに・・・とかそんな話まで。それが「時代」というものなのかも知れません。今じゃ・・・そういうのはまずあり得ないでしょうし。
それでもたしかに親と先生が一対一で話せる、というのは大きいかと。面談的なものを学校で・・・とやるのも可、ですが「生徒の家で」というのがミソなのかも、とか。
あるいは↑記事のコメントにもありますが虐待を疑われる家庭に「みんなの家に行ってますので」ということで行きやすくなる、とか。希望制にしてしまうとたしかに行きづらくなる・・・。
そういう色々な面があるので「今の時代に合ってないから、ハイ廃止」というわけにもいかないところもあります。
が・・・他の事情も勘案すると。教師の側の労働環境とかその辺とか・・・そうなるとまた違った話になってきてしまいます。「今」は「今」であって以前の頃の「今」とは違ってきているのですから。「自分の頃はこうこうこういうのが当たり前だったから」ではもうどうしようもなく。「今」はどうして行きたいのか・・・そういうとこも含めて決めていかないといけないわけです。
・・・ホントはそれこそ教師側と保護者側が膝突き合わせて話し合った方がいいのかも知れんのですが・・・そういうのもすでに「面談」「家庭訪問」とかそういうことになるので、負担、と言えばそういうところも負担になるのかな・・・とか思ったり・・・。
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03/29/2019
必要はなさそうですが
しかし物心ついた頃から身の回りにあるものなわけですし。
「学校へのスマホ持ち込み」に半数以上の保護者が反対(Yahoo!:ねとらぼ)。実際、現在の学校教育の場でスマホが必要か、と言えば・・・まだ別にいらん、ということになるわけで。そういうことなら「学習の場」たる学校にスマホ持って行く必要なんかないわけであります。
ただ、スマホや携帯は緊急時の連絡などにも使えますし。他にも色々「利点」はあるわけで・・・しかし「欠点」もあるわけで・・・その辺の「折り合い」はなかなかつかないものではあります。
一方で携帯電話の学校持ち込みは世界的課題・・・大阪府が「一年かけて議論していく」(Yahoo!) という話もあって、これはやはりなかなかカンタンにはいかなさそうであります。
個人的には別にいらんだろ、と思ってしまいますが。
自分らが小中高生の頃は携帯なんぞ全然普及してなかったので、あの頃に当てはめるなら「別にいらんだろ、そんなもん」となってしまいます。が・・・今の小中高生は気が付いたらすでにスマホや携帯が家の中になったわけです。で、親などの年長者がいつも使っている光景を見ている。
・・・小さな画面。例えばスーパーの金額表示画面とか宣伝用の小さなテレビとか。ああいうのを見ると小さな子供は指でこすってみたりします。大人はそんなことしても意味ないことを知っているのですが・・・年長者がやっていることをマネしてやってみている。それが当たり前な光景なわけです。
そんな子供たちが大きくなって学校に行くようになると。そりゃあ・・・持っていればフツーに持って行きますわな、スマホ。
・・・今はどうだか知りませんが、自分が通ってた小学校は低学年の時は自転車禁止でした。通学はもちろん日常でも。小学校上がる前にはばんばん乗ってたのに小学生になると乗っちゃダメ、となる。結構フシギな感覚で・・・正直理解できませんでした。仮に「小中学生はスマホダメ」「高校生にはこういった規制を」となると多分、あんな感じになるんだろうなあ・・・というのは予想できます。
いやあ・・・皆隠れて乗ってたんですよ、自転車。だから多分規制しても結局は皆どっかで使うんだろうなあ、と。
じゃあ規制する意味ないじゃないか、と言うのではなく。そういうとこも全部含めて考えた方がいいんでは? ということであります。「自分の頃は~」とか「あり得ない」とか感情的になるのではなく。
大阪府の「一年」というのは短いかも、とか思ってしまいます。多分・・・皆が100%納得できる案なんか絶対出てこないだろうなあ、と。まあ・・・いくら議論しても結局そんなもんかも知れませんが。
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03/16/2019
がっこう
夜間中学、全国で新規に6か所設置予定(Yahoo!:産経)。そもそもは第二次大戦直後の混乱期に義務教育を修了できなかった人を対象に設けられた「夜間に授業をする中学」であります。義務教育、ということで基本的に費用はかかりません(「自主夜間中学」という「私立校」もあるのでそちらはまた事情が違ってくるかと思われますが)。
しかし時代が進むにつれ需要は低下。・・・そりゃあ、戦後も時間が経てば混乱は収まってきますし。そうなると普通の中学に通えるようになっていくわけです。
が・・・最近はまたちょっと事情が変わってきています。外国の人たちが通うようになってきています。
もちろん現代でも理由があって中学に通えずに年齢を重ねてしまった・・・という人はいます。そしてそういった人たちに対する受け皿としての夜間中学も健在であります。
それでもそういった人たちが減っているのは事実であります。それに対して外国の人たちは増えてきています。中には日本語があまり上手ではない、といった人たちも。そういった人たちへの受け皿にもなってきているのです。
それでも公立の夜間中学校は、東京都、千葉県、神奈川県、大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、広島県の8都府県に31校しかなく。大勢の感覚としては「別になくてもいいんじゃ?」というものが主になるでしょうから増えることはないか・・・となっていましたが、今度増えるかも・・・ということに。
このシステムは活用方法によっては色々な可能性があると思っているのですが・・・単純な「学び直し」だけではなく、他の可能性を拓く入り口に・・・とか。でもまだまだ「学校=資格取得の場」という見方が主流の日本では・・・そこまではまだまだ難しい、のかも知れませんが。
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12/26/2018
個性と言うより
個人的には別にどっちゃでも問題ないような気はしてるのですが・・・。
左利きの子、直した方がいい?(Yahoo:ヨミドクター) しかしたしかに今の社会は「右利き社会」なわけで。そういう意味では不利となる左利きを直した方がいい、という考えもアリかと。
一昔前は左利きは無理にでも矯正されていたものでした。これは一つには作法は基本的に右利き用だ、ということと・・・江戸期の武士家庭では左利きは必ず右利きに直されていた、という話があったりするから、とも言われています。
よく「左利きの侍はどうしていたの?」的な質問がありますが、そもそも左利きの侍は公的?には存在していなかった・・・という話であります。
現代でも軍関係は左利きでも右で扱うよう訓練される、という話であります。これは銃器も基本的に「右利き用」になっていて・・・と言うより統一して共通させておいた方が色々と便利だから・・・そのため圧倒的多数の「右」用ばかりなんだ、と。
しかし一方では左利きが有利な場もあります。例えば野球では「左打ち」の方が有利とされていますし。これも場合場合によっては「左利きの方が良い」というケースも相当数あるかと思われます。
一昔前のように「何が何でも右利き」から「左利きは縁起が悪い」的な感覚へ・・・というのはもう存在していないわけです。無理に直す必要もなければ「いややっぱり・・・」と、右利き中心の現状を憂うなら訓練するのもアリかと。
でも↑記事にもあるように無理やり直すのはやはりNGではないか、と。そういう時代でもないのですから。
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09/13/2018
おいてけ?
大型ペットボトル3本分も・・・敬遠される重い通学かばん(Yahoo!:神戸新聞NEXT)。大人が担ぐのとはわけが違うわけで・・・対象は「小学生」であります。それが重いランドセル毎日背負うとなると・・・?
一昔前から「気合が足りん」とか言われそうですけど。しかし今の教材の方が重くて大きいのですし・・・そもそも「副読本」的な書籍とかそんなにたくさんあったっけか・・・とか、かなり昔のことを思い出していたりします。自分の頃は・・・なんかあまり「重い」とは思わなかったような。いや、そもそもランドセル一杯になることなんて・・・いや、あったか、そういうの。でもあんまり記憶にない・・・。
あるのは高校生くらいの頃に学校や教師に反抗してワザと教科書を学校に置いて帰る、そのため黒いカバンをぺっちゃんこにしてた連中がいたっけなあ・・・とかそんなもんなんですが。
しかしそれでも現状「重い」という話が出ているのならなんとかしないといけないわけなんですが・・・。
なんか、議論の方向がビミョー、と言うか。「重いなら一部教室に置いていけばいい」となるのは、まあ、当然なんですが「そうなると家に帰って勉強しなくなる」という話が出てきたりして。・・・いや、夏休みじゃああるまいし。教科書全部を範囲にした宿題とか出すわけないでしょうし・・・自発的に勉強するための教材ったってその日の全教科必要なわけではないでしょうし。
必要な分だけコピーできるようにするとか。そういう方法もあるんでは・・・と。
あるいは教材や副読本が多い、というのも必要なもんだけ選ばせるか選べばいいだけなんじゃ・・・と。
他にもあちこちから色々意見が出ているのですが、どうにも当の学校側のアクションが薄いような気がしてます・・・。
この辺は学校に限った話ではなく役所なんかもそうなんですが。・・・もっと柔軟になってもいいんじゃ・・・というのも考えてみたら自分らが学生の頃から言われてることであります。・・・早々には変わらんもんなんですが・・・仕方ないことなんですかね・・・?
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05/28/2018
なんとなく手に入る
とかそんなとこかも知れませんが。
お金の役割知ってる? キャッシュレス化で教育熱(Yahoo!:時事)。ただなんとなく「お金」と交換して、なんとなく品物が手に入る・・・とかそんなもんかも、と。これは子供に限った話ではなく。結構オトナな人たちでもそういうもんだろ、と思っている人が多いのも事実であります。
そして目の前では「交換」されないキャッシュレス・ペイ。「ナニカ」を入力したりするだけで品物が手元に届く、という・・・ある意味コワイ仕組みも世の中に浸透しつつあります。
別にキャッシュレスを否定する気はないのですが。
・・・一度「アレ? こんなに使ったっけ?」とネット通販をやりすぎたことがあって(額的はぎりぎり払える程度)それで個人的には良い勉強になった、と思ってます。クレカの番号を入力するだけで品物が手に入ってしまう。しかしそれはあくまでも「後払い」なだけであってこっちにも必ず負担がかかってくる。
それを体感したのがその時であります。・・・ある意味大変に良い勉強でありました。
最近はこの「後払い」も「分割しませんか(ただし利息がかかる)」などの方法もでてきています。この「なければ借りればいい」というのも↑教育しておくべきことではないかと。無計画ではなくきちんと計画立てて収入がこれくらいだから今はここまで借りる、そしてこうこうこうやって返済する・・・と計画立てれば特に問題はないのですが。
「なんかCMやってるし金ないから借りよう」とかそういうのだと・・・後で後悔することになるわけです。
世の中ウマイ話はなく、何かを得ようと思ったら何かを差し出さないといけない。それが「=」できちっとまとまっているかどうかは自分で判断しないといけません。それには「お金」というものがどんなものなのか、きちんと知っておく必要があるのですが・・・。
日本ではどうも「お金と政治の話は野暮」というのが長いこと当たり前になっていて、ちょっと浸透していないような気もします。・・・でも変えるのはそれほど難しくはない話でもあるので・・・どんどんやっていけばいいと思うのですが。
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02/09/2018
必要ないとは言いませんが
先にきちんと日本語やっとけよ・・・。
北九州市など、小学英語授業本格化を2年前倒し(Yahoo!:西日本新聞)。すでに現在でも「小学英語」は実施されていますが、これはまだ「特別授業」的な立ち位置であります。これが2020年度には五・六年生が通知表の対象となる授業・・・つまりは普通の教科、ということになります。
・・・まあ、国際化・グローバル化、ということでの「英語の必要性」というのは分からんでもないんですが。
これを小学生の頃からやって、それで日本語はどうなるんだろう? というのが個人的なとこであります。多少発音が悪くたって文法がちょいアヤシくても通じるもんは通じるもんであります。・・・もちろん、専門的な解釈であるとか仕事上で・・・という場合はまたちょっと事情が違ってきますが。
日常的に会話する程度ならどーにかなるんでは・・・と。相手は鬼でも天狗でもない、同じ人間なのですから。
しかし実際のとこ。「英語の授業」というのは(正規には)中高6年間やってるわけです。
「それだけやってなんでそんなにしゃべれないんだ?」
と英語ネイティブの人が驚いた、という話があったりしますが。これは長いこと「書き・読み」強化の授業ばっかりであまりしゃべったり聞いたりしてなかったからだ・・・ということになっていました。一説には明治期の頃には学校の教科書もまだ英文が多く、その教科の授業やる前に和訳しないといけなかったからだ、その流れが昭和以降も続いたからだ・・・とかそんな話もあります。
それはともかく。最近は逆に「聞く・話す」がメインになってきているとか。それはそれでたしかに国際化の波に乗り切れるだろう、という向きもあるんですが。
その前に「ガイジン」意識、と言うか。最近は大分薄まってきたように思えますが・・・「ガイジン」と会うと身構える、意識してしまう・・・的なところから改善すべきではないか、と。
こういうのは年齢が低いほど順応しやすいので、幼児期に海外の人と触れ合う、というのはたしかに国際的な感覚を身に着ける一助にはなります。が・・・コレ、実は諸刃の剣というやつで。海外の人や情報の方が良い、と感じてしまうと今度は一気に日本への興味が失せていきます。
・・・いや、失せるだけでなく。なぜか・・・日本を「下」に見るようになったりします。
海外から帰ってきた、という人に何人か会ったことあるんですが。うち何人かは明らかに「海外かぶれ」でありました。・・・それも鼻につくとかそういうレベルでなく。無理に日本に帰って来なくてもいいよ、あなたの崇拝しているその国へとっととお帰り・・・と言いたいほどに。
この手の話は特に戦前に「あっち」へ行った人の旅行記なんかにはよく出てきます。が・・・現代だってそう変わったもんでもありますまい。アレを量産しちまうんではないか、というのはちょっと考えすぎでしょうけど・・・なんか、ちょっと不安ではあります。
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12/25/2017
そりゃ親の責任
でしょうに。
小中学生の携帯・スマホ「原則所持禁止」、トラブルなど話し合う(Yahoo!:佐賀新聞)。記事読んだ当初は「ああ、学校にスマホ持ってくるの禁止ってことか」と納得?してたんですが・・・どうもよく読んでみると「所持禁止」つまり持つのも禁止、ということのようで。
・・・持ってるからSNSなどでトラブルに巻き込まれる。
そりゃあ、そうですが「だからスマホ持つの禁止」とすりゃあ、そりゃあ色々出てくるのは当たり前であります。これはまだガラケーの頃からも同じような「会議」がちこちで繰り返され、似たような「結論」が出ている問題であります。
一律規制するのはどうか、とは思うけどやっぱり禁止できるところはしよう・・・的な流れになっていって、でも有名無実と化してあまり意味ない・・・とか、禁止の締め付けが厳しすぎてぼろぼろ穴があいていく・・・とかそんなもんであります。
穴居のところ・・・そこまで学校が負うこたない、と思うのですが。
持たせるのは「親(もしくは親権者)」であります。別に学校から「スマホ持たせてください」なんてなこと言ってるわけではないわけで。それなのに何かあったら「学校のせい」とされてもなあ・・・と。
「持たせる・持たせないはご家庭の判断に委ねます。もちろん学校としてもできる限りのフォローはしますが、最終的な責任はそちらでどうぞ」
的な発表してもいいと思うのですが・・・そうなると「職場放棄だ」「先生の責任ゼロか」「給料泥棒が」とか何とか言い出すんだろうなあ・・・。
まず親がスマホに潜む危険性とやらを認識・その上で子供に持たせるかどうか決める。決めたのは親なのだから何かあったら自分で何とかする。
・・・というだけのような気もするんですが・・・さて?
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11/15/2017
道を開く
そこまでこだわるかな・・・。
坂本龍馬が教科書から消える?(Yahoo!:ANN) 「暗記項目」としての坂本龍馬が消える、というのであればそれはそれでアリかな、とは思いますが。別にただただ覚えておくだけ・・・というのならたしかにあまり意味はないような。
社会は特に「暗記科目」と呼ばれて久しい科目であります。とにかく単語を覚える。
それはたしかに受験のためで・・・それを変えよう、ということなら賛成であります。ただ・・・覚えることで開ける道もあるはずで。そっちへの道を閉ざしてしまう可能性もあるわけであります。
自分は歴史好きですが、教科書で覚えたものはあまりありません。むしろ学校で習う前から知ってた単語も多く。好きなもんは大抵そんなものかと思われます。
学校で「覚えた」「暗記した」というのも今ほどに遠く?なるとあまり残ってはおらず。しかしそれで開けた「道」は今でも残っています。専門的に突っ込むわけでもない義務教育や高校教育ですから・・・何かのきっかけになればそれでいいのでは・・・と。受験のためでもそれは同じで、しかし「覚える作業」に成り下がるのはたしかに苦痛ではありますが。
・・・それと。歴史を、歴史的要素を「カネもうけ」に結びつけたがる昨今の風潮にはちょっと辟易してしまってます。天然自然と同じでそこに「あった」ただ「存在していた」のが歴史なわけで。有名要素でもって何とかカネを・・・というのはある意味浅ましいと思うのですが。要素を生かす方法はいくらでもあるのにただただ利用するだけ、というのはなんなんだろうなあ、とか。
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09/30/2017
覚えるべきところは
覚えておかないと。
高校「生物」科目、重要単語を絞り込んで「暗記ではなく思考力を」(Yahoo!:JIJI) ・・・なんかこういう「暗記だけではなく思考する力を!」的な話はいつも聞いてるような気がします。
別に生物が~という話でもなく。歴史なんかも暗記科目なんではないか・・・と。
暗記ばかりする=思考能力が身に着かない、というのはたしかにあると思いますが・・・基礎的なところはきちんと押さえておかないと、土台もできてないのに「さあ考えろ」と言われてもなあ・・・と。
自分は「生物」好きだったんですが・・・あんまり暗記した記憶はなかったり。今とあの頃とは事情が違うのかも知れませんが。
それでも今でも感じるのは「専門的知識をきちんと蓄えた人たちのスゴさ」だったりします。こういう人たちは思考力はもちろんあるんですが、同時にきちんと専門事項を覚えて活用しています。・・・多分「暗記」という感じではなく、「好きだから勝手に頭に入って行った」という感覚なのではなかったのか・・・と思います。
そこまでいかなくても一定量「暗記」的に知識を貯めこむ必要はあるかと。ただ・・・それだけになってしまうとたしかに考える力は弱くなっていきます。・・・その辺のサジ加減と言うか、そういうのが難しいのでは・・・。
指導要領的に「こうすべき」とするよりも現場に即した、と言うか・・・その時その時での判断も有効なのでは、と思いますが。ただ「暗記項目減らせばいい」的な発想では・・・結局また昔と一緒になってしまいそうで。
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08/24/2017
じつぶつ
イマドキの子供の金銭感覚に不安を感じる親たち(Yahoo!)・・・たしかに現在のようにまで電子マネーが発達してなかった頃、親が現金で支払ってモノを手に入れる、という行為を見て子供は「買い方」「お金の流れ」というのを学んでいってたような。
カードかざすだけで支払いOKとなるとその辺の感覚が・・・というのは分からんでもないのですが。
ちょっとある意味「極論」的になるのかも知れんのですが。
日本という国は現金決済が多い国、としても知られています。欧米では早くからクレジットカードや小切手(チェック)による決済、個人的な売買・・・スーパーでの買い物なんかでもカードや小切手、というのが普通になってました。一つには「現金」という誰でも使えるお金ではなく「カード・小切手」という当人と相手しか使えないお金の方が持ち歩くには安全だから、というのもあるとか。それだけ日本が安全な国だからだ、という見方もできなくはなかったりします。
その流れから海外ではカードなどによる決済が当たり前、ということになっていき・・・対して日本はその辺に関して「遅れてる」とされています(ただ、まあ、昨今の「クレジットカードばら撒き」的なのもどうか、とも思いますが・・・ちょっと前までは審査がかなり厳重だったはずなんですが)。
それでもそんな日本でもクレジットカードは個人間に普及してきています。しかし同時に電子マネーも普及。・・・個人的にはこっちの方が日本人には合ってるのかなあ、とかそんなことも思いますが。プリペイド、つまり先に入金しておいてそれを電子的に引き落とす。「クレジット」という「信用」でもって一時期お金を借りて支払うわけではなく・・・ある意味現金での取り引きに近い感覚ですし。
・・・でもそれでも実際に「お金払ってる」わけではない、ということで不安、ということになってくる、わけですが・・・。
それが当たり前の子供が大人になった頃、というのはなんだかその時はその時、と言うか。今の親たちの心配とはまた違った方面での「心配」になってそうな気がしますけども。・・・多分・・・カードやなんやらが出始めた頃に「これでは現金の感覚が失われてしまう」的な心配してた人がどれだけいたんだろう・・・とか。
今の我々では思いもつかない心配かも知れません。・・・技術、なんてのは大抵そんなもん、と言えばそんなもんですし。
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07/11/2017
二つほど 7/11
朝日新聞で二つほど。
一つ目。仏教系大学を儒教系法人に譲渡、学生が提訴へ(Yahoo!:朝日新聞)。仏教系大学、というのは一般の人が学生として入学するのはもちろんですが・・・卒業することによって住職への道が近くなる、そういった事情もあったりします。・・・お寺の住職さん、と言っても昔のように弟子とって教え込む、というわけではなく。今は結婚も許されていますから例えば息子を・・・という場合にはこうやって仏教系大学に入れることも多いわけで。
これが「仏教系」ではなく「儒教系」法人が経営・・・となると。
一部で混同される向きもありますが、儒教は基本的に孔子の教えを基にした宗教で・・・韓国では一般的であります。現在の仏教よりも「個人の生き方」を模索する要素が多いような。「礼」を重んじる、というのもその特徴の一つですが・・・当たり前ですが「儒教系」となってしまったらお寺の住職さんとはまた違った方向に進むことになります。
そして・・・こういうのは今後増えていく可能性があります。こういった全然別の宗教へ・・・という場合もあるでしょうし・・・あるいはそういう方面とは違った方向へ、なども。「宗教色をなくしていく」的な経営に路線変更・・・となってしまう可能性もあったりします。そういうところは事情を汲んで欲しいところなんですが・・・。
二つ目。プレミアムフライデー「効果なし」76%(Yahoo!:朝日新聞)・・・「効果がある・ない」も何も始まってもいないやんか、というのが正直なとこかも知れんのですが。
一応?解説しておくと「毎月最後の金曜日は仕事を早めに切り上げて街で消費しよう」という取り組みであります。官民提携、となってていくつかも企業も協賛。企業だけでもなく商業施設も協賛、してますが・・・基本的に東京のなんかリッチ?なところでやってるだけー、みたいな感触は拭いようがないような。
全国区にはまずなってませんし。しかもこういう「消費を~」的な取り組みは一体何回目なんだ、と。そのたんびに同じような末路を辿ってるわけですが。
・・・しかし↑調査の「今後も続けた方がいい」18~29歳だけ過半数越え、てのは・・・何だろ、「今後そういうのが定着したらいいなあ」という希望なのか何なんだろう、と。それ以上の世代の「どうせこんなん長続きせんわ」と冷え切っているのが対照的、なんですが・・・。
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06/08/2017
オトナの都合?
夏休みの「短縮化」一夏10日間予定の学校も(Yahoo!:NNN)。たしかに災害などで止むを得ず学校を閉じた場合、その分長期休暇減らす・・・というのは分からんでもないような。習得すべき授業の時間はあらかじめ決まっているわけですし・・・どんな事情があれ「差」が出てしまってはいけないものではあります。
そのため地域によっては冬休みが他より長かったり(逆に夏休みが短い)することもあります。それはそれである意味仕方ない、と言うか事情が事情ではあるわけです。
しかし・・・先生の都合で、となると・・・?
大体一か月。それほどの「まとまった休み」というのは日本では人生のこの時期にしか取得できないようになっています。小学校から大学まで、としてもそれは人生の中でかなり限られた時間のみ、ということになります。
そういう時間でしか経験できないことも多数あるわけで・・・それができなくなる、というのはかなりもったいない話かと思われます。
実際、「学校の先生」というのはかなりハードな仕事が多い、と聞きます。・・・しかしそれはオトナの都合なわけで。オトナ同士がなんとかして解決していくべきなような気がします。残業を減らすべく職場での働く時間を変更して・・・というのは同じ仕事場の同僚や上司と話し合って(あるいは融通し合って?)決めていくのが普通ではあります。ただ・・・それは基本的に同僚や上司しか職場にはいない、というのが前提になります。「働く仲間」しかいない職場ならそういうことも可能、ということであります。
それが同僚や上司とは話し合ってるけど、ある意味最も重要な「仕事の相手先」という存在が職場にいて、その人たちのあずかり知らぬところで大幅な変更を・・・というのはどうなんだろうなあ、と。
結構貴重だと思うのですが、夏休み。児童や学生にとっても・・・付き合わされる?上の世代にとっても。場合によってはこういう時でないと有給申請しにくいなあ・・・てな場合もあったりしますし・・・「夏休み商戦」的なものもあるんですが、そこら辺の経済活性化とかはどうなるんでしょうか・・・?
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03/22/2017
「ti」か「chi」か
「oh」と「o」の上に記号付ける、とか
「ローマ字」英語教育化で表記で混乱(Yahoo!:毎日)。英語早期教育への流れから「ローマ字」も・・・ということなんですが、日本では「訓令式」と「ヘボン式」の二つが主流として伝わっています。
そもそもアルファベットを使用してなかったのが日本ですから、明治期以降に本格的に導入されてきた際に「ローマ字」も伝わってきたわけです。・・・実は終戦直後くらいに「日本語は表記も構成も煩雑だからローマ字限定にしよう」という動きがあったりしました。もちろんそれが通ることなかったので現在はひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字が混在しています(戦後くらいに漢字を廃止した国、というのは実在します)。
しかし元来は存在してなかった文字のため・・・いくつか「方式」が混在してしまったと思われます。そのため表記も混在。
たしかにどちらかと言えばヘボン式(chiの方)が即しているかな、というのは個人的な感触だったりします。ただ・・・お札に「NIHON GINKO」の文字が表示してあるんですが、これを自分なぜか「ニホンジンコ」と読んでしまうクセ?があります。
英語でも「give」のように「ぎ」発音のはずなんですが。訓令式でもヘボン式でも「gi」は「ぎ」なんですが・・・これがどうしてかは自分でもよく分かりません・・・。
そして。ちょっとナゾなのがPCのキーボード入力・・・つまりはローマ字変換ではフツーに「ぎ」を「gi」で打ってる、という・・・なぜなんだか・・・?
ローマ字教育の目的の一つにはこの「ローマ字入力」も関係してるかと。そういうところも早期に慣れてもらおう、ということだと思うのですが。
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03/14/2017
あんまり意味ないような
学校給食に「ジビエ」一石二鳥獣の試み?(Yahoo!:毎日) 「今日の給食はジビエと言ってね、野生動物の肉なんだ。畑なんかを荒らすシカの肉なんだよ」とかそんな風に教えても目の前にあるのはただの「肉」なわけで。肉の見た目や食べてみただけで「これは家畜の肉」「これは野生動物の肉」と違いが分かる人は生徒も教師も含めて一体どれくらいいるんだろうか・・・。
駆除の結果、という意味で生じたジビエ、という見方もできます。その方面からの授業の一環・・・ということでの提供もあるのでしょうけど・・・それを学校給食にして「さあ、地域の勉強をしましょう!」とやってもなあ・・・と。フツーに普段とはちょっと違う肉、といったところで終わりそうであります。
「子どものころからジビエをおいしく食べれば、将来の消費拡大につながっていくだろう」
・・・それはあると思いますが・・・それよりも流通の確保とかそれこそ安全面の確立とか。「子供の頃から食べていれば」で大人まで食べ続けるか、と言えばその辺も疑問ですし。家庭の夕飯で食べていた、というのならまだしも学校給食だけで食べていてそれで消費拡大、というのも・・・???
これはジビエに限った話ではなく。よくある「規格外野菜」「外来種を食ってしまえ」なんかも同じであります。流通に乗る・乗らないで扱いに非常な差が出て来てしまうのです。・・・ジビエをきちんと処理してきちんとした肉として(やや高いとしても)市場に出してもどれくらいの人が買うか、ということであります。いや、どれだけの人が「日常的に」買うか、と。時折ぽっと出てくるだけの珍しい肉、ということなら仕入れる側もちょっと考えてしまうわけであります。
もちろん話題作り的な面で仕入れる、というのはあると思いますが。
でもそういうところは例えば国や役所が音頭とっていけばある程度はどうにかなる、と思うのですが・・・なぜかそういう動きはあまりなく。あるのは「身体にいい」「ちょっと高い」「これが環境保護に役立つ」的なワードのみ、と。
給食で出す、というのは取り組みの一つではあります。が、現状でやってもまだあまり意味がないような気がします。害獣駆除としてやヘルシー食材といて、あるいは全体の環境保護へのとっかかり・・・としたいのならばもっと大きな動きを生み出していかないといけないような気がするのですが・・・?
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02/20/2017
結局は道具
「スマホ育児」どう考える(Yahoo!)・・・色々あるとは思うのですが、「おもちゃ」の延長線上としてスマホを与えるとかあるいは「これはこの先の情報社会を渡っていく上でこの子には必要だから」といった意味合いでスマホ与えるのとは違ってくると思われます。
育児上の疲れから、一種の時間稼ぎからの「スマホ育児」というのもまた違ってくるかと。
結局はツール、つまりは道具なわけで。その道具をどう使うか、特に子供にとっては親もしくは親権者がどう使うか、どう使ってくれるか、というのが大きな問題となるわけですが・・・それをスマホにだけ向けてもなあ、と。
・・・子供に携行用ゲーム機を与える。これは最近では別に珍しい話ではないと思うのですが。
スマホはたしかにゲーム機以上の使い方ができます。その複雑さはたしかに単純に比較できるものではありません。ただ、同じノリで渡すのか、それとも違う方向性で渡すのか、となるとまた違ってくると思うのですが。
「周りを見なくなる」「手軽にうわっぺらな知識を手にするようになる」というのはスマホ以前にPCが一般化してきた頃や、携帯(スマホではなく)があふれてきた頃から言われてきたことであります。とりわけ「スマホが~」ということではないように思います。・・・なんか・・・新技術にミョーな期待?を持ってる人が多いような。
所詮は道具なんですが。・・・使う側がきちんと使ってれば問題ないわけであります。
よく言われるのが「ナイフが人を殺すのではなく使う人が人を殺す」であります。人を刺し殺すナイフ。じゃあナイフォが悪いのか、と言われれば・・・いや、刺した人が悪い、ということになる。スマホも結局は道具に過ぎないんで・・・それによって何かが害が起きても結局は使う人なんでは・・・と。子供が使うのならその親もしくは親権者に問題がある、ということになると思われます。
・・・そして。これは、この辺は完全に個人的意見なんですが。
多分10年20年したら「スマホで育児に悪影響? 何バカなこと言ってんの?」とかそういうことになりそうな。情操教育にこれほど良い教材はない、とかナントカ。よく知られていない新技術に対するバイアス的なものがどこかにあるんでは、と。
いや、これは自分もあまり人のことは言えますまい。分からない技術、モノに対してはやはり身構えてしまうものであります。
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02/15/2017
完全に閉じるのは
まあ、不可能ですし。
小中社会科、「鎖国」表記消える(Yahoo!:読売)。「幕府の対外政策として一部の港しか開かなかった」とかそういうことになりそうであります。
・・・完璧に閉じた国、というのはちょっと難しい話で。「鎖国」と言われていても実際には海外の物品や情報は日本に入って来ていた、というのはよく知れらています。
例えば「解体新書」これは「ターヘル・アナトミア」という医学蘭書を訳したものですが、じゃあ、その原本はどこから来たんだ・・・と。完全に「閉じて」いたらそんなもん江戸にまで来るわけないはずであります。
ただ・・・情報的に、と言うか。一般大衆はほとんどそういうこと知らなかったわけで。
長崎や松前、というのは江戸市民にとってははるか彼方の地であります。江戸も中期以降になると庶民が各地を旅行するようになります。しかしはるばる長崎にまで行った、としても。出島からオランダ人はほとんど出られませんし清の人たちの町はあっても早々に立ち入るわけにもいかない。・・・あまりそういうのとは触れあえなかったりします。
・・・もちろん例外はあります。遊女は出島に出入りできたので・・・まあ、そういう出自の人が少なからず長崎にはいたのではないか、ということになってます。
それでも学問としての「蘭学」や清で漢訳された書籍などは入って来ていたわけで。そこから海外を見ようとした人たちの努力があったことは言うまでもありません。
海外への渡航は死罪であります。・・・その時点で鎖国じゃないか、という見方もできます。しかしそれも幕府の対外政策の一環で・・・と言われればたしかにそういうもんだ、ということにもなります。「大多数が外に対して目を閉じさせられていた時代」という認識は変わらないかと思われます。
ただ・・・個人的には「鎖国」という表記は嫌いではなく(好き嫌いの問題ではないのですが)。開国に対しての「閉国」とか「閉じ込められてた」的な言い回しとか、そういうのとはちょっと違っていて、実は鎖のすき間からかすかに外が見えていた・・・そんな雰囲気?があるような気がしていて・・・。
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12/12/2016
親の背を見て子は育つ
・・・とカンタンに言い切れるかどうか。
「眠育」学校に広がる(Yahoo!:読売)。つまりは「子供はきちんと寝かせましょう」という話だったりします。最近は親がいわゆつ「宵っ張り」になってきていてそれにつられて子供も・・・というケースが懸念されてきています。
まあ、実際親が夜遅くまで起きていれば子供もそうなる、というのは分からんでもないですが。
しかし一方で「朝起きて夜寝る、これが人間らしい生活だ、さあみんな、こうするべきだ、そうしなさい」というのもどうかな、とは思うのですが。
「朝にきちんと起きた方が身体にいい」という研究結果もあったりします。しかし生活様式の多様性が複雑になってきてる昨今、それで全部がまかないきれるのか、というと・・・?
あくまで大多数がそうなるのではないか、という話であって、人類数十億人がすべからく同じ結果となる・・・ということではないのではないか、と。・・・もちろんその辺も勘案しての「研究結果」なんですが、だからと言ってなあ・・・という立場の人が少なからず存在するのも事実なわけです。
「夜に働いているから朝帰って来て寝る」というのも間違ってないはずで。それしか生活の道がない人に「夜寝て朝起きろ」と・・・言い切るのは果たして正しいことなのか、と。
多様性が認められるのはその文化(生活様式・生存様式)が多様化してきてた証しであり・・・多数の人たちが様々な「立場」「条件」を許容し始めた証しでもあります。それまでのように「~~はこうあるべきだ」「~~ならナントカはできないはずだ」といった社会的な「押し付け」を排除できるようになってきた、という証拠でもあります。・・・人間の自由性、と言うとやや大げさですが、生きたいように生きられるようになってきた・・・という言い方もできます。
ただ・・・それもやりすぎと言うか、勝手気ままにやられてはなあ・・・と。
個人的には子供は十分に寝かせてやれよ、と。「寝る子は育つ」と言いますがあながち間違ってないでしょうし・・・「子供は小さな大人だから」と言ってもそれは尊厳とか生きる権利とかそういう意味であって、別にアンタの生活に合わせることがオトナ、という意味ではないでしょうに。
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11/06/2016
一応食ったことある
のですが、別にそれほどでも・・・というのが正直なとこであります。
昭和の人気給食「ソフトめん」消滅の危機?(Yahoo!:毎日) たしかにうどんでもスパゲッティでもない、独特の食感でしたが。でもどっちかと言うと「めん」よりも一緒に出てきた「ミートソース」の方が人気あったような。そこまで欠食児童(この言葉を知ってる人はそれなりの年代かと)でなくてもああいう「肉」と「濃い味」というのは人気あるものですし。・・・こういうのは今でもそうなんじゃないか、とは思いますが。
学校給食の思い出・・・というのもあまりないかなあ、と。強いて言えば牛乳がビンからパックに変わり始めた頃、とかそんなもんで。運ぶ時に軽くなった・・・とか。
一つには味覚の好みが変わってきた、というのもあるかと。例えば「揚げパン」ですが・・・揚げたパンにきな粉がまぶしてあって、甘くて美味しい、という記憶はあるのですが・・・結構年齢進んでから食ったことあるんですが、あの頃ほどに「ウマイ!」というものでもなく。なんかやたらしつこい味だなあ、とか思ってしまったりしました。
定番のカレーも、まあ・・・特に給食でなくても美味いものですし。
あとは・・・何だったかなあ、何を食ってたんだろう? あの頃? とかそんな風に思ってしまいます。忘れてしまった・・・と言うよりあまり記憶に残っていない、とかそんなもんかも知れません。
・・・あ、ミルメークってのがあったっけか。牛乳に溶かすとコーヒー牛乳だかいちご牛乳になるやつ。これもまだ生産は続いているんだとかそんな話をこないだ聞きましたが。
最近の給食はどんなんなんですかね・・・どこかの自治体では原材料費高騰で給食カットの日があるかも・・・とかそんな話になってますが。あるいは逆に「地産地消」を名目に地元の名産品が出てくる、とか。
・・・でもまあ・・・↑記事にあるように無理に「米飯」にこだわらんでも、とも思いますが。パンも米も麺もあっていいんじゃないか・・・と。そりゃあ、米の消費が減るのはなんとなくさびしいもんですが・・・無理に、というのはどうかなあ、と。
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10/05/2016
一年生だけ
小学館、「小学二年生」休刊へ・・・「小学一年生」だけに(Yahoo!:朝日新聞デジタル)。創刊は1925年・・・大正14年であります。これは2年前の1922年に「小学館」そのものが創立しており(その時に「五年生」「六年生」が創刊)「小学○年生(当時は「セウガク○年生」)シリーズの一つであります。
・・・自分がガキの頃は結構流行って?いたような記憶もないではないのですが。何せ自分の家はマンガ禁止だったのでいわゆる「少年マンガ雑誌」の類は全然なく。しかし「小学~」もそこまでガチガチの学習雑誌でもなかったのでやはり現物が家にあった、ということもなかったりしますけども。
すでに「小学三年生」~「小学六年生」は休刊となってます。
「小学~」は例えば「三年生」の初頭から読み始めて学年が一つ上がって四年生になると雑誌も「四年生」に上がる・・・という傾向があるんだそうで。ということは・・・現状ではもうそういうのはできない、ということになってしまいます。
学習雑誌という側面はたしかにありますが同時に様々なマンガ連載もあったりします。かの「あさりちゃん」が36年間にわたって連載されていた雑誌だったりします。
→あさりちゃん(Wikipedia)
・・・時代の流れ、と言ってしまえばそれまでなんですが。仕方ない、と言えばそうなんですが・・・やはりさみしいものであります。
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08/26/2016
ぐろーばる?
先に足元固めといた方がいいと思うのですが・・・。
小学校から英語教育「グローバル人材」育成につながるか(Yahoo!)・・・小学校で英語教育、というのはこれまでは正式な「教科」ではなかったのですが(つまり成績に影響なし)2020年から小学校高学年(5・6年生)で正式に「教科」としよう、という案が出ているんだそうであります。
・・・最近は保育園や幼稚園でも「インターナショナル」なところもあって、日常的に英語を使うところも増えています。・・・別に悪いことではないのですが・・・何度かこの「あれこれ」でも触れてますが・・・先に日本語やっとけ、その上に英語なりスペイン語なりを築いていった方が・・・というのが個人的なとこであります。
実は、と言うほどのことでもありませんが自分も海外在住の経験があります。親の仕事の関係で転勤、というやつであります。・・・イランに7ヶ月、アメリカに2年。
イランの方はほとんど自宅のみで、日本人学校通ってたのでペルシャ語は今ではおぼろげに「数」が分かる程度ですが、アメリカは中高生の頃で現地校に行ってたのである程度今でも英語が分かります(ちなみに妹は今でもかなり理解できるレベル)。
が・・・あっち行って最も感じたの「あっちの日本人の日本人らしくないところ」でした。英語はできても日本語はできない。話すことはできても基本的な漢字の読み書きなんかはあやふや。でも「オレはグローバルだから」とか何とかミョーな特権意識をふりかざす。
そーいうのを見てる、と言うか感じてる身、としては(しかも中高生の頃に)。日本語も十分にできないちに英語を学んでもしゃーない、と。その前に日本語きっちりやって、日本のことも知っとけ、と。自国のアイデンティティ持ってない奴が「グローバルだから」とか言ってても・・・うすっぺらい限りであります。どっかに軸足置いてる方がしっかり周囲を見回せます。
英語出来れば即座に世界人! みたいなノリはそろそろやめませんか、ということでもあります。そもそも子供は英語学んでも親は? という気もします。・・・まあ、ある程度経てばその辺の事情は変わって来ると思いますが。
↑記事にもありますが「英語を学ばせれば(触れれば)グローバル」ではなく「自然にそういう環境にもっていく」というのが重要ではないか、と。最もいいのは実際に海外に行くこと、移住することですが(それも日本人コミュニティがあまりないとこ)それは実際には無理。じゃあ家庭環境から・・・と。
子供だけにそういうことやっても意味ないわけで。親からそういうとこまで考える必要があるのでは・・・ということなんですが小学校で「教科」にする、ということだけでは・・・なかなかそこまでは行かないんじゃないか、と。
↑記事に「語学の勉強は”いつからでも”始められるのです。」(「」内↑記事より引用)というくだりがあります。・・・別に幼少期からでなくてもいいんでは、という意味なんでしょうけど・・・大人になってから始めても問題ない、というのは切に思うところではあります。
時間はかかるでしょうしなかなかうまくいかないかも知れません。でも不可能ではないわけで・・・あわてて子供の時から・・・! というのはどうかな、と思うのですが。
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07/01/2016
明文化なんてできるか?
