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03/29/2021

そりゃどこでも

価値の分かる人が適正に引き取ってくれればそれに越したことはないんですが。
オタクの老後・・・コレクターの死後にコレクションはどうなる?(Yahoo!:ねとらぼ) そういう感覚の中での「生前見積」というのはたしかに一つの手ではあるのですが・・・これは一つのジャンルでのお話、ということになりそうで。
場合によってはホントウに他人から見たらガラクタ、でも当人にとってはホントウにお宝、という場合も多々あるわけであります。そしてそういうモノの場合、当人がこの世から去れば本当にただのガラクタになって捨てられてこの世からも消えてしまうことになります。

それでいいじゃん、あんなガラクタ・・・という意見も当然にありますが。モノの価値というのはその時点での「金銭交換価値」にとどまるものではなく。個人個人にとってはもちろん、社会的にも時間や状況の変化によってどんどん変わっていくものであります。
もちろんただのガラクタが本当にただのガラクタで、どんなに時間が経って世の中が変わっても結局ガラクタ、というのもよくある話なので、一概に長いこと集めていたからこりゃお宝に間違いない、なんてのは・・・言えない話ではあります。
しかし当人にとってはホントウにお宝なのであります。それが死後にどうなってしまうのか・・・というのは非常に気になる話なのであります。

ある程度の骨董、とかそういうことになると有志が集まってなんとかしたりするものであります。焼き物とか絵画とか。しかし最近の「趣味物」となるとそういうのはあまりありません。ほとんどの場合「ゴミ」として捨てられるか・・・二束三文で買い叩かれることになります。
恐らくは今後かなりの年月が経てば「骨董品」としての地位を確立できるのかも知れんのですが・・・そこまではまだまだ至れないのが実情ではあります。・・・そこで↑のような「生前見積」というのは非常にありがたい話なのですが・・・。

他のもっとニッチなジャンルでもそういうの、ないだろうかなあ・・・と。例えば現在の若手陶芸家の作品、とか。陶芸関連はどうしても年齢喰った大家の作品ばかりがもてはやされてしまうので・・・大きな時間を経ているジャンルはそんなもんですが・・・そこにそういった「風」が出てこないかな、とかそんなことも思うのですが。

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03/23/2021

ワニの話

・・・そっちではなく。
日本に「野生のワニ」はいた? 古事記に登場するワニがサメとは言い切れない理由(Yahoo!)。実際、歴史や歴史書なんてのは長い時間のうちにどんどん変化していったものの慣れの果て、みたいなもんで事実としての記載がどこまであるか、どこまで正確に伝わっているか・・・というのはよく分かってないというのが当たり前だったりします。
すでに現代でも戦前や昭和初期の頃の話、なんてのはどっかで色々な「色眼鏡」がかかってきたりしています。当時を生きていた方々がまだ存命だ、というのにも関わらず、です。口伝えはもちろん筆記されたものでも「100%客観的なモノ」というのはほぼあり得ないので・・・そこから生じる「人的ズレ」はどんどん積み重なっていくことになり・・・近い未来?にはまた違った印象の時代になっているかも知れません・・・今のこの令和の世も。

そんな中で「ワニ」と言えば昔話では「ワニ=サメ」とされ↑因幡の白兎のワニもサメだ、ということになっています(ややこしい?ことにシロワニというサメも存在)。一つにはこれは海の話なので「海にワニはいないだろう」という先入観もあるかも知れません。
・・・が、↑記事もあるように世界でも最大クラスとなるイリエワニなんかになると平気で海で生きていたりします。この手の連中が実は日本のどっかにいて、それがウサギを襲ったんでは・・・という見方もできなくはなかったりします。
あるいは↑「ワニ」というのは豪族のことであって、直接の名出しを避けて動物、ということにした・・・という話もあったりします。これはスサノオノミコトが退治したヤマタノオロチもそういった豪族の集合体だったのではないか・・・と、それに類した話もあったりします。

それともそれとも。実は古事記の頃には日本に正真正銘の「ワニ」が存在していたのではないか・・・と、そういう話もないわけではなかったりします。漂着したイリエワニやその類が少しの間でも存在していたのでは・・・とか。あるいは古来からのワニの生き残りがいたのでは・・・とか。
実際にはどうだったか分からんわけで。古事記と言っても全てがその当時に書かれたモノ、というわけではなく。どこかでワニのことを知った人物が書き加えてしまった創作である、という可能性もまだまだあるわけでありますし・・・その辺は分からんわけですが、それはそれでその「分からん」ことが楽しいのでは・・・とか思ってしまうのですが・・・。