でもやっとかないと今度は対処が遅れる・・・。
文科省、いじめ明確化へ・・・学校で対処しやすく(Yahoo!:時事)。どんな世代になってもゼロになるわけではないのですが・・・いじめ。これは人間特有のものではなく。ある程度の社会性・・・いや、複数の同種の動物が近い距離に存在しているとほぼ必ず起きる現象ではあります。
つまりは「順位づけ」なわけです。自分の方があいつより強い。それをカタチとして示したい。
それを示す最も効果的な方法が「相手を力で屈服させる」ということであり・・・しかし種によってその方法は様々であります。ヒト、という種では言葉というコミュニケーションツールを利用して相手を屈服させる方法もあるとか。
・・・こういうノリ?はどんな生き物も共通、ということではあります。ヒトにだけいじめがあるわけではなく。社会性がある・ないに関わらずそういった「順位づけ」はどんな動物にもあるものであります。例えば群れを作る習性のない肉食魚(小型でも可)を狭い水槽に入れると・・・明らかに「順位」ができて強い方の個体が優先されるようになったりします。
でも実際問題「それじゃ仕方ない」というわけにもいかないわけで。それなりの「ルール」を作れるのが人間なのではありますが・・・。
じゃあ、どこからどこまでが「いじめ」つまり「順位づけ」か、どこからどこまでが「遊び」か、となると・・・その辺は当人?同士にしか分からないケースも多々あるわけです。人間の場合、さらに複雑な心情やら感情やらが関係してくることもありますし。
だから・・・そうかっちり決めることなんかできるのかどうか、と。カンタンに線引きして「いじめではなかった」となるのもどうか、ですし・・・逆に手遅れになることもあり得ます。本来ならもっと当事者と管理する側(教師も親権者も)の距離を近くしておく必要がある、という言い方もできるかも知れません。しかし現代ではそれは現実的ではないようであります。
一番恐ろしいのはこういった「規制」が入ることで一種の「魔女狩り」が起きることなのですが・・・なかなか難しいところだと思うのですが。
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04/05/2016
半々くらいで
お弁当に「冷凍食品禁止」を求める保育園・幼稚園がある(Yahoo!:J-CASTニュース)・・・全部の保育園・幼稚園がそう、というわけではないのでしょうけど・・・なんで? というが率直なとこであります。専業でもない主婦や主夫の場合「全部手作り」だとかなりの負担になるでしょうし(専業でもかなり大変ですが)。
一昔前は「冷凍食品なんて」という風潮は一般的でしたが昨今はそうでもなく。品質も安全面も格段に進歩していますが、まだそういうイメージがある、ということなのかあるいは「食育」的な何かでそういうことにしている、ということなんでしょうか・・・。
前にちょろっと触れたような気もしますが。日本人というのは冷凍食品に対してちょっと変わった考え方を持っています。技術的には相当なレベルのある国に住んでいながらその結果生まれた冷凍食品を蔑む、という・・・。
欧米なんかでは結構すんなり受け入れられてますが、日本ではどこかちょっと引っかかったようなイメージが持たれている、そんな気がするのです。
一説には戦後のモノのない頃。外国から冷凍の魚の切り身が緊急的に輸入されてきたんですが・・・これがかなりダメになっていて異臭を放つほど。ここで「冷凍=大したことない」というイメージが広がった、のでは、と。
実際当時と今では比べ物にならないくらい技術の差があり、その辺からあまり良くないイメージが出てきた、というのはまだ分かるんですがそれを今まで引きずっている、というのは・・・。
そして。「冷凍食品=手がかからない=手抜き=愛情に欠ける・食べる相手のことを思っていない」という図式もあるでしょうか。世代にもよると思いますが、一定以上の世代になると「冷凍食品やインスタントはダメだ」と確かめもせずに切って捨てたりします。これは日本人が・・・多分心身共に余裕のでてきた江戸期辺りに身に着けた・・・「できる限り時間や労力をかけて相手のことをもてなす」という美徳の表れの一つかと。それはそれで悪いことではありません。・・・でも今の保育園や幼稚園経営の世代だと・・・あんまりそういうのまでは気にしないんじゃないかと。
むしろ「こういうことにしておけば何かあった時の防波堤になるだろう」的な発想がどこかにある、としたら最もイヤらしいことではあります。
相手のことだけ、自分のことだけ、ではなくて半々くらいがちょうどいいと思うのですが。
品質うんぬんもありますけど、選択肢を勝手に限定していくのが一番の問題かと思われます。余裕がない中で完全手作りしかダメ、となったらどんなテキトーなお弁当になるか。冷凍食品でも色々な可能性があったりします。アレンジすることもできるし工夫もできる。
それを一律ダメ、というのは・・・なんだかなあ、と。
実際に禁止している保育園・幼稚園がどれくらいあるのか、というデータは恐らく出てこないでしょうから例えば関係省庁に何らかの働きかけを・・・ということにもならないと思います。が・・・こんなことしてたらホントに少子化対策なんか進むもんも進まんわ、と門外漢ながら呆れてしまう限りだったりします。
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02/08/2016
制限してもなあ・・・
法政大や立教大で「ネット制限」・・・7割がSNSやゲーム?(Yahoo!:毎日) 実際、そういうことなら学業に支障どころではなく研究にも影響が出る可能性は高いわけで(でも特に苦情などは来ていない・・・?)。警告しても改善されないのならさらに強硬な手段に、というのも分からんでもないんですが。
・・・いや、まあ・・・大学生ですしねえ・・・。
自主性がどう、とか自治権がどう、とかそういう話ではなく。もう成人にもなろうかという年齢の人たちがそうなんか・・・まあ・・・自分らもあんまし人のこと言えませんが。今みたいに色々できるんならたしかにそうやってハマるんだろうなあ、とは思いますが。
・・・やるんだったらもっと徹底的にやったらいいかも、とか思ってしまいますが。例えば学内全部電波遮断。有線無線問わず。もちろん「接続可能エリア」を設けておいてそこでだけはネットに繋がる、と。
そうなると今度は「闇ネット接続場」的なものが出来て、それを取り締まる大学側・抵抗する学生側、とかそういう構図に・・・そして大半の学生は学外でネット接続するため「不登校」が問題になる・・・。
・・・というのもなんか違うような気もしますが。しかしやるならそこまでやった方がいいかも知れない・・・?
という空想?もあるんですが。
すでにここまで広がっているモノを規制、というのはちょっと難しい話であります。今の大学生なら物心ついた頃からもうそういう環境に近いもんだったわけですし。「大学だめダメ」というのはやはり無理な話でしょうし。
そのうち飽きるんではないか、という考えもあったりします。すでにこういうのがあって当たり前の環境を越えてしまっているのが今の小学生とか幼稚園児だったりするわけです。その世代が規制された大学に入る頃は・・・何か別の問題が起きている・・・とかそんなもんかも知れませんが。
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01/27/2016
嫌いでした
自分は小学生の頃からあんましスポーツ得意ではなかったので・・・嫌いでしたが。
ドッジボールはいじめなのか?(Yahoo!)
・・・いや、まあ、「いじめ」と言えばそういう要素はありますけど。でも、それ言い出したら勝ち負けの出る勝負事は全部「いじめ」みたいなもんであります。優劣を付ける=いじめ、といううがった見方もできてしまうような。
ただ、ドッジボールは直接「ぶつける」という行為があり・・・明確に「いじめてやる」行動ができてしまうわけで。他の球技だと「いやがらせ」はできてもそこまでは・・・といった向きがあるのも事実です。
でもその辺もなあ・・・例えばサッカー。ルール上「相手を攻撃したらいかん」ということになってますが、実際のとこは・・・結構幅のあるルールなような。こういう例は球技だと結構あるもんで、バスケットボールとか相手に接触する球技は少なからず存在しています「バレないほどなら・・・」という感覚。
これが野球とかバレーボールだとちょっと事情が違ってくるわけで。その辺はどうなんだろうなあ、と。
↑コラムにあるように事前にある程度「幅」を決めておく、というのは一つの手かと思われます。・・・実際、自分の小学生の頃なんてのはボールも硬いもんでしたし遠慮も何もないもんでしたし(・・・自分の場合、ぶつけられるのがイヤなので避けまくってたら一人だけになってさらにイヤな目に遭ってたんですが)。
そういう配慮のできるのが現代の強み、と言えば強みであります。逆にがんじがらめになってしまう、という弱みも抱えていますが。
いじめだ、と無理に禁止するのもどうかと思います。「幅」を狭めていくと最終的に狭い範囲しか理解できない大人になってしまいそうですし(視野狭窄の人間が新たな世界を知って驚いた時の行動、というのも実は興味深いもんではありますが)。・・・ルールを加えるなどの工夫でどうにかならんのかな、とも思うのですが・・・じゃあ、今からお前もやれ、とか言われたら全力で逃げるだろうなあ・・・(オイ。
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01/11/2016
自治体で初
というのも・・・遅いような気もしますが・・・?
自治体初・福岡県北九州市が「子ども食堂」新年度開設へ(Yahoo!:西日本新聞)。「子ども食堂」と言っても「子供が運営したり調理したりする模擬店」みたいなものではもちろんなく。
母親もしくは父親のみの「ひとり親家庭」、その他保護者が多忙をきわめていたり家庭的に不安定な児童・生徒に食事を提供したり学習支援したりする・・・そういった施設のことであります。もちろんこういったものは各地にあるんですが「自治体が」というケースは今回が初、という・・・地元の団体や個人などがなんとかやりくりしながら運営しているケースがほとんどだったりします。
となると財源が気になるところですが・・・手弁当で、となると。
これが欧米だと宗教的に「寄付」というのがあるのでちょっと事情が違ってきます。あるいはイスラム教にも「喜捨」という富める者が乏しい者に分け与える同様の思想があるのですが・・・日本の場合「自分で稼げ」的な発想も強く(実際自分からは何もしようとはせずにただ「寄付くれ寄付くれ」てのもどうかとは思いますが)どうしても小規模になったり長続きしなかったりします。
自治体で・・・と言うのならそれが最も良い方法ではあるのですが・・・なんでこんなに対応が遅かったのかなあ、と。
「格差」が広まっている・・・と言うより社会的な構造の変化(共働き家庭の増加や就業・住居難などによる今後への不安)に自治体はもちろん政府・・・いや国全体が追い付いていないのが原因かと個人的には思ってます。ただ単純に「給料上げろ」「政府が悪い」「内閣やめろ」「どうにかしろ」だけではどうにもならない。
各個人の意識の変化、と言うか・・・「あの頃とは違う日本に変わってきてるんだ」という見方と言うか。そういうもんが生まれていけばまた事情は変わって来るのではないか、と。・・・そりゃ一世代、30年くらいすれば人間が入れ替わりますんでどうにかなるかも知れませんが・・・それだと方向性が一定ではないような。
せせこましくなってきている、という見方もあります。変化の度合いが大きいのに人心は変わってないので皆に余裕がない。余裕が出てくればまた違ってくるかも知れんのですが・・・昨今のように「自分が損するくらいなら他人に損を押し付けてもいい」的な発想が見え隠れし始めると・・・↑こういった事業は真っ先に影響を受けることになります。
・・・一つの転機へのきっかけにはなるかなあ・・・「自治体初」こういった取り組みが少しずつでも増えて行けばやはり事情も変わって来ると思うのですが・・・?
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10/20/2015
本当に必要だったら
そのうち覚えていくと思いますが・・・。
スマホの普及でPC使えない若者が急増(Yahoo!:毎日)。たしかに今の「若者」・・・新入社員ですから20代として・・・その「親世代」となると成人後しばらく経ってから初めてPC触った、という人が多い世代ではあります。それが物心ついた頃からPCがあった世代の親、なわけですからその辺のギャップはあろうか、と思われますが。
・・・そんなに難しいもんなんだろうか、と。いや、これが40代とか50代になってから「初めてのPC」とかそういうことならそりゃ大変だろうに、と。でも20代で「初めてのPC」ならちょっと時間があればなんとかなるんじゃないか・・・と思うのですが・・・そういうもんではないんでしょうか・・・?
自分の場合が20代後半になってから「初めてのPC」だったもんで。あの頃はスマホもなく。ネットが爆発的に普及し始めた頃だったんですが。友人からPCを売ってもらったのが始まりでありました。・・・当然何もどうやったらいいのか全然分からず。同時に自サイトも立ち上げたんですが、参考のために買った本を「こんなん分かるかボケェ」と何度もぶん投げた(物理的に投げてた)りしてました。
・・・今となってはいい思い出?ですが。その参考書は手垢で真っ黒になってしまいましたが、今でも持ってます(タグの確認のためにまだ使ったりもしてます)。
ワードやエクセルもその頃に独学でちょろちょろと。正規に習ったりしたわけではないので誰かに教えたりできるほどではないんですが、まあ・・・我流でなんとか使えるくらいには。分からないならネットかヘルプで調べりゃいいか、くらいの知恵はつきました。
PCも最近は安くなりましたし。経済的に困窮、という家庭でもスマホは使えるんかい、とかそんなことも思いますが(子供が持ってるってことは親も持ってるはずで)。単純に使いやすいかどうか、ということなんでは・・・と。どこにでも気軽に持ち歩けるスマホの方がどうしてもかさばるPCよりも身近になるのは当たり前でしょうし。
ちょっと前の「未来予想図」的な話に「近い将来PCはなくなる」というのがあったりして。いわゆる「スマート家電」が普及していくと「PC」として独立したコンピュータは需要が減るのでは、というものでありました。・・・そこまではいかないかも知れませんが。でも「仕事用ツール」ということで残っていっても「生活用」とはならないのかも。そういう方向性?的なもんも根底にあるのかも知れません。
それでも・・・「IT企業ですら新入社員が使えず困っているケースも」(「」内↑記事より引用)てのは。なんでそんな人材採用したんだろう・・・? IT企業・・・コンピュータ使うのが当たり前の企業じゃなかったんでしょうか・・・?
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09/27/2015
私立だから?
「私立高校入試相談」・・・「確約」で合格保証、埼玉で常態化(Yahoo!:毎日)。たしかに公立高校でこういうことやったら問題になりますが「私立だから・・・」というのはどうなんだろう、と。
たしかに「ナントカ特待生」という枠があるところもあって、名目だけの入試やって結果はほとんど関係なく入学、という私立高校は全国に結構あるかと。
でもそういうのは最初から「あれはスポーツで獲るから」と明言してるようなもんであります。が、「確約」は模擬試験の結果なんかを持って高校を訪問して「お願い」してもらうようなシステム(あるいはパイプ作るのは保護者だけではなく学校関係者もやってそうですが)・・・いや、こんなんならうちは入試やめます、みんな来い、の方が潔いと思うのですが・・・?
最初↑記事読んで真っ先に思ったのが「ムラ社会かよ」でした。
小さなコミュニティで満足してしまってそれ以上広がろうとしない。コミュニティ内は絶対で、「掟」を破ると陰湿なイジメが待っている・・・というものであります。今でも日本の地方・・・いや、日本人の根底にはまだこういう「闇」が残っているんでは、と個人的には思ってます。
意味のなさそうなミョーな掟を無理にでも信奉たてまつる。
もちろんその「掟」には過去には大変に有意義な意味があったことも多いのですが、現代の事情や状況においてほとんど意味をなさないのにありがたがって守ろうとする。守らない者はハブにする。そうなるとハブられた者はその地を去ることになりますから・・・ますます「純度」が上がっていく。そういった一種宗教じみた因習。
変えるには相当のエネルギーが必要ですが、なかなかそこまでのエネルギーを得ることはできません。・・・まあ、時間が経って自然と消滅していくケースも実際は結構あるんですが。それでも残ってるとこには残ってる日本の「暗部」の一部であります。
↑もそういう流れなのかなあ、と。
いっそのこと高校まで義務教育にしちゃえ、とか。子供の数が減ってるんならそういう選択肢もアリかと。授業料無償化よりも潔いと思うのですが。・・・多分ですけどこういうのって埼玉だけじゃないでしょうし。上の方も手は打つのでしょうけど・・・進まないだろうなあ、と。
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09/13/2015
読んで聞かせる
幼児期の「読み聞かせ」で左脳が活発に(CNN)。ただし「左脳が活発になる」=「将来天才になる」とかそういうスーパーマン的?なことではなく。読み聞かせをすることで読解能力の向上などは期待できますし、何よりも活字に慣れていくことができる・・・と。
子供の将来を考えたら・・・ということでもあります。
ただ。こういう記事が出てくると「何が何でも読み聞かせしなきゃ」ということで眠そうな子供を叩き起こして自分もよく分かってない難解な本を意地になって読み聞かせる・・・とかそういう話が出てきそうで、ちょっと。
↑記事にもありますが『両親が本に触れる機会の多い環境を作っている家庭の子どもでは、脳の活動がさらに活発になっていると指摘』(『』内↑元記事より引用)ということであります。一番触れる機会を増やす方法は、親が自分で本を読んでいる姿を見せること。自分も読んでないのに読み聞かせだけは張り切って、さらに識字能力のついた頃に「さあ、これを読め(ただし自分は読んだこともない)」というのでは・・・ただの「本嫌い」が出来上がるだけであります。
・・・自分のことを思い起こしてみると。・・・実家にまだ残ってますが、世界のナントカ全集(児童向け)というのがあってコレを読んでいたような。読み聞かせ? は・・・小学生の頃にそういう記憶あるんですが、その前は・・・ちょっと。
何より実は両親が「楽しみながら本を読む」という姿を見た記憶がほとんどない、という・・・仕事で使う専門書とかそういうのを見たことがあるんですが、そもそも文芸書と言うか両親のそういう本を見たことがない、という・・・。
そんなんだから逆に自分は活字に対してそれほどアレルギー?もなく。さらに「別に活字にこだわる必要ないやんか」という思考になっていったのかも知れません。・・・親が本を読む姿、というのは子供に良くも悪くも影響を与えるわけで。それがなんかイヤで本嫌いになった・・・とかそういうケースもあるんじゃないんだろうか、とかそんなことも思ったりしてます。
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06/05/2015
Dodge=身をかわす
ドッジボールってそもそもはキャッチしちゃいけなかったんか・・・。
「ドッジボールは暴力的」に賛否両論(Yahoo!:web R25)。まあ・・・「暴力的」から「いじめてるみたい」という感覚の流れ的なものが行き着くと「あんな野蛮なもの」ということになるのかな、と思いますが・・・。
自分は正直キライでした。ぶつけられる、という行為そのものがすごくイヤで。ただ、そのせいでよけまくって最後の方まで残って残り一人とか二人になった頃に「アウト」とかそんなもんで。
たまーにキャッチできるんですけど・・・すぐに外野に回してたような。自分が投げても誰もアウトにできない、とか思っていたもんで。
でもそれも小学生の頃の話なので・・・多分そんな感じだったと思います、という程度であります。あんまし運動は好きではなかったので、あんましやった記憶そのものが少ない・・・体育の授業くらいだったかな?
しかし「球技」として成立している以上、歴史があってルールがきちんとあるわけです。
「攻撃的だから・・・」と言われてもなあ、と。逆に「攻撃的でない球技」というのは何だろうか? と。例えばバレーボールやテニスはネットで区切られてますんで「暴力的」ではない、と言えるかも知れません。体がぶつかることの多いサッカーやバスケットボールはでは暴力的か、と言うと・・・まあ、ルールで禁止はしてますがある程度「流せる」という面がそう言えばそう、ということになるんでしょうか・・・?
ラグビーやアメリカンフットボールのように「攻撃」が当たり前な球技もあるわけです。・・・小学校ではなかなかやらないスポーツですが、世の中には色々な球技があるわけです。
個人的には「誰かのイメージ」で「全部ダメ」というのはちょっとなあ、と。「ドッジボールは暴力的・攻撃的だから」という「誰かのイメージ」で「これは禁止した方がいいんじゃないですかねえ」という方向にまで持って行こうと言うのは・・・どうなんだろう、と。この調子だと何もできなくなってしまいそうな。
対案、と言うとヘンですが「こうすればいいんではないか」的な話が出る前に「禁止では・・・」と一足飛びにそこまでいく、これも最近の風潮ですが声の大きな人の意見をまず取り入れてしまう、そんな向きが各方面にあるように思われます。
ドッジボール側にもきちんと言い分はあるわけで。・・・その辺の話も聞く必要はあると思うのですが。・・・しかしこれで本当に「ドッジ禁止」となるか、と言うと・・・個人的にはそこまで行く前に立ち消えるかな、と。熱しやすく冷めやすいのもこういった「話」の最近の風潮ですから。
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05/18/2015
実は大した問題じゃない?
かも知れない?
中三で「九九」を勉強・・・今そこにある「教育格差」(Yahoo!:dot.) 通常小学校で習得する「九九」ですからそれを中三で・・・となると「こんなところにも格差が」ということになりそうですが。
・・・たしかに「格差」かも知れんのですが・・・学ぶ機会がなかっただけなのかなあ、と。
問題は「九九ができなかった中学生」ではなくて「九九を学べなかった小学生時代」にありそうな。そういうところで他の人と同じような教育を受けられない場合がある、というところが問題なような気がします。
でもしかし・・・使わなかったら忘れるもんでもあります。
「九九」ですが、日本人の場合ほとんどの人が大人になっても使える、ということになってます。が・・・生活においてこういった「計算」を使わない場合、どんどん退化していくような気がします。結構いるもんであります。カンタンな計算のできない大人、というものは。
それはそれで生きていくには別に問題ないわけですし。当人がそれでいい、と言うのなら今からもう一度小学生の算数からやり直しましょう、と押し付ける必要もないんですが・・・。
問題はその大人が「親」だった場合になりそうであります。親が勉強してない、あるいはちょっとした知識もない、となると・・・その子供はどうなるのか。もちろん例外はありますが「親の背中を見て子は育つ」わけですし。「教育格差」はむしろこういう場合の方が顕著なような気もします。
・・・いや、こういうのは「親」だけではないかも。いつどこで子供、いや他人に自分のみっともない行動が見られているか、というのはどんな大人にも言えることではあります。
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05/04/2015
必要ないと言えば
必要ない、かも知れんのですが。
「家庭訪問」変わるスタイル「玄関先訪問」も(Yahoo!:毎日)。たしかにちょっと前だと「先生」と名の付く人物が家庭に来るのなだから居住まいを正してお出迎え・・・とかそういう印象でしたが。さらに昔となると季節の進物を贈ったりとかそういう関係を保っている家庭が普通にあった、とのことですが。
・・・最近はそうでもないのかも知れません。「先生」の地位が下がったのか・・・それとも「生徒・学生の家庭」の立場が上がったのか。
自分の頃はまだ完全?に「家庭訪問」で・・・先生が家に来ました。ただ・・・たしか自分たちがいない時間帯に来たような(何だったんだっけ、何か行事的なにナニカがあったんだっけ・・・?)記憶があります。だから先生が帰った後で「こんな話があったよ」的な話を親から聞いた・・・ような記憶があります。
・・・そう言えば学校でやったはずの「三者面談」もあんまし覚えてないような。「家庭訪問」もあちこちで言われるほどには・・・なんか・・・記憶に残ってません。
小学生とか中学生の頃は特に何もない生徒だったから、かも知れません。勉強ができるでもなく運動はあまりできない、生き物と本が好きな子供でしたし。
最近はでもそうでもないんだろうなあ、と。状況が変わってくればこういった「行事」も変わっていくのは、まあ、当然ではあります。
ただ・・・「親」と「学校」が互いにけん制し合う、というのはいかがなもんか、とか思ってます。そのためにどこかで「歩み寄り」的なもんがあればなあ、と。「家庭訪問」はその一つになるんだろうか・・・と。やはり直接会う、というのはかなり重要だと思うのですが。
「学校で会えばいい」と言うのであればそれはそれで。なんだかそういった「面談」的なもんは残していってもいいんではないか・・・と。
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04/29/2015
二つほど 4/29
復活的に二つほど。
一つ目。アニメ「ドラゴンボール」18年ぶりテレビ新シリーズ7月より開始予定(Yahoo!:オリコン)。原作者鳥山明氏のオリジナル原案。・・・そんなにイヤだったんかなあ・・・ハリウッドのアレ。
あまりそういうことを言わない氏が「あれはなあ・・・」と珍しく苦言。その後映画製作にも関わるように。・・・もちろん新作映画は大ヒットしましたが・・・それからの流れで「新作テレビシリース」ということになった、としたらファンはある意味ハリウッドのアレに感謝しないといけないのかも知れません。
・・・自分は・・・まあ・・・原作はちょろっと読んだくらいで。嫌いではないけど特に好きでも、といったところであります。一応世代的にはどストライクのはずなんですが(この辺ガンダムがあまり好きじゃない、というのに通じているかも)。
ただ、アニメとなるとやはり孫悟空は野沢雅子さんの声、ということになるのでしょうけど・・・変えようもない、という話もあるんですが・・・無理はされないように、ちょっと心配であります・・・。
二つ目。ジャポニカ学習帳「昆虫」復活?(Yahoo!:朝日新聞デジタル) 「ムシがキモいから」という理由?で消えた「昆虫が表紙のジャポニカ学習帳」であります。現在は花や植物の写真が表紙ですが・・・ムシ好きの子供はどう思ったのやら。
しかしこのたび通販大手Amazonから
→あなたの1票が復刻を決める! 歴代ジャポニカ学習帳人気投票
というイベントが。製作元ショウワノートとのコラボで「ジャポニカ学習帳45周年記念」ということだそうであります。
要は「推しノート」を募ってそれを復刻発売しよう、と。「昆虫」が選ばれればそれが復刻されるわけです。
・・・今の現代に復活、というわけではないのですが・・・それでも心躍る話ではあります。いや、自分はムシ好きなんで・・・。
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03/14/2015
正解ないし
道徳教科化に賛否両論6000件(Yahoo!:産経)・・・平成30年度以降に「教科」となるかも知れない(予定?)「道徳」に関してどう思いますか? という問いに対するパブリックコメントであります。
小中学校では今でも「道徳」の時間がありますが、基本的には「学校での活動を通じて育成していくもの」的な意味合いがあるようで。これを本格的?に教科としていきたい・・・というのが文部科学省の方向のようであります。
もちろん自分も昔々の学生時代に「道徳」の時間があった、はずなんですが。
・・・なんかあんまし覚えてないなあ、というのが正直なとこであります。多分・・・「努力するのは素晴らしい」的な何かそんなお話が教科書に載っていた・・・と思うのですが・・・どんなんだったけか・・・。
しかしこういうのを「教える」と言っても。正解なんかない場合が多いわけで。
例えば「正しいこと」と考えたりするにはカンタンなんですが、厳密に定義する、となると。・・・実際に国際社会から国内でも「正しいこと」というものには現在、いや・・・過去からも一定の定義がありません。定まっていないものを教えないといけないわけです。
もちろん「人の嫌がることはしない」「他人を傷つけない」などの基本的な「正しいこと」を教えていければそれでいいんですが・・・立場や条件によっても色々と変化のある題材?で、これをかちっと教えていくのは非常に困難であります。
「そういうのは家庭など周囲の大人が教えていけばいい」
というのも一理あるんですが・・・最近の状況としてはどうなんだろう、と。やるんなら家庭で、と限定するよりも学校でも、とした方がいいような気もしますが。・・・それと・・・「道徳」というのでちょっと気になるのが変なタイアップと言うか妙なところから妙な教材が出てくるんじゃないか、と。あまり奇抜なことされてもなあ、と。中庸、とりあえず?それだけを貫いて行って欲しいところなのですが。
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03/13/2015
引き写し
要は「パクリ」ということなんですが。
東大が学生の「引き写し」を不正として公開したワケ(Yahoo!:夕刊フジ)。まあ、例のSTAP問題との関連、というのはやや的を外しているような気もしますが。それでも「不正の公開」「パクリと引用の違い」というところでは共通している・・・のかも知れません。
→期末レポートにおける不正行為について(東京大学教養部:PDF)
「引き写し」とは「他人の表現物を自分のものにしてしまう」といった意味があります。・・・つまり誰かが作成した論文なり資料なりを「そのまま」課題に使った、と。
これは「東大生ともあろう者が思考もせずに他人のものをそのまま使うなんて嘆かわしい」という見方もできますが、実際の問題はちょっと違う、という話もあります。
あくまで課題に対する論文とするならば。ネット上だろうが書籍だろうが「資料」として「引用」すればカタチとなる、ということであって、それを「自分のモノ」として提出するのは間違いだろ・・・という論調であります。つまり「引用」なら問題ないのに「自分のモノ」にしてしまう、という行為が不正である、と。
「引用」するならばそれなりの書式があって(論文などの題名はもちろん、作成者から公表元、URLや年月日まできちんと記す)そういうのをなんで守らないのか・・・という見方もあるわけです。
この手の問題はネット環境が整ってきた辺りから言われ始めてました。・・・「ハサミとノリ」つまり昔はリアルに切って貼って書き写してたのが「コピー&ペースト」でカンタンにできてしまう。論文もそうですが、ちょっとした作文とか宿題でもネット上の色々な資料を「切り貼り」してそれでおしまい、ということにしてしまう。
ネット上から自動的に情報を集めて判定する「コピペ判定ソフト」なるものが発表されたりして。広大、というより明らかに限界なんかないネット上の情報ですから判定する側も大変になってたわけです。
・・・そのノリのまんまでやるな、と。引用するならきちんと。そして自分の言葉で語れ。そういうことだと思うのですが。
まあ、そうは言っても今の大学生のほとんどは物心ついた頃からネットが身近にあったわけで。そういうのは難しいもんなのかも知れませんが・・・できる学生はきちんとやってるわけで。・・・そういう意味ではいつの時代でも変わらんもんかも知れません。
不正する学生、というのはいつの時代でもいるもんですし・・・課題の不正提出、というのも色々あったわけですし。
12:57 AM | 固定リンク
01/09/2015
がっこうのきゅうしょく
全国初・クックパッドに学校給食メニュー、宝塚市(Yahoo!:神戸新聞NEXT)。料理検索サイト「クックパッド」であります。これは結構前から有名な料理サイトで、ユーザーからの「レシピ登録」そしてそれを作ってみた「つくれぽ」などのコンテンツがあります。
個人だけではなく、企業も登録してレシピを発信したりしているのですが。
学校の、それも給食の、というのはたしかに珍しい話ではあります。
→宝塚市学校給食のキッチン(クックパッド)
・・・きな粉揚げパンなど懐かしいレシピも。
しかし地元ならではのレシピも並んでいます。「学校給食」というのはいわゆる「給食センター」で一括して作って分配する方式と、学校にキッチンを設置して作る方式と、大きく二つに分かれます。・・・当たり前ですが「給食センター」方式の方が安上がりですし、品質も安全も保ちやすくなります。が、独自性はなくなります。
・・・そうは言っても設備費もかかりますし。人件費も余分にかかるわけで。大きな都市になればなるほど「給食センター」方式が多くなってるような。まあ・・・仕方ないことなのかも知れませんが。
ところで↑クックパッド。自分はちょっと違った方法で利用することがあります。・・・保存方法です。
野菜などは種類によって保存方法が異なることが多いので、それぞれに対応しているここは結構役に立ったりしてます。こないだはプリーツレタスの長期保存に・・・いや最近葉物高いですし。
もちろん料理レシピの検索にも使えますが・・・ちょっと、いやかなり種類が多いので迷い込まないようにご注意を。
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12/27/2014
必要ないっちゃあ
必要ないかも。日本国内で生きていくなら。
英語は本当に必要なのか・・・大学関係者から漏れる「英語不要論」(Yahoo!:産経) 小学校高学年から必修化とも言われる「英語」ですが。一昔前のように「読めないと話にならん」という時代ではないので(昭和初期とか専門書はほとんどが英語とか外国語だったのでまず読めないと話にならなかった、とか)今は「使えないと話にならない」つまり聞いたり話したり、意思を伝える手段としての「英語」が求められています。
いますが・・・日本国内で英語、となると。外国人、特に欧米人と触れ合う機会の多い職場とか現場ならともかく。日常生活を送る分にはまず必要のないスキルではあります。
しかしできなければできないで今度は世界に進出できなくなってしまう。
そういう背景もあってか「幼少期から英語を」という向きも増えてきました。こないだ電車に乗ったら幼稚園児らしい10人ほどの集団が車内に。付き添いの保母さんもしっかりしていて特に騒いだりはしてなかったんですが・・・会話が全部英語でした。もちろん外見は日本人なんですが・・・発音はほとんどネイティブ。そういう教育なのでしょうけど・・・幼稚園側も大変そうだなあ、と。受け皿としてそういう人材を揃えないといけない。付け焼刃ではなくそういうレベルで会話できる保母さんが必要なわけです。・・・実際、引率していたのは見た目も日本人の保母さんばかりで、しかも英語の達者な方ばかりでしたが・・・。
それはそれで別にどうこう言うつもりはないんですが・・・日本語は大丈夫なのかな、今後、とかそういうとこが気になってしまって。幼稚園で周囲全部が英語をしゃべる。で、小学校は公立で今度は全部日本語。低学年のうちは英語の授業もないわけで・・・いや、あってもどこまで「英語」できるか、と言えば・・・?
いじめとか。なんかそういうのに繋がってしまったりしないんだろうか、とか・・・。
別に英語なんかいらん、というのではなく。ただ、「日本語」の枠内に「英語」を放り込んでうまく流れる場合とそうでない場合の「差」がでかすぎる、という話でもあります。欧米や日本では特殊な環境下でないと「他国の言語」に地域ぐるみで馴染んでる場、というのはそうそうないような気もします。
欧米の場合は歴史が歴史ですから当然、となってます。が、日本の場合も歴史が歴史なんでこうなってます。
そして・・・何度かこの「あれこれ」で触れてますが・・・先に日本語やっとけ、と。土台になる言語がきっちり固まっていた方が「第二言語」への習得や習熟が容易になる、と思ってるのですが・・・なぜか「英語さえやっとけばいい、日本語? どうにでもなるわ、そんなん」的な発想が多いような、なんか・・・その辺も不安であります。
・・・いや、今後家族全員日本から出て行くから子供はまず英語だろ、と言うのなら話は別ですが。
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11/21/2014
国語からやっとけ
「小三から英語教育」「小五から英語正式教科」学習指導要綱改定を諮問(Yahoo!:時事)・・・「国際的な人材育成」とは言いますが・・・個人的には小学校は「触れさせる」程度にしておいてもいいんじゃないか、と思うのですが。それよりも国語を色々な方面からやっておいた方がよほど「国際的」じゃないか、と。
英語さえやっておけば世界に通用する人材になれる、というものではありますまい。むしろ「国語(日本語)」という土台がきっちりしていてその上に「英語」を積み重ねていく方がさらに、その他の「世界」の要素を吸収しやすくなるんでは・・・と自分は思ってます。もちろん、日本語が国語ではない場合は日本語を土台にする必要はありませんが。
・・・幼稚園から英語、とか、三歳から英語、とかそういうのは方法としては存在しているのですが・・・実際に、となるとどうなんだろうなあ、と。
今後住む場所も世界を転々としていくから必要、というのならまだしも。今後日本の中学から高校、大学そして就職ということなら(あくまで予定ということになりますが)まずは「日本語」そして「英語」というスタンスで問題ないんでは・・・なんだか昨今の風潮が「英語、英語、英語さえやっときゃ世界にはばたける。日本語はその後でもいい」的なもんになってきてるような気がします。
所詮はたかがコトバなんですが。人間なら誰でも使ってる。
もちろん人生の後になればなるほど言語に限らず「習得」は困難になっていくので、「そんなん日本で生きていくなら必要ない」と言うつもりはありません。でも10代になってからでもいいんじゃないのかな・・・と。「主」たる言語というのはあった方がいい。
自分は過去に「日本語を蔑む日本人」というのを諸事情あってよく見ていたので、そう思ってしまうのかも知れませんが。
ところで・・・↑記事によると「高校で日本史必修化」「数学など理系中心の新科目創設」などについても検討されている・・・なんか実現しそうな・・・そんな雰囲気であります。・・・なんか色々変わりそうなんですが・・・さて???
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11/18/2014
差・・・
なんとなく分かるような、なんとなく・・・。
男性は一年毎日同じスーツで問題なし、女性は・・・(CNN)。オーストラリアの男性ニュースキャスターが「実験」で一年クリーニングもせずに同じスーツを着続けた結果は・・・特に何もなし、というものでした。
一方の女性キャスター(当人に実験しているという感覚はなかったっぽいですが)は毎日服装を変えていても批判されることがあった、と。
「私は取材の様子やユーモアのセンスといった仕事ぶりで評価される。一方、女性の場合は大抵、服装や髪形などで評価される」(「」内↑記事より引用)
「性差別」と見ることもできますが・・・さて。
これに近い事象?は日本では普通に見ることができます。学校の制服であります。
制服のある学校、というのはもちろん日本に限った話ではなく。イギリスの全寮制学校とか、東南アジアでも日本に同じような制服の学校もあったりします。・・・しかしなんで「制服」なのか。
どっかで聞いた話ですが(どこで聞いたか思い出せないのですが)。これは「差」をなくすためだ、と。つまり個人の外見上の「差」を一旦なくしてしまうことで全員をほぼ同じラインに立たせることができる、と。
・・・やや時代がかった考え、と取られるかも知れません。一昔前は現在とは違った意味での経済的格差が存在していて、私服にするとその「差」が目立ってしまう、そんな時代がありました。その名残、とも取れます。
↑男性キャスターの場合も「男性」「スーツ」という「差」のない服装だったため何も言われなかった・・・という見方もできるわけです。一方、「差」のあった女性キャスターは色々言われてしまう。
所詮は外見のことなのに、それで中身まで・・・という批判も一理あるのですがヒトというのは基本視覚の生き物なため、これはある意味仕方ないことなのかも・・・と個人的には思ってしまいます。見た目のインパクトというのは大事であります。
・・・それでも↑記事で男性キャスターは同僚に気づかれ、スーツをクリーニングに。見る人は「差」を見ているわけで・・・そういうとこもまた人間だなあ、とか思ってしまったのですが。
02:26 PM | 固定リンク
09/21/2014
二つほど 9/21
色々と二つほど。
一つ目。ジャガイモ毒素の遺伝子発見(Yahoo!:時事)。結構知られていますが、ジャガイモには「毒」があります。日光に当たると緑色になるアレであります。もちろん致死量もありますが・・・かなりの量食べる必要があります。
何キロとかそんな単位だったような・・・。
ただ、これはあくまで「致死量」なのでそれくらい食べないと毒素に対して体が反応しない、ということではありません。微量でも過敏に反応する人もいますし、何らかの影響が出る可能性もあるわけです。
そのためその毒素を減らすことができれば、ということで研究が続けられてきました。その成果の一つなわけです。その遺伝子の働きを止めることができれば毒素は大幅に消えます。・・・ただ、コレ、考えようによっては「遺伝子操作うんぬん」ということになりそうで・・・その辺はでまた何かあるかも知れません。
二つ目。日本初、アバターで通える通信制高校(Yahoo!:ねとらぼ)。通信制高校とは基本的に登校はせず、課題などは自宅でこなして最終的には高卒資格を得ることのできる教育機関であります。
諸事情あって登校できない人などが利用するわけですが。
そういう「学校」をネット上で、というのは実際にやっていそうな話なんですが。・・・アバター、ですか。
・・・どうなんでしょうね、ただのオマケ的な要素、ということなのか・・・それとも。なんか一部からは猛反発食らいそうな気がしてるんですが。遊びじゃねえぞ、的な。
これでも別に勉強がはかどるのなら問題はないと個人的には思うのですが。最終的にはバーチャルリアリティ的な登校、とかそういう方向になるのかも知れませんし(それはそれでまた何かありそうな気もしますが)。
実は個人的にちょっと心配?なのは思ったほど生徒が集まらないとか色々あって「やっぱやめます」とかそういう風になることで。「日本初」なんですし、最後?までやり通して欲しいなあ、やるんなら、とか思ってたりします。
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07/06/2014
そんな自転車
なんだ初期の自転車かよっ! とか思ってしまいましたが。
「ペダルなし二輪遊具」注意呼びかけ(Yahoo!:毎日)。いくつか検索かましてみるとペダルはないんですがブレーキはあったりします。前輪の片方に設置されているんですが・・・コレを理解できる幼児がいるのかどうか、となると。その辺はちと疑問であります。
ペダルはない二輪車(補助輪的なものが付いてるのもありますが)で・・・ブレーキはあるけどそれはあくまで運転者(幼児)に判断が委ねられる・・・というのはどんなもんなんだろう、と。
最初期の自転車にはもちろんブレーキもペダルもなく。地面を蹴って進んでいました。
後にペダルが開発されましたが・・・対比は1:1つまり一回回せばタイヤが一回転する、というものでありました。現代のような効率のいい自転車が出てきたのは19世紀も末になってからであります。自転車そのものはそれより百年近く前からあったんですが。
→自転車(Wikipedia)
歴史の話は置いておいても。そもそもなんでそんな早い段階で「自転車」なんだろうか、と。
昨今の自転車事情からすれば・・・いや、そんなことしなくても「まずは自転車くらいは」的な保護者が多いのかなあ、と。免許いりませんし。かなりのムチャが通せますし(海外行ったら通りませんけど)。中距離程度の移動にはたしかに便利な乗り物なのですが・・・。
あるいはこの時期から「自転車の危険」というやつをその身に叩き込んでおきたいんだろうか・・・保護者たちは?
なんだかそうも思えてしまうんですが。たしかに最近では自転車初乗りの練習もしにくいかと思われます。昔は原っぱとか河原でできたもんですが、そう簡単にはいきますまい。だから自転車に慣れるためにはこういったある意味特殊な機材も・・・というのは分からんでもないですが。
多分、あんたの子供が大きくなる頃には「自転車事情」は今と少しは変わっている、と個人的には思ってます。道交法の改正から自転車の「本来の立ち位置」への指導。
・・・願わくば今そういった二輪車で遊んでる子供たちが本格的に自転車乗る頃には「車両」としての認識がきっちりできてるといいんですが・・・それも親を含めた世代の責任、ということになるんですが。なかなかそこまで難しいのかも・・・?
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06/20/2014
いつの時代も
人間なんてそうそう変わらんもんでありますが。
兵庫県多可町で「午後9時以降LINEダメ」運動(Yahoo!:毎日)。実際はここだけではなく、あちこちで始まっている「規制」なんだそうですが。
・・・古くは「マンガ」そして「ゲーム」など。
こう言っちゃなんですが「禁止すれば」的な発想はいつも変わらんもんなんだなあ、と。しかも↑規制には罰則などは全然ないので家族ぐるみで「そんなん知らんわ」と無視されればそれまでであります。
・・・ちょっと?疑問なのですが・・・「規制」する側はLINEなどのSNSのことをどう思っているのでしょう・・・?
「夜遅くまで熱中するから」「色々とキケンなこともあるから」だけではやや弱いように思います。・・・まあ、実際にスマホの料金を払っているのはほとんどの場合親でしょうし。その立場から子供に「規制」というのは当然な話であります。
ただ・・・何も知ろうとせずに「規制」という場合もあるんではないか、と。そういう辺りがやはり変わらんのかな、と。
人間というのは基本自己イメージの生き物ですんで、自分が理解していないことには拒否反応を起こす傾向があります。
自分の小中学生の頃は「マンガ」「テレビ」でした。曰く「マンガを読むとバカになる」「テレビを観ながらのごはんは栄養にならない」・・・全部的外れ、というわけではありませんがいずれも科学的には立証もされておらず。「誰かがそう言ってた」的な発想からの「規制」がほとんどでした。
何事もやりすぎはいけませんので、熱中しすぎて寝不足やら成績不振やらになるなら「規制」すべきですが。
しかも「午後9時」というのはどこから来たのだろう、と。小中学生は9時には寝るべき、と、そういうことなんでしょうか・・・?
なんか・・・個人的には「まず規制」という方向性が見え隠れしているような気がします。しかも罰則も何もないため(当然捜査なんかできるもんではありませんが、さすがに)有名無実の規制、となる恐れもあります。「各家庭でそういう空気を~」と言われても。親もLINEやってて子供もそれ真似てるような家庭だったらそんなんただのギャグであります。
もうちっとかっちり法整備的なとこから攻めるか・・・あるいは逆に「なんとか共生の道を」的なやり方もあったんでは、と。用法によっては大変に便利なSNSであります。そこら辺、どうにかならんのかなあ・・・と。
04:11 PM | 固定リンク
06/15/2014
場所と状況によりけり
「安全第一なら仕方ない?」幼い子供を繋ぐ「迷子ひも」に賛否両論(Yahoo!:産経)。実際、小さい子供というのはふと目を離したスキにどっか行ったりしますし。あるいは昨今の情勢からすると外出時にふと・・・となるくらいなら「ひもで目の届く範囲に」というのはどこの国でもある発想かと。
大御所漫画家・某氏のエッセイマンガか何かだったと思うのですが。
農家に生まれた氏は赤ん坊は基本、かごの中に入れておくか歩けるくらいになったら木にひもを付けてそれ以上歩き回らないようにしていた・・・と、そんな話を書いておられたような。これは農家において「人材」でもある「嫁」の立場は当時はかなり低く育児に関わる前に農作業をやれ、という事情だった、ということもあります。
あやしながら作業できるほど軽い作業ではなかったわけです・・・。
もちろん、年長の兄や姉がいれば世話させますが、そういう場合でもない時はそうするしかなかった、とそういう話だったと思うのですが・・・原本が手元にないので詳細は不明です。
しかし現代の場合はちょっと事情が違うわけで。子供を自由に動き回らせるとちょっと・・・というケースがほとんどかと思われます。
・・・個人的には例えば行き過ぎたしつけとか・・・明らかに自分の子供だ、という自覚のない親が子供縛ってたりしたらさすがにヤバいだろ、と思いますが。公共の場であまりあちこちに行かないように、という一種の「自衛策」なら仕方ないんじゃないかな、と思ってます。それで不幸な事故や事件が減らせるのなら。
もちろん行き過ぎはダメですが。それに・・・何年も何年もそういう「繋ぎっぱなし」にしておくわけではないでしょうし。子供というのは成長のスピードが速いです。自我がきちんと形成されればそういうことしなくてもよくなるんでは、と。
・・・↑記事でちょっと気になったのは「奴隷制度が~」というくだりで。奴隷制度。つまりひもでつなぐ、という行為は奴隷制度を思い起こさせる、と。
多分アフリカ諸国から欧米へ「売られていった」奴隷のことだろう、と思うのですが・・・ひも、ねえ・・・。
当時の「売られた奴隷」は手足を頑丈な鎖、もしくは手錠のようなもので自由を奪われていた、と聞いています。「買われた奴隷」はケースバイケースですが・・・たしかに農場で働かされる場合、ひもで縛っていたところもあったと思われますが・・・。
なんか想起の仕方が微妙だなあ、とそんな気もするんですが。「ひもでつなぐ=奴隷うんぬん」というのは。
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03/07/2014
NINJA
ハローワークで「忍者募集・秘伝書支給・流派不問」(Yahoo!:ねとらぼ) 正確には「忍者講師募集」といったところでしょうか。小学生を対象に江戸期の忍者の「秘伝書」を使って学ぶ・・・忍者学院。
実際、「忍者」というのはそれこそ江戸期の講釈から現代のマンガまで幅広く題材として使われてますが・・・かなり「イメージ」の絡む題材で、結構色々な解釈ができそうな代物ではあります。
何かの番組で「望月家(伊賀忍者では名が知れている)」の・・・本家じゃないと思いますが分家の当主、みたいな人に話を聞く、というのがあって
「これが秘伝書らしいのですが」
と巻物をいくつか。それっぽい図も載ってます。ただし
「私は読めませんし、口伝とかそういうのも伝わってないです」
と・・・苦笑い。まあ、現代の「忍者」はそんなもんかも知れません。
これが海外に行くとまたちょっと事情が違ってきます。
「NINJA」というのは寡黙なスーパーヒーローみたいな扱いになってます。日本ではどっちかと言うと「闇に潜んで生きる」「刃の下に心で忍ぶ」とかあんまり「ヒーロー」してるイメージではなく。時代劇だと大抵やられ役とか黒幕ですし。・・・ただ、最近は海外のそういった動き?を捉えてか結構「明るい」忍者も出てきてますけど・・・アメコミとかあっち系の「NINJA」は・・・なんか楽しくなるぐらい勘違いしてたりして、逆に面白かったりしますけども。
そもそもの発祥は実はよく分かってなかったりします。体術はやはり大陸伝来か・・・とされたりして、それが修験道と結びついたのではないか、という説もあります。修験道とは密教系の仏教の流れを汲むもので・・・山野を駆け巡って厳しい荒行を重ねていった、とされています。その中で体術も磨かれていった、のかも知れません・・・。
九字と呼ばれる「臨平闘者開陳列在前」もその流れから、とされていますが、さて。
実際本場とされる日本でもよー分からんもんだったりしますが。江戸期のヒマな時世にあれこれ付け加えられていったんだろうなあ、と。その辺は「海賊」と似てるかも知れません。実像と伝わってるモノは大分違ってるような・・・ああ、しかし、両方とも某週刊マンガ雑誌では大人気だったりしますが・・・。
「手裏剣は投げるのではなく撃つ!」といった格言?もあったりしますが・・・。
それでも時代の流れにはナニモノも逆らえないものであります。忍者の先生を公募しても、生徒が小学生でも・・・いやしかし、なんかこういう創作物もどっかにあったのような・・・なんかの・・・玉?
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03/03/2014
追随するかどうかは別にして
・・・なんか違うような。
ドワンゴ「就職受験料」厚労省が中止を求めて行政指導(Yahoo!:読売)。ドワンゴとはニコニコ動画などで有名な大手IT企業なんですが。そこが今年度の就職から「就職受験料」つまり就職希望時に「受験料」をもらいますよ、と打ち出してました(なお受験料は2525円で、「ニコニコ」動画にかけてる、とのことで)。ただし、東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県の学生のみに限定していますが。
厚労省の指導の理由は「他の企業が追随したら就活生に影響が出る」・・・ただでさえ就活にカネがかかってるのにさらにこれに上乗せするようなことしないでもらいたい、ということであります。まあ、こういう方策に追随するような企業が出るか、と言えばそこはかなり怪しいところなのですが。
「広く問題提起したい」ドワンゴ就職受験料発案の川上会長に聞く(Yahoo!:ITmediaニュース)
・・・個人的なとこなんですが・・・状況の変化に追いついてるんかなあ、と。
すでに大手になって立派になっちまってるんですからそんななんか少人数のサークル的なノリのまんまでいけるんかなあ、とか思ってしまったんですが。そりゃ草創期は「ダメ人間」ばかりだったかも知れませんが・・・今は?
そして一番強く思ったのが・・・そんなに有能な人材(もちろん大学卒でなくてもそれこそダメ人間でも)が欲しいならもっと時間と手間かけてもいいんじゃないのか、と。大卒限定にしても適性検査かましても受験料を取っても結局は「選定」なんです。「縁」で・・・と言いたいのならそれこそきちんとした部署作って数万人からのエントリーシート全部受け付けてきちんと面接したらいい、と思ったのですが。
・・・そもそも「就職受験料」てのもただの「選定材料」に過ぎないわけです。1都3県の中から2525円払ってもこの会社に就職したいと思うかどうか、という。それにあれこれ理由付けされてもなあ、と。
集団がデカくなりゃ色々な「変化」が必要かと思われます。それがイヤなら新しい小さな集団作ればいい。ただそれだけのことだと思うのですが。ドワンゴは大きくてしかも有名な集団なのです、今は。
厚労省の指摘もなんか官僚的なんですが・・・こっちもなあ、と。問題提起・・・提起になるんですかね、この程度で。就活生の活動と企業側の姿勢、そこに「問題提起」するにははちと弱いような気がするんですが。全てを根本から変えていかないと変わらない問題だと思うのですが。今に始まった問題でもなく、バブル崩壊なんて一要因にすぎないものなのに。
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02/23/2014
無免許15年
大阪の中学4校で「ニセ教諭(45才)」が15年間授業(Yahoo!:産経)。丸っきりのシロウト、というわけではなかったのでしょうけど。教員資格を持っていないのに授業してた、というのは・・・15年間怪しまれることもなかったんでしょうか。
そういうチェック体制と言うか、過去の遍歴を確認しやすくしよう・・・というのは前々から議論されてはいるのですが・・・15年間、ですか。「いつばれるかどきどきしていた」というのもなんだかなあ、と。ニセ教諭本人よりも周囲の学校関係者はどうなってたんだろうか、と。
こういうのも「詐欺」となるのかも知れませんが。
まあ、公的な「教師」には資格が必要ですが、私的に塾開いたり学習塾の講師なんかだと「資格」は必要ありません。乱暴なこと言えば「今日からオレは教師(ただし非公認)」と宣言しても問題はありません。
ただ、当たり前ですが信用がない・・・。
そして学校も雇ってくれないわけで。そうなると生徒や学生にモノを教える、という本来の責務を果たせなくなります。
免許というのは信用する・してもらうための証明書みたいなもんでもあります。基本的なことを修めてそれなりに実践もしてきた、ということでもあるんですが・・・。
しかしそれでも勤まっちゃったのか・・・15年間。
45才で15年、ということは「偽造」したのが30才の時。遅めに大学を中退したのかそれとも何か別の職をやっていてこうなったのか。大抵の「新任の先生」は大卒直後からですから(もちろん例外もあるでしょうけど)20代後半とかそれくらいのはずなんですが・・・。
その辺も事情があるのかも知れません。
でもこんだけの期間バレなかった、ということはそれなりに「良い先生」やってたのかも。・・・でもよく考えてみたら「こういう例は聞いたことがない」っつったって定年までバレなかった、とかそんなケースも実はあった・・・とかそんな話になったりは・・・しませんよね?
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01/06/2014
web上に置く
教育教材、クラウドでどこでも学習試行へ(Yahoo!:読売)。すでに自治体よっては生徒にタブレットを配布しての「デジタル教育」をやってるところもありますが、今回は総務省と文部科学省による国からの「試行」ということになります。
実際、費用もそうですが・・・統一的にやってもらった方がいいと思うのですが。
ただ、何でもかんでもデジタル化してネット活用すりゃあいい、というものでもなく。器材としてタブレットを配ったはいいけど学生側も教員側もうまく活用できなくて結局ぐだぐだ・・・となる可能性だってあるわけですし。
クラウドとしてweb上に置く、ということは広範囲に渡っての運用が可能、ということでもあります。
単純に学習用の資料・・・教科書とか参考書とか、そういうのを同じデータで皆が共用できる、というだけではなく。出欠や学習進度などのデータも管理しやすくなります。上手に使用できれば現場の負担も軽減できそうではあります。
・・・上手に使えば、↑記事にもあるように例えば転校しても前の学校でどんな学習をしていたか、なんてのも即座に分かりますし。あるいは事情があって登校できなくても学校と同程度の学習もできる、とか。
ただ・・・実際に運用してみないと分からない弊害?みたいなもんもあるかと。
データをweb上に置く、ということは誰でも取り出せる、ということで・・・やろうと思ったらかなり個人的な事情を取り出すことができるわけです。100%安全ということはあり得ません。
そういった事態にどう対処するか・・・ソフトはともかくハードはどうなるか・・・など実際にはまだまだ問題はあるかと思われます。でも、そういうところを一つずつ丁寧に対応していけば今後有力な学習ツールとなると思うのですが・・・さて?
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12/29/2013
ゲーム機としてではなく
ニンテンドーDSが600台眠る京都の八幡市(Yahoo!:京都新聞)。購入したのは八幡市の教育委員会。対象は市内の中学校。もちろん生徒に遊ばせるのではなく・・・英語学習用として購入して配布したらしいのですが。
・・・もちろん英語学習としても使用されたのでしょうけど、実際はあまり役に立たず。
最終的?には本来の役割?でもあるゲーム機やチャットばかりに使われるようになり、ほとんどの学校で使わなくなった・・・とのことであります。
最初に思ったのは「ロック機能とかなかったんかな」と。
最近のゲーム機にはそういった機能(ネットに接続できるので保護者が制限できるように)がある、というのはCMか何かでやってたと思うのですが。・・・メーカー側でも何でも英語学習用ソフトしか使えない、とそういう「ロック」はできなかったのかな、ということであります。
遊びたいのなら自前でDS買えばいいわけで。学校から借りる以上、そういった「対策」はされてしかるべきではないか・・・と。そりゃあ、そういうのに触れられるならやはり遊びに使いたくなるでしょうに。ハナから「学習専用機」ということはできなかったんでしょうか・・・?
さらに。今ならDSではなくタブレット、とかそういう風になりそうですが・・・こっちの方がそういった「ロック」関係は詳しいかも知れませんけども。
こういった事例は今後増えるか、と思うのですが。色々使える便利なツール。でもあまりに「色々」だと困る事態になる可能性は高いわけで。・・・そういうとこも含めて対策を練る必要はあるかと思われます。
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10/14/2013
「クーデター起こす」
そんな報道?もありましたが。
小学校でLINE氾濫、規制不可能?(Yahoo!:産経) 「主戦場は小学4年」というのはたしかに納得ではあります。集団での行動から個人での行動が増えてくる。最近は何かと物騒ですから子供に携帯を持たせる。でもスマホの方が色々できる・・・ということでスマホに。そして色々なモノを試すようになる・・・。
この辺までは別に問題はない、のかも知れません。
LINEは特定の相手同士のコミュニケーションツールであります。一種の「閉鎖性」があり・・・例えばツイッターやフェイスブックだとここまで「閉鎖」できません。例のバカ投稿もこの辺を勘違いしてたと思われますが・・・友達や知り合いのみの内輪話みたいなことがスマホ上でできます。
しかも投稿も難しいわけではなく。「スタンプ」と呼ばれるかわいらしいマークやキャラクターなんかもあってとっつきやすい。前にニュースでやってたのはこの「スタンプ」だけで会話する、とかそんな人もいるとか。文字ではなくてもある程度の意思を伝えることもできるわけです。
・・・その分、ストレートに伝わることも多く。当たり前ですが物理的に目の前に相手がいないわけで。こういう状況では感情のブレーキが効かなくなることもしばしば。言葉で直接伝える場合は表情や仕草も利用できますが、そんなことできないわけです。ちょっとした行き違いからこじれることもあります。
そして、教室内でひそひそ噂話してるのとはちょっと違って、いくら閉鎖性があっても完全独立してるわけではないので何かの拍子に悪口やデマがひょい、と広がってしまうこともあります。
ストレートな感情がそのままぶつかってくることもある・・・。
大人ならともかく、未熟な子供というのは未熟ゆえの残酷な一面も持ちます。そして大人なら知ってるかわし方も知らない。そこで規制しよう、という動きが出てくるのは仕方ないことなのですが・・・。
所詮は「道具」なので使い方を間違えなければよい、というのが基本だと思われます。それにはまず「知る」ことだと思うのですが。・・・過去にもこういった「悪影響を与えるモノ」ということで規制されてきたモノ、というのは多数あります。マンガとかゲームなんてのはそういった規制と長く戦ってきた(戦っている?)わけですが・・・その延長線上にある、と言うとちょっと違ってくるかも知れませんが、それでも方向性は似ているのでは、と。
有害そうだから全部ダメ、というのでは結局今までと変わらない。でも↑記事にあるように「子供に判断させて・・・」というのもなんか違うような。最低限の方向性を大人が示してそこから判断、ということなんではないかと思われますが。
・・・でも例えば何らかの方策でこの問題が落ち着いてもまた何か似たようなもんが出てきそうな気もするのですが・・・。
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09/17/2013
とりあえず・・・試案?
2015年度から中高生の英語力を試す新テスト導入予定(Yahoo!:朝日新聞デジタル)。従来の「読む・書く」ではなく「聞く・話す」を加えた新テスト、とのことですが。・・・こういう主張はかなり前々から言われてたと思うのですが・・・ようやく重い腰を上げた、というべきなんでしょうかそれともまだそういうことにこだわっているのか、というべきなんでしょうか・・・。
文科省が英語教育の抜本的改革に着手(Yahoo!:リセマム)。こういう見方もあるのですが。教員の方も改革していく。小学校からの英語教育を見直して、英検など各種民間の試験団体とも連携して「英語力」を高めていく・・・。
・・・でも結局今までのような詰め込み作業に徹することになるんじゃないか、とかそんな懸念もあるわけで。受験用の英語と国際活躍用の英語は違う、とか。いくら中高生でそういう英語を身に付けても受験などで違った苦労が必要になるんではないか・・・とか。
抜本的、というのならその辺も変えないといけないわけです。語学にとって覚えている単語量は多ければ多いほど有利なわけで。そういう意味での「詰め込み」もある程度は許容しないといけない。でも受験用の英語だけだと将来使うことができない・・・。
・・・それでも英語は英語だと思うのですが。使うかどうかはその人次第。無理に海外へ目を向けさせるのはどうか、とも思いますし。そこまで国際競争とやらに勝ちたいんでしょうか・・・? きちんと業績を積むことができれば国際的にも注目されることは有名な日本人科学者たちが立派に証明してます。
むしろ英語がどう、世界がどう、と言うより・・・日本国内の研究支援システムを見直した方がいいんでは、と。発想や実績が正当に評価されてるか・・・と言えばちょっと怪しい現状ですし。修士や博士までいった人材が無下に放置されてるのも現状なわけです。実際、大学や大学院の数が増えてあぶれているのは事実で、カンタンにそういった研究所とかに入所できるように・・・とは言いませんが。それでもこの環境の差はなんなんだろうな、と。
さらに最近目立つ?のが「こどもが理系に目を向けるように」的な流れで。・・・なんで理系限定なのか。英語にしてもそうですが、何かどれかこれをやっておけば万事オッケー的な安易?な選択がなされているような気がします。
乱暴に言ってしまえば英語なんかただの言葉なわけです。日本語の勉強も十分にしていないうちにやるもんでもないでしょうし、必要になったら覚えるもんであります人間なんて。
学校でやるのはその基礎で十分だと思うのですが・・・アルファベットと基本文法。将来英語がどうしても必要になった時に習得がスムーズになるように。学校の勉強はあくまで土台作りですからその程度でいいんじゃないか、と個人的には思うのですが・・・。
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08/24/2013
大胆すぎる
そんなに理数系とか海外ウケが好きなんですかね。
東京都・平成29年度から「4・4・4」制の小中高一貫学校設立を(Yahoo!:産経)。私立ではこういう「6・3・3」に限らない学校もあるんだそうですが・・・公立では離島や人口の少ない土地以外では初、となるとのこと。
高校まで考えればどっちも12年間ですから帳尻?は合うわけですが・・・それだけが目的ではなく、世界に通用する理数系に秀でた学生を生み出したい、と。
「基礎期」「拡充期」「発展期」と、まだ決定してるわけではないようなのですが・・・小中高というくくりも外してしまおう、ということのようで。
それぞれが4年間なので「小学校6年を基礎期4年でやってしまうのでは?」という声もあったりします。・・・逆に「拡充期」を中学生(正確には小学5年から中学2年)とするのなら1年余ることになります。そして「発展期」を高校とするならば(正確には中学3年から高校3年)こちらも少し余る。
・・・こういうとこで余裕?を持たせて特に理数系に力を入れたい、ということらしいのですが・・・。
小中高一貫にはメリットもデメリットもあるんですが、一番気になるのは他との整合性であります。これは東京都に「教育特区」を作るわけでもなく、教育関係の法律をいじるわけでもなく。あくまでも現行の法律内・・・つまり「6・3・3」の中に「4・4・4」を放り込む、ということになります。
転入や転出はどうなるのか、というのが最も目立つ問題で。例えば本当に↑小学校6年間のカリキュラムを4年間の「基礎期」で消化してしまった、としたら・・・「基礎期」を終えて転出した生徒は小学4年生からもう一回やり直し、ということになります。逆に転入してきた生徒は(中学1年、高校1年で他からの転入を考えているとか)進みすぎた授業を受けることになります。果たして追いつけるのやら・・・?
そもそも義務教育は9年間なわけで。なんか中途半端な区切りになりそうな。
別にこういったやり方を真っ向から否定するつもりはないんですが・・・なんか、大胆すぎると言うかもうちっと他の要素もどうにかしてからやった方がいいんではないかい? と。
例えば法律関係の整備。エリートを育成したい、ということなら選抜の基準の明確化。東京都の肝煎りですからどうしたって注目度は高いわけで。となると「お受験」関係でまたぞろ色々トラブルが・・・というのもあり得るわけで。
そして。個人的に最も気になってるのが「そんなに理数系を重視したいんかい」ということであります。海外でも通用する人材を・・・というのは英語重視の辺りから見え隠れしてきましたが、その前にやっておいた方がいいこともあります。なんで生徒全部を同じ方向へ向かわせようとするのか。
京大の山中教授も決してエリートではありません。ただ明確に意識を定めてこつこつと研究を重ねていってます。「場」さえ与えればいいというもんでもないですし、幼い頃から身体に叩き込めばいい、というもんでもないでしょうに(そういう世界もあるにはありますが)。
まあ、どう転ぶか分からん、と言うか。最初から「こうこうこういうものを作る」というのはなんだかなあ、と。
・・・こういう学校があってもいい、とは思うのです。ただ・・・いきなり案だけしかもなんか偏った案出されてもなあ、と。クリアすべき問題はまだまだあると思うのですが。
05:10 AM | 固定リンク
08/02/2013
パーセントが分からない
子供に深刻な健康被害も・・・「ネット依存」に専門家も警告(iza!)。記事読む限りではよー分からん部分もあったりします。すでにいくつか報道でも出てますが「8%」でも50万人くらいいるとか。その全部がネットに依存していてすでに離れがたい状態にある・・・ということになってます。
・・・一体何がどれくらい「ヤバい」状態なんだろう・・・。
↑記事読む限りでは「インターネットから離れるとイライラするなどの症状を感じたことがある」(「」内↑記事より引用)のは10%~15%くらいの中高生が感じたことがある、となってます。
・・・そりゃあ、それまで色々やってたところいきなり「ヤメロ」言われたら誰でもイライラしますがな。ネットに限ったことでもなくゲームでも本でも。
要は程度の問題で、家に帰ると速攻PC立ち上げてネットの海に入り浸り家族の声も届かない・・・というのと家に帰ったらスマホの電源入れて軽くゲームかLINE、メシの時間になればさっさとリビングに戻る・・・というのも全部一緒くたにされてるんじゃないだろうか、と。
ホントに重症のネット中毒患者というのは存在します。でもそれは「取り上げられたらイライラする」とかそういう尺度では計れないと思うのですが。やるんならもっと精神病関係など専門的なチームを立ち上げてきちんとやるべきではないか、と。
身体的にどうこう、という子供がいるのも事実だと思われます。ではそれは全体ではどれくらいなのか? あるいはネットを中断されたらキレる子供のうちのどれくらいがそういう発達障害になっているのか?
そういった話も何もなく「ネットにはまる子供がこれだけいる」「まーコワイ」みたいな話で片付けられるのはどうかなあ、と。某昼の情報番組で「このパーセントだと多いのか少ないのかよく分からないんですが」というコメントがあったりしましたが・・・ゼロはあり得ない世界で「こんだけあるよ」と言われてもなあ、と。なんとかホリックというのははるか昔から存在していた病気の一つなのですから、もうちっとなんとかならんかったのかなあ、と。
03:50 AM | 固定リンク
06/19/2013
環境整えてから
東京大学、秋入学断念・・・4学期制導入検討(Yahoo!:毎日)。「困難」というより国内の体制が全然整っていないのに「春ではなく秋に入学」とやる、というのは・・・どうなんでしょう。現行ではまだ「移行」してませんから春に合格が決まっても入学は秋まで待たないといけない、ということになってしまいます。
その間、新入生(予定)はどうするのか。・・・海外へ行ってみるとか体験入社して見聞を広げて頂きたい、みたいな話もありましたが。カツカツで入学できた苦学生とか、オレはもうべんきょーなんかしねーぜみたいな学生はどうなるんだろう・・・と。
最初に留学ありき、というのが、何とも。
言うまでもなく海外の、欧米の大学に限らず学校は秋に入学・卒業のところが多いわけです。対して春に入学・卒業の日本の学校だと「ブランク」ができてしまう。これでは海外へ留学して高い知識や高度な技能を学ぶ機会も減ってしまう・・・。
「世界のランキング」的なものがあって、日本の大学が軒並み低かった、というのもあるかと。そのため日本の大学でもレベルアップしよう、海外にもどんどん留学させよう、という空気になってるような。
・・・それだったらいつ入学とか何学期、にこだわらずに休学制度を充実させたらいんではないか、と。
在学中に留学するわけですから、例えば一年間ならそれこそ秋から行くのを前提とします。学期の途中、ということにはなりますが・・・その辺の単位計算ももっと柔軟性を持たせればいいわけで。復学してから残りを履修できるようにする・・・とか。
シロウト考えではあります。でも休学制度そのものは結構きちんとしたカタチがすでにあるはずなんですが・・・なんで現行の制度を使わずに新しい制度へ変えちまえ、という論調になるのか・・・さて?
国際競争力というものが叫ばれて久しい昨今であります。でも何をもって「競争力」とするのやら。国語もおぼつかないうちに英語を習得させることなんでしょうか。外国に合わせてまずトップの大学が入学時期や学期数を変えることなんでしょうか。
・・・もっと日本の地力を信じてみろよ、と。よそのとこがどう、と言う前に自分のとこを引き上げる。それから環境を整えていけばいい・・・と思うのですが。
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06/08/2013
性急ではなく
「大学入試センター試験」廃止も視野に、教育再生実行会議(Yahoo!:産経)。一回の試験ではなく代わりに年に複数回「到達度テスト」を行ってそれらの結果によって大学の合否を、という話もあるんだそうですが。
・・・一発勝負の「受験」というのはそれこそ明治期、いや江戸期、いやそれ以前からもその原形があったわけで。その辺から続いてる「伝統」をそう簡単にひっくり返せるのかなあ、と。仮に年に複数回試験やっても結局最終試験が一番重要になって・・・とかそんなことになりそうなんですが。
そもそもは「高校生が受験にばっかりエネルギー使ってるから・・・」とかそういうことだと思いますが(もちろん全部の高校生が受験するわけではないんですが)。実際、大学合格しちまうとそれで努力は終わり、遊ぶぞー、というケースが多いのも事実で・・・いやはや耳が痛い限りなんですが・・・。
日本の大学は入るのは難しいけど出るのはカンタン、と言われます。しかし海外では逆となってます。卒業する方にエネルギーを使うわけです。
その辺から「日本人の国際競争力が・・・」とそういう話になってきてるようで。早いうちから英語習わせておけば国際競争力も着く、とかそういう理論もあるわけで、そういった意味では大学在学中にきちんと力着けさせておけ、というのは・・・たしかにある話かと思われます。
・・・でもなー・・・そうカンタンに変わるかしら。
今年の秋に方針をまとめる、ということでいきなり来年の受験から様変わり、とかそういう性急なもんではない、とは思いますが。例えばいわゆる大検での大学受験希望者はどうなるんだ、とか。「到達度テスト」って模擬試験とか頻繁にやってる学校だったらあんまし意味ないんではないか、とか。色々各方面から意見が出てくるかと思います。が・・・やっぱり一番大きいのは「違和感」ではないか、と。
別に自分たちの頃がそうだったからそうあるべし、と言うのではなく。世間一般に定着してしまっている認識を完全に覆していかないといけないわけで。そういうとこが・・・大丈夫なんかな、と。
一度やらせてみてください、とどっかの政党みたいなことはできんわけです。もし大幅に変更したらそれが定着するまで相当な批判や苦情に耐え続けることになるかも知れんわけです。・・・そういうとこまでできるのかなあ、と。日本人に限らず皆、改革が好きなくせに自分の周囲に関しては保守的だったりしますから。
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03/25/2013
土台は重要
英語保育園が急増・・・しかし忘れるのも早い(Yahoo!:NEWS ポストセブン)。まあ、たしかに使わなきゃ忘れますわな。常に英語に触れていられる環境を・・・というのも一手ですが、それなら親も頑張らないといけないと思うのですが。
何しろ親というのは子供に一番影響を与える存在なのですし。
↑記事で「プリスクールはインターナショナルスクールと違って親が英語ができなくても・・・」というくだりがありますけども。
・・・なんで親が話せないのかなあ、と。いや、「話せない」のではなく「話さない」のかも?
別に英語でディベートぶちかませ、とまでは言いませんが、子供に英語を習わせよう、とするのなら親も習ったらいいんじゃないか、と思うのですが。一応義務教育で「英語の勉強」はしてきているわけです。全く未知の言語を習うわけではないのですから、カンタンな日常会話程度ならそんなに難しくないのでは? と。
なんだか妙な「親子間格差」みたいなものができてくるんじゃないか・・・とかそんなことまで考えてしまったりするのです。子供には将来のことを考えていろいろやらせてみる。しかし親は見てるだけ。
もったいない、というのもありますけど・・・親も少しでも子供のやってることに追随できたらその方がより子供も理解が深まるんではないでしょうか・・・?
時間がないとかそういうのはタダの言い訳であります。一日数十分とかそんな程度でも違うと思うのですが。
・・・個人的なとこだと、どうも「子供には英語を習わせなきゃいけない」みたいな風潮には首を傾げる方なんですが。その前に国語やっとけよ、と。外国に通じる能力を、と言うのなら日本でしか得られないもん持ってる方がいいと思うのですが。そういった基礎を土台にして英語から外国史から何から積み上げていった方が後々のためにもなる、と思うのですが・・・さて?
02:07 AM | 固定リンク
03/19/2013
正解がない
と言いながら実は正解がありそうな。
麻布中学「ドラえもんが生物ではない理由を述べよ」問題(Yahoo!:プレジデントファミリー)・・・「99年後に誕生する予定のネコ型ロボット「ドラえもん」。この「ドラえもん」がすぐれた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか。理由を答えなさい。」という問題だそうで。
単純に「ロボットだから」ではなくて「なぜロボットと生物は違うのか」というところから答えを導き出す、ということのようであります。前提としてコレの前の問題文に
1「自分と外界とを区別する境目をもつ」、2「自身が成長したり、子をつくったりする」、3「エネルギーをたくわえたり、使ったりするしくみをもっている」
という生物の必須条件が出ていてそれを理解していれば答えが出てくる・・・と。
まあ、記述問題なのではっきり「正解!」が出るわけではないのですが(採点も細かくなってたとか)・・・結果としてそっち方面(生物の必須条件)へ向く、ということならそこらに「正解」がありそうな気もしますが。
自分と外部との区別とか、代謝やエネルギー消費はともかくとして。成長や繁殖というのは生物の証のようなものでありますが・・・道具を使っての自己複製=繁殖、というのはどうかな、とか思ってしまいましたが。
生物の目的は「後世に自分の一部を残す」ということであります。そのために生き延びてオノレの一部を何としてでも残そうと努力する。しかし残すモノは全く同じ、というわけではなく。オスメスのある有性生殖は明らかに多様性、つまり様々な可能性を抱き込むために作られたシステムであります。化学反応、というと意味合いが違ってくるかも知れませんが、異なるモノ同士を組み合わせてさらに異なるモノを生み出す。・・・「変化」であります。
オノレの一部を残すために変化していくわけです。
単性生殖の一種でもある「分裂」にもどこかでこの「変化」の手が加わっているかと思われます。全く、完全に完璧に同じモノが延々と数千万年や数億年単位で続いてきてるとは考えにくく。「変ってきているけれど変わらないモノ」を求めていくのが生物だ・・・といささか詩的な表現がもっとも当てはまる・・・のかも知れません。
実際「コレがこうなるからこうならないといけない」というすっぱり割り切った答え、なんてのは存在しないのかも、とか思ってます。ヒトは「数字」という割り切るモノを手に入れた頃から「全ては割り切れる」と思い込んでしまったのかな・・・とか。1+1=2は絶対ではないんではないか、とか。いや、現在の人間活動の基本中の基本ですからこれをないがしろにしちゃいかんのですが。
そういうとこから「正解がない」のかなあ、とか思ったり。まあ、こういうのは色々とありますからそれこそ割り切れるもんでもないんですけど。
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01/05/2013
単純に数の問題
ではないのは分かりますが、こうなってくるとなあ・・・。
大学は多すぎるか? 質の向上とは?(iza!) 「教える側」「教わる側」両方に改革が必要なのかも知れませんが・・・明治期辺りの末は博士か何ちゃらか、とかそこまで戻るのはさすがに無理でしょうし。当時は「大学に入った」というだけで将来を約束されたようなもん・・・とかそんな話があるのはやはり大学が少なかったからでしょうけども。
たしかに「質」を向上させれば今の数でも問題はなさそうな。
しかしこの「質」も色々意味があるわけです。最近になってよく言われる「国際競争力」を高めるための「質」なのかそれとも就職を有利に運ばせるための「質」なのか。・・・もちろんこれが大学それぞれが特化していく、というのが一番なのではありますが。
・・・現行のようにドコの大学へ行っても基本的にやってるこた同じ、というのでは意味はないわけです。ただの身分発行所となっていけば今のような「有名無実」はさらに進んでいくことになります。
もちろんこれはそうカンタンな問題ではなく。少子化などの問題も少なからず絡んできます。
が・・・なんかもっとそれぞれに得意な「何か」に特化した大学というのはできないもんなのかな・・・とは思うのですが。極論を言うならば就職のためなら入学当初からそればっかやる、とか。別に「大学」の名前にこだわる必要もないのかも知れません(でもそうなると専門学校との区別?が難しくなりますか・・・)。
実際はこっちも「待ったなし」になりつつあるような気がします。前の文科大臣のアレはやりすぎですけど、実際何らかのアクションは起こしてもいいのでは・・・とか。
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10/07/2012
かの国か
都内の小学校で「有志による保護者サークル等の開催」自粛要請(Yahoo!:dot.)。つまりは「保護者同士で仲良くするな」ということのようで(ママ友会が中心になるのは仕方ないっちゃ仕方ないですか)。
「子供の送迎」「SNSの利用」「メアド交換」などが全部ダメ、というのは・・・本当にそれでいいのかな、と。
まあ、過去にそっち関係でトラブルがあったから、ということでたしかに一つの手かも知れんのですが。どっかの国の「五人以上集まることを禁止する」というのを思い出してしまいましたが・・・大丈夫なのかな、色んな意味で。
まず子供から見たらどうなんだろう、と。
小学校5、6年からとなってますから4年生までは問題ないわけです。しかし進級した瞬間、それまでフツーに会えていた友達とも疎遠になる、とかそういうこともあるかと。親同士が仲良かったのに連絡手段が限定されちまうとそういうこともありそうな。・・・そういう場合はどう説明するのでしょうか。中学生になるまで待て、とか?
中学受験があるのだからそんな遊びはいらない、というのであればそれはそれで問題ないと思うのですが。さらにこの小学校の卒業生全員が受験する・・・というのなら。でも受験せずに公立中学に進む生徒もいるでしょうに。そういう個々の事例に関してなんだか均一的?だなあ、と。
「何々だからこうする」というのは時としてかなり有効な対処手段だったりしますが、拡大しすぎてしまうと色々な弊害が出ることになります。例えば市販薬の副作用を規制するため、違法な薬物の蔓延を防ぐために販売方法を三つに分けて手軽に買えない市販薬もでてきてしまいました。・・・これで困ったのは「通販で手に入れていたのに規制されて直接買いに行かないといけなくなった」立場の弱い人たちだったりします。
おしなべて一辺倒、というのは世の中なかなかないもんなのですが、それが一旦「ある」となってしまうとそのまま進んでしまう・・・というケースはかなりあるとかと思われます。ごく一部の暴走によって「キケンだから」ということで全面禁止になってしまったり。そういった例もたくさんあります。
・・・今回のコレも「こうやっとけばトラブルは起きないだろう」ということで進めてきたと思われます。根本的には解決されていないわけです。・・・こういうのが進むと「じゃ、他のアレも・・・」とかそういうことになりそうで、拡大していきそうでその辺が怖かったりします。
09/08/2012
自分と他人
電車内へのベビーカー持ち込み論争(Yahoo!:ポストセブン)・・・「子供優先車」までいくとどうか、とは思いますが。女性優先車って(痴漢除外以外で)機能してるのだろうか、とか。
一昔前なら子供は家族が家であずかる、とか、専業主婦が面倒見る、ということで「電車内にベビーカー」という光景は少なかったと思われます。しかし昨今の現状では子供を連れて電車(もしくは列車)に乗る、ということも多いかと。そのためこういう事例も出てきているわけですが・・・。
ところで自分はあまり電車を使わない方であります。通勤が徒歩圏内なせいもありますが。
そしていつもは背負うタイプのかばんを使ってます。これだと両手があくので気分的に楽、という理由だったりします。・・・これを背負った状態で電車に乗ると。自分一人分の他に背中のかばんの分・・・大体自分の半分くらい、つまり1.5人分のスペースを占有することになってしまいます。
空いてる時は別に問題ないのですが。これが何かでかなり混む、人が押し合いへし合いするような状況になってしまったら・・・さすがにあまり良いことではないわけであります。どんな小さなスペースでも惜しい状態では。
そのため混んでくると手でぶら下げたりするのですが。・・・まあ、自分はそんなに混む時に乗るわけではないのですけども。
これがベビーカーとなると。さらに一人分追加、ということになります。・・・満員電車で堂々と展開していたら、そりゃいい目では見られないかと思われます。どんな事情があっても(乗ってる他の乗客は子供連れてる側の状況なんて知るよしもないわけですし)。
・・・では電車(列車)内にベビーカー持ち込むの禁止にしよう、となるとまたこれは別の問題であります。どうやって子供連れて乗せるんだ、という話はもちろん、そこまで狭量なことするか? という話になってきそうですし。
ベビーカー連れた人全部が「オレがワタシが」で混雑してる車内に平気な顔してベビーカー押し込んでくる、というわけではありますまい(そういう人たちがいるのは事実ですが)。ほとんどの人は周囲に配慮しながら乗っている、と信じています。
結局のところ「各個人の意識」に頼るしかないわけです。法的に規制もできますがどうしても杓子定規になってしまう。かと言って何もしないと今度は傍若無人な人に苦しめられて「だからベビーカーは・・・」ということになる。
もう今の世代はダメだから今小学生くらいの世代を教育し直してモラルを身に付けさせよう、とかそういう話も出てきそうではありますが。・・・そんなに難しいことじゃないと思うのですが。自分がやられたらイヤなことは他人にしない。これやったら他の人はどう思うのかな、と思ってみる。たったそれだけのことだと思うのですが。
07/27/2012
まだそんなこと考えてたんかい
小中学校の春・夏・冬休みを一日ずつ減らして10月に5連休を(Yahoo!:JIJI)・・・もちろん休むのは小中学生。しかしその5連休に合わせて親には有給休暇を取らせるよう義務付ける制度を新設。さらに全国を4ブロックに分けて休みをずらして経済効果を・・・!
・・・って、まだそんなこと考えてたんですかい。一応「中間報告」なんでまだ「決定」というわけではありません。もちろんこんな制度決定されたらたまったもんじゃありませんが。
そもそもまず「長期休暇を減らして新たに連休を作る」という発想はどっから来たんだか。そのまま夏休みなり何なりにしておいた方が親も休暇取りやすいでしょうに。・・・それになんで子供の都合に親が合わせなきゃいかんのか・・・その辺もよく分かりません。義務化って。なんでそこまでする必要があるんだか。
そして例の「全国を何ブロックに分け~」てのはちょっと前にも出てきてて、てっきり消えたもんだと思ってたんですがまた再燃するんですかい。
これはまた「外国では例があって~」が根拠になってますが、全国的に休暇を分散、という意味ではなく。学校の休暇を分散させている国がある、というだけであります。親戚縁者が同一地区に住んでることの方が少ない現状でコレやると帰省もズラされることになります。「家族のだんらんを~」とかそういうのを狙っているのなら逆効果になる恐れもあります。
・・・日本人は有給休暇を取らない、んじゃなくて取れないんです。職場の雰囲気や状況によって。その辺をどうにかしよう、という話ではなくて「制度を作ってしまえばそれに乗るだろう」とムチャぶりされても意味はないと思われます。
仮に法律として制定された、としても。どっかで必ず破綻します。義務化ってことは誰かが見張らないといけない。労基局が全部やるんですか? 休日をブロックで分ける、と言っても各地方によって人口のケタが違う。地方によっては都会の人が来るのを待ち望んでいるってのに・・・ズラされたら意味はないでしょうに。
なんか、こう・・・もうちっと他にやることあるんじゃないんですかね。こんなこと考えるよりも優先事項はたくさんあるはずなんですが・・・そんなにヒマなんですかね?
07/12/2012
今さら・・・
ホント、今さら何をやろうと言うのだか。
民主党を離党した小沢氏の新党「国民の生活が第一」が旗揚げ(Yahoo!:毎日)。衆参両院議員49人が参加・・・となってますからいわゆる消費税法案に反対した議員全員が参加したわけではないようですが・・・まあ、長い党名といい、どうにも「わざとらしさ」が見え隠れしているような気がします。
「消費税増税法案の撤回」「脱原発を目指す」
となってますが・・・すでに衆院で可決、参院で議論に入ってる法案をどう撤回するのか。「こくみん~」の参院議員はすでに泡沫政党レベルですんで他のどこかの党と組むしかない。でも・・・どこと組んでどうやって法案を撤回させるんだか。その辺も不透明であります。
「脱原発」にしても・・・なんだか取って付けたようなこと言われてもなあ、と。直接小沢氏が関連しているかどうかは定かじゃありませんが、高度経済成長期からの電力不足を解消するため+地域の活性化という意味合いでも原発はあちこちで話し合われてきてました。助成金やそういった話ももちろん含めて、です。
それを「脱」と言われてもなあ・・・年代的にあなた方が推し進めてきた事業のはずなんですが。それを今さら・・・ですか。
逆に言えば「消費増税撤回」「脱原発」を実現できた、としたら・・・「国民の生活が第一」は一気に票を伸ばすと思われます。言葉だけではなく実際に行動と結果で示せたのですから。そういう「行動」と「結果」を示さない限り総選挙でも勝てないでしょうしほんと「口だけ」ということで終わると思います。行動で示す、というのは非常に単純なことなんですけども。
どうなんでしょうね。国民もバカじゃないって分かってるんですかね。
そして滋賀県大津の中学生自殺事件関連で県警が中学校や市教育委員会を家宅捜索(Yahoo!:読売)・・・自殺がああったのは9ヵ月前。で・・・今さら、ですか。一部では自殺した家族が警察に被害届を出すも三回も受理拒否していた、という・・・実際、いわゆる万引き、つまりは軽微とされる窃盗の場合「受理はしても捜査はしない」ということが多々あるのですが・・・受理拒否って。たしかにどんな案件でも全部受理していたらきりがない、というのは分からんでもないですが、「拒否」というのは・・・そんなに捜査するのがイヤだったのか。
それがここへ来て一転、家宅捜査に捜査本部設置。・・・こうなったらいじめに限らず軽微すぎて本腰入れてくれないような案件はマスコミに知らせた方がいいんですかね。事実にない食いつきが良さそうな脚色してでも。そうでもしないと何も動かないって・・・なんなんでしょうね。
まあ、昔からこの手の人たちは腰が重い、と言われてましたが。それでも。しかも教育委員会の答弁と言うか回答と言うかも何か・・・世論の方向性とかそういうのは全然知らないのか気にしていないのか。・・・それで捜査が入ったらあわてて緊急会議、とか。で、「私たちは子供を守らないといけない」とか・・・守る気があるのかどうか、かなり疑問ではあります。
・・・実は自分も高校の時に教員の人が不当に解雇された、とかそういう「騒ぎ」がありまして。校門の前にそれっぽい人がいたり「今から体育館で集会だ!」とかそういうのがいきなりあって、でも実は何もなかった、とかそんなんもあったんですが・・・。
その時、自分は転校してきたばっかで解雇された先生とやらも知らない、校内放送で「校門にいる人と口をきいてはいけない」とか言われても事情がさっぱり分からない。とまあ、そんなもんだったんですがその時にちょいと「違和感」を。
・・・学校の人たちは何を恐れているんだろう、と。
生徒に対して命令のような指示を出すだけで事情は一切説明しない。高校生ともなれば生徒だってバカじゃないですから自分なりに考えようとする。でもそれを許さない。一体何を恐れているんだろうな、と疑問に思ったもんですが。
あの頃と何も変わってないんだな、と。一番恐れるのは生徒が間違った方向へ進まないか、ではないんですかね。それとは違った「何か」を恐れてこの迷走が続いている・・・と思うのですが。
06/16/2012
でじたるねーてぃぶ
「伝える」ことの大事さ、学生に伝えたい(iza!)。「SANKEI EXPRESS」で実施されている「君たちに2ページあげます」であります。学生さんが自分達で取材し、実際に記事として載せる。結構いい経験になるのでは、と自分も思います。少なくとも自分が学生の時にはこんなチャンスありませんでしたし。
「君たちは『伝える』ことよりも前に、ものを『知る』ことが必要じゃないのか」(「」↑記事より引用)
と田原総一朗氏に言われたこともあったそうですが。まあ、その辺も含めての「経験」なんでは、と。
こういう取り組みそのものを批判する気は毛頭ないんですが。ただ・・・なんかちょっと気になったところがいくつかあって。まあ、コラムにそういうこと言うのもなんかヤボな気がしないでもないですけども。
「デジタルネーティブ」つまり最近の若い世代はネットを繋げばすぐに欲しい知識が手に入る。ツイッターなどで「伝える」ことも容易になった。PCに限ったことでもなくどこでもどんな時でも。しかし記事を書き、それが記事になる、というのはそんな簡単なもんじゃないよ、と。
・・・そりゃ現役の新聞記者から見りゃそんなもんかも知れませんが。しかし道具が変わっただけでやるこた変わってないわけで。ネットでだって即座に正しい知識が手に入るわけでもない。ツイッターやメールででこちらが伝えたいことと真逆の意味に相手がとってしまって、トラブルになった・・・とかそういう例はたくさんあります。
むしろ実際にリアルで接しているのとそれほど変わらないんじゃないか、と。
こう言うと何ですが・・・こういうのは年代によってかなり認識に差があります。たしかに若い世代ほどこういう「でじたる」には偏見がなく、すぐに受け入れる。でも、「でじたる」だからと言ってカンタンなわけじゃない。相手はまだ人間なんですから。これが接する相手も全部「でじたる」ということになったら、それはそれでまた方向性が変わってくるとは思いますが。
人間なんてそんなカンタンに変わるもんじゃないと思うんですがねえ。・・・結局は「人」を相手にしていることは変わらない。ただ道具が違うだけで。ネットなんて所詮は分厚い百科事典に過ぎんのです。自分で知ろう、と思わない限りタダのジャマな置き物。しかも載ってることも玉石混交。その中から「真」の情報を選び出さないといけない。
ツイッターにしてもメールにしても結局は言葉のやり取りに過ぎない。やはり道具が違うだけで。
・・・必要なのは「あんなモノはだめだ」ではなくて「どう違うのだろう?」と「知る」ことだと思うのですが。知って、それから伝えていけばいい、というのもやはりどれも変わらんと思うのですが。
03/16/2012
方向によりけり
2012年度から必修化される中学の武道、柔道が6割強(Yahoo!:時事)。理由は「すでにやってるから」が最も多かった、とか。必修化、ということで対応してない(そういう授業をしたことがないとか指導者がいないとか)学校は大変そうなんですが…すでに体育の授業の中とかでやってる学校はそんなに慌ててはいない、ということなんでしょうか。
そもそもは「愛国心」とかそういうちょっとお堅い方針から出てきたものなんですが…中学の武道必修化。
…柔道や剣道を二年ばかしやったところでそんな簡単に身に着くのか、とかそういう話もあります。それでもそういう授業があってもいいんでは…と個人的には思ってるのですが。
別に格闘家を育成するわけでもなく。課程が終わったら即実戦や、とかそういうわけでもありません。授業の一環、ということはクラブ活動ともまた違うわけです。…真髄がどう、とかそういう話ではないと思います。
「こういう世界もあるんだよ」的な授業でいいんでは…とか。
しかし安全性は十分に確保されなければいけないわけで。「柔道」というのは今ではスポーツですからきちんとルールがあって、それらは非常に安全を目指したものになっています。
例えば「投げ」一つにしても。傍から見ると痛そうですが、投げられる側がきちんと受け身を取り(そんなに難しいものでもありません)投げる側もきちんと技の流れに則って(落ちる寸前で引っ張り上げる)いればそんなに危険はないと思われます。
まさか絞め技とか高度な関節技とか、そこまでやるとは思えませんし。そういうのが目的ではないでしょうし。…その辺は指導者次第、ということにもなりますか。
やはり指導者の問題というのは大きいですか…今まで授業などでやっていた学校はまだいいのでしょうけど…そうでない学校はやはり厳しい面があるのかも知れません。
03/08/2012
そんなに勉強したくないのなら
しなくてもいいんじゃないか、とか思ってみたり。
中央教育審議会の大学分科会大学教育部会が学生の勉強時間を増やすような調査や対策をした大学を財政面で優遇する素案をまとめる(Yahoo!:読売)。まあ、勉学は時間だけで決まるもんではありませんが…それでも一つの指標となり得るものではあります。
本来なら時間という「量」ではなくて内容という「質」ではかって頂きたいところではあるのですが…。
一つにはやはり大学の数が増えちまったからなのかな、と。
こないだビートたけし氏がどっかに書いてましたが。明治とか昭和初期とかは「大学=狭き門」だったわけです。正に末は博士か大臣か、といったところで。やはり現代のように入学するのも大変だったと思われます。もちろん経済的な差、というのもあったのでしょうけど。ほんの一握りの人たちだけが入学できて、そして地位や名誉を得ることができた。
…しかし現代ではそんなこともなく…経済的に、という入学希望者は今でも存在してますが…その頃と比べる必要もないくらいにたくさんの人たちが大学に行ってるわけです。これでは高等教育の場としての「大学」の意味はないんではないか…。
ただ、これはこれで悪いことではないのかも、と思います。学問、それも高度に専門的な学問に触れる機会が増えたのですから。
問題はその機会を生かせていない学生が多いことなんではないか、と。それを学校側からどうこうするのではなくて学生の方から触れようとするように仕向ける…これもやはり難しいですか。この手の「日本では年齢が上がるほど勉強しなくなる」話というのはもっと根深いもので、ちょっとやそっとでは解決しないもんなのかも知れませんし。
03/04/2012
意外と続くもん
なんですな。
楽天とユニクロの「社内英語公用語化」その後は?(Yahoo!:毎日) 双方とも2010年に「うちの会社内では英語のみを公用語とします」とやったんですが。つまりは日本人同士でも仕事の話を英語でやれ、と(たしか全部が全部英語でやれ、というものではなかったような)。会議なんかどうなるんだろう、とかそういう不安?も当然あったわけですが…。
実際は2年ほど経った現在でも通用しているとのことで。
たしかに「すぐに音をあげるんじゃないか」というのは比較的多くの人が思っていたことかと思われます。…会社の営業形態と言うか業務内容にも関係してるのかも知れませんけども。これがもし100%海外とは関係ない、日本の伝統技術を受け継いでいく会社だったりしたら…こうはならないのかも知れません。
まあ…個人的には社員全員がそこまで前向きなのかな…とか思ったりもしますが。中にはどうしても受け入れられない、という人もいたんじゃないのか、とか。そういう人たちはどうなったんだろう…まさかもういない、とかそういうことはなさそうな。それなりに順応していってるのか…まだ苦手なままなのか。
業務とは関係ないとこだと「通じればそれでいい」というのが英語なのですが…ビジネスで英語、となると結構大変だったりしますし。そういうとこもひっくるめて大丈夫なのかな、とかそんなこと思ったりして。
…知らないよりゃ知ってる方がいいわけで。英語しかできないとかそういうとこまで行くつもりはないでしょうし。でもそこまでマジになるもんなのかな…とかそんなことも思うわけです。日本語もそんなに悪いもんじゃないよ、とか。
03/02/2012
留学ありき?
早稲田大学が2013年春から一部学科で「クォーター制」導入へ(Yahoo!:産経)。
→早稲田大学、2013年春から1年を4学期制にする「クオーター制」導入へ(Yahoo!:FNN動画ニュース)
…下の動画の方で図式が出てますが。どうも一年を4学期に分けて、それぞれでの単位取得を可能にする…ということのようです。現行の「セメスター制」では一年を半期、つまり2期に分けてますが、こちらの方が柔軟性に富む、と。
日本の場合4月入学が基本で、コレに対して東大が9月入学を打ち出してます。が、国によってはさらに違っていて(例えば南半球とか)そういう国に対しても柔軟に対応できるように4つに分けてそれぞれで単位が取得できるようにする…ということだと思われます。
2013年春、とすでに期日も決まってますが。…秋入学の方はまだ現実味が出てきてませんが。
…しかし…なんか個人的に釈然としないのは二言目には「留学生を」「国際的には」という文言が出てくることで。そんなに日本国内の学生には失望してるってことなのか…それとも少子化が進めば学生の数が減るのでその分を海外に求めているのか…?
あるいは国際的な認知度を高めたい、ということのか…その辺はちと分かりませんが…どうなんでしょうねえ…。
ま、大学まで行って今さら「教わるつもり」というだけなら意味はないのかも知れませんけど。自分から貪欲に活動していく、という気概がなければあんまし意味のない場所かも知れんのですが。…実際には身分証明書発行所だ、とか人生の息抜きの場だ、とか色々言われてますけど。そんなんでいいのかな、と。
「レベルの高い留学生が来ればいい刺激にもなる」
とかそういう論調もありそうですけど。…もう一度「教育」「就職」などを見直した方がいいのかも知れません。なんで勉強するのか、なんで受験するのか。その辺をもう一度洗い直して再確認すべきなのでは…と。
01/26/2012
そぐわないのかなあ
むしろこういう人物の方が未来には必要なのかも。
二宮金次郎像、各地で撤去相次ぐ(Yahoo!:毎日)。とは言っても誰かが各地の金次郎像にいちゃもん付けて回ってるわけではなく。元来が戦前から戦中にかけて建立されたものばかりなので…やはり老朽化、というのも大きいようであります。戦中には金属像は軍に供出された、という歴史もあったりします。
…自分の通ってた小学校にも石像があったような記憶があります。あれは…まだ建ってるんでしょうか…?
二宮金次郎は後に二宮尊徳と名乗った人で…江戸期、相模生まれの人であります。
1787-1856ですから江戸の中期から後期、ということになります。実際、天保の大飢饉の時に「夏なのに秋ナスの味がする」と細かな異変に気づいて近隣の農家に稗を植えさせて飢饉の被害を減らした…という話も残ってますが(どうも伝説っぽいと言う説も)。いずれにせよ様々な施政によって藩だけではなく民にも大きな影響を与えた人物だったりします。
そもそもは農民の生まれですが、最後には幕臣に取り立てられています。こういう例は実は地方の豪農や豪商から武士になった、ということで少なからずあったりします(多くはないですが)。例えば伊能忠敬もそういった人物の一人だったりします。
…しかしそうカンタンに名字帯刀できるわけもなく。当たり前ですが相応の実績があった人物にのみ許されることではありました。
尊徳の場合は己や家族が消費する分を計画しておいて(分度:ぶんど)残った分を村の役に立てる(推攘:すいじょう)方法を推し進めていってます(これを金貸しで行なっていた、という話もあります。通常より長めに貸し付けて安い金利を得る、これを推攘として役立てる)。当然ですが各人が各人でばらばらに「利」を得ていて貯め込んでいては村の役には立たないわけで。長い目で見れば、自分のもうけ分?を差し出して今は損したと思ってもいずれ村が栄えればその何倍もの「利」が還ってくる…という思想かと思われます。…実行するのはかなり難しそうですが。でもそれなりに力のある人物の呼びかけなら実行は不可能ではなさそうな…。
…でも石像の二宮金次郎は薪を背負って本を読む少年の姿。
どうもそういった「改革者」ではなく「薪を背負いながら本を読んで勉強したえらい人」みたいなイメージで。「勤勉」「節約」…実際にそういった思想はあったようですが戦前や戦中のそれとはまた違っていたような。しかしそういったイメージで道徳の教科書にあたる「修身」にも取り入れられ小学校に像が建てられた、ということのようで。
…そのせいでどうも「戦中教育の象徴」みたいに言われることもあったようであります。さらに↑記事のように「歩きながら本を読むなんて危ない」とかそんな声もあって…さらに老朽化もあって…撤去。
戦国期の武将などのように派手な活躍してた人ではありませんが…こういう人たちがいたから今がある、というのもあると思うのです。歴史ブームだ、とか言われてますが結局は一部の有名人にだけスポットが当たっている、というのはブーム前と変わってなかったりします。
小さなことから再評価に繋がることもある、と、そういう見方もできるんですが。よく知られていないけど実はスゴイ人、というのはまだまだたくさんいるものなのです。
01/19/2012
全部そろえた方が
とりあえず?東大だけってのも…なんだかなあ。
東大の学内検討会が全面的な「秋入学」を提言…「春入試」は維持(Yahoo!:読売)。まあ、まだ「提言」なわけで。これからさらに各方面との協議や検討を重ねていく、とのことで…もし実現できたとしても数年後とのことですが。
…東大単一で、となると話がややこしくなりそうであります。やるんなら幼稚園から小中学校から、高校も他の大学も全部、とやった方がいいと思うのですが。
入試から入学まで半年ほど空くのですが、それは合格の決まった学生に社会経験を積んだりして受験の空気をリセットして欲しい…ってのも。
たしかにそれまで受験受験の生活だったかも知れませんが、人によっては10年以上そういう生活してきてたった半年で「リセット」なんてできるわけないと思いますが。中途半端に休みもらって何もせずにぶらぶら…てのもアリかも知れませんが、なんかもったいないような。余分な時間になってしまいそうな。
それに9月入学の目的の一つは海外のほとんどが9月入学だから、と。東大から海外の大学へ留学したり、留学してくる海外の学生が少ない大きな理由だ、としてますけど…これもなんだか妙な話で。
勉強しに行くのに入学時期なんか関係ないでしょうに。留学するしてくる学生が少ない、というのは入学時期でも語学の問題でもなく、ただ日本の風土がそうなってるだけ、と個人的には思ってます。やろうと思っても資金面での壁もありますが、なんだか金持ちの娯楽みたいに思われる。場合によっては「遊学」という風に見られたり。
こういうのは海外との接触がどうしても少なくなる日本ではある意味仕方ないことではないか、と。…そういう風土を改善したいのならまず国民性からいじっていかないと。それには時間がかかります…いや、その辺の改革?は進んでいるかと思われます。明治になってから。ようやく今のようなレベル、と言うか海外も日本とそんなに変わらないんだ…と思える人たちが増えてきてるのです。
海外の大学、特に欧米の大学に行くのが勉強目的ではなくステータス目的…と思われてる現状が問題なんじゃないのかな、と。
…海外の大学に行っても就職で有利になるか、と言えば別にそうでもない(むしろ敬遠される?)ような、そんな気もしますし。
それでも9月入学に、海外に合わせたい、と言うのならやはり全教育課程変えないと意味がないと思われます。ちょろっとだけ変えてもかえって混乱を招くだけであります。東大がやる、ということになればそっちの方へ流れが変わる可能性は高いのでは、と。でも大学だけじゃあ…幼稚園から企業から、そういうとこも全部変えていくつもり、と言うのなら賛同者も多いと思われますけども。
12/09/2011
万引きじゃない、窃盗だ
生徒の1割が万引き(窃盗)経験あり…静岡の高校(Yahoo!:スポーツ報知)。某昼の情報番組でも取り上げてたんですが。「さすがに高校の実名までは…」という論調で。まあ、それはたしかにそこまでは、という気がしないでもないんですが。ただ、「残り9割はそういうことしていないんだから」という話になっていって、それは違うかも知れんぞ、と。
調査した結果「1割」が盗みをやったことを白状した、というだけのことであります。これが「残り9割はやってない」とイコールにはなりますまい。白状してない奴がいたらこの数値は大きく変わってしまいます。
万引きではなく窃盗というれっきとした犯罪であります。しかしこれが罪ではない、という認識のある人がいるのも事実で。捕まっても大抵は小言言われておしまい。被害側が「事件にする」と言ってもほとんどの場合はそうならず。不起訴と言うかそのままなあなあで終わってしまうケースが多いかと思われます。
これが大窃盗団組んでスーパーで盗み三昧、とか高級品ばかり狙っての犯行、ということなら別でしょうけど。金額もせいぜい数百円とかそれくらい。しかも捕まってもちょっとがまんしていればまた盗めるんですから、そりゃあ…罪の意識なんかなくなりますわな。
…どっかの破綻しかけてる国みたいに「盗まれる方が悪いんだ」とか言い出すのもいるそうですが…。
↑これくらいの年齢から教え込んでいかないと将来が不安になると思いますが。いや、高校生ではもう遅いかも。まあ、こういうのはどの年代にもいますから撲滅というのは難しいかと思われますが…せめてまっとうに働いてる人たちがわりを食わないように、そういう風にできないものですかね。
今の状況だと、どうも「やったもん勝ち、言われなければ何やってもいい」と自浄作用も何もないような考えを持つ人が結構いますし。若い人にももちろんいますし。そういうのが社会の中心になっていく、となると…さすがにヤバいような気がしますが。
「昔はオレもヤンチャでね」とかそういう風に年とってくれば分かってくる、みたいなこと言う人もいますけど。今、現在そのヤンチャ連中に被害を受けてる人たちはどうなるんでしょうね…? 「万引き」という安易な言葉ではなく「窃盗」という犯罪だ、ということを知らしめるだけでも大分違ってくると思うのですが。
11/01/2011
名物じゃねえよ
「離席しないで」「ヤジが見苦しい」まるで学級崩壊?(iza!) 前々から言われていたことなんですが…どうなんでしょうね、やってる当の議員サンたちはどう思っているのでしょう…?
国会でヤジ、というのは名物の一つなんだそうであります。各党の一年生議員はまずコレから始める、という話を聞いたことがあります。つまり他党の議員が発言している最中にヤジを飛ばす。飛ばすよう、先輩議員から指導される…とか何とか。
いつ頃から始まったのかは分かりませんが…最初からあんなひどいもんだったんですかねえ…。
「国会のヤジ」に関しては国民にも肯定派と否定派が存在しています。肯定派は「あれも戦術の一つ」である、と。例えばテレビの討論番組なんかでも他の人がしゃべってるところへ自分の意見を上乗せしていく。すると相手は十分に自分の意見を言うことができず、討論としてはこちらが勝つ、というものであります。ヤジもこれに類するもので、そこから失言なり失態なりを引き出せたならそれはヤジった側の勝ちではないか、というものであります。
…にしたって限度ってもんがあると思いますが。国会ではなく某情報番組で司会者の男性がレポーターがレポートしている最中に「これはどうなん?」「あれはどうなった?」とまだ途中なのに自分の声を延々乗せていく、というのがありましてこれは非常に不快だったんですが(最近はなくなりましたが)。弁論とか討論とかのテクニックの一つ、とか言うわりにはあまりにも品がないと思ったものであります。
国会のヤジというのも全くない、水を打ったように静かな会場で議事が進む…といういささかシュールな光景よりはまだ人間味があるかと思われます。しかし…肝心の答弁が聞こえない、一体何人がヤジってんだ、とかそういうことになるとこれはちょっと意味合いが違ってくるかと思われます。
否定派は「子供に悪影響を与える」ということを言います。…たしかにいい影響は与えないかと。ただ、こういう世界もある、というのはある意味いい教育かも知れませんけども。大人も子供もそんなに変わらないもんなんだよ…とか。…それでもあんまりにもひどいのになるとどうか、と。普通に公衆の面前で吐ける程度のヤジ…じゃない場合だってありますし。
実はよその国の国会でもヤジというのはあるそうで(国によっては全面禁止、逆に殴り合いにまで発展する国もありますが)。水清ければ魚住まず。かの孔子が治めたとある国では道を歩く時も整然と、男女はきちんと住み分かれていてやましいことなど何も起きなかった、とされてますが…。
人間の本質なんてそんなカッコいいもんじゃありません。でもそこに多少でも「程度」というものを盛り込んで欲しい、と。ヤジを完璧なくせ、とは言いません。でものべつまくなしヤジりまくり、とかそういう頭の悪そうなことはやめといた方がいいんじゃないか、と。
…ああ、でも、↑記事に出てきていたもう一つ「勝手に離席」てのは…これもテクニックなんですかね? 落ち着きのない子供がよくやりますが。でもさすがにそこまで来ちまうと本当に学級、いや国会崩壊が心配になってくるのですけど。
10/08/2011
二つほど 10/8
色々不明に二つほど。
一つ目。親の八割が「うちの子って天才」と思ったことあり(Yahoo!:毎日)。まあ、ただの親バカだろ、と言われればそれまでなんでしょうけど。しかし…そういう風に思われる(あるいは思う)瞬間があるだけでもマシなんではないか、とか思ってしまったりして。
…少なくとも親が子供をしっかり見ているからなんではないか…とか。
どうにもマイナスのニュースが多い「親子」ですんで、こういうある意味微笑ましいのもアリなんではないか、と。なんだかそういうことも考えてしまうのですが。ただ…「天才だ」と思うのが幼少期、ということはやっぱり「這えば立て、立てば歩め」なのか…それともこんなことまずできないだろう、と思っていたことができてしまった、ことによる一種の戸惑い?なのか。その辺はちと分かりませんけども。
二つ目。鳥島と尖閣諸島のアホウドリは別種?(Yahoo!:読売) って、今さらなんてことをー…とか思ったんですが、意外と「同種」だと思ってたのが実は「別種」だった、てのはよくあることなんで…ある意味当たり前っちゃ当たり前の出来事なんですが。
それでも保護対象が二つに分裂?してしまったら保護活動にも色々混乱が起きそうな。
実際には生物の「種」なんてのはそれほど厳密なものじゃないんですが…これはどうなるのか、ちょっと不安なような逆に楽しみ…と言うのとはちょっと違いますか。期待…なんか違う、何が出てくるのか分からない、そんな気持ちだったりします。
続報が気になるところではあります…海鳥の類は分類がややこしいのですが…どうなるのでしょうか?
10/03/2011
一人か複数か
もちろんそんな単純なもんじゃありませんが。
ネットで非行自慢、少年院は「犯罪学校」となるのでは(iza!)。たしかにそういう一面があることは否めないかと思われます。しかし…↑記事で引き合いに出された二件には決定的に違うことがあります。
…一人で犯行に及んだか、否か。
これはあくまで私見で、個人的な考えではあることを了承して頂きたいのですが。
本当に****で精神的にちょっといけないような人物や、もう本気でどうしようもなくて人生(長さは関係ありません)の崖っぷちに立たされて追い詰められて犯行に及ぶのは一人が多いです。対して「どこかに逃げ道がある」と考えてる人間は徒党を組みます。それは「徒党」と言っても二人以上。「誰かがいれば何とかできる」と思うのかどうかは知りませんが…大抵の少年犯罪はこういうのが多いと思われます。
世間では軽微な犯罪とされている「窃盗」つまり万引きですが、いわゆる「少年」で単独犯は少ないのでは、と。若い時ほど自信はないわけで。「誰か」が一緒であれば何とかなる、とやはり思うのかも知れません。…複数でやればバレる確率は上がるってのに。
対して中高年から老年に至る窃盗の場合。一人が多いです。これはまた別の意味がある…のかも知れません。それもほめられたことではないのですけど。若い方には徒党を組んでも軸がなければ意味はない、ということをよく知って欲しいものではあります。
繰り返しますが。これは自分の私的な考え…私見であります。
ニュースなどでこういった事件が報道される場合。加害者が「一人」だと「ああ、これは****の仕業だな」と。「二人以上」だと「なんだ、ただのクズガキか」と思うようにしています。その程度のくだらない人間の仕業なんだな、と。度胸も判断力もない、ただの…ガキ。それもクズみたいな、そんな程度。
なんで一人でできないかな、と。…いや、そういう犯罪を煽ってるわけではありません。ただ…情けないな、と。
こういうのは若い人に限ったことではありません。「誰かがやってるから」「みんなやってるだろうから」で判断を他人に委ねてしまう人のどれだけ多いことか。
そろそろ自分で考えて判断すべき時ではないか、と。これは若い人に限った話ではありません。むしろ…今「親」となってる世代に言いたい。子供に自分は自分自身で判断してる、と言い切れますか、と。
可能な限り「自分」で情報を集め、「自分」で判断して結論を下す。そういう親の姿を見たことのない子供は自身も「自分」で判断しないようになります。そしてそういう子供が今度は親になっていく。そんなのが広まっていけば…日本はどうなりますやら。
…まあ、一説には「自分で判断する」物語とかアニメとかドラマが最近増えている(目標に向かってつっぱしる主人公と振り回される周囲とか)のは自分で判断できないヒトが増えているからだ、なんてのもありますが。で、そういうのは昔からあるもんだ、と。
それでも自分ひとりでなんとかできないもんかな、と。「赤信号みんなで~」てのはあくまで皮肉であって欲しい、と思う今日この頃なのですが。
09/25/2011
ついにしーあーる
と言っても金属球を使った遊戯ではなく。チャイルドレジスタンス…子供に誤用されにくい設計のことであります。
9/27からライターなど点火器具に適用・しかし苦情も(Yahoo!:毎日)。ライターなど火を着ける道具であります。これは昔から子供がいじってしまって出火…という事故が絶えませんでした。そのための「しーあーる」でもあるのですが…。
全部が全部子供の事故、というものではなく。場合や条件によっては誰も触っていないのに出火、というケースもあるとか。いわゆる百円ライターはギザギザの歯車が回転…と言っても一回転もいらない…さえすれば発火します。実際には非常に低い確率ですが、色んな物の中と一緒に箱や引き出しに放り込んであって、それが何かで揺れたりして発火…とか。
そのためもあって「子供が容易にいじれない」ライターにしよう、ということになりました。方式は二つ。一つは「二回以上の動作が必要」もう一つは「歯車が固い」というもの。
…しかしそういう「改造」を施すとなると費用がどうしても上がります。それは価格に影響してくるので…メーカーとしても頭が痛いところではあるわけです。
そのため比較的費用のかからない「歯車を固くする」ライターが多くなる、と。しかしこれやると今度は「点火しにくい」という苦情がくるようになります。子供とは正反対のご老人。歯車が固くなると力が必要になるので、ご老人では着火しにくくなる、かえって危ないのではないか…とか。
時間が経てばそれなりに皆、なんとなくでも受け入れていくのかな、とかそんな風にも思いますが。
ただ、国が規制するからと言って「もっと国がPRすべきだ」てのも。個人的には着火器具のこういう規制は「その場しのぎ」の「いたちごっこ」だと思ってます。…子供てのは案外賢いもんで。そういう小細工?してもすぐに見破ってなんとかしちまいます。そうなるとまた別の規制が始まって…また見破る、と。
そうならないためには大人の側の注意力と子供の納得が必要であります。具体的には子供の手が絶対触れない場所で保管する・子供が触らないようしつける・とか。当たり前のことなんですがそういう地道なところから始めてもいいんじゃないんでしょうか?
09/20/2011
変わって守るもの #2
国語の世論調査…言葉の「性差」を大切に(iza!)。…そもそもこれは「性差」じゃなくて「環境差」なんじゃないか、と。ぞんざいな言葉使う女の子は昔からいて、それが前面に出てくるようになったのがつい最近、という話で。
…言葉は親から子へ伝わります。親、でなくても育った環境がモノを言うわけです。つまり今の子たちの親…場合によっちゃさらにその親…がそういう言葉をいつでもどこでも使える環境になってしまった、嘆くのならこのことを嘆くべきで「性差」がどう、という話ではないような…?
国言葉、つまり方言なんかいい例であります。育った環境で使われていた言葉遣いというのは、そのまま子供へ伝わっていきます。もちろん後から「直す」ことは可能ですけど、どうしてもどこかに残ってしまう。
…まあ、気づかないのならかえって幸せなのかも知れませんが。あーいう言葉遣いをするだけで「なんだこいつこの程度の環境で育ったのか」と低く見られることもある…と。むしろそういうことすら認識できない親が増えているから目立ってきちまってるのかも知れませんが、あーいう言葉遣いが。
もしかしたら数百年後にはあーいう言葉が当たり前…にはならないか、こういう「流行」というのはなぜか繰り返すもんであります。言葉の「乱れ」を指摘する声なんてのはいつの時代もありました。しばらく「乱れた」時代が続くと今度は「整然とした」言葉の時代がやってくるもんであります。
今の子供たちが親になって、さらに子供を生む。そしてまたその子らが親になって…を繰り返していくうちに言葉も色々な方向へ変わっていきます。もちろん言葉だけではなく。文化なんかも同類で。だから今から数百年後ともなると日本語の本質的なとこは変わってなくても見た目は色々変わってると思われます。
文化、としての日本も。今の我々から見たら大分ヘンなもんが残ってるかも知れませんし…明らかな誤用で残ってるかも知れない。その辺は誰にも分かりますまい。
ただ…それでも「日本語」「日本の文化」「日本人」ということに変わりはありません。それだけは変わらないものだ、と信じております。
09/16/2011
変わって守るもの
しかしえらくコマカイところを大真面目に検討しているような、別にどうでもいいようなそうでもないような…。
文化庁が「寒っ」「すごっ」「短っ」「長っ」「うるさっ」の五つについて気になるかどうか調査(iza!)。結果は「大半が気にならない」…6割以上がそう回答したそうであります。
これらは「い抜き」言葉とでも言うのでしょうか…口語(しゃべり言葉)だとあんまし気にならない(むしろ使ってる人は多そう)なんですが文語(書き言葉)だとどうなんだろうかな、と。↑の調査はおそらく口語での「寒っ」でしょうし。公的な文書、とまでいかなくても例えば真面目な文書にこういう言葉を記す、となると一体どんな割合になったんだろう…とか。
しかし口語→文語というのは「しゃべり言葉で書く」というのが一般的になった頃からよくあることですんで…本当に未来では当たり前に「寒っ」とおカタい本にも出てくるようになってる、のかも知れません。
一方で「ら抜き」言葉も増加中(Yahoo!:産経)とのことで。やはり若い世代に多いようですが…文語でも、つまり書き言葉でも「ら」を抜くのが当たり前になるのは「い」抜きより早いのかも。
…さらに↑記事では慣用句の「誤り」に関しても触れてますが。まあ…こっちの方が変化は早いような気がしてます。本来の意味とは違った意味になって伝わっていく、というのはこれまでも例が多数ありますし。今後はさらに増えていくものと思われます。
「正しい日本語」というのは実は確定されてない、と思ってます。昔からの「日本語」を頑なに守り続けて化石のようになっても守り続けるのがいいのか、それともどんどん様々な要素を混入していって原形すらとどめない新しい「日本語」を受け入れるのがいいのか。
…別にどっちでもいいのかも知れません。決めるのは誰でもなくて日本語を使う一人一人なのですから。「守れ」「変えろ」とやってもそういう方向へ進むもんでもなさそうですし。
08/31/2011
自戒を込めて
「ああ、それ知ってるよ」が向上心を妨げる(Yahoo!:Business Media 誠)。
…たしかに身につまされるお話であります。↑記事中の「菫(すみれ)の花」の話はトカゲとカナヘビの違い、という題材で似たような話をどこかで聞いたような…って、こういうこと考えるから自分も止まってしまってるのかも知れません。
「物事に対して真摯(しんし)であれ」
というのは「もしドラ」でも有名になったドラッカーの言葉でしたか。これはこういった知識を求める人たち…必ずしもそれが本職というわけではなく…にも当てはまると思うのです。トビラを閉ざしてしまっては何も入って来ないし出て行かない。全ての事柄に対して真摯に得ようとし、また与えようとする…。
…と、まあ、万事がそういう風に行けばいいのですが。人間てのは基本ナマケモノですからなかなかそう悟るわけにもいかない。全方位にアンテナ巡らせてどんな些細なことでも吸収しよう、とするとやがては感覚が鈍ってきちまいます。…一説、と言うか自分が勝手にそう思ってるだけですが、モノを知ったことによる衝撃を何度も何度も感じてしまうとそれに慣れてきちまう。段々と「関心」よりも「無関心」の領域が増えてきて…なんか、どうでも良くなってしまう。そのためには適度に息抜きが必要となります。そうやってアンテナをメンテしてやることによってまた色んな事象をキャッチすることができるようになる。
が、人間はやはりナマケモノで…いつの間にかその「息抜き」が本分になってきたりします。…特に色々やってみてもなーんも成果が上がらん時とか。誰にも評価されない、とか。そうなってくると「息抜き」がどんどん増えてきて…そのうち何もしたくなくなってしまう…。
↑記事は本来はそういうことを言いたいわけではないと思います(当たり前)。そんなわけでこの辺は自分の思いなわけですが、吸収しようとすることに疲れてきてしまうこともあるわけです。そうなるとチャンスも来ないでしょうし何よりそういう時に研修とか受けても意味がない。
常にオノレをベストコンディションに置く、というのが理想であります。そういう知識を吸収する場ではアンテナの感度を最大限に上げて色々取り込んでいく。取り込まれたモノが消化されて己の血肉になるには時間がかかりますから、未来への投資?みたいなもんで機会があれば逃がさない。
逆にそういうことの必要のない時…例えば寝る時とか。あるいは家族や親しい友人との他愛ないおしゃべりの場とか。そういう時に思い切りリラックスしてアタマも休めてやる、というのが本当にベストなのでしょうが…。
実際のとこは。入れんでいい気合を入れるべきではない場で入れたり、知識を得られる! って時にそういう状況じゃあなかったり。…寝る時にあれこれ考えすぎて眠れず、ようやっと眠れたら今度はヘンな夢ばっかみて寝た気がしない、とか…。
個人的には↑のように「それ知ってるけど何か?」とカベ作って知ることを止めちまうのも何ですが、それ以前にオンオフをきちんと切り替えられるようにならんとな…とか思ってしまうわけです。…いや、逆に考えればアンテナの感度をある程度落としてもいいから常に吸収を怠らないようにすれば…って、いや、そんなことしてるからまた変な夢とかみるようになっちまうんですよねえ…。
06/13/2011
一律ではなく
たしかに教師それぞれの方法があってもいいんでは、とは思うのですが。
灘中伝説の授業「銀の匙」復活(iza!)。話としてはどこかで聞いたような気がしていたのですが、まさかこういう「伝説」だったとは…正直なところ、こういう授業なら受けてみたかったと思います。現代のように広く浅くではなく深く一点集中で教える授業。…まあ、詰め込みだ、とか言われてた自分らの世代でもなかなか「広く」「浅く」とはいかなかったもんですが。歴史の授業なんて大抵江戸時代に辿り着いて終わり、とかそんなもんでしたし。
たしかに現在は教育指導要領みたいなものがきちっと整備されていて、それに沿った授業内容が求められます。多少の改変?は許されるのでしょうけど、一つの教材だけで授業、というのは難しいのではないのでしょうか。…ただ、こういうのはどこの時代でも言われてきていたことであります。英語の授業でビートルズを教材にするとかそういうのは今でもありそうですし。教師側の独断?でそういうことはある程度はできそうなんですが…。
こう言っちゃなんですが。「質の均一化」が問題なんではないか、と。
決して人間の価値をそれだけで推し量ろう、というつもりはないのですが例えば教科書は全国同じものの方が授業内容を均一化しやすくなります。そして内容もなるべく同じにできればさらに「均一化」が進みます。
しかし教師も生徒も教官も学生も児童も人間なわけで。全く同じように「均一化」というのは不可能であります。教える側も教わる側も違いが出るのは当然であります。
それでもある程度は「均一化」しよう、と。そうでないと教わる側にバラつきが出てしまいます。そうなると入試なんかでは不利になることもある。ま、そういう試験が全部、というわけえはないのでしょうけど…大きな要因としては考えられます。
…そんな授業、面白いわけがない。上の言うことに従ってるだけなら教材を映像に収録してそれを流せばいい…という極論もありますが…。
あるいは。仮に↑のような個性的な授業が許可されたとして。果たして全ての教師が橋本先生のように実のある授業をできるものでしょうか…? 「銀の匙」の場合、くっついてくるサイドストーリーが非常に多彩なわけです。それらをきちんと精査して教える側が付け焼刃ではない知識を備えていないといけない。年期を重ねたベテランならともかく、まだ経験の浅いルーキーがそういうことまでできるもんでしょうか…?
子供だと侮ってちゃいけません。思考の純度が大人よりも濃くて集中できる分、彼らはどんなささいな穴も発見します。教える側は教える側でそれなりの覚悟と姿勢が必要になるのです…。
ま、なんかそういう話でもないのかも知れませんが。ただ、「もっと自由な授業を!」とかそういう話はよく聞きますが、成功した事例と言うのはあんまし聞かないなあ…と。そんなことを思ってた時に↑記事を読んだもので…。
03/05/2011
やっぱりやるせない
入試中に問題をネット上の「相談サイト」に投稿・回答を得ていた、と思われる予備校生が警察で事情を聞かれております。入試なんてのは人生のほんの一時のことなのに…こういうことになってしまうというのはやるせない、というのが正直なとこであります。一部では浪人していて母子家庭で高い学費払って予備校の寮にいて、かわいそう…とかそういう話もあるようですが(テレビのワイドショーはかなり同情色が強いような?)そんな予備校生は全国にたくさんいるわけです。この人だけではないのでは、と。
中には予備校に通うお金もないから自宅で死ぬ気で頑張ってる浪人生だっているでしょうに。もっとヒドい環境で夢を掴もうとあがいてる人もいると思います。そういう人たちに対して「そういうことをしてしまったが、そういう事情なら仕方ない」というのは礼を失しているんではないでしょうか…?
→Yahoo!国内トピックス:大学入試問題のネット投稿問題
本来ならきちんと逮捕・起訴してきちんと罰を受けるべきだと思います。…しかし…それこそ事情が事情だ、ということで仮に逮捕されても不起訴になるんでは…その辺も含めてやるせない…。
まあ…個人的にはどうやってそんなことできたんだ? というのが非常に不思議であります。
試験会場には試験監督がいるわけで、例え経験が浅い、とか、供述にあるように隅の席だった、とかそういうことになっていたとしても。4大学全部がそういう事情だったということはありますまい。試験中の受験生の姿勢と言うのはほとんどが共通していますからちょっとでも違った動きがあれば気づかないことはない、と思うのですが。それが隅の席であっても。
…供述によれば股の間に携帯はさんで左手で「手打ち」した、つまり全部自分で入力した、ということになってます。
もちろんよく言われるように「辞書登録」はしてあったとは思いますが…全部かい、と。いくら操作に慣れている、と言ってもそんなことするヒマがあったら思考したらいいのに…というのが自分が強く思うことであります。さらに投稿された先が「Yahoo!知恵袋」…確実に答えがもらえるのかどうか分からんわけです。なんでそんなバクチめいたことを…?(そのため一部では協力者がいたのでは、と)
必死だった、どうしても合格したかった、と言うのなら自力で頑張ったらいいだけなわけです。「最近の若いもんはすぐ他人に頼るから」とかそういうことも言われてますが、そんなんいつの時代にだってそんな奴はいました。そしてそんな奴は「甘えんな」と周囲に言われて突き放されてしまうのがオチなのも変わらんわけです。…やるせないなあ、そういうとこも。
携帯電波のジャミング装置というのがあるそうで、例えばATMの周囲に設置して携帯が使えないようにしてオレオレ詐欺を防ごう…という案があるそうです。もし他に大きな障害(費用の面ではなくて)がないなら本気で各大学は導入を検討すべきでは、と思います。…真の平等というのはありませんけど、限りなく近づけることはできます。そしてその苦労を惜しんではいけないと思うのです。
02/09/2011
「弱い相関関係」って?
どこまで「関係」しているのやら。
3歳までの食生活がIQに関係している可能性アリ(CNN)。イギリスで1万4000人の子供とその親に対して、3・4・7歳時の食事内容を追跡調査。そして8歳半の時点でIQを調査して食事内容がIQにどれくらい影響を与えるか…を調べたものであります。その結果3歳の時に加工食品とか糖分・脂肪分の高いものとかそういうのを食べていた、という回答を得た子供はIQに影響が出ている可能性がないとも言えない、と。4歳・7歳の時にそういう回答が出た子供にはあまり影響が見られない、と。
つまりは小さな頃からヘンなもんばっか食わせてるとアタマ悪くなるぞ、と言うことを言いたいのかな、と思うのですが…どうにも歯切れの悪い?論調になってます。
「米小児科学会で肥満対策部門を率いるサンドラ・ハシンク博士はこの研究結果について、加工食品とIQとの間に因果関係が確認されたわけではないと述べる一方、3歳までの生活環境が発達に与える影響の重要さを示していると評価した。」(「」内↑記事より引用)
というのが、なんとも。研究結果によって3歳時の食生活が今後に影響を与えかねない…というのが出たのならそれを信じてきちっと判断すりゃいいのになあ…実際に調査・研究したイギリス側も「弱い相関関係にある」とかそういうとこにとどまってますし。
まあ、たしかにこういう結果が出て、世間一般に広く認知されてしまえば世のお母さんはできる限り子供に与える食事を考え直しますわな。そうなると色々とあちこちに影響が出る恐れがありますから、まだ確定じゃないし…ということで自重したのかな、と個人的には思ってますが。
でも明確に「事実である」と分かったならば(ンなはっきりばっさりした事象なんざ、世の中にはほとんどありませんが)しっかりと公表して、例えばWHOあたりでも議論して欲しいな、とは思いますが…実際、そういう食事、つまり加工食品ではなくてローカロリーな食事を摂ろう、とするとかなり手間と時間とお金がかかってしまいます。収入の少ない家庭ではどうするんでしょうか…? そりゃもちろん子供のことは一番に考えたい。でも実際問題として両親ともに働きに出ないと家計が支えられない。そんな場合は…?
…いや、世界的に見たらそんな悩みもぜいたくかも知れません。職がない、食い物もない…。
…そこまで行くと、ちと、↑とは論調が違ってきてしまいますか。でもこういうのもケースバイケースなんではないかな…と。↑の記事を丸呑みしちまうと3歳未満の子供に生のまま食わす親、とか出てきそうで、ちと怖かったりします。
12/22/2010
昔から
そんなもんじゃないのか、と思いますが。
日本の美術品オークション大手、シンワアートオークションが日本国内ではなく香港で現代アートを取り扱う店舗を開設(Yahoo!:ウォールストリートジャーナル)。「芸術に冷たい日本人」ではなくて「実物を尊ぶ日本人」なんではないかな…と個人的には思っております。何度かこの「あれこれ」でも記したことのある「日本人は無形のものにお金を使いたがらない」というのはここんとこの不況の影響もあって、一部ではさらに加速しているような気さえするのです。
…↑記事は「現代アートが日本ではあまり見向きされていない」ということであります。現代アートは別に「無形」のものじゃないんですが、なんか、どっかで繋がってるような気がしたのであります…。
これは日本人に限ったことではないのかも知れませんが…でも日本人らしい?と思うものに「自分の理解の範囲を超えたモノを拒絶する」というのがあります。先の東京都のマンガ規制条例も同類かと思われますが、「自分」という個人が拒絶反応もしくは理解不能、となったモノに対しては「あんなもんくだらねえ」と切って捨ててしまう…。
ただ、日本人だけではない証拠?に↑記事でも取り上げられている村上隆氏の作品がパリ・ルーブル美術館に展示された時、地元の一部から「あんなもん置くな」と抗議がきたとのことで。だからこういうのは世界共通なのかも知れんのですけども。
日本人の場合、何と言うか…やけに「結果」と「儲け」にこだわるような。例えば骨董趣味というのは日本でもれっきとした趣味となってますが、これが古い茶碗であったり掛け軸であったりすると「粋ですな」「わびさびですな」となるのにアニメDVDやフィギュア、さらには鉄道各線のスタンプ収集とかそういうのになると必ず言われる言葉があります。
「そんなの集めて何になるんだ? プレミアでもついてるのか?」
…まー歴史のあるなしでも違ってくるかも知れませんけど。骨董趣味というのは戦国期にその源がある、と言ってもいいくらいですし。
「これは将来いくらになるのか」
とかそういうこと考えながらアート買っても面白くないんじゃないのかな…と。骨董趣味にしても将来への投資、という位置づけでやってる人がいるのは事実で、まあ、その人のお金なんだからとやかく言えるわけもない、というのは分かってるんですが。
純粋にアートを楽しむ余裕もないのが日本人、ということになるのかも知れません。たしかに「超」お金持ちてのはバブル以降激減してます。でも「アート」ということで楽しむなら別にそんなお金持ちでなくても楽しめるとは思うのですが。…たくさんのお金持ちが高額で買うことでお金の循環ができてクリエイターにもお金が入りやすくなって創作しやすくなる…てのもあるにはあるんですけども。
そしてもう一つ。教育もあるのかな、と。感性どころかヒトの思考てのは無限大であります。が、例えば絵にしても「本物そっくりに描く」とか物語読むにしても「これこれはどんな気持ちなのか」で正解が用意してあったり(最近はそういうことまでやってないのかなあ…)すると、そんなもん育ちようもないでしょうに。
もし、現代アートに限らず無形の創作物から自由な発想とやらまでも根付かせたいのなら…教育から変えていく必要がある…のかも知れません。
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12/06/2010
そんなに万能じゃない?
平成24年度より中学での「武道」が必修化(Yahoo!:産経)…それによって「礼儀正しい日本人」や「目標意識を持った日本人」は育成できるだろうか、という記事であります。たしかに「礼に始まり礼に終わる」とされている各種武道(柔道とか剣道とかが中心でしょうか)に多感な中学生が触れることで得ることも多いかと思われます。
…が、そこまで期待できるもんなのか、どうか。その辺、個人的に疑問が少々。武道とか論語とかいった、そういうものに触れてさえいれば子供は健全に育つ…そんなもんかな、と。そんな簡単なもんなんだろうか、と。極論ですけど…四書五経をきちっと学んで(現代のとは大分趣きの違う)武道を修練していたはずの江戸期の武士全員が全員そこまで高潔だったわけじゃないでしょうに。人間なんてのはいつの時代もどんな場所でも清濁合わせもつもんで、完全に「清」でも完全に「濁」でもないもんではあります。
でも昨今の「堕ちた」風潮を見る限り、たしかに武道や書でもってきちんと「正す」のはやはり必要だと思われます。ただ、そこまで過度な期待ができるもんなのか…その辺が疑問なわけです。
一つには教える側の問題もあります。柔道や剣道となるとやはり有段者、あるいは経験者が教える必要があります。指導用の資料だけで勉強した「なんちゃって」指導員では身に付くものも身に付きません。武道というのは一般とはまたちょっと違った身体の動きをしたりしますし。そこから違ってしまうと別モノになってしまう可能性もあったりしますが…そういうとこで正統?な人員をきちんと確保できるのだろうか…と。
そして現代で武道を教える意味も。礼儀とかなんだかんだと言い訳つけても結局「人を害することのできる技術」には変わりはないわけです。守るためであっても相手を傷つけることもある。そういうとこまで踏み込めるんだろうか…てのは、ちょっと考えすぎですかね。
そして↑記事中でちょっと気になった「スポーツ化した武道」であります。別にスポーツ化して皆が公平に楽しむことができる、というのも問題ないんじゃないのか、とは思いますが…たしかに元々持っていた「荒々しさ」「高等な技術」がどうしても減ってしまうのはちょっと気になるところではあります。…でも柔道なんてのはスポーツ化しなかったら今でも柔術だったわけで。で、習得には多大な時間とお金がかかったでしょうし。もちろんその方が「正しい」武道なんでしょうけど…別にそこまで一般人は必要ないっちゃあ、必要ないもんであります。時代が時代ですし。
…でもよく考えてみたら剣道や柔道の授業、てのは前々からあったわけですし。それが必修化になっただけ…という見方もできますんで、それほど大仰なもんでもないのかも知れません。さらに「武道」と共に「ダンス」も必修化されるんだそうで。…あー…こっちの方がある意味大変なのかな、とか。ダンスの指導て…実は経験者でもかなり難しいんじゃないんでしょうか…?
→中学校武道・ダンスの必修化(文部科学省)
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12/04/2010
二つほど 12/4
決まるかもと決まったで二つほど。
「エア遊具」の事故防止に向けて国が初の使用指針策定へ(Yahoo!:読売)。「エア遊具」と言っても、あたかも遊具があるようにふるまうわけではもちろんなく。エア=空気を膨らませて子供が遊べるようにしたものであります。
昔はなんかちっこいの(子供が一人乗れるくらいとかそんなもん)はよくあったような気がするんですが。むしろ家庭用が多かったのかな、とか。子供用の小さなプールだって空気入れて膨らましますから「エア」と言えないこともないですし…って、やや強引ですか。
最近のはもっと大きなもんらしいです…↑記事の画像にもありますが。
こういうのとはまた別でいわゆる「アクティビティ」の中にもこういう「エア」がありますけど…ああいうのもまた違うかと思われます。基本、空気入れるだけでいいので設置費用なんかも安くなる。意外と大きいので子供も喜ぶ。…が、やっぱりいくつかも難点はあるようで、その辺をどうにかしないか…ということだと思われます。
どうしても風にあおられやすい、というのもその一つ。むしろ「エア」ならではの宿命?のようなものだと思われますが…これ、どうするんだろう…? がっちがちに固定しちまっても事故てのは起きる時は起きますし。だからと言って固定しすぎちまったら「エア」の意味はない。その辺の兼ね合いとかは…と、なんだか妙に気になってしまったりしてます。
二つ目。サッカーW杯…2018年はロシア・2022年はカタールで(iza!)。たしかに…チャレンジャーですな。色んな意味で。
開催国がサッカーの強い国でなくてはならない、とは思いませんのでこういう選択もアリだとは思います。ただ…ある程度運営に慣れた国の方が観る側としてはやりやすいですから、その辺でちょっと…というのはあります。前回の南アフリカでも治安の悪さが言われてましたし。今回のロシア・カタールは…どうなんでしょう?
そして環境の問題も。…カタールは特に気温が高いことでも知られています。そりゃ、ある程度は高くても仕方ないんでしょうけど、あっちの「暑さ」はまた論外なわけで。さらにイスラム圏では場合によっては飲酒ができなかったり女性が試合を観るのがタブーだったりします。…一応「なんとかする」ということらしいんですが…コトがコトだけに、やはり心配ではあります。
…まあ、そういうのも全部ひっくるめて「ワールド」だ、という見方もありますけども。懸念が全然ないとこではなく多少はあるとこでやるのもまたいい経験…なんでしょうかね? ほんと、冒険だなあ、とは思いますけど…。
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11/12/2010
二つほど 11/12
考えとかマナーとか二つほど。
一つ目。教員免許、更新講習未修了が推定5100人(Yahoo!:毎日)。教員免許そのものは大学などでそういう課程を修了すればもらえるので、例えば今学校の先生はやってないけど免許は持ってる…なんて人もいるわけです。恐らくこの記事での「5100人」というのはそういう人は除いた数字だと思われますが。
そもそもは更新、というのはなかったんですが教員免許。しかし昨今の不祥事やら情勢やらで更新することになった、というのは知っていたんですが。で、民主政権になってから「あれ、見直そうよ」という話になってたのも知ってはいたんですが…。
まさかそれ見越して更新講習受けない先生がいたとは。しかもお粗末?なことに民主党は民主党で法改正できそうもないからとりあえず?更新講習やります、という流れになってたとは…。
なーんか色々ありますね。そんなんできちんと「講習」なんかできるのかなあ…カタチだけ、ってことにならなきゃいいんですが。
二つ目。琵琶湖の「外来魚回収ボックス」がゴミ箱に(Yahoo!:産経)…一部の心無い釣り人だけ、と思いたいんですが。実際、回収量は増えてるってことですから回収に協力してくれてる人は増えている、ということではあります。が…同時にアホも増えている、と。そっちの対応で回収できなくなったらたしかに意味はありませんわな…。
なお…被害に遭ってるのは「回収ボックス」の方だと思われます。「回収いけす」てのは見た目も「いけす」でここへゴミ放り込む人は…増えてるのかなあ、どうなんでしょう?
→琵琶湖レジャー対策室:滋賀県 ルール3:外来魚のリリース禁止
いずれにしても…こういうのは法的に取り締まる、というのもなかなか難しそうですし。明らかな「不法投棄」なんですが誰が捨てたかを証明する手立てがないわけです(あれは罰金あるぞ懲役あるぞ、と捨てるのを踏みとどまらせるのが目的っぽいですし)。防犯カメラとか設置してもその金はどっから来るんだ、となりますし。まさか警備員置いとくわけにもいきませんし…だったら回収する人数増やした方がいいか、となってしまいますが…それも無理、ということで。
釣り人のマナーに期待、というやや消極的なことになってしまうのでしょうか。…なんか…こう…ずばっと取り締まれる良いアイデアって…ないもんなんですかね…?
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11/11/2010
かばう気はないのですが
そう言われてもなあ…となんだかもうちょっと具体的なとこまで踏み込んでもいいんじゃないか、と。
文科省、いじめを隠さずに地域や親と連携するよう、教育委員会などに通知(Yahoo!:読売)。まさか正式の文書が「連携するように」だけ、てなことはないと思われますんで、実際はかなり細かいところまで指示?があると思うのですが。いや、ないと現場は困ると思うのですが。
…小学生がいじめを苦に自殺した事件。学校側は児童のいじめを認識しておらず、たまたまテレビの報道番組を見ていたらコメンテーター(別に教育関連の人じゃないです)が学校や教育委員会をボロクソに言っておりましたが。…数百人とか、場合によってはそれ以上いる児童や生徒を数十人程度の教師がどれだけ完璧に把握できるのか。そういうとこまで理解した上であんだけ言いたい放題こき下ろしたのか、その辺は疑問であります。
しかしそうは言っても後から「実はいじめがありまして」というケースも多々ありますんで…あのコメンテーターの方の言ってたこともあながち間違いではないわけです。学校内のことですから学校や教育委員会がきちんと責任持たないといけません。後からそういうこと言うのは責任逃れだ、という見方もできなくはないわけで。
じゃあ、どこまでいじめなんだ、というのはどこで線引いたらいいのやら。
例えば、ちょい、とふざけて頭たたいた、とします。明らかに冗談で…となっていても暴力は即いじめだ、ということならこれは立派ないじめになります。それなりの対応をしないといけません。あるいは「バーカバーカ」と誰かに悪口言っていたら? それで言われた方も言い返して口論になって…となったら。一方的に攻撃されるだけじゃなくて返すことでエスカレートすることもある。これは子供の世界だけではなくて大人の世界でもよくあることであります。こういうのはどうするんでしょ?
「普段から細やかに子供に接していればいじめは分かるはずだ」
転勤もそれなりにあって、しかも場合によってはかなりの数の児童や生徒と接さなくてはならない(一時は先生の数が多くなりすぎてたんですが…)そんな条件下で生活レベルまで見通しておかなければならない。…完璧にやるのは無理でしょうに。親と連携をとって、というのならまだ分かるんですがどうも風潮として「学校が、教育委員会が」てな一方的なのが多いような気がして。
しかも地域や学校によって状況は様々であります。少子化で児童数が激減した小学校(複数学年が同じクラスとか)ならそこまで目は届きますけど…増えてるとこもあるわけで。一緒くたに「やれ」というのは難しいのではないか、と。
昔は良かった、地域でもみんな繋がりがあって…とかそういう懐古趣味丸出しもどうか、と思います。状況が変わってきてるのは承知のはずなのに無理にカタチだけでも戻そうとする。現状を正確に把握してどうしたらいいかを考えて行動に移す。そういう冷静さ?が必要だと思うのですが…。
…まあ、でも…親としてはやはり心配なわけで。自分の子供が学校でいじめられてないか、大丈夫なのか、と。その辺は分からんでもないんですが。ただ俺が私がで「いじめなくしてくれ」って、それだけじゃあ…進まないと思うのですよ…。
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10/16/2010
二つほど 10/16
「判断に迷う」で二つほど。
一つ目。傷害事件で逮捕され、停職処分だった教諭が以前と同じ学校に復職(Yahoo!:読売)。この教諭は中学校の先生(一年生の副担任)だったのですが去年7月に病気で休職→同9月に運転中に別のクルマを運転中の男性とトラブルに→頭突きして傷害容疑で逮捕・停職処分になっていました。
そして学校側は「病気で休んでいた先生が復帰します」と…まあ、休職→停職ですけれど「病気で休んでいた」というのもあながちウソではないような(どんな病気か、までは分からんのでそこまでは言えませんか)。しかも生徒殴って傷害、というわけでもないので…なんだか非常に曖昧な感じで復職することになった…ような。
…結果としてはやっぱり自主的に退職…とかそんなことになってしまいそうな気もしますが。細かい事情まではこの記事からだけでは判断できないので、コレが良いことなのか悪いことなのか…さて?
二つ目。来年3月に開通予定の九州新幹線…「みずほ」が「さくら」より格上?(Yahoo!:毎日) 「さくら」「みずほ」と言えば往年のブルートレインの大名跡であります。すでに廃止されてしまった寝台特急の名前ですが…このほど九州新幹線の名前として復活。ちょっと複雑な気分ではありますが、消滅してしまうよりはマシ、という言い方もできます。
しかし。九州新幹線で「さくら」よりも「みずほ」の方が速い(停車駅数が少ない…東海道山陽新幹線だと「こだま」と「ひかり」みたいな)ということになって、鉄道ファンや知事からも「それはないだろう」的な声が出てきている…と。別にどっちでもいいじゃねえか、と思うかも知れませんが…これが「九州」新幹線てとこがネックなのかも知れません。「さくら」「はやぶさ」「みずほ」などは東京や大阪から九州方面へ向かうブルートレインとして定着していたので、九州の人たちにとっては非常に馴染みが深いわけです。それなのに…なんであの「みずほ」の方が格上なのか、と。
寝台特急としても「さくら」の方が先輩にあたり、しかも日本初の特急についた愛称と同じ読みを持っています。それに対して「みずほ」はブルートレインとしてはかなり後輩になり…しかも最初は「不定期列車」という扱い。基本的に「さくら」や「はやぶさ」を補完する、という目的で投入されたのでした。
「はやぶさ」は東北新幹線の次期主力名称として決定していますけども。「さくら」「みずほ」は…よそからしてみればあんまり関心なさそうなんですが…地元からしてみれば結構大きな問題になりそうではあります…。
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09/19/2010
2625円
「学研の科学」がWEB講座で復活(iza!)。今年の3月に休刊となってしまった「科学」ですが。特定の年代の方々(自分も入ってますけど)にはかなーり懐かしい雑誌ではありました。それがWEBで復活…6回で15750円。お高く見えてしまいますが、恐らく教材も込みの値段でしょうから、まあ、これくらいはするのではないかと思われます。
この「科学」と「学習」てのは他にはない特徴がありました。…書店で買うのではなく「学研のおばちゃん」という専属の配達人がいたのです。当時はどこからともなく現れて楽しみにしていた雑誌を届けてくれる…というイメージでしたが当然ボランティアではなく。現行の近いところで言うとヤクルトの配達人、みたいなもんだったんでしょうか。各地にソレ関連の事務所みたいなところがあって雇われた人たちが配っていたようであります。
…自分のとこは低学年のうちは取っていた、ような、記憶があるんですが…なんかその後取らなくなってしまったような…そんな記憶があったりします。何か事情があったようなんですが…何かあったのかな、その辺はちと分かりません。
付録として付いてくる教材も楽しみだったんですけど、現在実家で生存?してるのが一つもない…と言うかどんなのがあったか、今思い出そうとしても全然思い出せんのです。やっぱりあんまり長くは取っていなかったのかも知れません。
かわりに、と言うと何ですが同じ学研の「○○のひみつ」シリーズはやけに記憶に残っていたりして。特に「うみのひみつ」だったかなー…えらく気に入ってしまって表紙がぼろぼろになるまで読んでいた、ような記憶があります。あれはさすがにもう残っていないだろうなあ…。
とまあ、懐古趣味?満載になってしまう「科学」ですが。WEBになっても何年とか何十年とか経って「あの頃あんなコンテンツがあって…」と語る人が出てくるんでしょうか? それはそれでなんだか正しく?伝承されているようで楽しみではあります。
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08/15/2010
銘柄を重視する傾向
…パッと見、日本の「新卒至上主義」「銘柄重視主義」を先に破壊しておいてからこういうこと言うべきなんじゃ? と思いましたが。
大学生の就職難からくる学業への悪影響をなくすため、日本学術会議の検討委員会が提言。…例えば企業側は新卒期間を延長して考えるようにしてくれ、とか、大学生の早い時期に職業体験などをさせて就職活動を有利に展開できるように、とか、地方からの就職活動を支援する仕組みを…とか。
→日本学術会議
「日本学術会議」の体質上、このままでは学生のやる気が就職の方にだけ向いてしまうのを懸念しているのでは、と思われますけども。…でも企業が「新卒」にこだわるのは変な色に染まってない若い人材(それを自分のところで育てるのも目的の一つ)が欲しい、というのが根底にあるわけで。むしろ「経験者優遇」という企業は新卒よりもある程度キャリア積んだ人材を求めていたりします。まあ、適材適所みたいなもんですが…世間一般からすれば新卒を求める企業の方が多い…とは思います。
あとは「大卒」でしょうか。明治以降「大学」が各地に作られて学士様と崇め奉られてきましたが、最近はどんな人でも大学に入れる「全入時代」なんて言われてその「価値」は著しく下がってきております。「大卒」だけならいくらでもいるわけです。…その弊害?の一つとして大学の上、大学院や博士課程の人も増えてきていて、高学歴なのに無職、という人も増えているんだそうであります。
んじゃあ、採用する側も実力オンリーで見て、大学出とか高卒とかそんなん関係なしに試験やってそれで採ったらいい…。
と、そう簡単にいかないのも現実なわけです。明治、いや考えようによっちゃそれ以前から続く「銘柄重視」を数十年とかそこらで、ひょい、と壊せるわけがありません。仮にそういうシステムを作ってもうまくいくかどうかは…かなり疑問であります。
結局のとこ方向性を変えるよりも何かその方向を逆手に取るような方法が望ましいのではないか…と個人的には思っております。学業、というより知識や情報を得る、という行為は何も学生の専売特許ではなく(たしかに若い方が吸収は早いのですが)一生涯続けてもいいんだ…という講座は各地で行なわれております。そこから次代の芽を育てていく…というのはやっぱりアマイでしょうか。
少しだけ、少しだけでも見方を変える…むしろ「ずらす」ことはできないかな、と。学業と就職は別モンではなく連鎖しているんだ…とかそんな風に大勢の認識を、ちょっとだけ変更できないかな…とか。
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08/02/2010
先にも何も
そんなに英語って大事なんですかね。
小学校の英語授業「外国語活動」が近々本格始動…子供に「日常会話」レベルを求める親は「片言」レベル(iza!)…まあ、そんなもんかなあ…とは思いますが。でも子供ばっかり英語覚えて(年若いほど言葉てのは覚えやすいもんですから当然と言えば当然ですが)親はそれ見てるだけ、てのは悔しくないんかなあ、とも思ったり。別に鬼や天狗がしゃべってる言葉じゃあ、ないんですから子供が授業として習うなら「じゃあ、俺もやってみっか」と親も英語教室に通う…なんてのは…まあ、なさそうではありますか。
たしかに年齢低いうちから外国語に触れておくのは良いことだと思います。しかし自分は「まず日本語やっとけ」派なもんで…「触れる」程度でいいんじゃないか、と。日常会話とかバイリンガルとかそういう話ではなく触れる程度。こんな言葉があるんだな、と思わせられれば御の字。そして後に本格的に学ぶ時のストレスをある程度でも排除できたらなあ…と。
…ああ、でも英語推進派からすればこういうのは「甘い、国際社会への競争は今から始まってる」とか言われそうですな。その辺は分かり合えないのかなあ…。
母国語てのは大事だと思うんですけどね。
一応(?)日本に住んでる子供なわけですから日本語をやるのは当然なんではないかな、と思うわけです。そしてオプションとして英語を習う。日本国内にいたって英語使う機会はありますし(英語だけじゃありませんが)その時に慌てないためにも、あるいは国際情勢を生で知るためにも英語は必要不可欠であります。
でも…あくまで「主」は日本語なんではないか、と。そこへ英語を加えてさらに世界を広げればいいんじゃないの…てのが自分の考えだったりします。しゃにむに英語だけ覚えさせて日本社会で変に孤立(漢字が読めないとか言い回しがおかしいとか)するよりゃマシでしょうに。
それに。現行では週に1コマなわけです。…しかも5、6年生のみ。それで「日常会話」レベルを要求ってのは…さすがに難しいんじゃないでしょうか。あ、やっぱり課外で塾とか行って会話を磨くことになるんでしょうか…?
やっぱり本末転倒だと思うのですが…どうなんでしょうね…?
05:03 AM | 固定リンク
06/08/2010
読めても
たしかに実際に手で書いてみろ、と言われると…ちょっと…。
常用漢字、196字増・5字減で秋から191字追加(Yahoo!:毎日)。まあ、「常用漢字」の概念そのものに対してもかなりの疑問の声が上がってるようではありますが。…基本は「漢字の数は大変に多いから、よく使うのだけ選んでおこう」とかそういうとこだと思われるのですが。しかし学校で教える漢字の根幹ともなっていたりして。小中学校で漢字と言えば手書きですから基本、全部書けないといけないわけです。
しかし今回の追加分は「手で書けなくてもPCや携帯で変換することが多そうな漢字」も含まれています。…そりゃあ、変換するには「変換」キーを押すだけですから。そういう操作ができる人なら誰でもできます。しかしいきなり「憂鬱」を手で書いてみろ、と言われたら…自分は無理です書けません…。
→Yahoo!国内トピックス:常用漢字・人名用漢字の見直し
漢字の内容的にどう教えるか、なんてのはまた別の問題だったりするんですが。
今後はこういう「読めるけど書けない」難しい漢字が増えるんではないか…とかそんな考えもあります。↑のように変換すればパッと出てくるわけですから理論上?はどんなややこしい漢字だって使えることになります(PCはOKでも携帯はダメ、とかそんなんもありますしPCでも機種によってはダメ、てのもありますが)。ただ、そこまで行っちゃうと漢字の存在価値と言うか、やっぱりある程度は手書きで書けた方がいいんではないか、とか…。
かつてベトナムでも漢字を使っていたんだそうですが…どんどん難しくなっていってややこしくなって使用を止めた、てな話を聞いたことがあります。日本でも終戦直後には全部ローマ字表記にしよう、てな運動があったりしたんですが…。
発祥はどうあれ現代にまで連綿と紡がれてきた「文化」だと思うのですが。そこへ一種の「変革」が訪れてきていてそれをどう変えていくのか守っていくのかはまだまだ未知数。でもそういうのは「文化」の担い手である自分たちが選ぶわけで。
極論だと今回の答申が元で「書く」漢字が廃れていってしまって最後には消滅してしまう…なんて考え方もできます。あるいは教育現場にキーボードがごく当たり前に導入されるきっかけになるとか。もちろんそうなると漢字を手で書ける人間・書けない人間の「二分化」が進むことになり…一種の格差みたいなもんが生まれるかも知れません。
いや、そもそも「常用漢字」そのものがいらないだろ、てな考えもありますし…今後どうなっていくのか、その指針の一つになり得るのかも知れないのが今回の「改変」なような気がします。
02:53 PM | 固定リンク
05/14/2010
二つほど 5/14
見る見られる?で二つほど。
一つ目。保護者が子供に見せたくないテレビ番組ワースト1は(Yahoo!:オリコン)…7年連続でアレなんだそうであります。アレは…内容はともかく司会の二人のうち一人がなあ…どうも素直に楽しめない空気と言うかあんまりたちの良くない雰囲気持ってるような気がして。実は個人的にはあんまり好きなキャラではなかったりします。
しかし「子供に見せたくない番組」ですか。何年か前にもやはりアレが1位だったんですが、その時もやはり「低俗だ」てな理由でしたけども。2位のコレも海外でも人気あったりしますし映画までやってて、遠ざかってるような観があったんですが…以前は1位でしたもんねえ…復活してしまった、ということなんでしょうか。
やや?疑問に思ったことが。これが昭和40年代とかの調査ならなんとなく分かるんですが、今の親てのも子供の頃からずっとテレビ見てきてるわけです。当然そういう「低俗」な番組だって見てきてるんじゃないのか、と。場合によっちゃ自分たちが見てきていた番組も「低俗だ」とするつもりなんだろうか…とか。そんなことも思ってしまったりして。
実際に回答したヒトと子供の頃見てたヒトが同じ、という証拠はどこにもないんで、↑は単なる妄想に過ぎんわけですが。…何をもって「低俗」とするのかなあ、と。時代によっちゃ、今の大河ドラマだって「低俗」だ、とか言われるかも知れんのに…とかそんなことも思ってしまうのです。
二つ目。アヘンの材料となる「不正ケシ」の自生が都内で急増中(Yahoo!:産経)。精製すればモルヒネなどにもなる「麻薬」の一種の原料となる植物になります。が、ケシ全部がそういう「害悪」ではなく、例えばポピーの花なんかは無害なケシだったりします。規制されているケシもあって、そういうケシが「不正ケシ」ということになります。
しかしこのケシ、どうも判別が難しいようで。無害なのを抜いてしまっても問題はなさそう、ではあるんですが…。
多分ある程度の技術があってそれなりに数がないとアヘン樹脂にまで加工して、さらに…というのは難しいでしょうし明らかに生えてる場所が「自生」っぽいんで誰かがタネ撒いて回ったわけではないようで。でもこういう風に増えてしまうと今度は誰かが良くないことを考え始めてしまう可能性は非常に高い。
…対処法としては一本一本抜いて回るしかありません。去年はたしか特徴を示したビラのようなものが出回ったような。見つけたら御一報を、というものだったんですが…逆にこれで「不正ケシ」の詳細が知れ渡ってやはり良からぬことを…てなことになったら目も当てられませんわな。それでも抜いていかないといけない。その辺からすでに難しくなってるような気がします。
07:42 AM | 固定リンク
04/25/2010
自分、アマノジャクですから
「桃太郎が腰に付けていたのは?」=キビダンゴのはずが誤答も多数…昔話を知らない子供たち(Yahoo!:産経)。すいません…自分、実は「桃太郎が腰に付けてたの? 刀じゃねえの?」とかとっさに思ってしまいました。いやあ、たしかに歌からすればキビダンゴですな。
↑数字からすればたしかに昔話の「認知度」が下がっているのは事実なようであります。そしてたしかに親から読み聞かせられていないのも事実なようで。…子供というのは基本、親のマネをしますから、本なんぞ全然読まん親が「本を読みなさい!」とか言っても素直に納得するもんではない、と思ってます。だから昔話を子供に知らせたければ例えば人形劇なら忠実に再現した桃太郎などを、絵本なら昔から伝わる(とは言っても昭和後期くらいからでしょうか…江戸期の桃太郎は、お子様にはちと刺激が強すぎるような)ものを寝物語に読み聞かせ…。
…すいません、自分、アマノジャクなもんで。
それでもそう言う風に昔話が「衰退」してるっていうんなら世間が、皆がもうこんなのいらない、と判断したんだから全部捨ててしまおうや…とまで言うつもりはありません。ああいうお話は結構好きですし。パターン化した創作物というのは毛嫌いされる向きもありますけど、実は最も安心できる素材の一つではあります。そういうパターンを何種類も経験することで初めてパターン外、つまり新しい解釈だって見出すことができる…のかも知れないし、そうでないかも知れない。まあ、その辺は…どっか飛び出たもんだけをもてはやしても、その「飛び出たもん」は時間が経てば結局はパターンの一部と化してしまうもんなんで、つまるところ何をもってしてパターン化してるかどうか、そういうとこすらはっきりとは分からないもんであります。
…なんか自分でも何書いてるか、よー分からんよーになってきた…ああ。なんだ、パターンって。昔話だって成立当初から見れば変わりまくって現代に伝わってるのに、昔の「良さ」だけ取り出してどーすんだ、てなことを言いたかっただけなのに。変わって行く「良さ」だってあるんじゃないのか…とか。
あるいは。今、親御さんが子供に買ってあげてる絵本てのは外国のものだったり新進気鋭の作家さんのだったりするんではないんでしょうか。そういう絵本が今後「昔話」として定着していく…なんてことはないんでしょうかね。今後さらに数十年、数百年と調査を続けていけばそういうこともあり得るかも知れませんが…どうなんでしょう…?
05:27 AM | 固定リンク
04/19/2010
一概には
言えないとは思いますが…。
習得内容を先取りする「早期教育効果」は小学生で消える(Yahoo!:AERA)。あるいは当人と周囲の熱意と言うかやる気の持続と言うか。
そんなに急いでも仕方ないんじゃないの? とか部外者は考えてしまいますが。でも先にそういうことができるようになる、ってのも悪くないかも知れませんし。「伸び伸びと自由に」ってことで完全放任主義…ってのも後のこと考えるとなあ…とやや不安になるかも知れませんし。
ただ。「これこれこういうことやっていればお子さんの将来は約束されます」みたいな話になってくると、どうも。未来を完璧に語れる人間なんてのは今現在確認されてませんし、知識だけ持ってても知恵がなければ立ち行かなくなることが多い…てのは古今東西様々な事例が証明していることではあります。まだ知恵の少ない幼少期に知識だけ詰め込んでもあまり意味がないだろう、と。
…ただ。これもまた個人差と言うか何と言うか。そうやって知識だけ詰め込んでもきちんと立ち行ける人材に育つ子供もいるのもまた事実なわけで。十人十色に千差万別。場合や状況に応じて使い分けることが重要なのかも知れません。どっかよその家で○○が良かったらしいからうちでも…とかそういうのではなく。○○が一体どんなものでどんな効果があるのか十分に精査してからやってみる、とか。その辺の慎重さ、てのはやはり大事なんではないかと思われますが…。
「ベテランの親はいない」という言葉もあります。どれが正しいかどうかはやってみないと分からん部分も多いんですが…無理だけはしない・させない方がいいんではないか、と。親と子、共に…でないと共倒れなんてことになりかねませんし…こうなってくると程度の問題になって…しまうんでしょうか…?
03:20 PM | 固定リンク
04/08/2010
二つほど 4/9
ミョーなとこで二つほど。
一つ目。「あっちむいてホイ」などに関して北大医学部が視床との関係を解明(Yahoo!:毎日)…こう書くと北大医学部が「あっちむいてホイ」の必勝法を科学的に証明したのか…とか思うかも知れませんが。「あっちむいてホイ」あくまで例えの一つであって、それとはまたちょっと違った研究結果であります。
…「あっちむいてホイ」に勝つ、つまりは目の前で起きていることに従わない(ここでは指で指された方を向かない)時に目や脳はどういう動きをしているのか…。
ということが解明された、ということになります。ということはそういう方面の病気の治療にも役立つのでは、ということで期待されそうであります。
二つ目。給食の紙パック牛乳、「ストロー」か「直飲み」か(Yahoo!:読売)。いや、たしかにストローくらいでエコだ、言われてもなあ…てのはあります。しかも給食の、ですから家族みんなで飲む1リットルのやつを誰かが直飲み、とかやったんなら問題にはなりそうですが。…でもたしかにマナーの面と言うかストロー使った方が見栄え?はいいんですが…。
事情が分かってて、空気を読むことができる…こういう場ではストロー、うちでは直飲み、なんて使い分けることが小学生にできるとは思えませんし。…いや、そこまではやらんでもいいか…。
多分見た目の問題(エコとか衛生ではなくて)になってくるんだろうなあ、と思います。受け入れられるか受け入れられないか、みたいな。…ああ、でも…コップに注いだらそれで問題ないのかなあ…それだと余分な手間がかかりますんでかえってエコじゃあ、ないですか。
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03/31/2010
いわゆるひとつの
脱「ゆとり」と言われています今年度の小学校教科書検定。教科書のページ数は従来の1.4倍ほどになるのに対して授業時間数はほとんど上がらない、とのことで。以前の「詰め込み」式が見直されて「ゆとり」になったのに、さらに激しい「詰め込み」になるのではないか…という懸念が広がっているという話ではあります。
→Yahoo!国内トピックス:教科書検定
例えば台形の面積であるとか。あるいは円周率の表記であるとか。そういった「ゆとり」の時に省かれていたものが今回は復活する、ということになってます。…もちろんそれだけではなく色々なもの、例えば理科の実験であるとか、ネットのことであるとか。そういう昨今の事情も取り入れていく、ということにもなっています。
内容が増えて充実するのはいいんですが。それを全部教えきれるか、というと。現行よりも時間数がそれほど増えないのだとちょっと難しいんじゃないか…という声も上がっている、とのことであります。
現場の教師不安、どこまで教えればいいのか(Yahoo!:毎日)…部外者から見ると「そんなの工夫次第だろ」とか思ってしまいそうですが。コトは教育というある意味取り返しのつかないことなんで…慎重にならざるを得ないというのも分かる話ではあります。
個人的には内容が増えることには賛成なんですが。理解できる・理解できないによる「格差」が広がるだろう…というのも含めて。子供一人一人の能力と言うか実力による分もあるとは思いますが…結構ちょっとしたことでも理解させられるようになったりするもんですし。その辺のやり様も色々あるんではないか、と。
情報てのは多い方がいい、と単純に思っていたりします。多い方が取捨選択ができます。↑記事にあるように「教科書全部を教える」というのではなく教える側が選んでじっくり教えるのもアリかと。
…全部教えるったってなあ…自分、社会の日本史の授業で(高校の時は日本史を選択)幕末まで行った記憶がないんですが、これまで。もちろん教科書には載ってるんですが「後は自分で勉強しておくように」とかそれでおしまい、だったような。まあ、もうかなーり昔の話なんで今の事情とは大分違ってるはずなんですけど。
後は…朝令暮改にならないことを願うばかりであります。結局来年度とかさ来年度には「またゆとりに」とかそうなったら子供はもちろん、現場がまた大騒ぎになってしまってそれこそ授業にも影響が出てきそうで…。
12:45 PM | 固定リンク
03/09/2010
責任の所在
が一番の問題になってくるような。
給食のパン持ち帰り禁止、市議会で是非議論(Yahoo!:西日本新聞)…が、市の方は「持ち帰りは禁止」の方向なんだそうであります。給食に出てくるパン。どうしても食べきれないから家に持って帰って食べる…と、こういう行動に対して色んな考え方ができるわけなんですが。
1、禁止 食中毒など安全性の面から
2、許可 廃棄されるのはもったいないから
…大まかには↑の二つになるわけですが…これはなかなかに難しい問題ではあります。
最近のことなんだそうであります「持ち帰りの禁止」たしかに家に持って帰られては衛生管理の徹底などできるものではありません。しかし、たしかにもったいないと言えばもったいない。
…↑記事中の「家庭では、買ってきて残ったパンをすぐに捨てるんですか?」(「」内↑記事より引用)という質問はまたちょっと意味が違ってくると思うのですが。家庭と学校で環境が違いすぎますし。一つのパンに関わる人数のケタが違うので…衛生管理は過剰と思われるほどにやる必要もあるんではないか、と思うのですが。
個人的には持って帰りたければ持って帰ればいい、と思ってます。
ただ…持って帰るなら親なり保護者なりがきちんと責任取れよ、と。給食で残ったパンを持って帰って食べたら腹壊した→学校が許可したから学校が悪い、とそういうことにならないためにも学校側は禁止してるわけで。現状では「禁止」の方向ですが「もったいないから」ということで「許可」になるならばそういう責任の所在をはっきりしておく必要があるんではないか、と。
もちろん家庭に全部丸投げするわけにもいきませんが…学校での生徒への教育やら説明やらもきちんとしておく必要もありますけれど。そういうとこ、きちんと話し合って決めればそれでいいんではないか、と…。
…でもなかなかそう簡単にはいかないもんだったりもしますけど…さて。
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02/01/2010
受け入れられるんですかね
とかなんかアマノジャクなこと思ってしまったりして。前に「学生機能限定の携帯でも作ったらいいのに」とか書きましたが…まあ、こういう方法もアリと言えばアリではあります。
ベネッセが中高生向けの携帯端末を2/9から発売(Yahoo!:RBB Today)…とは言っても進研ゼミというベネッセがやってる学習サービスの会員限定、ではありますが。コンセプトとしては「親と子が話し合いながら管理していく携帯」といったところでしょうか。かなり細かい設定もできるようですし。
→ベネッセモバイル FREO
さらに1/28には携帯サイトcal-feeもオープン。セットで利用してみては? …ということのようであります(会員限定ではないんですが)。こっちの内容は特定グループ内での連絡用とかそういう目的のようで。…まあ、ちょっと見方が違うかも知れませんが、普通の携帯関係の登録サイトではなく信用のおける「閉じた場」での提供…とかそういう風にも見えたりもします。招待を受けた人しか入れないコミュニティサイト、というのはすでにあちこちにありますし。それでもたしかに他より安心感は高いのかも知れません。
んでも…極端な話子供が今使ってる携帯を手放してまでも入手しようとするだろうか…と。もちろん携帯電話ナンバーポータビリティ(MNP)が適応されますんで別会社の携帯電話使ってても番号そのものの引越しは可能であります(ただしメアドは…)。しかも今回は関連手数料をベネッセが負担する、とのことですし。ソフトバンクからだったらもっと話は簡単になりますし。
ただ、今まで自由気ままに使えてた携帯をそう簡単に変えるかなあ…というなんだか不安?みたいなものを感じてしまうわけです。料金体系も若干お高めなような(基本サービスが6000円弱で余分に使ったらその分上乗せ)気がしますし。…その辺も話し合って親子で決めていくしかないだろ、と言われればそれまでなんですけど。
ところで教育関係に強いとは言えベネッセが独自に電波を割り当ててもらったわけではありません。MVNO(仮想移動体通信事業者:Wikipedia)というシステムを利用してソフトバンクに「間借り」するような形での展開になっています。
こういう事業展開は例えば某ディズニーがやったりしてますけど。発想によっては色んなことができそうだったりします。
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01/23/2010
二つほど 1/23
まあ、色々と二つほど。
一つ目。2009年トホホな映画ベスト(ワースト?)10(Yahoo!:シネマトゥデイ)。映画に限らずエンターテイメントなんてのは人それぞれですからー…とは言ってもなあ、やっぱりなんか引っかかってしまう?映画というのはあるんではないか、と。
ただ…自分、最近映画を観てないんです。別に映画が嫌いというわけではないんですが。一つは人ごみが嫌いなのと映画館でガキとかそういう「マナー無視」の連中を見るのが嫌ということもあって。そして…やっぱりお金ですかね。2000円しないんですが、ちょっと、前述の理由もあって二の足を踏んでしまう、という…大きなスクリーンで迫力のある映像を観るということに対しては非常に魅力を感じるんですが…。
そんなわけで?本当は↑の映画も観てから何か言いたいとこなんですけど、観てないんでどうにもってとこだったりします。でもマンガ原作の実写映画、てのは…相当に難しいんではないかとは思いますが。これまで成功した例って…あるんでしょうか…?
二つ目。「煙草学校」乱立に批判の声(Yahoo!:サーチナ)…中国でのお話なんですが。「タバコ学校」と言ってももちろんタバコの吸い方教える学校ではなく(あったら逆に話題になりそうですが)タバコ企業がスポンサーになってて学校名が「○○煙草○学校」となってる学校のことであります。
いくつか非常に興味深い要素が↑あったりします。…中国って公益活動を行なえるタバコ会社が52もあるんか…とか。てことはそれ以上の数のタバコ会社が存在してるってことになります。日本は公的企業一社がずっと塩とタバコを独占してきましたから一社だけなんですが。そっち関係の規制と言うか統率?と言うかその辺は大丈夫なんだろうかとか余計なことまで心配してしまったりして。
…まあ、世界的に禁煙と言うか断煙の方向へ進んでますし。欧米や日本ではタバコ会社の広報活動てのはかなーり厳しく制限されてますし。…なんで中国では学校名に「煙草」が出てきても大丈夫なんだろうか、とか思ってしまいますが…。
もう一つ。日本でも「煙草」と書いてタバコの意味になりますが、当て字なんでしょうかね。元々はポルトガルとかそっち方面からの外来語と聞いてますが…タバコ。tobaccoという表記も普通に欧米でも使われてますし。
11:46 AM | 固定リンク
01/18/2010
そんなこと言い出したら
たしかに何も教えたりできませんわな。
郷土の偉人、授業で教えるのは不適切? 一部教員からクレーム(iza!)…まあ、なんか、ミョーな雰囲気持ってる人たちっぽいですが。「価値観の押し付け」…そう言ってくる側も価値観を押し付けてきてるような気もしますが。
人間の歴史なんてのは所詮は血みどろの戦争の繰り返しなわけで。特に山口県や鹿児島県など幕末の志士たちを輩出した地域で「あれは人を殺してるから教えたらダメだ」みたいなこと言い出したら、どんな英雄も授業では使えないことになってしまいそうな。
結局「くさいものにはフタ」ということなのかも知れませんが。そういう血なまぐさいことを教えなければ戦争は起きないだろう、みたいな。
んじゃあ、完璧に、完全に排除してくださいな。テレビはもちろんネットも全部ダメですしマンガなんかもっての他。活字は全部検閲入れてちょっとでも「戦」「血」なんか出てくるようなのは全てカット。教科書にももちろん。ダメな部分は黒く塗りつぶしておきましょうか…そうなると歴史はもちろん生物の授業なんかできませんなあ…食物連鎖てのは基本何かを「殺して」食うんですから。
学校以外でも徹底してもらわないと。親兄弟にも全てそういう話題を口にしないようにさせて、もちろん夫婦ゲンカや兄弟ゲンカもダメ。常にニコニコして「汚い」言葉も使わせない。外へ出すとそういう「不安分子」がいっぱいですから家の中で…えっと…何してたらいいんでしょうね?
そうやって育った子供。いざ自分で生活とかそういう時になったら…どうなるんでしょうね? 生きていけるんでしょうか…?
…全てが清くても、全てが汚くてもダメなんだと思います。人はパンのみで生きるものではなし、水清ければ魚住まず。清濁を呑みこんでその上に自分を構築する。他人の可能性を「価値観が違うから」と排除しない。そして何より…子供てのは敏感なんですよ。そうやって「作られた」自然ではない環境を即座に見抜きます。そして…取り去られたモノを逆に求めるようになる。
あ…これは子供に限ったことではないですな。人間てのはそう簡単な生き物じゃないんです。
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01/04/2010
性善説だけでは
ダメってことなのかも知れませんが。
東京都教育委員会、教員免許発給の際の刑事罰審査厳格化へ(iza!)…これまでは「私はこれまで禁固刑以上を受けたことはありません」という宣誓書を本人に書かせるだけだったんだそうですが。そうしたら本当は執行猶予中なのに「ありません」とウソついて教壇に立ち、あまつさえ盗撮までした例が実際にある、と…。
そういうのは一部の教師だと思いたいんですが。ほとんどの人たちはきちんと職務を全うしている、と信じたいんですが…たしかに時折完全に常軌を逸している教師がいるのも事実ではあります…。
そこで都教委は「本籍地の自治体が発行する刑事罰有無に関しての証明書」を必須にしよう、と。
これ自体はたしかにそういうことまでする必要あるんでは、と思われます。が…本籍地、てのが、ちょっと。例えば自分の場合本籍地は親と同じだったりします。で、そこは親にとっては出身地なんですが、自分にとっては住んだこともない町だったりします。…もちろん本籍地てのは申請すれば現住所に変更はできるんですが、別に違ってたって普通なら特に問題はないので無理に変更する必要はないわけで。
何らかの事情で本籍地が自分と同じようにあんまし関係ない土地だったら。それよりも過去に実際に居住していた自治体とか、あるいは教員課程とった学校のある自治体とか。住民票にはそういう履歴って残ってないんですかね…残っているなら記載されている自治体から証明書を発行してもらった方がいいんでは、と個人的には思うのですが。
本当はそういうとこまでしたくはない、というのも実情なんではないかと思われますが。個人情報保護、とかそういうお話ではなく。…ウソついても平気、という人間は昔からいるんですけど、ここまでおおっぴらになっちゃうとなあ…という思いもあります…。
05:05 PM | 固定リンク
12/18/2009
減る虫歯
中学一年生の虫歯、平均で1.4本(Yahoo!:時事)…当然ですが「過去最低」となるんだそうで。
あくまで「平均」のお話になるんですが…全ての中一の虫歯が1本とかそれくらい…というわけではもちろんなく。どっちかと言うと虫歯のない子供が増えている、とかそういうことになりそうであります。乱暴に言えば2.3本虫歯あっても、周囲に虫歯ゼロも2.3人いれば平均で1本くらいに…なることは、なりますし。
『虫歯は子供の頃になるもんだ』
そんな感じの話を聞いたことがあります。実際は100%そういうわけではないようですが。オトナになっても歯医者通い(虫歯治療じゃなくて歯石除去が目的、という場合もありますけど)してる人も結構いたりします。口の中の環境を整える能力がきちんと機能してくる?のがオトナになってからで、だから虫歯になりにくい…とかそんな話だたっと思うのですが、くわしいことはちょっと分かりません。
ただ、自分の話ですと。中学生くらいから歯医者に行ってません。時々痛む?ような?ことはあってもしばらくしたら収まってしまって。…まあ、自慢すべきことなのかどうか、ちょっと微妙なとこですけど。虫歯で歯医者行ってない、ってことではあるんですがその他の歯のケアは一切してない、ってことになりますし。
歯の性質が強いんだ、とかそういう言われ方したこともありますえけど。さて? ちなみに中学生以降ガムを噛んだこともなかったりします。歯のツメモノが取れてしまって以来、どうもそれが気になってガムを噛む気になれない、というのが正直なとこだったりします。
なお…歯の方は向上?しているのですが目の方はなんだか小学生の視力は低下する傾向にあるんだそうで。…自分も高校生くらいからメガネで今も裸眼だと0.1以下なんですが。ま、本の読みすぎとかそういうのではなく。親族のメガネ率が高いんで遺伝か何かだとは思うのですが。
09:02 AM | 固定リンク
12/12/2009
二つほど 12/12
季節柄?で二つほど。
一つ目。毎年恒例「今年の漢一字」は「新」に決定(Yahoo!:産経)。毎年この時期に京都は清水寺の奥の院で揮毫される「今年の漢字」ですが。今年は「新」に決まりました。
ただ、このイベントは財団法人・日本漢字能力検定協会が公募して行なわれるもので…この協会の理事親子が不正取引などで逮捕されるなどしていたので今年はどうなるのかな、と心配ではありました。が、やはり毎年恒例ということで清水寺からの協力もあって実現した、とのこと。たしかにトラブルはあったんですけどこういうのは残していってもいいんじゃないのかな…とは思います。
実は…個人的には「新」はなんかちょっと意外だったんですが。「改」とか「代」とかそういう「以前とは違う」系統かと思ってたんですが、いきなりばっさり生まれ変わるとかそこまで行ってしまう辺り、再生願望と言うかやはり皆さん現状打破したいのかな…とか。
ま、来年がそういう年になるかどうかは個人次第でもあるのですが。どういう年になりますやら…?
二つ目。論文の「コピペ」判定ソフト発売(iza!)…その名も「コピペルナー」、以前このあれこれでも取り上げた、ような…気はするんですけども。金沢大学知的財産価額研究センター長の杉光一成教授が考案してこのほど発売することになったものではあります。
今は「コピペ」つまり「コピー・アンド・ペースト」ですけどちょっと前は「はさみとノリ」でした。…要するにどっかから原文の一部を切り取って来て貼り付けてしまう、という手法?で古今東西共通のズルだったわけですが。やっぱり真っ当な手段で勝負した方が後々のことも考えるとイイんじゃないのかな、とは思いますけども。
ただ、昨今の「コピペ」はチェックする方も相当に大変になってるようで。「はさみとノリ」ならまだ見当はついても広大なネットからの「コピペ」となると。…そこでこういうソフトが出てきたわけですが。たしか、「どれだけ似ているかネット上から自動検索する」とかそういう方法だった…かな、なんかこの辺は自信ありません…。
お値段は…結構イイ値段してます。しかしこれでも見合うということなら…そういったズルはかなり浸透しているのかな、とちょっと不安にもなってしまいますが。
11:32 AM | 固定リンク
11/27/2009
至極まっとうな
ご意見ではないか、と自分は思うのですが。
日本語だけ、英語だけではなくてその場に応じて言葉も使い分けるべきでは(iza!)…比較文化史家で東京大学名誉教授の平川祐弘氏のコラムであります。各地の方言と標準語、そして世界の標準語とも言える「英語」と日本語の関係。日本国内のみで生きるなら日本語だけで十分だけども、世界でも生きていくなら「標準語」である英語も同時に覚えて使えるようにしておく必要がある、と。
もちろん英語は必要なんですが、昨今の「とにかく英語を」「小学校から英語の授業を」という「英語優先」の風潮が、どうもなあ…という自分にとってはかなり興味深いコラムでありました。自分は「外国語は自国語の土台の上に覚えていった方がいいのでは」とか思ってるので、まず日本語をきっちり学んでから外国語を習得するべきだ…と思っていたりします。
ただ、平川氏は別に↑のようなコトを言いたかったのではないのでは、と思われます。むしろ逆…と言うと何か変ではありますが、「日本人なら、日本文化なら日本語を使うべき」という姿勢ではなく場合によっては英語を使う必要性も感じないといけないのではないか、と。
実際、世界の共通語(場所によっては全然使えなかったりしますが)である「英語」でも習う時は大半の日本人にとってはうっとうしい「エイゴの授業」であってそれなりの覚悟や使命感がなければ習得できなかったりします。明治期に海外の文化がどっと日本に入ってきて、かなりの人に「英語」を学ぶ必要性が出てきましたけど、それはそういう立場にある人たちの話で。ほとんどの一般人は別に英語なんかなくても行きいける環境のままだったわけです。
しかし…世界がこういう状況になってきて狭くなってきて。日本人も海外へ行きますが外国人も日本に入ってくることが増えてる昨今。当然日本語なんか分かんない人たちと触れる機会も増えます。オレは日本人だからどこ行っても日本語だけでいいんだ、てな考えだけでは到底やって行けますまい…。
まあ、変に英語を崇め奉る風潮よりも、平等な立場ではないのですが日本語と英語をある程度でも同列に…この方が自然じゃないのかと自分は思ってしまった次第ではあります。母国語というのは一生ついて回るもんですし。慣れた言語に愛着が湧いて、でも他の言語も丁寧に受け入れるという姿勢は必要なんではないか…と。
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11/23/2009
二つほど 11/23
政治的判断?で二つほど。
一つ目。スパコン「凍結」、菅副総理・国家戦略相は「判定見直す」(Yahoo!:読売)…いや、あの行政刷新会議とやらで「廃止や」言われてもそれが最終決定になるわけではないでしょうに。どっちへ転んでも(継続にしろ廃止にしろ)批判は出てくるもんでしょうし…個人的には今後の審議いかんによっては今回「廃止じゃ」言われたモノのほとんどが復活するんではないか…とか思っているのですが。ちょっと楽観的でしょうか。
それでもこうやって「廃止にはせん」と言ってくれるだけでもなんか嬉しいもんではあります。ま、「廃止」と言い切った側からすれば「なんであん時もっときちんと説明せんかったんや。そしたらこんなことにはならんかったんに」ということのようですが。…スパコンに関してはえらい言われようだったんですが。明らかに最初からツブシにかかっているような、「時間とカネばっかり食いつぶしよってからに」的雰囲気の中ではそういう「説得」もなかなか難しかったんではないか、と思われますが(現場にいたわけではないので断言はできませんが)。
基本、議題に上がったモノはほとんどがばっさりですし。それにこういう援護が出てくるとなると…他のモノへの判断の「見直し」も出てくるのかも知れません。
二つ目。フランス・「尻たたき禁止法」法制化反対82%(iza!)…要するに体罰のことなんではないか、と思っていたのですが。↑記事の文脈から判断するとどうも本当に「教育のためにお尻を叩くことを禁止」する法案のようであります。
…なんかえらい限定的な法案なような気がしますが(でもこういうの法令って結構あったりしますが)。裁判なんかになったら尻を叩いた、叩かないで大激論になるんでしょうか。
アマノジャクな自分としては「じゃあ、アタマはたくのはいいんかい」とか思ってしまいますが。…そっちは児童虐待とかそういう風に判断されるとかそういうことなのかも知れませんが。
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11/22/2009
二つほど 11/22
なんだかなあ、と二つほど。
一つ目。京都大で「常識」の授業始まる(Yahoo!:読売)。他の大学でも広まりつつあるようですが…「そんなことまでやらんとあかんのか」という思いはさすがに大学側にもあるようですが。一般常識と言うかモラルと言うかマナーと言うか。その辺のとこが欠落してる学生サンが増えている、というのは事実なようであります。
昔から「若気の至り」とかそういう言葉もありますけど。
希望に満ちあふれた年齢の若いうちはなんかで「はっちゃけて」しまうことが多々ある…というのは、まあ、誰でも実感できることではないかと。しかし薬物だの何だのと法に触れることまでするようになっては、ちょっと、というのもあるかも知れません(そのラインも「若気の至り」でくくってたりもしますが)。
…いいオトナなんだから、というにはちと早すぎる人たちが多い、とも言えるかも知れません。あるいは苛酷な受験戦争から解放されて、つい…というのもあるかも知れませんが。でもなあ…一般常識まで大学で教育し直す必要あるのか、というとかなり意見が分かれそうな気がします。京大が実施、ということで全国に広がる速度が上がるかも知れませんが。
本当はこんなもん、実生活や実家である程度は身に着けておくべき、とは思いますが…そーいう考えそのものも今の時代では少数派なのかも知れません…。
二つ目。アメリカ刑務所・受刑者の高齢化進む(CNN)。なんか近い将来日本でもこうなりそうな気もしますが。高齢者の犯罪が増えているせいもあるようですが…またちょっと事情が違うようなんであります。
『90年代に多くの州で、罪を3回重ねた被告に自動的に終身刑を言い渡す「三振法」が導入されたことなどが要因とみられる』(『』内↑記事より引用)
…そんな制度があったんですか。日本には終身刑がありませんから(無期懲役はまたちょっと意味が違います)こういうことには、司法制度が大きく変わらない限りならないんですが。そりゃ、受刑者も増えていく、ってもんではあります…。
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11/16/2009
そりゃ9割いくわな
…と、パッと見思ったんですが。
インターネットアンケート「gooリサーチ」で小学6年生の9割がインターネットを利用(Yahoo!:フジサンケイビジネスアイ)…だから「ネット使ってますか?」てな調査を「ネット上」でやったら割合高くなるわな、逆に残り1割はどうやってこのアンケートを知ったんや…と思ったんですが、最初は。前にもこういう(ネットアンケートでネット使ってますか?→8割くらい使ってる→今の50代60代にネットは当たり前的な記事)がありましたし。
…よく読んでみたらネット使ってる「親」を対象にしたアンケートだったようで。それなら、まあ、当人ではないですからある程度の信憑性は期待できるのかな、と。…でもなあ…親が見てないうちに使ってたら…とか親が子供をどこまで把握できるか分からんぞ…とかそんなこと考えるのはやっぱアマノジャクですか。
気を取り直して(オイオイ。
↑のような事情(親が申告)という意味で考えるとこれは真っ当、と言うかアリな数値ではないかと思うのですが。親がネットアンケートに答えてる・子供は小学生・ということは親の世代は20代後半から30代前半くらいでしょうか。すでに学校なんかでも普通にPCやネットに触れていた世代になりますし、そういう親の子供なら幼いうちからネットに親しんでいても不思議はなさそうな気はします。
…これがもうちょい上、親の世代が30代後半から40代…子供は中学生とか高校生? …いや親が50代前後とかになると。がくん、とネット普及率は落ちるでしょうし。そうなったら…って、それくらいなら子供はすでにいい年で、自己判断でネット使ってますか。
家の中で当たり前にそういう機材があれば自然と子供も使っていくと思うのです。
ただ、最近やっぱり問題となってきてる「有害サイト(何をもって有害とするかは人それぞれですが)」を遮断するフィルターですけども。年々増えてきているとは言え今回は25.6%。単純なオトナ向けのえっちなサイトならともかく(と言うと語弊があるかも知れませんが)、ウィルス感染とかそういう意味で有害なサイトを見抜く術を持ってない場合も多いかと思われます。
ささいなことからとんでもないことになる可能性もあるわけですし。その辺の「防御」は親子の間でもしっかりやっておいた方がいいかと思うのですが(ルールを決めてる家庭は約75%と言っても…そういう踏み込んだところまで決まってるのかどうか、とか…)。
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11/11/2009
足りない…
ほぼ全都道府県で警報レベル、国内死者数50人超…新型インフルエンザは今現在日本全土を襲っている真っ最中であります。
→Yahoo!サイエンストピックス:新型インフルエンザ(H1N1)
もちろん日本だけではなく世界でもその流行は広まっておりますが。症状としては通常の季節性インフルエンザとほとんど変わらないらしいのですが、肺炎や脳症を引き起こすいわゆる劇症化に対する懸念はやはり残るものではあります。
感染方法は「飛沫感染」というやつで、すでにかかってしまっている人の唾液などがせき・くしゃみによって他の人の皮膚に付着。そこから何らかの経路(無意識のうちに顔に手をやる、とか)で体内に入る…というのが主な経路になります。したがって喉を物理的に洗浄する「うがい」ややはり皮膚を洗浄する「手洗い」は非常に有効な予防手段となります(もっとも、きちんとしたやり方でないと意味ないらしいですが)。
周囲に飛沫を広げない・周囲からの飛沫を吸い込まない「マスク」も有効かと思われるのですが…これもきちんと用法を守らないとほとんど意味がないとのことではあります。
そういう飛沫感染、ヒトがたくさんいる場所だと爆発的に感染が拡大することが予想されます。…学校、というのは正にうってつけの場所で…現在もかなりの数の学校で休校や学級閉鎖が相次いでいます。クラスに3人でしたっけ…新型が確認されると学級閉鎖てのは。かなり厳しいラインではありますが、こうでもしないと感染拡大を防げないのも現状なわけです。
しかし学級閉鎖とか休校とかになると。健康な生徒さんや学生さんはいきなり休み、ということでなんだか嬉しいもんらしいのですが(でも宿題とかどっさり出るんでは)後でその「ツケ」が回ってきます。…年間の授業数というのはきっちり決まっているんですがそれが足りない、という事態になるわけです。
というわけ?で茨城県土浦市では市内全公立小中学校の授業時間を延長する(iza!)ことになった、と。具体的には6コマを7コマにする、ということらしいのですが。本来なら冬休みとか春休みの一部を授業に当てたりするもんだ、とかそんな話を聞いたことありますが…受験やら何やらありますし、場合によっては長期の休みがかなり減ることにもなるのでできれば通常の授業の範囲内でどうにかしたい、というのが本音のようであります。
…先生もそうですけど、教わる側としてもたまったもんではないような。通常とは明らかに違う状況の中で、適切に授業が進むのかどうか…そういうとこも心配ではあります。
ワクチン接種も一回でOK?(Yahoo!:毎日)ということになってきていますし、この状態が永遠に続くわけではないんですが…早めに収束してくれんかなあ、と願うことしきりであります。
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10/08/2009
そこはかとなく違和感
大人と子供、一緒になって「道草」のできる街づくりを(iza!)…まあ、そういう風なものなんでしょうけど…なんで「作ろう」とするかな、というとこに一種違和感を感じてしまった次第ではあります。
自分は多分にアマノジャクではあるのですが…自覚ありますけども。
基本、これまでは自然発生的に、と言うか自発的に行なわれてきたことを「さあみんなでやりましょう、1、2、の、3、はい」と誰かに音頭取られて一様に愛想笑い浮かべながら「実行させられる」というのが、どうも。受け付けない、と言うよりも違和感を覚えてしまって素直に楽しめない方だったりします。
↑記事の内容や行動を批判するつもりはないのです。地域活性であるとか連帯性の復活であるとか。そういったモノを推進していくことに何の異論もありませんし。
ただ…作られた中で「柿ドロボー」やって何が楽しいんだろうか、と。もちろん厳密には犯罪ですから楽しかったら困る、という論調もあるのですけれど…「うちの柿はいくらもいで行ってもらっても構わないから、さあドロボーして下さい」的なお仕着せ感が…そんなもん、やってくれやっていいとかそういう問題じゃないような気がしてしまうのです。念のため。地域の子供と大人の交流を…ということにもやはり異論はないのですが。
作られた「行事」をやって、果たして子供たちが今後地域の交流とかそういうのを今後やっていこう、と思うのだろうか、と…。
本来なら地域の人間の中から(年齢はあんまり関係なく)自発的に、「こういうのをやろう、ああいうのをやってみよう」という空気と言うか流れと言うか。いつの間にかそういうモノが生まれてきて…そして実行・継承していくというのが筋なのでは、と思ってます。昔はこうだったから今もこうできるはずだ、とか、よその地域でやってるからうちも…という簡単なものではない、と。
ただ…こういうのって時間がかかります。非常に。数十年スパンで考えないといけません。何せまずは年齢の低い人たちにこういう考えでやりたい、というのを植え付けて行って…その人たちが成長するのを待たないといけません。もちろん失敗してやり直し、ということも十分に考えられます。それでも実現させたいのなら継続していく必要があるのです。
…何でもそうなのですが。最近はどうもすぐに答えを求めすぎるような気がしてます。政治でも日常生活でも。本当は…本来はもっと時間をかけてじっくりやっていく必要があるように思うのですが…何でも。
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08/26/2009
好きかどうかは当人次第
「読書好き」を増やそう、と「子供司書」を育てる取り組み(iza!)。「子供司書」と言っても当然のことながら子供に図書館の業務を代行してもらう…とかそんなんではなく。実務的なこともやるようですけど読書に親しむ人のイメージ、ということでの「司書」であります(って当たり前ですか…)。
「活字離れといわれるが違う。日常的に本に触れ合える環境さえあれば読む」(「」内↑元記事より一部引用)
福島県矢祭町立東舘小の宍戸仙助校長のコメントです。たしかに「活字離れ」「読書離れ」ではなくそういう環境が減って行ったから子供が本を読まなくなった…という考えには賛成であります。
個人的な考えなんですが。子供に書を親しませようと思ったら最も効果的なのは「親が読む」ことではないか、と思っております。日常的に親がなんか(この際本でなくても雑誌でも新聞でも)読んでいれば自然と子供も「なんか」を読むようになるんではないでしょうか。
さらに個人的考えを述べさせて頂くなら。読むのを継続する必要があります。いつもはそういうのは読んでないのに子供の前だけで読んで見せる、というのは逆効果でしょうに。元々本なんてのは娯楽品であります。もちろん教養とか実用とかそういう分野のものもありますけど…基本は「娯楽」であります。楽しむために読むんであって強制させられて読んでも、そんな姿見ても子供が果たして自分からなんか読むようになるか、と言えば…かなり疑問ではあります。
活字キライ、という人は実は結構↑こういう経験があったりするんだそうで。宿題で読書感想文が~とかそういう流れで仕方なく興味も何もない、つまらない本を読むことになって…オトナになってもなんか活字はいいや、とかそういう風になってしまう…。
結局は楽しむための道具にすぎないんですから、そう大仰に構える必要もないんではないでしょうか…?
…ところで↑記事に画像が付いてるんですが…これには「ラマダンに際し、聖典コーランを読む神学校の生徒」(「」内↑元記事より引用)というキャプションが付いてるんですが…。
いや、そりゃ、ちょっと違うんでないかい? と。ある意味学校で教科書読むようなものでしょうけど(それも違うかも。もっと深遠にして重大な行動なような)…コーランなんですから「本が好きになりますように」というのとは大分意味合いが違ってくると思うのですが。
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08/20/2009
まあ、そんなとこでは
某地デジの普及率の時も思ったのですけど。…まあ、そんなとこではないかい? と。地デジの時は大体半分弱で「目標より低い」と総務省が懸念している、というものでしたが。まだ時間があるのによくこれだけ普及してるなあ…と逆に感心したりもしましたが。
「日本は努力が報われる社会」大学生の43%が認識(Yahoo!:産経)。対象が大学生ですんで受験をくぐり抜けてきた…という自負?はあるんではないかと。これが社会人になってからだと…どうなんでしょう、やっぱり減ってしまうんじゃないでしょうか。
ちょっと違った考え方してみると20年そこそこしか生きてない人間が「努力すれば認められるんだ」と思えてしまう、というのもある意味すごいような。思ってる全員が実際に努力→結果が出せた、ということ…ではないと思いますが。将来への希望でそう思っている人も少なからずいる、ということになるのでしょうか。
努力っつっても色々ありますわな。
結果が全ての場合、努力はあまり意味を持ちません。結果が悪ければ全てパーなんですし。でも事柄やモノの見方によっては結果よりも努力の方が重視されることもあります。だから、一概に「努力なんかしたってどうせ意味ないんだからそこそこにやっときゃいいんだよ」「今努力していれば将来必ずいいことがある、だから頑張る」…とは言い切れないわけで。その辺が人生の面白さと言うか理不尽さと言うか。やったことに対して必ず100%で返ってこないものではあります。120%の時もあれば80%の時も。場合によっちゃ0%てこともあるわけで。
…まあ、それでも「競争型社会」なのはそれなりにでも民主主義が守られてるならどこの国行っても同じですし。二人の人間がいればほんのささいなことでもどっかに「違い」は出てきます。そこら辺から「違い=格差」で格差はなくさないと…! とか言われてもなあ…ちょっと、違う方向へ走り出してる気もするんですが。
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08/10/2009
ちょっと遅いかも
いや、こういうのに遅い早いはないとは思いますが…先月くらいからやっても良かったんでは、と。
KDDIが保護者や教育関係者向けの「青少年の携帯安全使用サイト」を開設(Yahoo!:RBB TODAY)。
→見つめてみよう、子どものケータイ | KDDI株式会社
…まあ、携帯会社がやってるサイトですんで当たり前ですが「子供の携帯所持肯定」になってます。世間では「子供に携帯を持たせない方がいい」という人もいますんで、そういう観点から見るとちょっとした違和感?を覚えるかも知れません。
以前、この手のことをちょろっと書いたんですが…やはり出てきてたんですね…「機能限定子供用携帯」てのは。例えば通話+GPSだけとか。いわゆる「有害サイト」にアクセスできないようにフィルタかけてたり、あるいは移動経路を示すことのできる機能があったり。そういう「子供の安全性」の面から携帯はあった方がいい、という意見もあったりします。
一方でちょっと気になってるのが子供と親の情報格差だったりして。↑のようなサイトが「保護者向け」になってるのはそういう意味合いもあると思うのですが…子供が携帯で何やってるか分からない、というのは一体何をやってるのかしら? という意味だけではなく。ある種特殊用語も混じってくる「ケータイ」のことが理解できない、という向きもあるのではないか、と。
今の小中学生から高校生の親、というのは自身が子供の頃には携帯なんかなかった時代であります。物心ついてから…どころか場合によっては10代の後半や20代になってから初めて触れた、とかそういうケースも多そうで。生まれた時から自然に携帯があった環境ではないわけです…。
となると子供が何をそんなに一生懸命にやってるか、どうにも理解できない。理解してみよう、と努力してみても年喰ってきてよく分からない。で、そんな得体の知れないモノは禁止してしまえ、と…。
何のことはない、自身が子供の頃にマンガやゲームを親に禁止されていた、あれとほぼ同じになってきてるわけです。あの時代というのはマンガやゲームというのは今ほど市民権を得ていませんである種規制の対象になっていたくらいなんですが…。
こういうのは相互理解をお互いに実行してく、というのが有効なのでしょうけど。人類にとってそれが大変に困難なのは紀元前から既にそういうもんだったらしいので…急には無理であります。だから↑のようなサイトがその一助になれば、とは思うのですが…8月ももうすぐ半分過ぎようかという頃にやってもなあ…とか個人的に思ってしまった次第であります。
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08/05/2009
まあ、そんなもんかも
と言い切りたくはないような。なんかフクザツではあります。
親の年収、高い方が子供は高学力(iza!)。なんかあんまり信じたくないんですけどね…親の年収が子供の学力に影響を与える、まあ、たしかに塾とか教材とかお金かかりますもんねえ。子供の将来のこと考えて無制限に支出したくても現実問題として収入がそこまでなければ出せないわけで。ない袖は振れません…。
例えば↑記事の「年収200万円」の場合。ひと月あたり20万円ないわけです。最低でも子供一人はいることになるので(でないと調査に回答できない)親子で2人か3人、あるいはそれ以上ということになります。家賃とか光熱費とか生活費をそれだけの人数分賄う、となると…場合にもよるのでしょうけど、「子供の学習費」てのは一体どれだけ割けるのやら…? 塾なんてのは月何万円とかするもんでしょうし。かなり難しいことになりそうな。
…そうなるとやっぱり高収入→学習費もかけられる→子供の学力アップ、というのは既定路線になっちまうのでしょうか。…「親の年収」とかそういう子供自身には関係ない要素も関係してくる、てのは…なんかさびしい気もするんですが、まあ、個人的な見解なんですが。
某党の政権公約に「中学生以下の子供のいる家庭にいくらいくら」てのがありますけど。たしかにそうなると↑のような事情の家庭にとっては大助かりなんですけど。
その前に純粋に子供の力だけで学力アップできる仕組みとか作れんのかな、と思ったりして。お金は必要ですけどないと死んじゃう(場合によっちゃないと死んじゃいますが)わけではなし。↑こういうカネにモノ言わせるような現状をどうにかできんかな…と。そういう取り組みを広げて行って、何らかの仕組みを作っていくというのもアリなんではないかな…とか思っているのですが、どうなんでしょうね。
…まあ、そんな相当に時間かかりそうなやり方よりも親が頑張って収入上げればいいだけじゃん、と言われてしまえばそれまでなんですが…。
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07/20/2009
なぜか記憶にない
関東では公立学校が終業式を終えて、いわゆる「夏休み」に入ってます。世間では今日は三連休の最終日ですから「夏休み初日+家族も休日=どっか行く」というパターンも多いようで。さらに高速道路1000円均一の効果もあって渋滞なんぞも発生してますが。
夏休み、と言えば宿題という厄介物?があるわけで。しかし最近の夏休みの宿題というのはちょっと変わってきているようであります(@nifty:産経)。…基本「休みの間に何かやらせる」というスタンス?は変わってないようなんですが。しかし作文依頼ができるサイト…てのもなあ。たしか中国だか韓国だかでも似たようなサイトがあるとかそんな話をどっかで耳にしたんですが…バレやしないんだろうか、とヘンなとこが心配になってしまいます。マンガやアニメのネタではよくあるんですけどね、クラスみんなが同じ内容で提出してきた、とかそんなんが…こういうのも現実になってしまうんでしょうか…。
自分の場合は…なんか、夏休みの宿題の記憶がないんですよねえ…。
8月末頃に苦労してやり遂げた、とかそんな記憶ももちろんなく。逆に7月中に全部済ましちまって後は悠々自適…とかそんな記憶もなく。…一体いつやってたんだろうか、自分のことながら全然覚えてなかったりします。友達と宿題やったとかそんな記憶もないですし。
そもそも「夏休み」と言うモノが。…あんまし記憶にないんですよ、これが。小学生くらいの頃は父・母双方の実家に行ってたりしたんですが。小学生以降になるとなんかそっち方面とは縁が遠くなってしまって、こないだえらい久しぶりに親族と会った、なんてことになってましたし。
家族でどっか旅行に行った…という記憶もないような、あるような。覚えてないってことはそういうのにも行ってないってことになりそうで。でも中学の時は部活があったんでそっち方面で何かやってたような…。
ホントにあやふやなんです自分の夏休み。
でもそんな学生時代も終わってそれから…となると今度は夏休みなんぞとは完全無縁な状況になってしまって「連休」とか「祭日」を実感できない昨今になってます。今だって単純に「夏は暑いよな」とかそれくらいしか思いませんし。「夏休みは旅に出ましょう」みたいなCM観ても全然実感湧かないですし。
…まあ、こういうのはまた生活が変わってくれば違ってくるもんではあるのですが。しかし…夏休みですか。まとまった休みって…いいですねえ…。
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04/29/2009
今からでも間に合う?
かどうかは当人の頑張り次第、なのかも知れませんが。
外国語を勉強する際の「文法習得」、左脳の一部が関係(Yahoo!:毎日)…年食ってきたから外国語が覚えにくくなった…のではなくて(文法に関しては)左脳の「下前頭回」次第によって覚えの進み具合が変わる、ということのようで。つまりはもって生まれた資質も関係してるということになるのでしょうか…。
なお、語彙(ボキャブラリー)は↑記事では「一方、つづりなどの語彙(ごい)テストでは、脳の形状との関係はみられなかった」(「」内↑元記事より引用)ということですんでやっぱり単語は覚えていかなあかん、ということになりそうですが。
トロイ遺跡を発見したシュリーマンなんてのは語学の天才であった、とされています。十数カ国の言葉を苦もなく覚えて操ることができたそうな。ロシア語を学ぼう、という時はロシア語しか話せない人を雇って延々ロシア語で話しかけてもらったんだそうで。もちろんその時のシュリーマンはロシア語は分かりませんから彼が何言ってるか理解できません。が…そんなことを続けていくうちにやがて理解できるようになってしまったんだそうであります。
シュリーマンと言えば子供の頃からトロイ戦争の遺跡を発見することを夢見ていた人。じゃあ、トロイに関係してるギリシャ語を真っ先に覚えたのか、と言えば実はかなり後になってから覚えたんだそうで。なんで?と言うと…
「私が憧れのギリシャ語を覚えようとしたら他のことが手につかなくなってしまう」
からなんだそうであります。
…まあ、なんか若干伝説入ってるようなお話ではありますが。それでもこういう人てのは実際にいそうではあるのですが。
シュリーマンではないんですが…ちょっとスペイン語をやってみようか、ということで某「テレビで~」を週一で見たりしてます。本格的に習得したろう、スペインや南米行って困らんくらいになろう、原書を読もう、とかそういうものではないので軽く見てるだけなんですが。まあ、そんな程度なんで番組見てても字幕がなけりゃ何言ってるか全然理解できません。…多分、自分はそういう文法関係習得に関係した脳の一部があんまし発達してないのかも。
でも端々の単語やら文の流れやら聞いてると「慣れ」てはくるもんで。気がついたら二年目ですし。そりゃあ、ちっとは慣れるってもんではないかと。まあ、今後もそんな感じでちょろちょろスペイン語やっていきたいな、と思っておるんですが。
例の小学生の英語教育もそんなもんでいいんじゃないかと思いますが…個人的には。日本語の土台がある程度でもできてりゃその上にテキトーに英語積んでもなんとかなるんじゃないのかな、と思うのですが。
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04/21/2009
目的不明
と言うよりむしろ「目的不透明」?
小学6年生と中学3年生を対象とした「全国学力・学習状況調査」が開始されました(Yahoo!:毎日)。カンタンに言えば全国の小6と中3が今、どれくらいの学力を持っているのかを計るためのテストであります。今回で3回目。…過去2回は愛知県犬山市が不参加だったんですが今回から参加ということで公立校に限って言えば「全国統一テスト」ということになります。一方、私立校は参加が5割を切っており真の意味での「全国統一」はなかなか難しいようではあります。
しかしなぜこれが「目的不明」なのかと言うと。そもそもの第一回開催時(43年ぶり)も「えー、別にいいじゃんそんなの」と文科省側も乗り気ではなかったようでしかも「別に結果の公表なんかしなくていいよね」と実施したのに結果の一般公表を義務とせず、というテスト受けた学校側も生徒側もどんな結果かよく分からない、一体何のためのテストだかその目的すら不明になってしまったからであります。
結果を一般公表しなくてもいい、とした理由は…順位をつける→下位の学校が盛り返そうと余計な努力をする→本来の学校活動から外れる上に格差が生まれる…なんだとか。つまりは「差がついてはいけない」とそういう方針かららしいのですが…。
じゃあ日々のテストやら授業やらで実力が完璧に測れるのか、と。今現在の己の実力を把握しないでどうやって「上」を目指すのだろう。山に登っている時に、自分が今何合目にいるかも分からずに真っ暗な山道を頂上向けてただひたすら登っていけと言うのだろうか…?
「いや、そういうこと考えると必ず他人を蹴落として登ろうとする者が現れる。そうなったら蹴落とされた者がかわいそうではないか?」
蹴落とされたならまた登ればいいわけで。その「再チャレンジ」を支援・指導するのもまた学校の役割なんではないか、と思うのですが。複数回のチャンスを与えることを最初から考えない、てのはなんだか逆にかわいそうな気がします。
競争だけの人生てのは空しいものですが、競争すらない人生てのは味気ないでしょうに。己の信念を信じて努力する。そして何かを勝ち取る。そういう過程てのは非常に大切だと思われます。そういうのはできれば年の若いうちに経験させるべきだと思いますが…年とってくると体も心も鈍感になってきますし。もちろん完全なる競争社会を目指せ、とは言ってません。ただ、人間に限らず差異はあるけど非常に近いモノがいくつも存在する限りこういう「競争」は避けて通れないと思うのですが。
…程度の問題でもあるような。その辺の微妙なサジ加減を決めるのが文科省であって、思い切り傾いた選択されると反発は必至ではないか、と。
なんだかこういうことで一悶着あるってのもなあ…他にやらないといけないことがいっぱいあると思うんですが…さて?
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04/19/2009
月収じゃなくて年収
小学生の場合は45000円(Yahoo!:産経)なんだそうで。もちろん小学生が働いて収入を得る、というのは日本ではまずあり得ませんからおこづかいとかお年玉とか、そういう「収入」の合計ということになりますが。
45000円のうち、やはりお年玉などが30000円程度と一番大きなウェイトを占めるんだそうで。後はおこづかいがどれだけもらえるか、ということになるのでしょうけど…。
定期的におこづかいをもらっている小学生は56.3%で半数越え。そして平均は913円とのこと。
おこづかいというのはやはり年齢が上がるほど親からもらえる率が上がるんだそうで。特に2年生になると計算を習い始めるのでおこづかい支給率がアップするんだとか。小学1年生では4割以下だった「おこづかいをもらっている」が小学2年生になると一気に7割が「もらっている」になるんだそうで。もちろんさらに高学年になれば支給率ももっと高くなっていそうではあります。
小学生は6年生までありますし。1年生と6年生じゃあ大分違ってくるのは間違いないですし。
もちろん金額も。平均で913円。…これも1年生と6年生じゃかなり差がありそうではあります。
それでもなんかイメージとしてもっともらっていそうな気がしていたんですが。自分の時は月に一回もらってましたが…もうかなーり昔の話ですが…1年生で100円、2年生で200円、でした。で、中学生になったら700円か、と言うとさすがにそこまでではなく1000円もらってて学年上がるごとに500円アップしてたような記憶があります。で、高校生の時に3000円でこっちは学年上がるごとに1000円アップだったかな…なんかそれくらいだったような気がするんですが何分にもムカシのことなのでどうにも記憶が曖昧ではあります。
でもその時でも「貯金する」という考えなんか全然なかったような。↑記事によるとお年玉なんかの「まとまった収入」があった時は小学生でも8割が「貯金する」んだそうで。1/1にお年玉もらって、でも三ヶ日で店開いてなくて1/4にお年玉全額握り締めて買い物行ってた自分って。…あの頃からずっとお年玉貯めてたら一体いくらになったんだろう…なんてのは完全に無駄な想像ではあります。
それでも当時も「貯金する」って子供は結構いたような気がするんですが。もちろん「使う」てな刹那的生き方を選択する子供もいたわけで…その辺はあんまし変わってないような気もするんですが。今も昔も。
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04/13/2009
二つほど 4/13
「幅」で二つほど。
一つ目。「腕を振る」動作で携帯の本人認識可能へ(Yahoo!:+D Mobile)。つまりは携帯電話を手にした時の腕の振りから本人かどうか確認できる…ということのようですが。
まだちょっと実用化には早いんではないか、とも思いますが…どうなんでしょう。実際、今もまだ実験段階のようで「いついつには販売する」というものではないようですし。…なんか誤動作が気になるところで。「腕を振る」パターンにある程度「幅」を持たせることによってたしかに認識は可能と思われるのですが…例えばちょっとした振動、ドアの開け閉めとか家の前を車が通るとか。そういった「揺れ」のパターンがたまたま許容範囲内だったらどうなるんだろう、勝手に起動とかしちまうのかな…? とかそんなことまで考えてしまうのですが。
二つ目。飲食店での食べ残し、「持ち帰った方がいい」賛成多数(Yahoo!:RBB TODAY)…若干内容に疑問?が残る記事ではありますが(こういうのは別に男女関係ないんじゃ…数値の差だってほとんどないようなもんですし、欧米の事情を先に説明する必要性は? とか)たしかにこういう流れはアリなんではないか、と思われます。
欧米では「ドギーバッグ」という…つまりは残った分は犬に上げるので持って帰る、という風習があります。もちろん本当に犬にあげる、というわけではなく。残った分を家で人間も食べるわけですが。こうすると食べ残しを減らすことはできます。
が…なぜ日本でこれが根付かないのか。やってる店もあるんですが…やはり衛生面での抵抗があるようではあります。持って帰る側は特に抵抗ない場合が多くても、提供する側には抵抗ある場合が多いような…持って帰って腹壊したりされたらどうしよう、ということで。ある程度風習として根付いている欧米なら「そんなもん、持って帰って食った奴の責任だろ」で済むかも知れませんが、ここんとこそういう「食の責任」が重視されている日本ではやっぱり提供した側の責任となってしまう可能性が非常に高そうで。
…いやそれ以前からでも「残り物」に対する抵抗、というのはそこかしこにあったような気もしますが。
まあ、食べ放題のバイキングにこっそりタッパー持ってく、なんてのはマナー違反ですけど。普通に注文する料理が多くて残ってしまうから「持って帰っていいですか?」とお店の人に尋ねるのは別にいいんではないか、と。そういうところの「幅」を広げていったらいいんではないか、とか思うのですが。
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03/28/2009
「知識」と「友情」
別にどっちかに決めんでもいいんでは、と思いますが。両方求めるのもアリなんでは。
内閣府の「世界青年意識調査」結果発表:学校に通う意義…欧米「知識」日本「友情」重視(Yahoo!:JIJI)…「学校は学ぶ場だ」「学校は集団生活を送る場」だ…とか捉え方の違いもありそうですが。
あるいは。単純に比較するのもどうかなあ、とか。システム自体が全然違うわけですから比較にならない、とかそういう意見もありそうであります。
例えばアメリカのある高校の場合。授業は基本的に単位(credit)取得制になってます。時間割は自分で決める、選択した授業は自分の教室ではなく教官の部屋へ赴いて受ける…とほとんど日本で言うところの大学のようなシステムになってます(しかも教科書は買うのではなく古いのをレンタル)。クラス単位、というよりも同じクラス=同学年全部という意識なので数十人単位で行動とかそういう概念はあまりないような。遠足と言うか修学旅行と言うか、そういう「行事」だって出る出ないは自分で決められたりするみたいですし。
…対して日本ではクラス単位で行動します。その方が集団行動に慣れるからですが…当然クラス内での交流が密となって「同じクラス」意識が強くなります。単純に「学ぶ場」だけではなく「慣れる場」という要素を加味してる、という言い方もできるような。ある種社会に出るための予行練習してるみたいだ、という言い方もあります。
と、まあ…それぞれでやってることが違ってるんだから結果が違ってくるのは仕方ないんではないか…と。
どっちが良くてどっちが悪い、てなことはないと思うのですが。知識優先で他のこと何もやらないのよりゃ集団生活を経験できた方がいいでしょうし。友情ばっかで何も勉強してこなかった…と嘆くよりは色々学んだ方がいいでしょうし。
「学校というのは知識をプールする場だ」
なんてセリフが実は水島新司の野球マンガにあった記憶があるんですが(例によって原本手元にないんでウロ覚えなんですが…)別にそれだけに限定するこたない、と個人的には思ってます。色々経験積ますにはこれほど最適な場もないでしょうに。集団も経験できれば個人も経験できる。もっとも、卒業後すぐに、とか即座に結果が出てくるもんでもないんですが。
ただ…「友情」という言葉もなあ、と。ただ他人にもたれかかってるだけで「オレとお前は友達だ」とか宣言されてもなあ…とか。「頼る」と「頼りにする」の意味の違いを分からないまま大人になってしまうとそれはそれで苦労しそうな。距離ってんですかね…「自分」を形成するのには「友情」だけではなくもちろん「知識」も大変に重要な要素だと思ってるのですが。
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02/26/2009
ケータイの相互理解
小学生時には半数以上がほとんど触れていなかったケータイのメール、中学生からは激増(Yahoo!:産経)…と、こういう見出しでもいいんでは? とか思ってしまいますが。この記事の元の見出しは「一日に50件以上メールをしてる中学生が2割もいる」という感じのものだったんですが。でも、大学生以上とか社会人でも20代とかそういう年代だったら大体似たような数値が出てくるんでは…と個人的には思ってますけども…さて?
新聞の方も似たようなもので「ケータイ依存症」とか「中学生が…」という文字が躍っていたりしました。…依存症なのは年代問わずたくさんいるわけですし、ことさら「中学生」を強調しなくてもなあ…と。ただ、こういう世論が高まってくると学生のケータイ規制に拍車がかかってくるのは間違いなさそうで。現在は各学校に結果的には任せてしまっていることになってますが、近々文科省が音頭とって「規制」に踏み込んでくるのではないのだろうか、と…。
ある程度の規制は必要かな、とは思いますが。しかし全面的にダメてのはなんだかもったいないような気がしてます。
道具としてケータイを見た場合。これほどコンパクトに多種多様な機能が詰まったハコ、というのは他にないわけで。それを「危ないから」で一律に持ったらダメ、てのはなあ…しかも今の学生サン達にとっては物心ついた頃からフツーにある物体なわけで。以前、どっかの地域で「小学生は危ないから自転車乗ったらダメ」てのがあって、就学前はフツーに乗ってたのに小学校上がったらダメなんかい…と、なんか、ちぐはぐな印象受けたことがあるんですが。それと似たような印象を受けてしまったりします。…まあ、ケータイと自転車は単純に比較できるもんでもないんですが。
やりすぎは何でもいかんわけで。メールのやりすぎも規制のやりすぎも、どっちもいかんのではないかと。
それよりも↑記事での問題は「中高生の7割がネットトラブルを経験」「親の4割がプロフに関して『聞いたことさえない』」の方かも知れません。よく知って適切に運用すれば特に問題ない(とは言ってもその「適切」が一番難しい…)のでしょうけど。こういうのは誰かに教えてもらってできたり理解できたりするもんでもはないでしょうし…相互理解と言うか「知ろう」という気持ちが大切なのかも知れません。
一方でこんな話も出てきてます。飛行中の飛行機内で通話できるサービスを3月から開始予定(Yahoo!:+D Mobile)。これだけ見ると「おお、ついに飛行機内からでもケータイできるようになったんか…」とか思いますが…全部の飛行機会社でOKてわけじゃありません。しかもあくまで「飛行中(安定飛行中?)」であって離着陸時はNGですし通話と一部メールのみと機能は限定されてますし、料金もなかなかなものなんですが。
…なんか…これも勘違いする人が出てきそうで。「オレのケータイは飛行機でも通話できるんだ、だから何やってもいいんだ」とかそんなこと言い出すバカが出てきてトラブルにならなきゃいいんですが。結局マナーの問題であって自分と他人をきちんと認識できる人しか使っちゃいけないんではないか…これもやっぱり相互理解なのかな…とか思ってしまいますけども。
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02/14/2009
信じる信じない
というレベルではないのかも知れませんけど。しかし日本とは大分違った印象を受けるものではあります。
実は一昨日2/12はチャールズ・ダーウィン生誕200年だったりしました。ダーウィンと言えば「進化論」で有名であります。めちゃくちゃ簡単に言えば…「生き物とは変化していくもの」という大前提がありますよ、ということで、日本だと学校でフツーに習うので「進化」というのは結構すんなりと受け入れられていて、進化論そのものもさほど違和感ないものではあります。しかしアメリカではこの進化論を信じない人が急増している(iza!)とのことで。
…なんで? とか思ってしまいますが…コトは宗教関係に発展している、ということのようで…。
この辺もめちゃくちゃ簡単な説明になります。深い説明や解説は専門家のサイトやブログを検索してみてください…何せ自分はキリスト教徒ではありませんし、生物関係もちょろっとかじっただけではありますし。
…なぜ進化論が受け入れられないか、と言うと全ての人や動物や植物は神が造り給うたものの一部であり、それは不変である…というキリスト教の教えに行き着くんだそうであります。つまり、変化していくことが前提の進化論は間違ってる、という考えがアメリカでは増えているらしい、と。
日本ではフツーに理科の授業(中学生くらいですかね…?)で「ダーウィンの提唱した進化論によって生物が進化していくことが明らかになった」とやってますが向こうではそうストレートにはやらない場合もあるんだそうで。…全州の学校でそう言う風になってるのか…というと地域差がありそうですが。敬虔なキリスト教徒の多いとこだとそういうことになりそうな…そんな気もします。
ダーウィンが進化論を「種の起源」という本で出版した時もキリスト教側からは大変な反発がありました。…むしろ当時は教会の方が強かったんでかなり風当たりが強かったらしい、という話もあります。実際、バチカンが「進化論も神の御業の一つ」と認める発言をしたのはつい最近のことですし。
…日本のある大学で生物学科の学生さんが入学時に「どんな研究をやりたい?」と教官に聞かれて「進化論をやりたいです」と答えたら「進化論は基本中の基本だ。研究するとかそういうものではない」と怒られた、てな話を聞いたことがあります。
一方のアメリカでももちろん研究者は進化論を土台にして研究してるわけで。じゃあ、敬虔なキリスト教徒の生物学者はどうしてるんだ? と言うと「あまり気にしていない」「進化論も神の一部」となんかそれほど深く悩んでいるようではない、というのをどっかで読んだ記憶があります。
さらにヨーロッパでは進化論とキリスト教の「融合」は進んでいる、と↑記事中にはありましたけど。…アメリカ、と言うとみんな自由にやりたいことやってる、ってなイメージありますけど実際は色んな人がいるわけで。中にはそういう風にこだわる人もいるんだろうなあ、とは思いますが。
事実は一つですけど真実は一つじゃないわけで。そういう考えもアリ、と言えなくもないんですが…個人的には「何やってんだろうなあ」と呆れてしまったりしますが。実際、進化論全否定しちまうとそこで生物関係は全部止まっちまうわけで。進みもしないし退きもしない。万物流転とか色即是空空即是色とか…そういうとこで日本人には受け入れやすかったのかな…とかそんなことも思ってしまいますが。さて。
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01/17/2009
まじめにゲーム
シリアスゲーム…遊興を目的とはせずに教養や知識・経験を求めるゲームといったところでしょうか。アメリカでは以前から少なからずあった、ということですが日本でも専門に開発するメーカーが登場、実験なども行なっている(Yahoo!:産経)とのこと。
前々から「アタマのトレーニング」的なゲームてのは一種ブームだったりしたんですが。それ以上に「教育」的な要素を盛り込もう、という動きが出ているということではあります。
いくつか論点というか注目すべきとこはあると思うのですが…まずは現行ゲーム機のスペックというのもあるかと。町中で見かける携帯ゲーム機てのは実は結構色々できるキカイではあります。それをただ遊びのためだけではなく教養習得や学習に使えたら…てのは方向性としてはアリなんではないか、と。
しかし…まるで事典のようにただ事実を羅列してある、とか。あるいは教科書の内容をそのまま流すだけ…とかそんなんなら必要ないわけで。なんでゲームがここまで普及したか、と言えばそれは面白いからで。誤解を恐れずに記せば「面白く学べる」ことができなければわざわざゲーム開発する意味もないんでは…と。
極端に言ってしまえば面白ければどんな媒体でも誰だって飛びつきます。その面白さは一時的な快楽でも構わない。「面白い」と思えば皆が競ってやるようになり、やがて「つまんない」と思わるようになればそこで終了…。
ただ、何をどう「面白い」を思うかは人それぞれなわけで。ゲームの例ですとアクションの爽快さに「面白さ」を見出す人もいれば、RPGの達成感に「面白さ」を感じる人もいます。そういう「違い」をいかに克服していくか、てのも重要なテーマの一つだったわけです。複数の分野にまたがるように開発されたゲームもあれば王道を貫いたゲームもある。そのやり方も千差万別で結末もやはり千差万別だったわけです…。
教養学習用として開発するとなるとその辺のサジ加減が難しそうだな…てのが個人的な感想であります。何かそういう「面白い」要素を加える必要があるのでしょうけど、そればっかりにかかわってしまうと本来の目的が失われてしまうわけで。そういうとこ難しそうだなー…と。
そしてもう一つ。社会的認知と言いますかイメージの問題と言いますか。
「ゲームで勉強? そんなことできるはずない。バカバカしい」てな意見を持ってる人だってまだまだたくさんいるはずで。開発よりもそっちの方がある意味克服が難しそうな気もしてます。一般人向けならそうでもないかも知れませんが、学習用として生徒や学生に配布とかそういうことになると…色々ありそうだ…。
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12/23/2008
いけるのかな…?
なんだかちょっと…いや大分?不安なとこではあります高校の英語の授業、基本的に英語で…しかし「自信ない」の声も(Yahoo!:毎日)。こういう流れがしばらく…数年とか十数年とか続いたらまだ分かりませんが。今現在英語で授業してない先生に「英語で全部やってもらおうか」と指導してもなあ、と。もちろん研修とかそういうのをやるみたいですけど…そう簡単にいくのかな、と。
記事中にもあるように「格差」が生まれるのでは? という指摘も納得できる部分があります。…考えてみたら生徒の方だって初体験な場合も多そうですし。さすがにいきなり、ということはなさそうですが(基本的に英語で、ということのようですし)それでもなあ…全然自信ない、それどころか英語ダイッキライな生徒なんかさらにキライになりそうな。…あ、記事中にもありますけど「ABC覚えてる程度(ヘタするとそれすらも知らない)」生徒てのもも実在してそうですけど…そういうのはどうするんでしょうね? 日本語で授業やったって身に着かないのに英語でやったらそれこそ呪文聞いてるだけになりそうだ…。
そして大学受験の方でも。
「高校は受験の準備をするための場所ではない」てな意見もありますけど、「高校」と「受験」を完全に切り離して考えることは実際問題としては非常にナンセンスなわけで、当然考えていかなければならない高校も多数あるわけですが…。
受験の方では英語のヒアリングが導入されてますけど点数配分は変わらない、とのことで。だったら理解しにくい英語での授業よりも日本語できちんと文法やら長文読解やった方がいいのでは? てな話が出てきそうではあります。
たしかに「読む・書く」だけの英語ではなく「しゃべる・聞く」英語というのも必要なのでしょうが…ここまでやるのはどうか、と個人的には思うのですが。「そういう方向へ進むよう指導していく」とかそういう文言でも良かったんじゃ…全部が全部同じようにしないといけない、てなこともないでしょうに。できるとことできないとこ、と言うよりやる意味のあるとことないとこで大きく違ってくると思うのですが…。
…それに前々からこの手の問題で思ってるのは…英語至上主義ってのもなあ、と。必要があればしゃべれるようになりますよ、誰だって。所詮はニンゲンの言葉に過ぎんのですからそんなにありがたがらなくてもなあ…とか思ってしまうのですが…。
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12/07/2008
二つほど 12/07
なんとなく二つほど。
一つ目。大阪市教育委員会「全小中高で携帯持込み禁止」へ(iza!)。これは例の「橋下発言」を受けての決定…なのかどうかは定かではありませんが。それでも高校までも対象になるか…とちょっと範囲が広がっているのが気になるところと言えば気になるところではあります。
校内持ち込み禁止。ただし…「原則禁止」ですが。
基本姿勢としては「学業に関係ないものは持ち込まない」んだそうで。GPS関係なんかでどうしても必要、親も認めているし…という場合は登校時に預かっておいて下校時に返却という形をとるんだそうで。やっぱり校内へは持ち込ませない、という姿勢は貫く、ようなんですが…。
「原則」禁止、てのがなあ…なんか有名無実で終わりそうな気がしてるんですが。持ち込ませないよう親や周囲への理解と協力を求めていく、って言っても…前にも書きましたけど自分が物心ついた時はすでに当たり前にあって、親世代もそれなりに使いこなしているツールを「ダメじゃ」の一点張りで禁止なんかできるんだろうか、と。↑記事内にある「ネットいじめ」の調査結果だって「そういう書き込みをされた」と答えたのは1割にとどまってる(実際はもっと多いのかも知れませんが)わけですし。
…まあ、実際にそういういじめがあって、そういうのを撲滅したい、というのは当然なことではあるのですが。ただ「禁止しとけばそれでいいだろう」というのはなあ…なんか簡単すぎやしないかい? とか思ってしまうのですが。
二つ目。「ムーミン」引退(iza!)…とは言ってもトーベ・ヤンソンのあれではなく。鉄道の「ムーミン」です。
→国鉄EF55形電気機関車(Wikipedia)
1936年(昭和11年)に製造された日本国内では最古の電気機関車。何せ今はJRですがその前の国鉄…いやいやさらにその前の鉄道省が作った機関車としても知られている車体です。
特徴はやはりその形になるでしょうか…普通の機関車は「前」と「後ろ」が決まっていません(蒸気機関車は決まってますけど)。が…このEF55は流線型を維持するために後ろはすっぱり切り落としたような形になってます。そのため終着駅ではSLと同様転車台(車両方向を180度もしくは数十度転換させる円形の台)を使用しなければならず、しかも電気機関車なので架線を転車台上に引く必要もあった…という手間から3台で生産が打ち切られてしまった経緯もあります。
しかしその独特のフォルムで愛されてきたのですが…ついに来年の一月で引退が決定。惜しい限りではあるのですが。…どこかで動態保存…てのは…やっぱり難しいのでしょうか。二度と動かせないですけど静態保存は…アリなのかも知れませんけども。
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12/05/2008
携帯は必要か否か
大阪府の橋下知事の「小中学生の携帯電話校内に持ち込み禁止」発言もあって「子供と携帯」という問題がクローズアップされてきています。
→Yahoo!国内トピックス:子どもと携帯電話
何が問題か、と言えば主なとこではいわゆる「有害サイト(成人向けなど」にアクセスしたり「ネットいじめ」を助長するから…などなど。判断力の未熟な子供にそういったモノを見せるのはいかがものか、歯止めがきかなくなって暴走してしまう恐れもあるし…というところなのでしょうか…。
一方でそういう「くさいものにはフタ」形式でいいのか、甘いものだけ口にするようなやり方でいいのか…どんな形であれ経験積ませるのも一つの方法ではないか、という意見もあります。…その辺、たしかに判断が難しいものではあります。現在、一定以上の年齢の方てのはある程度年喰ってからネットやら携帯やらに接しているんですが、今の小中学生は物心ついたころからそういうのが周りにあったわけで。…理解しにくい部分がどうしても出てきてしまうんではないか、と。
そのため、だからこそ規制すべきだ…という意見が出てきてもおかしくはないわけですが。
携帯会社のフィルタリングサービス、18歳未満の新規加入者に加えて既存の加入者にも拡大へ(iza!)…これは恐らく事前に携帯会社の方で「ブラックリスト」を作成しておいて、それへ該当携帯がアクセスしようとすると遮断する、というものだと思われますが。…別URLに変更されたら追いつけないってのも…リスト更新スピード上げりゃいいだけの話なような気もしますが。これは携帯ではないですけどアンチウィルス系で数日でウィルスパターン更新、なんてのもあるって話ですし。それくらいの頻度で更新かますのはそれほど難しくはないと思うのですが。
いくつか抜け穴?もあるんですが…こういうのをやるんならなんでもっと徹底しないかなあ、という気がせんでもないのです。
例えば橋下知事の「持ち込み禁止」ですけど携帯の防犯上の利点は理解した上での「持ち込み禁止(使用禁止ではない)」なんだそうで。…だったらコトは簡単なわけで。GPSと通話・メールアドレス固定でネット接続や登録外の番号との通話やアドレスとはメールできない携帯作ってそれだけ持つようにすればいいんでは、と。もちろん文科省で支援して価格は格安か無料にすれば誰でも持てます。それ以外は学校では使用禁止にすればいいんでは…と思うんですが。以前(今でもあるんだろうか)あったカンタン携帯とかそういうやつであります。
…まあ、なんかオトナのジジョウってのがあるらしいんでそう簡単にはいかないって話もあるんですが。今のようにぐだぐだやるよりゃ大分マシなんでは、と思うんですが。
携帯は小中学生にいるかいらないか、と問われれば自分は「まあ、あってもいいんじゃない?」というなんだか曖昧に答えてしまいそうであります。…なんでか、と言えば…出てきてしまったもんを今さら「ダメ!」と言ってもなあ…と。あるもんは有効に使うべきだと思いますし…何せ彼らにとっては物心ついた時から自然にあったモノなんですから。
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11/27/2008
古いPCをまた使う
日本国内では「生産頭打ち」とか「過剰生産気味」とかささやかれがちなPC市場ですが。世界的に見るとまだまだその数は十分と言えるものではないそうで…。では中古PCの再利用ならどうだ、という方法が環境問題の面からも注目されてるんですが…そういう需要はあってもなかなか進まないのが現状(Yahoo!:japan.internet.com)なんだそうであります。…そりゃあ、新品よりも手間がかかってしまうような状態なら、たしかに簡単に普及はしないような気はしますけども。
中古PC、というのは実は他の家電とはちょっと違ったプロセスが必要になってきます。…最も大きいのは内部情報の完全削除。PCてのは個人法人問わず情報の塊ですから個人データや重要な機密流出、なんて事態になる恐れも十分にあり得ます。
…最近はそうでもないと思うんですが、以前は中古でゲームのメモリーカード買うと前の持ち主のデータがそのまま残されてる…なんてことがありました。コレはゲームのデータなんで「こんなゲームやってたんだ」「キャラクターにこんな名前つけてらあ」で笑って?済ませるんですが、PC内部の情報となると笑って済ませられなくなります。ヘタすると一生モノの災厄になりかねません…。
そこでPCを再生処理する際に、特にHDは内容を完全消去(フツーにゴミ箱放り込んで削除、てのは実はリカバリーできる可能性があります)する必要があります。
しかし。そういう技術が必要となると…どうしてもできる業者が限られてしまいます。さらに情報を扱う場合には法律の制限がある場合も。そう言う風にがんじがらめになってしまうとなかなか活性化しない…。
日本の場合ですと不必要になったPC(モニタ含む)はメーカーか該当機関で再利用に回されることになります。
→有限責任中間法人 パソコン3R推進センター
基本はメーカー送り。自分も前に使ってたCRTモニタを廃棄してもらったことがありますがやっぱり手間がかかってしまいます。で、めんどくさいからその辺に捨ててしまえ…てな不心得者は後を絶たないようで。…そんなにややこしくはなかったんですが、CRTモニタって重いんですよねえ…そこら辺だけ、ちょっと、大変でしたけども。
…日本の場合はどうなのかなあ、再利用PCて売れてるのかなあ…なんだか新品の方が売れそうなお国柄のような気がするんですが。でもそんなに頻繁には買い替えないものでもあるんですよねえ…(だから最近不景気で↑売れなくなってるのかも知れません)。
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11/18/2008
二つほど 11/18
共有したり合併したりで二つほど。
一つ目。「カーシェアリング」変わるマイカーに対する意識(Yahoo!:産経)…しかしこれは大都市でないと通用しないよなあ、と。鉄道やバスと言った公共交通機関がきちんと効果を上げてる地域なら、まだまだこれからどうにかできそうではあるんですが。一日に数本程度しか来ない、遠出をする時にくらいしか使わない…公共交通機関をそういうイメージで見ている地域てのはまずクルマ重視になりますし。一台を何人かで使いまわす? そんなヒマあるかい…と、こうなってしまいそうではあります。
それから、これはまあ…個人によって違ってくると思うのですが。
やっぱり自分のモノにしたい、自分の好みのクルマを持ちたい…誰かが乗ってたクルマなんか嫌だ、てな人もいるでしょうし。特にクルマてのは一種のステータスシンボルとして扱われてる向きもあります。単純に「移動用」という位置づけの人なら抵抗はないのでしょうけど、思い入れ?みたいなものを持ってる人は生理的に受け入れられないシステムなんではないか、と。
さらに↑記事中で紹介されている「課金システム」ですが。…どこだったかなあ…イギリスかドイツでしたっけ…こういう「都市中心部でいくらかクルマで走ったら課金」というのをやってたような記憶があるんですが…なんか、詳細が思い出せないんで記憶違いかも知れないんですが。
たしかにこうすると「ちょっとでもお金かかるんなら別の交通手段で…」という意識が芽生えます。そうなると渋滞も減って炭素ガスも削減、と。…でも導入が難しそうで。実験、ということで携帯使ってますけど実際には何か専用の端末か何か用意しないといけないでしょうし。そうなるとETCみたいに二の足踏む人が増えそうで。
…しかもコレ、やっぱり地方では意味ないんですよねえ…大都市でならたしかに効果は期待できそうなんですが。
二つ目。「平成の大合併」総務省が打ち切りを検討中(Yahoo!:毎日)。打ち切り、と言っても現在進行中のも含めて全部いきなりの終了…ではなく「延長はナシにしようか」ということのようで。現行の新合併特措法の効果がなくなる2010年3月でもって市町村合併にも一応の幕引きをしましょうか、と。まだまだ続くようなら効果を継続させる、という手もあるんですがそれはもういいかな…というところでしょうか。
地方自治体のスリム化による活性化、人件費等の削減もできる…ということで始まった「平成の大合併」もちろんイイことばかりではなく。↑の記事にも載ってますが対応地域がでかくなりすぎてそれまでのような小回りがきかなくなった例、というのも多数あります。
…でもしかし。本当の「弊害」は名称変更ではないのか、と思うのですが…なんであんなに微妙だったりやヘンだったりする名前にしちまうのか…という疑問は全国で聞かれたものであります。特に多いのが「ひらがな」地名。表意文字である漢字を使ったっていいじゃないか…とか。さらに合併てのは複数の自治体が関係してきますからその中での力関係で色々決まったりして。…なんか色々醜い部分も出てきたところもありましたが…。
それでもこの混乱は終息するのか…というとなんだかさびしいような気もしてしまったりして。でも道州制議論てのはまだまだ続いてますし…また、こういうのが始まるのかも知れません。
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11/14/2008
そりゃ当たり前
だろ、とか思ってしまいますが。
岩手で「ペレットストーブ」が大人気、生産追いつかず(Yahoo!:毎日)。「ペレットストーブ」とは普通のストーブのようにガスや灯油を使わず、「ペレット」と呼ばれる間伐材や加工時に出るおがくずなど木の断片で作られた「ペレット」を燃料とするストーブのことです。乱暴な言い方をすれば薪ストーブと原理は一緒、なのでしょうけど…使い勝手の良さとかそういう面では優れているのでは、と思われます。
が、値段は結構イイようで一台数十万円ほどなんだとか…岩手では一般家庭購入には補助制度があったようなんですが、それも昨年で打ち切り。でも人気が高まってきた背景には「原油高」がある、とのことで。…本来の目的は枯渇するであろう石油を使わない、二酸化炭素排出を抑えよう、という環境問題のためなのに原油が上がったからこっちを買う、というのはなんとも皮肉なことだ、と関係者は複雑な心境なんだそうですが…。
そりゃ、お金がかからない方を買う、というのは当然なことで。環境、環境、と言い回っても結局は人間、自分が一番かわいいわけで。数十年先になくなっちまうとされている石油のことやほとんど実感のない二酸化炭素のことよりも今日明日の暖房のことを優先させるのはまあ、当然ではないかと思うのですが。
…だからそういう「人間くさい感情」を刺激するようなやり方した方がいいんではないか、と。
一番なのが「エコ商品の方を安くする」…通常の商品よりも明らかに手間がかかってますから高くなるのも当たり前、なんですが。でもやりようによっては安くできるんではないかと期待しているんですが。どっかから補助金引っ張ってきたり新技術開発するとか。
もちろん時間も費用もかかりますけど、今のような「正攻法」だけじゃあ進むもんも進まないような。人間、かすみ食って生きてるわけではないのです。どれだけ優れた論であっても言葉だけで動くほど人間てのは出来た生き物じゃあ、ありません。何か「行動」も付いてないと。言っちゃなんですがその「行動」に何か「うまみ」が付いていればその効果は倍増します…。
…環境保護運動に反対する気はないんですけど、なんだか「こういうことは皆が納得するのは当然だ」みたいな風潮がどうにも理解できなくて。「ペレットストーブ」も大変に優れた製品だと思うのですけど…値段は高いですし。その辺、補助制度があったようなのに打ち切り、てのも正直もったいないような。…復活とかできないんですかね?
まあ、実際は原油高も大分沈静化してきてるんですが。そろそろ「原油高の影響で~」「ガソリン高いし~」てのは通用?しなくなってきてるとか思ってしまいますが。
…こっからは、ちょっと、完全に個人的な感想と言うか感触なんですが…。
「植物が今まで吸収してきた二酸化炭素を排出するだけだから、植物系燃料は排出量プラマイゼロになる」てのが…どうもよく分からなくて。石油はたしかに二酸化炭素を「新たに生産」してるとい言えなくもないですけど…じゃあ、石炭なら太古の植物の名残だから↑の考えと一致するんだろうか? とか。なんかその辺もよく分からんのですが。
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11/07/2008
なんかそんなもの
小学一年生から英語を学び始めた生徒の方が、中学生から英語を学び始めた生徒より英語を理解できる(iza!)…というなんだか「今さら」な(失礼)研究結果が発表されました。ただ、この研究のキモは「長く勉強した方がいいんだぜい」というものではなく触れている期間が長い方が「脳が働かなくても英語を理解できる」(「」内↑元記事より引用)ようになる、ということではないか、と思われます。実際英語がペラペラな人てのは脳内で
あの赤くて丸い物体=りんご→apple
と日本語から英語へ変換してるわけではなく
あの赤くて丸い物体=りんご=apple
と、ぽん、と英単語そのものはもちろん話す時の文法処理なんかも意識せずに自動的に行なって会話してるんだそうで。考えてみりゃ日本語で会話する時にいちいちアタマの中であれこれいじくったりはしませんわな。それと同じことではあります。
そういう風になれればいいなあ、色んな言語を理解してみたいなあ…てのは誰にでもある願望ではあります。
しかし…「英語を6年以上学ぶと、考えなくても答えが出る“省エネ脳”になる。6年以上、英語に接する重要性を示唆するものだ」(「」内↑元記事より引用)てのはどうなんだろうな、と思ってしまいますが(省エネ脳というのは↑で述べた、ぽん、と全部出てくる脳だと思われますが)。6年…別に時間は関係ないんじゃないか、と。ただ単純に触れてる時間が長い方が有利なだけなんじゃないか、と。
多分「6年」てのは小学校で英語を学んできた生徒が対象だから、と思われます。小学校から英語に触れることで英語を話せるようになる。それは国際人としての第一歩…というところだと思うのですが…。
正直言いますと、これには反対であります。
まず国語やっとけ、てのが個人的に思うところで。日本人だから、というより母国語を一つ持っておいた方がいい、ということであります。日本語てのは面白い言語で世界に似たような言語があんまり存在してません。現在世界を席巻している英語などのラテン語系言語とは使う文字、文法すら違います。…日本語は当然としてさらに英語を覚えれば違う系統の言語を二つ、理解できることになります。これは結構大きいと思いますし、幼児期から英語やって英語>日本語になって日本語メインの実社会で苦労するよりはマシ…とも思うのですが。
英語学習を6年以上…って言ったって内容によっても違ってくるでしょうし。自分らの世代は英語の授業で今ほど会話は重視されてませんでした。読み書きはできるけど話せない…というやつで。これは一説には明治辺りの頃は授業でも原書を使う機会が多かったからまず英語を読むことから始めた…とかそんな話もありますが…。そういう内容でも6年続けりゃモノになる…んだろうか、と。某教育テレビに英会話番組がありますが…一週間に30分弱。極端な話、これを6年続けたらそれでいいのか? とか。
まあ、記事は小学生から~ということですんで、これはちょっと脱線ですか(苦笑。
でもやるんなら日本語も英語もきちんとやって欲しいと思うのですが。…個人的な感触なんですけど…「英語の方が日本語なんかより断然スゴイ!」と盲目的に思い込んでる方が結構いるような気がして、なんだかさびしいなあ…と。
某熊楠のマンガに「犬の鳴き声を真似させてみたまえ。馬鹿ほど上手に真似る」(原本が手元にないんで正確かどうかは、ちょっと)という語学に関してのセリフがあって。
…結局誰でも話しているもんなんだよなあ…学問として研究とかするならともかく、フツーに話すんならそんなに構えなくてもいいんじゃないのかなあ…と。将来的にどう、とかそんなのもなんか野暮なような。必要があればどんな環境でも覚えるし、やる気がなければ授業重ねたって意味はない。ただ、外国を知るツールとしては最強のものだからあった方がいいことはいいよなあ…。
なんか、そんなものだと思うのですが。さて。
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10/25/2008
じっくりあっさり
通常1コマ50分の授業を半分の25分にして学力アップ(Yahoo!:西日本新聞)。「50分」と表記すると「10分の5倍か…」と思いますけど「1時間より10分短い」ならどうでしょう。さらに「45分より5分長いだけ」ならまた違った印象も受けますけども。
その50分を分割して25分授業にしてそれぞれ違った科目を勉強する、と。あるいは25分の授業を三つ連続させて75分にして実験なども行なう…という方法もあるんだとか。…しかし最大の利点?は25分なので生徒が集中して授業を行なうことができる、ということのようではあります。
大体2時間というのをどっかで聞いたことがあります、人間が座って何かに集中できる限界。だから映画は100分程度がスタンダードなんだ…と、ホントかウソかちょっと判断しにくい説も一緒にくっついていましたが。逆に格闘技の3分てのは体力的なものもありますけども、精神的に極度に集中できるのがこれくらいだ…とかそんな話も(こっちもホントかどうか分からんのですが)。まあ、人間好きなことやってりゃ時間なんてのは平気で数時間とか過ぎていくもんですし。集中できるできないてのは個人の資質と好みによって大分違ってくるものではあります。
自分たちが学生の頃、と言うと…授業と言えば45分とか50分とかなんで、今とはあんまり変わってないことになります。先生はこの時間を基準に計画を立てて授業に臨むわけです。
それを25分で…というのは大丈夫なんだろうか、なんか削ったりとか無理に押し込んだりとかしないといけないんじゃないのか…と普通に疑問を持ってしまうのですが…実際に学力がアップしてるのならそれはそれで効果がある、と認めるべきなのかも知れません。
最近時折話題になる「じっとしていられない子供たち」てのもありますし(別に子供に限った話ではないのですが)、短くして集中させた方が効率がいいんだろうか…やっぱり。
こういうのはかなりケースバイケースな場合が多いと思われます。「あそこがやって成功してるんならうちも」「じゃあ早速来年くらいから全国で…」とか画一的にやったらまたなんか変な方向へ進んでしまいそうで、ちょっと怖いもんもあります。…色々やってみるのはいいことなんですが、なんだか右にならえ的発想が多いのもなんだか気になるところではあります。
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09/03/2008
二つほど 9/3
薬やら空き巣やらで二つほど。
一つ目。平成24年度から:中学生にも「薬教育」を(iza!)。「薬教育」とは市販薬を飲む際の注意などの「薬を飲む、あるいは利用する時の基本」を教える教育になります。日本人は処方された薬よりも市販薬の方をよく飲むんだそうで、欧米の人が見たらびっくりするんだそうです。…それでも薬に関しては誤解や思い込みが結構世の中に蔓延してる…てな話もありますんで、こういうことは必要なのかも知れません。
実は高校の保健体育ではすでに「薬教育」が行なわれているんだそうですが…記事を読む限りではあんまり浸透はしていないようです。そこで中学から…となったようなんですが、では誰が教えるんだろう? というのが問題になってるそうで。
…なんか前にも小学校で英語を教えるとかそんな時にも似たようなことになってた、ような記憶があるんですが。コトはたしかにヘタすると人命にもかかわってくる「薬」なわけで。そりゃ、慎重になるのも分かりますが。
準備期間をもうちっと取るとか緊急にでも専門家による講習開いて知識を詰め込む、とか。そういう手段は色々あると思うんですが…今さら慌ててるってことは…まさか何もしてこなかったとかそういうことなんでしょうか…?
二つ目。「マーキング」…訪問業者を装って家の事情を調べてサインを残す…に注意を(Yahoo!:京都新聞)。
これはちょっと前から京都に限らず言われてたんですが…時折表札やドアに不審な書き込みがある場合がある、と。誰がつけて行ったのか何の目的なのか分からないので不気味だ…と。
「見つけ次第消した方がいい」とのことで。…うちも見てみたんですが、別にこれと言ってそういうのはなかったんで安心したんですが、考えてみたら訪問販売なんてほとんど来ねえとこなんで…定期的に来るのは放り込まれるチラシくらいのもんで。まあ、安全っちゃあ、安全なんですがなんだかどっかさびしいような気もします…。
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08/27/2008
かんこう
「観光」系大学が増加中、就職にも有利?(iza!)…最初ちらっと見出しだけ見た時には「大学の観光化?」とかとんちんかんなこと、考えたりもしましたが。
もちろんこのお話は最近の大学が~とかそういうのではなく。例えば旅行関係とかあるいはホテルの接客とか。そういう「観光」に関係した知識や業務を教える大学が増えている…ということであります。
要因の一つとして「観光庁」の設置というのがあります。
→観光庁の設置について(国土交通省)
地方とか中央とかではなく、国をあげて観光に力を入れる…「観光立国」を目指そう、というもので積極的に外国人観光客の誘致などを進めているとのことで。実際、外国人観光客は増えているそうで、こういう職種は今後も順調に伸びていくだろう…ということで↑のような「観光学科」設立や定員の上昇が増えている、ということなんだそうであります。
…個人的には…ちと、複雑なもんがあるのですが。そりゃあ観光そのものは別に悪くもなんともないですし、日本のいいところキレイな風景なんかを外国の方々に広めるのもおおいに結構なんですが。…どっちかと言うと観光よりも技術で「立国」して欲しいなあ、と。まだまだそういう分野でもいけるんじゃないのか日本、とか思ってしまったりして。
いや、政府が技術関係は全く無視してる、とかそういうことではないのです。そっち関係にも補助や援助はしてますしたくさんの優秀な技術者も世に送り出している。…でもなんか一抹の不安を感じてしまうと言うか何と言うか。
「知識は入社後でも身につく。採用は人物本位で出身学部は関係ない」(「」内↑元記事より引用)
という旅行会社のコメントにもうなずいてしまったり。…別に大学まで来てそういうこと教えんでもいいんではないか、もっと専門的なこと教えた方がいいんでは…とか思ってしまったわけです。
大学も生き残りキビシイですから色々やらんといかんことは分かってるんですがね…。
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08/24/2008
いつの間にか
忘れてしまってるような。こういうのは。
「8年遅れ」のタイムカプセル、開く(Yahoo!:中日新聞)…1980年に埋設、2000年に開く予定→2000年には誰も覚えてなかった…→開校30周年に合わせて今年開く、という…なんだかある意味哀しい結末を迎えてしまったタイムカプセルではあります。
そう言えば…自分の小学校時代。なんかそんなイベント?があったような気もするのですが。いや、なかったかな…?そういうのは別に?何か埋めたような気がするようなしないような? その辺定かじゃありません。…もしかしたら自分の知らないうちに開いてた、なんてことになってなきゃいいんですが。
タイムカプセル、と言えば大阪万博(1970年)の「5000年後に開けるタイムカプセル」も有名ですが。5000年後と言えば6970年。地球がどうなってるとか人間がどうなってるとか日本がどうなってるとか色々不安要素?はあるんですが…無事に開くのかな、と。ンな長い年月地中にあったら中身が心配になってしまいます。…それに忘れ去られそうで。でもあるいは「伝承」とかそういうカタチで残ってたりして。今から5000年前と言うと日本では縄文時代であります。その頃のコト、と言うと…昔話とか伝承で現代にもそういうことが残っていそうではありますし。
実際はこういう「長期型」タイムカプセルてのは世界中にいくつかあるんだそうで。…きちんと開くことを願うばかりではあります。
一方で「未来の自分に向けてメールを送る」なんてサービスもあるんだそうであります。未来の自分、ですか…送ってみたいような送らなくてもいいような。興味はあるんですがなかなかに微妙なお話ではあります。
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08/20/2008
誰も守ってないのかー…
アメリカで飲酒可能年齢引き下げを求める呼びかけに、100以上の大学の学長が署名(iza!)。これはちょっと知らなかったんですが、アメリカ全体での「飲酒可能最低年齢」てのがあったんですね…21歳。記事によれば1970年代のベトナム戦争時に「兵隊になるのに酒も呑めないのか」ということで各州が18歳に引き下げ、でもその後10代の飲酒問題が多発して1984年に21歳に引き上げ…と。
州によって細かい違いがあるらしいのできっちりかっきり「21歳未満は呑んじゃダメ」というわけではないのかも知れないのですが。世界的に見ると20代からお酒OKてのはやや高い印象を受けるものらしいのですが。ヨーロッパは大抵10代からですし。まあ、サウジアラビアのように宗教上の理由で飲酒そのものが禁止されてる国、てのも世界にはあったりしますけど。
なんでこういう規定が設けられてるか、と言いますと…酒呑むとニンゲンは酩酊状態に陥るからです。各感覚系が鈍くなって論理的・理性的な思考や言動ができなくなる。ヒトによっては「第二の人格」っぽいのが現れて人間関係に影響を及ぼしたりもします。暴力や犯罪に至るケースも少なくなく…一回限りの酔っ払い行為が一生続く後悔と懺悔の道へと繋がることもあります。
日本では結構「まあ、あの人は酔ってるんだから」ということで大目に見られたりもしますが。国が違えば慣習が変わるのも当たり前で、欧米では「自己管理もできねえのか」とめちゃくちゃに白眼視されますし、イスラム圏だと飲酒自体が背徳行為になる場合があります(自分がイスラム教徒でないと証明できれば飲酒も問題ないらしいんですが…)。場合によっては非常に良くないことになる可能性もある、ということではあります。
ではそういうことにならないためにどうするか。自分の飲酒をコントロールできればいいわけです。これ以上呑むとヤバイ、ここまでなら大丈夫、と。
そういうことが確実にできるようになるには非常に時間がかかります。こういうのは誰かに「君はここまでしか呑めないね」と教えられてできるもんではありませんし…何度も何度も呑んで自分の体に教え込まないといけない。だからもっと若いうちから飲酒を可能にすべきだー…!
…てな主張かと思ってたんですがー…いや、そういう主張も含まれてはいるようなんですが。でも「どうせ誰も守ってないじゃないか、こんな法律」が理由に出てくるってのも。
自分は飲酒可能年齢引き下げには「基本的に」賛成だったりします。いつまでもダメダメ言われ続けてようやく可能な年齢になって呑んで溺れて酔っ払って一生癒えない傷負うくらいなら、もっと若い頃から「訓練」させた方がイイ、と。…でも若年層の飲酒による弊害(精神的にも肉体的にも)てのはたしかに存在してますんで…簡単には賛成できない。…でも反対ってわけでもないし。だから結果的には「保留」とかそうなってしまいそうではあります、自分。
↑これはアメリカでの話なんですが。日本でこういう動きは…出てきそうもないですね。飲酒は20歳から。区切りもいいし(?)定着してしまっているんでこれを引き下げ、とは今後もならないような。そんな気がしてます。
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07/28/2008
学区が減っている
2003年以降、公立高校の学区撤廃の動きが全国で進む(Yahoo!:YOMIURI)…公立高校普通科には受験できる区域、つまり「学区」がありました(2001年にこの規定は削除)。同じ都道府県の中をいくつか分割されているのが普通で、学区外だと例え同じ県に住んでいても受験することはできなかったのですが…。
一方でそういった規制が全くないのが私立校。スポーツや進学での有名校となると寮を用意して全国から優秀な人材を集めたりもしていました。当然そういう高校は人気が出るわけで。人気が出る→生徒が集まる→さらに設備増強→人気が出る…とどんどんいわゆる「人気校」になっていってしまいます。
もちろんそういうのは私立校の中でもごくごく一部なわけですが…少子化の昨今、公立校も今のままでは…と懸念されるのも当然と言えば当然ではあります。
…とは言ってもやっぱり県外の公立高校を受験、というのは引っ越さないと無理っぽいのですが。
それでも「全県一区」つまり県内ならどこの高校でも受験OK、とかたくさんあった学区を統合して減らそう、という動きは盛んになってきてるということではあります。…2000年以前には考えられなかったそうなんですが。公立校は学費安い、という大きな強みがありますんで…場所によっては私立よりも狭き門になってたりもするんだそうではあるんですが。
今後もそういう動きが進むと公立と私立の垣根が低くなってますます競争が激化する、という声もあります。
…それはそれでいいんじゃないのか、競争した方が質が上がる場合もあるし…という意見もあれば、競争なんかするよりも各校それぞれで努力をしていくべきなんじゃないないのか…という意見もあります。…まあ、どっちがいいとは言い切れないような気がしてますが…全く競争ゼロでは張り合いないですし、一つの高校だけではできないこともありますし。
そういうとこの舵取りも難しいのではないか…と思ってしまいます。
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06/27/2008
とりあえず禁止?
福岡県の行橋市の17の小中学校で「ノーテレビ・ノーゲーム」デーを毎月一回設定へ(Yahoo!:毎日)…まあ、こういうのは毎度毎度のことなんですがね。つまりは行橋市の教育委員会は「テレビやゲームさえしなければ家庭内での会話や読書が増えて良いことになる」と思ってる、ということなんでしょうか…。
…どれくらい強制力があるのかも疑問ですが。例えば教師が全児童の家回って本当にテレビも観てないゲームもしないのを確認するのか、とか。やるんだったら市議会に働きかけて罰則(公園の掃除とか軽いものでもいいんでは)設けるとか、それくらいしてもいいんじゃないんでしょうか…。「はい、みんなでやりましょうね」だけで一体どれだけの人がやるのか…こういうとこも疑問ではあります。
個人的な考えですと、自分はテレビもゲームも小説もアニメも音楽も全部同じもんだと思ってます。見聞きしたり感じたりするのが楽しいから続けてしまう。言い方悪いの承知で言いますと「受け手を快楽中毒にするためのモノ」だと思ってます。「快楽」を「衝撃」に置き換えてもよろしいかと。つまりは受け手に経験したことのない素晴らしいことを経験させる(あるいは過去に感じた衝撃のプレイバックを求めさせる)のが「エンターテイメント」の本質ではないのか、と。そういう衝撃に慣れてしまうと更に強い衝撃を求めるようになります。そういう中毒状態を作りだすのも目的の一つなんではないか、と…。
そこには送り手にも受け手にも様々なスタイルが存在しています。。人間が百人いれば百通りの感じ方があります。…と、こういうのは結構あちこちで聞くんですが…あんたが楽しいと思っても俺は楽しいとは思わねえよ、てな場合も多数あるんですよ、というのがどうも浸透していないような気がします。テレビ番組なんかで流行物を紹介した、として…「テレビで言ってるんだからコレを選ぶのが正しい」という「思考の丸投げ」状態てのも多々ありますし。
…多分そういうテレビの影響力を恐れての↑のような「禁止ったら禁止」なんではないか…と思うのですが。じゃあ、ぎこちない家庭内会話を無理やり続けたり、読みたくもねえ本を読まされたりして、それで小中学生がみんな品行方正になるのかと言うと…やっぱり疑問なんではないか…と。
もっと包括的な、というか全体的なとこでの改革てのをやらんといつまで経ってもただ「やっぱり禁止、あれも禁止」を連発するだけで終わってしまうような。例えば子供が家にいる時間に両親が揃ってるような町にしたい、というのであれば…まず残業を減らす→収入が減る→県内の景気をアップさせるために複数の企業を誘致、あるいは新産業を導入する→予算が足りない→市・県民税を一時アップ→収入が減る…って、あれ? なんだか堂々めぐりしてますな(汗。
それでもコツコツと色々やってけばそういう方向性も見出せると思うのですが…とりあえず禁止にして、なんか、気分的にでも達成感があればそれでいいや、てのはもうヤメにしませんか? どっしりと腰を据えて数年とか数十年単位での改革てのが今は一番必要だと思うんですが…予算とか環境とかでなかなかそういうのが難しい時代なんではありますがねえ…。
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06/02/2008
こういう調査結果
以前、ちょろっとお伝えした「小中学生には携帯電話を持たせるべきではない」という教育再生懇談会の提言ですが。やはりあちこちで取り上げられるようになって、「特別な事情がない限り持たせない方がいいのではないか」というような流れになりつつあるような状況になってきる…ような気もします。
一方でこういう調査結果もあります。子供の携帯使用:政府が取り締まるより教育の充実を(iza!)…ヤフーが子供を持つ家庭(小中高大学生を第一子に持つ家庭)の保護者を対象に行なった調査の結果、となっています。
…例の懇談会のとはまた違った方向性が出てるわけですが…。
前にも書きましたけど個人的には何が何でも全部禁止、てのはどうかなあ、と思ってる方ではあります。有効利用も危険な利用も両方できるデバイス。それを「危ないから」で切って捨てるってのなあ…。
そりゃあ、子供を持つ家庭の一員というわけではないので、ケータイから忍び寄る魔の手とかそういうのを実感してるわけではないんですけど。でも何らかのチャンスの芽を摘んでしまうのはどうなんかなー…とか思ってしまうわけです。なんか、もったいない。
やっぱりフィルタリングの強化とかそういう方面でどうにかできないもんなんでしょうか…?
でもたしかに行き過ぎた使用してる小中高大学生てのも実在してるわけで。自分でケータイ代支払ってるわけではなく全額親におんぶにだっこ(最近は定額制があるんで昔ほどひどくはないらしいんですが)…てのもなあ…あんまりだとさすがにそりゃ親も怒りたくなるでしょうし。四六時中携帯手放さない子供なんてのも、ねえ。人が話してるそばで携帯いじくりながら「ふん、ふん」なんて適当な相槌だけで視線も合わせなかったりとか。…そこまで行き過ぎると逆に規制しろよ、とか思ってしまいますけども。
こういう規制論てのは親や政府の「不安」もあるんではないんだろうか、とか。実際、子供に携帯やネットでやってることを逐一説明されたとして、一体何割の大人がそれを完全に理解できるんだろうか、と。ほとんどの場合で「よく分からない」となっちまうんではないか、と。そういうところから来る「不安」、相手を理解できない「不安」から「じゃあ全部規制しちまえ」になってくるんじゃないのか…と。
今大人になってる連中だって自分たちがガキの頃は「大人は分かってくれない」なんてうそぶいてたもんなんですが。まあ、そういうのは昔々からの慣習?なんで仕方ないっちゃあ、仕方ないんですが。
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05/18/2008
大衆迎合?
博報堂生活総合研究所が世界の8都市で環境に関するアンケートをとった結果、東京では「温暖化への危機を感じている」が88%で最高値、しかし「温暖化防止のために便利な生活を犠牲にするのはイヤ」も42%で最高値(Yahoo!:毎日)…つまりは「東京の人は『環境意識は高いけれど実際に行動には移さず』ではないか」と記事ではしています。さもありなん、と言うか何と言うか。その辺に人間の本音と言うか本性が表れてるなあ、とか思ってしまいますが。
環境やらエコやらが定着しつつある昨今ではあります。これが今から20年とか30年とか昔だったら「環境の保護? 寝言言ってんじゃねえ」とかあっさり切り捨てられそうな。発展していくのに地球や周囲のことなんか考えてられっかよ、というのが当然のような風潮で(環境保護活動てのはそれより以前から始まっていた、とどっかで聞いた気はするんですが)規制も何もなしに有害物質やら炭素ガスやら垂れ流していた時代ではあります。…その頃からすれば水も空気も段違いにキレイになって、皆が周囲のことを考えるようになってきてるんではないか…と思うのも今日この頃だったりします。
が…やっぱりなんか違う方向へ走るヒトもいるわけで。個人的に「個人環境テロリスト」とか「環境エゴイスト」とか呼んでますけども。
例えばレジ袋削減、ということでマイバッグ持って行く人がいます。これは、まあ、特に問題あったりするわけではないんですが…仲間内で持ってこない人がいると「意識が足りない」とか文句垂れたりして。当然その人の事情なんか考慮しませんわな。あるいは店員サンが袋に商品を入れると無言でその場で袋を投げ返すヒト、とか(つまりはレジ袋はいらないという意思表示ができない)。何だか「環境保護してるんだから自分はものすごくエライ」とか言いたげなヒトが増えてるのもまた事実だったりします。
…こういうのはそれこそ20年とか30年とか前の「環境保護とか寝言こいてんじゃねえ」の裏返しなんではないかと。そういう時代時代の「流れ」があるのは当たり前なんですが、それに乗っている限り自分はエライ、そうでない奴はダメなやつだ…とそういう性質が非常に強いヒトってのが…まあ、いつの時代もいるもんではあるわけですけども。
特に日本人はそういうのが顕著なのかなあ…と思う時もあります。だから東京の人のアンケート結果も「意識はあるけど行動しない」になるんかなあ、と。もし誰か有名人とか著名人が率先してやったらみんなやるようになるんかなあ…とか思ってしまったりするわけです。
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05/13/2008
暑いのか寒いのか
年々地球の気温は上昇している…とされています。そういう気温関係てのは結構デリケートなもんですから、暑くなってしまうと何かと不都合が起きたりするもんではあります。…でも、そういう「温暖化」を逆手にとってビジネスチャンスとしてしまう企業もある(iza!)ようではあります。…人間てな、なかなかにしぶといもんでもあります…。
自分も植木をいくつか持ってるもんで…暑さに対しても色々とあったりします。
→サンパチェンス(サカタのタネ)
マンションなんですが窓が西に向いてます。てことは日中は日が差さず夕方になって直射日光が情け容赦もなく降り注ぐ、という…なかなかにややこしい環境。しかも夏の日中はエアコン使う関係もあって外のベランダは酷暑状態。…暑さに強いのならいいんですが、そうでもないのだと確実に枯れてしまいます…。
そこで完全に室内置きにしてしまってます。しかも耐陰性があったり日影を好むようなのばかり揃えて。たしかに見栄えはあんまし良くないんですが(日中の光量がどうしても足りないんでみんな窓の方へ窓の方へと伸びてしまう)ここまで色々やってるんでなんとしてでも最後まで付き合ってやろう…とか考えてます。あれこれいじるのは結構楽しいもんですし。
しかし…暑さと言えば逆にここんとこの寒さはどうにかならんもんなんでしょうか…3月の中旬とか下旬とかテレビの天気予報では言ってましたが。てことは…2ヶ月くらい逆戻りしてるってことですか。まあ、もう数日したら平年どおりになるんでは、ということですが。
やっぱり適正?な気温の方がいいのかな、とかそんなことを思ってしまったりしてます…。
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05/07/2008
あるいは一番手っ取り早い
かも。
子供に「読み聞かせ」ることで親子共に脳内が活性化(iza!)…読んで聞かせられてる子供の方だけではなく、読んでいる親側の脳も活性化しているのでは…とのことです。普通に読んでいるのではなく「相手」がいる、ということに違いが出てくるのかも知れません…。
あるいはこういう風に「読んで聞かせる」というのと「親が読んでる姿を見せる」というのが、子供が本を読むようになるには一番手っ取り早いんではないか…とか思ったりしてしまいますが。
いわゆる「活字離れ」が叫ばれて久しいわけですが。…この本はためになるからさあ読め、そんなくだらん本は読むな、オレは読んだことないけどこの本はいい本なんだ…とか、そんな風に無理に活字に触れさせよう、とするくらいなら定番モノでもいいから読んで聞かせてみたらどうか、ということではあります。さらに親もほとんど本読まないような環境で、子供が意欲的に活字を求めるか…と言えばそれはどうなんだろうか、と。
無理やり活字に触れさせてもそれが逆にマイナスに働くなら(学校の読書感想文がイヤで本嫌いになった、とか)それは意味ないんじゃないんでしょうか…。
自分の場合は読んで聞かせてもらってた記憶があります。でも親が本を読んでたか、と言うと…あんましその辺の記憶がなかったりして。基本的に本好きの人間てのは知らないうちにでも周囲に本が蓄積してくもんなんですが、そういう光景がなかったような。…でもこうやって活字に抵抗のないオトナになるこた、なってます。
まあ、万事が万事みな同じように進むわけではないんですけども。
しかし、子供に読み聞かせることで親の脳も活性化するのならそれはそれでまた別の効果も期待できそうではあります。いわゆる「脳トレ」系ゲームに通じるものもありますし。…でも一番の効用は記事中にもあるように「読み聞かせは親子の絆(きずな)をつくる」(「」内↑元記事より引用)ってことなのかも知れません。
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05/05/2008
やっぱりなんか違うような
最近多摩川で捨てられたペットと見られる「外来魚」を多数発見、生態系への影響も懸念(Yahoo!:産経)…少し前からその傾向があったんですが…最近また増えてきたようではあります。コトは首都圏の多摩川だけではなく。全国でもこういうことは起きていたりします…。
「最期まで面倒見ろ」
基本的にはコレしか言いようがないわけですが。ただ、一部で指摘されているような「売りたいがために十分な説明もせずに大型魚の幼魚を売りつける」ショップであるとか…あるいは↑記事にもあるように「ゲームフィッシュとして繁殖目的で放流を繰り返す」ちょっとアタマの変な釣り人とか。…そうなるとまた別の言い方が必要になってくるのかも知れません。
一応、と言うか。日本の河川や池や湖では熱帯系の魚は冬を越せない、とされてきました。
実際熱帯系の魚は気温が下がると一気に調子が悪くなって、死んでしまいます(日本と緯度の近い温帯系の魚は大丈夫なんですが…↑記事中のガーパイクやノーザンパイクとか)。それが一部の河川では生活排水や工業排水なんかで常時気温の高いスポットがある…という話になってきたのは数十年前からでしょうか。小型魚の繁殖が確認されたりもしたものではあります。
しかし。排水が規制されるようになったのか…しばらくはそういう話も聞かなかったんですが(実際はまだまだ生き残っているらしいんですけども)…ここんとこまた聞くようになってきました。それも大型魚ですかい…。
魚を飼う、というのはある程度の設備投資があればそれほど難しいものではありません。そりゃ、高いのは天井知らずでン百とかン千万とかしますけどそういうのはめったにお目にかかれません。大型魚を飼うのだってフツーに会える魚そのものはどんなに高くたって万単位の話で、大きな水槽と浄化装置を合わせたって…何十万、とはいかないのではないか、と。
…以前なんかで代議士が逮捕されて。その息子が熱帯魚マニアだったらしく「億単位を魚に使ってました」とか報道されてましたが…一体何に使ったんだろうかと当時不思議に思ったもんではあります。逆に現在ならそれくらいかかるかも、てのはありますが。輸入規制やら何やらで異常に値が張るのがいるのも事実ですし。
しかも問題は魚だけではなく。魚よりもさらに設備投資の安い「鳥」ですとか「哺乳類」なんかでも似たようなことが起きています。…今でもいるんかなー…多摩川のセキセイインコ群やワカケホンセイインコ群。元々集団で生活するタイプだとカラスや何かにも襲われにくく、繁殖しやすい種類だとあっという間に二世三世が生まれてしまう、という…。
ある意味では当たり前なのかも知れませんが…将来的には当たり前に要にそういう魚が泳ぎ、そういう鳥が飛んでるのかも知れませんが。…やっぱりなんか違うような気がしてます。土着の種を守るとか生態系が、とかそういうのではなく。こっちの勝手な都合で無理やり連れ回しているような、なんかそんな感じで。
…まあ、ペットなんてのはそもそもがそういうもんではあるんですが。
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04/30/2008
イヤなスパイラル
現在のようなバイオ燃料の急速な利用拡散は世界の食料問題に多大な影響を与えるだろう(Technobahn)…まあ、何を今さら感がめちゃくちゃ漂ってきますが。世界はもちろん日本でも様々な品が値上げの嵐の真っ最中ですが(ガソリンはまた事情が違いますけども)その大きな要因の一つ、とされているのが「バイオ燃料」になります。そもそもは環境にイイ、枯渇しつつある化石燃料を保護?できる…ということで各国で研究や開発が進んでいた「未来の燃料」だったのですが。
…何がどこでどう間違ったのかかえって高騰した挙句に色んなとこに影響を及ぼしまくる、という結果になってしまっています…。
前にもちょろっと述べたんですが。この「バイオ燃料」、原料はトウモロコシなどの農作物になります。
考え方の一つとして「植物は成長過程で二酸化炭素を吸収する。だから植物由来の燃料の二酸化炭素の放出量は差し引きゼロになる」というのがあります。…個人的にはなんだかちょっと怪しいなア、とか思っておるんですが。化石燃料だって太古の昔の生き物の残骸?なわけですし。その頃吸収した二酸化炭素を今排出してる…というわけにはいかんのかな、とか(実際はそうカンタンなものではなさそうなんですが)。
その辺は門外漢が個人的にちょっと思っただけ、なんですが…。
で、その「バイオ燃料」を作るために必要なトウモロコシが足りない→じゃあ別の作物の畑ツブしても作ろう→まだ足りない→トウモロコシの値段が上がる→もっと他の畑ツブそう→今度はその作物が足りなくなる…例えばコレで激減した作物にオレンジというものがあります。中南米辺りでオレンジからトウモロコシに鞍替えした農家が続出。そのため日本でもジュースを値上げ…それも他のオレンジではないジュースも値上げ、という結果になりました。
さらに拍車をかけたのがオーストラリアの干ばつでしょうか…小麦の値段の異様な高騰、というのはこっちの要因の方が強いのかも知れません。何せ今年だけの問題ではなくここ数年の問題になってきてる、とのことですし。
モノが少なくなればその値は上がります。そうすると皆がそのモノを生産しようとする。しかし諸事情あってそう簡単に生産できるもんではない(トウモロコシの場合土地がない、とか)じゃあ、どっか無理してでも作ろうじゃないか…と。
大抵の場合はモノが少なくて値段高騰→過剰生産で値が下がる、を繰り返すもんなんですが。今回の件はどうも長引きそうで…その辺がどうにも心配ではあります。乱暴なことを言えば一旦バイオ燃料生産を止めてみる、とか…しかし逆に言えばここまで発展してきてるのに水を差すようなまねは、ちょっと…とか。
まだまだ続きそうな値上げ攻勢ではあります。…でもなあ…もし何かでいきなり事態が好転したとしても…一度上げたもんを下げる、ってことはないんでしょうねえ…。
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04/06/2008
二つほど 4/06
今日はテクノロジー?関係で二つほど。
一つ目。目と耳が不自由な人たちのために「点字」で会話できる携帯、開発(Yahoo!:毎日)。これは「話す側」が数字キーを点字に見立てて押すと、「聞く側」に振動で伝わる、というもの。日本語版のモールス信号を伝達できる携帯、といったところでしょうか…。
目の不自由な人なら「通話」で、あるいは耳の不自由な人なら「メール」で…と携帯電話というのはそういう方面で役立っているところもあるんだそうで。しかし、目も耳も不自由な人たちはどちらも使えない。…それでもかのヘレン・ケラー同様「触覚」で意思を通じ合うことはできます。これもそういった分野では非常に役立っていきそうではあります。
ただ…写真見る限りではまだまだ小型化が必要なようで。それでも技術的には不可能ではないんではないか、と。ゆくゆくは携帯電話に標準装備…とまでいきますかどうか。
二つ目。甘利経産相が2012年までに全ての白熱灯を蛍光灯に入れ替えると表明(Yahoo!:毎日)。これは家庭内での「省エネ」に拍車をかける目的もあるもので、同時に国内での白熱灯の生産・販売も中止させる予定…と。ただし、別に強制力があるものではないようなのですが。…そう言えば以前オーストラリアで白熱灯が禁止される、ってな話を「あれこれ」で書いたような。たしか…あっちは2010年まででしたっけ。
ご周知の通り白熱灯より蛍光灯の方が消費電力も少なく、寿命も長いです。白熱灯から電球型蛍光灯への入れ替え、てのはあちこちで推奨されてます。しかし…まだまだ問題も多いのもまた事実。例えば値段。白熱灯なら100円ショップ行けば2コ買うことができたりしますが、電球型蛍光灯だとそうはいきません。1コ千円弱、とかそれくらいの値は普通です。さらに電球型蛍光灯は明るさを変えられる機器には使えない、とか、点灯してもすぐには明るくならない…とか。さらに構造が構造ですんで作る側もそれなりの設備が必要になってしまいます。
…まだちょっと早いかな、という気もしますが…使えるところは蛍光灯に換えてくださいね、くらいでも良かったんじゃないのかな、と。昨今の「環境ブーム」てのはなかなかに侮れないところがありますんで、無視はできないんですが…まだ、そう簡単にはいかないもんではないのかな…と思うのですが。
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04/03/2008
としょかんあれこれ
図書館。…近場にあれば行くのかも知れませんが…なかなか行かないなあ…。
一方で最近の図書館には変化が起きているんだそうでネットでの予約開始、ビジネス支援サービス開始、などなど…本を貸し出す場だけではなくなりつつある(iza!)んだそうであります。
…ただ…↑これは東京都は江東区の図書館のおハナシなわけで。地方へ行くと図書館を作るスペースも予算もないってんで「移動図書館」なるものが巡回してるとこもあったりしましたが…今でもやってるんだろうか、ああいうサービス。
自分は基本的に本を「借りる・貸す」という行為があんまり好きな方でない人でして。…これは学生時代、寮に入ってたんですが、ああいうとこだと勝手に本を持って行かれて勝手に売られる、なんてことが当たり前に起きてまして。多分当時持ってた本の半分近く、そういう末路を辿ってるはずなんで…その辺からか「厳選して新品や中古を買って完全に自分のモノにしてしまう」というスタイルに落ち着いてしまいました。だから友人や家族に「これ貨して」と言われると、相当に大事な、あるいはめったに手に入らないやつでない限りあげてしまってます。貸すことはほとんどありません。…言い方、ヘンですけどその方が後くされがないもんで…それに、その時に自分の手元から去って行ってしまっても、縁があるんならまたどこかでめぐり会えるでしょうし。
…そんなわけで「図書館で借りる」というのもなんだか抵抗があったりして。しかも自分、本を読む時…特に長編だところころ体勢を変えるクセがあります。座ったり寝転がったり。…そんなん、図書館でやったらヤバイっす…。
それでも図書館に行くとよくある「古い本の匂い」というのはたまらなく好きな方だったりします。この辺、どうにも矛盾?してるようなんですが…図書館、という場所は嫌いではないのです。ただ、「本を借りる」という行為がどうも…というだけなので。元々本は好きですし。
だから何かで、ふと、図書館行った時は並んでる背文字だけ、じー…っと眺めてます。面白そうなのはちらっと立ち読み。すぐ戻す。図書館内で読むことはまずないです。そりゃ、娯楽以外の例えば絶版の資料で、ここでしか読めない…とかなら話は別ですが。ちら見して、それで面白そうだったら余裕のある時に本屋行って買う、と。
…ある意味イヤな利用客だなあ(笑。
ところで…↑記事内では「日本は先進国と比べて図書館が少ない」という指摘がなされています。まあ、そういうのは簡単に比べられないんではないかい? とも思うのですが。
日本てのは実は結構大量に書籍を消費している国だと思っているのですが。マンガ雑誌だけではなく文庫本を電車内で読んでる若い人、というのは結構います。様々な本の発行部数だってそれなりにありますし。…別に書籍に親しんでいないわけでもないんですし、無理に図書館増やそうとしなくても…と。必要なら自然と増やしてくれ要求も増えていくんではないか、と。
そりゃ、大量の資料の蓄積とか、知識の宝庫としての図書館の役割てのは分かりますけど…外国と比べることなんかな、お国の事情てのはそれぞれなんじゃないのかな、と思ってしまったわけです。
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03/22/2008
ざいしつのへんか
とは言っても中身ではなく外側ですが。値上げもしましたけど…まだまだ根強い人気商品ではあります。
日清食品が「カップヌードル」の「カップ」の材質を従来のポリスチレン製から、より環境に配慮した紙製へ変更すると発表(Yahoo!:産経)。その紙製容器は「ECOカップ」と呼ばれ、さらに環境に優しいものなんだそうで。
→~発売37年目の大革新~「カップヌードル」、新開発容器「ECOカップ」へ
「地球のために」「みんなのために」「おいしさのために」
(For Ecology) (For Customer) (For Originality) (日清食品ニュースリリース)
そう言えば日清食品と言えばこういうのもありましたが。
→日清CUPNOODLE | カップヌードルリフィル
これは「マイカップ」とでも言うべき容器が入ってる「スターターパック」をまず買って、それから「詰め替え用」を買えばその後ごみとなるカップは出ない…というコンセプトになっています。当然ですが詰め替え用は普通のものよりも安かった記憶があります。
…記憶があります、てのはコレ買ったからで。元々袋めんは買ってもカップめんの類はあんまり買わない方で…まあ、話のタネと言うかどんなもんか一度見てみたくて買ったようなものでした。
モノとしては…「マイカップ」は底面にゴムが貼ってあったりしてなかなか重厚?なつくり。別途フタがついていてそれで蒸らすことになります。当時のCMでもやってましたが内側をひねれば外側(透明)と分離できるので、そのすきまへ規定の大きさの紙を入れれば本当の「マイカップ」の出来上がり…なんですが…食べた後に洗うとどうしてもそのすきまへ水が入ってしまいます。買った当初にはそこへオリジナル?の紙が入れてあったんですが、結局汚れて捨ててしまって最終的には地味な外見になって戸棚にしまってあります。
…なんだ、使ってないんかい、と思われそうですが。
なかなか詰め替え用が売ってないのが現状なわけで。当初はいくつかあったんですが…売り切れてしまうともう入荷しない状態。他の社はそういうことやらんようですし…。
まあ、そもそものコンセプトが「お湯さえあればどこでも食べられる」的なものだったのでしょうし。カップの材質が変化したのとリフィルが普及してないのはまた別問題だとは思うのですが。職場にリフィル用のマイカップが並んでてお昼には詰め替え用買ってきて食う、という風にはなかなかならないでしょうし。もしかしたら今後はそういうのが当たり前になるのかも知れませんが。
まだ当面は普通にカップヌードル買ってきて「なんか容器の手触り違うなあ」と思うくらいなんではないか、と。それでも企業努力というのはまだまだ見えないところでも続く、と…。
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03/14/2008
二つほど 3/14
学校?関連?で二つほど。
一つ目。今年は80回目の記念大会となる選抜高校野球大会、通称「春のセンバツ大会」の組み合わせが発表されました(Yahoo!:毎日)。開始は3/22で13日間の熱闘が期待されております。
各都道府県から代表が出る「夏の甲子園」とは違って地区ごとに「選抜」された36校が争うことになります。…それでもやはりこういうのは何か関係のあった…例えば昔住んでいたとか親とか親しい親戚の出身とか…そういうところについつい目が行ってしまうものではあります。
自分の場合ですと昔住んでた所のスポーツ校(常連と言えば常連)が出てたりとか、知り合いの息子さんが通っている学校が今住んでるところの代表になったり、とか…結構色々あったりするもんではあります。
二つ目。岐阜の公立高校入試で黒板に答えが(Yahoo!:毎日)…「ケッセキ」という漢字を書け、という問題で、ふと、目の前にある黒板を見たら「欠席○名」という文字が…と。
調べてみたら黒板だけではなく机にもそういう文字が書かれてたケースもあったんだとか。…公立高校の入試なんで各高校の教室がそのまま使われます。で、高校によっては出欠状況を黒板に書くところもあるんでこういう事態に繋がった、という…なんだかおバカな話ではあるんですが。
この問題に関しては全員を正解とするんだそうで。
…出題したヒトはついうっかりでこんなことしたんかなあ…でも、実際はこういうのって結構ありそうな気がしてるんですが。「セイリセイトン」を漢字で書け、って今月の標語は「整理整頓」て大きく書いてあるやん、とか…。
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03/11/2008
「ねーよ」とは言いませんが
政府は3/11、図書館のサイト開設率引き上げや読書環境の「地域間格差」を是正する…などの基本計画をまとめました(iza!)。
最近よく言われる「活字離れ」を防ごう、ということで例えば図書館のサイトをもっと増やすとか。あるいは公立図書館のない自治体に整備を促すとか…つまりは活字に触れる機会を増やそう、というのが目的なわけで。
…それ自体は別に取り立ててどう、ということではないとは思うんですが…。
乱暴かつ個人的な私見を吐くならば…図書館サイト増やすくらいなら本の価格下げるような公的支援でもやった方がまだいいんじゃないの? 安くなったらみんな買うさ…とかそんなことを考えてしまったりしますが…。
いわゆる「活字離れ」が進んでいる、てのは結構前から言われていることではあります。
本を読まない。字を見ない。よくあるのが「この一ヶ月で本を何冊読みましたか?」というアンケートでしょうか。で、結果は大抵が「○人の人が一ヶ月に一冊も読まず~」となって「本を読みましょう」となる。…自分が言うのもなんですけど…そんなに無理に読むべきもんなのかなあ、とか思ってしまっていたりします。
ゲームやアニメ至上主義というわけではないのですが。
以前にも書いたような気がしますけど…活字や動画、絵画や音楽てのはそれぞれで楽しみ方が違います。で、活字は「構成」を楽しむ媒体です。モノとしては文字しかない(挿絵がある場合もありますけど)んで、そこからあれやこれや想像したりして楽しむ。受け手が持ってる知識や知恵によって発展や展開が違ってくるのが特徴ではあります。
昔、子供の頃に読んだ童話を大人になってから引っ張り出してみると…えらく印象が違うなあ、こんな話だったっけ? となったりします。これは年月によって受け手が変化したからで…こういうのも楽しみ方の一つではあります。
一方でマンガやゲームなどは「直感」で楽しめます。…やってるこた、変わらんのですが。何らかの刺激を受けてそれを脳内で解釈してく、てのは一緒ですから。ただ、こっちは余計な脳内変換をそれほど必要としない場合も多く、見たものそのままをダイレクトに楽しめるようになってるんで活字ほどややこしくないのが特徴でもあります。
やっぱりそういう「直感」的な方がカンタンなんで皆、そっちへ行くわけで。それはまあ、当然だとは思いますし…活字が絶対、というわけでもないと思うんですが。文字を読む場合は自分の「構成」力がモノを言いますんで、そういう能力が身に着くことは身に着くんでは、と。ただ…こういう「楽しむこと」てのは「将来のため」とか「なんかの役に立つから」とか付加価値みたいなの付けていくと、本来の姿とは全然違う方向へ進みそうな気もしています。
娯楽なんて役に立たないのが当たり前なんじゃないのかなあ…結局はヒマツブシなんですし。
一昔前にはフツーの小説だって「これは大人が読むもの」みたいなくくりだってありましたし、これは自分の勝手な推測なんですけど文章を娯楽として読むなんて、なんて下品な…とかそういう風な時代もあったんじゃないのかな、とか。
今はあんまり地位?の高くない娯楽だってあと百年もすればその地位?が上がってるかも知れません。「昨今のゲーム離れを憂う」みたいな時代だって来るのかも知れないんですし。
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02/29/2008
ペットボトルをまた使う
環境省がペットボトルの「デポジット(預かり金)制」導入の方針を固める(Yahoo!:毎日)…これはどういうことかと言いますと…ペットボトル飲料を買う際:あらかじめいくらか上乗せした金額で買う→中身を飲む→ペットボトルを返却すると上乗せした金額分が返ってくる…という仕組み。金額的には大した額ではないのでしょうけど、捨てられるペットボトルも減るんではないか、ということで期待が集まっています。ドイツではすでに実施されているとのこと。
…ただ、当たり前ですがいくつか問題もあるわけで、「環境のため」というだけではなかなか浸透しそうにないのもまた事実ではあります。
まず…これも当たり前のことですがペットボトルの値段が上がります。後で返ってくるんならいいじゃないか、というわけにはいかないような。返すつもりなんかない人にとってはただの値上げにすぎなくなるわけですし。
そして、どこで回収・返金するのか。小売店に任すつもりならキチンとしたガイドラインが必要になります。しかも回収したペットボトルを再利用するためにメーカーに返す作業とか。そういう一種の物流整備めいたことまで必要になってきます。現行のリサイクルのラインをそのまま利用する、とかそういうわけにはいきませんし。あれはただ「回収」してるだけで「返金」なんざできません。
…一応今でもやってるこたやってるビンの換金。これが形態的には一番近いものになりそうなんですが…これを大規模に復活させて整備して…なんてできるんだろうか、とやや(かなり?)不安ではあります。
それから…今までのリサイクル事業はどうするんだ、と。実は国内で回収されたペットボトルが「輸出」もされてる、なんて話もありますが。デポジットがうまくいくようならリサイクル事業もかなり縮小されてしまうんでは、と思うのですが。
…個人的にはペットボトルてのはそのものを再利用するのは難しいんでは…と思ってます。↑記事中にもありますが現行の質では複数回使用というのは難しいということで研究会を立ち上げる、となってますけど…肉厚にして耐久性を上げる、というのもなんだかペットボトルの特性を殺しているような気がしますし。
リサイクルの更なる推進、というわけにはいかないんだろうか…と。そう強く思うわけです。
↑記事によれば全体の66%のペットボトルがリサイクルされている、とのこと。でも…66%なんでっせ…見方によってはようやくの半数越えにしか過ぎないわけで。もうちっとこっちに力入れてもいいんじゃないのかなあ…と。
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02/20/2008
ある種の温度差
みたいなものがあるとは思うのですが。
ロンドンのケン・リビングストン市長がボトル入り飲料水ではなく水道水を飲むよう主張(Yahoo!:ロイター)。水道代よりもボトル入りの水の方が安いのは明らかなわけで。たしかに環境への配慮やら何やらが出てくると「たしかに」となってしまうのですが。
元々日本てのは水資源が豊富、と言われていて「水を買う」なんてあり得ない、とされてました。が…海外へ行くとこれはまた事情が違ってくるわけで。欧米では当たり前に「水を買って」ます。これは水質の問題なんかもあってある意味当然ではあります。個人的には安心できるから買ってるんじゃないのかな、と思ってたりして。欧米、と言っても様々な地域があって特性も様々。水が合う、合わないで困るくらいなら最初から品質一定なものを買った方がいい、とかそういうことなんじゃ…と。
…日本ほど「水」と「安全」が簡単に手に入る国はない、とかそんな感じのフレーズもあったりしたような。
当たり前に「水を買う」ところから日本へそういう習慣が輸入されてきたわけで、今ではスーパーやコンビニなどではかなりの数、水が売られてます。当初は「売れるわけがない」と反対ばかりだった…とかそんな話も。もちろんただ置いただけでは売れるわけはないので、営業努力とかテレビ番組の力とかもあるわけですが、それはそれでアリなんでは、と思ってます。
ただ、日本では「そんなもんだろ」と思われててもイギリスでは違うのかなあ…とか。向こうの水道水事情てのはよくは分からんのですが日本とはまた違った事情があるんでは、と。ただ…なんでリビングストン市長はそこまでボトル入りの水を嫌うんかな、と若干疑問ではありますが(水道関連と関係がある、と記事には書いてありましたが)。
自分は時々買うんです、水。ヘンな味もついてませんし(水だから当たり前かも)。タバコやめた直後に味覚と嗅覚がいきなり鋭くなって、その頃に飲んだ水の美味さ、というのがどうにも忘れられない、というのもあったりしますが。あー…あれは美味かったなあ…。なんか、それまでの自分がえらい損をしていたような気分になった記憶があります。
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01/26/2008
その課外?授業?
東京都杉並区の和田中学校で、希望生徒を対象にした塾講師による夜間の講義「夜スペシャル」(有料)がついに始まりました(Yahoo!:毎日)…まあ、今回は土曜ということで昼間にやったようですが。
当初の開始予定日だった1/9のほんの二日前に都教委から「ちょっと待て」とストップがかかり、公的な学校でンなことしていいんかい、いや、最近の生徒の学力低下なんかを考えたらこういうのもええんやないかい…と各方面で物議をかもしておりました。
ええと…どんなもんなんでしょうかね、こういうのは。
舞台が公立中学ということで、これがもし私立の中学で塾講師を招いての特別講義を別料金でやりますよ…てなことだったら別に問題にはなってなかった…のかどうか。公立の、皆に均等に教育の機会を与えるべき立場だから問題になった…んだろうか。
「こういうことが続くと生徒が学校の教師と塾講師のどちらを信用していいのか、分からなくなるのでは…」
生活全般に関係する「学校教師」と学力指導オンリーの「塾講師」の立場の違いからそういう声も出ているようですが。…そこまで来ると一種の勘ぐりすぎ?のような気もしますが。親も含めて気に入られれば、あるいは尊敬されれば信用は勝手についてくるんでは、と。
個人的には「別にいいんでない?」てなとこなんですが…これはやっぱり子供持ってない独身だからかなあ、という気もします。「夜スペ」の費用は普通の塾費用より安いんだそうで。さらに地域によってはもっと安価で塾の講義が受けられる制度てのもあるんだそうで。…塾の方だって少子化やら何やらで大変なわけで。生き残りをかけて色々やってるもんではあります。
安く質のいい講義が受けられるんならそれに越したことはない…。
んが、場所が「学校」だってのがネックですか。小中学校の義務教育期間中てのは基本全てが無料になってます。そんな中に「有料」の講義を持ち込んでいいのか、と。その辺の話が出てくると「別にいいんでは」と簡単には言えなくなるような。コトは学校の本質にまで絡んできそうではあります。
ただ、学力とかそういう面から言えばどんどんやった方が良いんでは、と思いますが。「学校の勉強もだけど、塾の受験用の勉強なんて生きてく上では何の役にも立たねーよ」とか言われそうですが…学んだり知ったり触れたりすることにはそもそも意味なんかないわけで。あんなものはただの「材料」に過ぎんのですから、そのままでは何の役にも立たなくて当然ではあります。
将来、自分で「生きる」ことを組み立てていく時に必要な「材料」。たくさんあった方が選択肢の幅も増えるってもんですし、何よりも大きくなんではないか、と。…まあ、こういうのは子供に限った話でもないんですが。
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01/13/2008
頑張る高校生
高校生ネタ?を二つほど。
一つ目。兵庫県立播磨農業高校で「アレルギーでも大丈夫」な卵を生産中(Yahoo!:産経)…現在、その数が増えつつある、とされているアレルギー患者。乳幼児に多く見られますが成人でもゼロ、というわけではありません。その中には「卵アレルギー」というのも存在します。
キライとかそういう問題ではなく…食品の一部、ほんの数グラムでも混じっていれば発症することもあります。最近になって食品の成分を表示するようになってきましたが、前にその食材を扱った器具の洗浄が不十分で発症…というケースもあり注意が必要なものではあります。…命にかかわる場合もあったりします…。
そんな中での「卵アレルギーでも大丈夫な卵」、これはアレルギーの元となる物質を取り除いた卵…ではなくアレルギー症状を抑える効果のある物質をたくさん含んだ卵、ということなんだそうで。…それでも今まで食べられなかったものを食べられるというのはなかなかにスゴイことだと思うのですが。
二つ目。宮城県立石巻工業高校でホヤの殻からスピーカー素材などを開発(iza!)…こちらは海産物の「ホヤ」の殻から新素材、というお話です。
ホヤというのは馴染みがない方は見た目からかなり引いてしまう食材なんですが…馴染みある方にはとても喜ばれる食材ではあります。自分は…お恥ずかしながら食ったことはないんですが。美味いらしいんですが…。
当然食べるのはその中身なわけで。その殻は捨ててしまいます。…↑記事によるとやはり産業廃棄物扱いになるようなんですが、そうなると捨てるのに費用がかかります。で、こっそり海に投棄してしまうケースが後を絶たない…。
エチゼンクラゲの肥料利用とかもそうなんですが、何かこうやって役立つモンになれば状況も変わってくるんでは、と思うのですが。いきなり全部は無理でも少しずつでも役立てていって欲しいものではあります。