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03/18/2021

40年くらい前だったら

「科学のすばらしい発展」「ヒトの技術もついにここまで」とか称賛っぽい反応が多かった・・・かも?
月面に「ノアの方舟」建設を(Yahoo!:CNN)・・・地球滅亡に備えて670万種の生命を保管。記事中にもありますが、北欧の方に約100万種の「タネ」を大事に保管しているしている施設はすでにあります。が、こちらは動物をも含めた670万種を保管、それも月面に・・・ということでかなり大きなプロジェクトということになりそうではあります。
当たり前ですが「植物のみ」と「動植物両方」とでは保管方法がかなり違ってきます。言うまでもなく後者の方が手間も費用もケタが大分違ってきてしまいます。

そもそも「月面」という時点でかなりハードルが上がるわけで。・・・仮に全部無人で月に探査機から物資運搬用機から何から全部運び込んで作業、というのは字面ではカンタンですがまだまだ技術的にはこれも相当に困難な話ではあります。
じゃあ、有人で・・・となるとハードルはさらにとめどもなく上がっていきます。
サンプルがどう、という前に月面開発から始めないといけないわけで、そっちの方が大変なんではないか、と。

さらに↑記事コメントに多い「いや、別にそこまでしなくても」的な意見であります。
ホントに少し(とは言っても数十年単位)前なら結構皆に受け入れられていたのかも・・・特に日本では・・・と思うのですが。しかしここんとこの情勢ではどうにもあまり良い目では見られてないような。・・・環境問題への取り組みとかそういうのもありますが、どっちかと言うと皆、現状にかなりのリソース喰われてて未来への展望へ回す余力がないんでは・・・とか。
先にそっちの方、世論をどうにかしないといけないんではないか、そういう科学的技術的な課題よりも前にやっとかないといけないことの方が多いような気がしますが・・・?

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03/15/2021

一つの文化

「ストリートファイター」シリーズ人気ランキング発表!(Yahoo!:ねとらぼ) いや、まあ・・・たしかに1位は「II」しかないだろ、とは思いますが。・・・しかしこれも(もし可能ならば)あと10年、20年と時間が経っていくとまた違う結果となるかも知れんのですが。

初代「ストII」がアーケードに登場したのは1991年。今年からちょうど30年前、ということになります。
30年といえばこれはかなりな年月であります。この年に生まれた人は今は30歳。社会の中枢を担いつつある世代となり・・・さらには次世代を育てていく世代ともなっていってます。・・・ということはこの世代はまだ初代を知らん、ということでもあります。アーケード、そしてそこから続くスーファミをプレイしていたのはもっと上の世代、ということになるからであります。
・・・自分なんか色々あってスーファミから入ったクチですが・・・世代的にはアーケードから、なのかなあ・・・。
当時は「同キャラ対戦」ができず(だから同性能のリュウ・ケンが存在)四天王はあくまでもボスキャラだった、というのも語り草ではあります。色々な意味でも先駆者ではありました。

↑記事コメントにもありますが。「II」があるということは「I」があった、ということで・・・その前に「ストリートファイター」というアーケードゲームが存在していました。これは↑コメントにもある通り「ボタンを押す強さによって強弱が決まる」という格闘ゲーム?で必殺技?もあったような。ただしこれが出れば即勝利、みたいなもので・・・今ほどの駆け引きの要素はあまりなかったような(対人対戦もできませんし)。
・・・なお、筐体がかなり特殊なため(ボタンを強弱で~ということでみんな力任せにぶっ叩くので壊れやすい)完品は今ではほとんど存在してないんでは、と。自分も大阪かどっかでン十年前に一回だけ見たことがあった、とかそんなもんですし。
しかしこれを大幅リニューアルして30年続くビッグタイトルにしてきたのが「II」なわけであります。

そして今後、ということになるわけであります。
今の40代から50代という「II」に懐古趣味を持つ連中から次は「III」以降の「アーケード+家庭用」で馴染んできた世代へ、そしてその次の「オンライン」中心の世代へ、と支持層が変わっていくわけであります。・・・そして今度はその「次」があるはずで・・・そこはどんな世界なんだろうか、と。
ただ、まあ、その場に「リュウ」がいてくれて「俺より強い奴に~」とやってくれるのならばどんな場でもいいんじゃないか、と・・・最近あーいう反射神経酷使するゲームはちょっとなあ、とかため息つく年よりはそんなこと思うのであります。

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03/12/2021

結局変わらん?

姿消すテレビの長寿番組・・・視聴者の若返り期待(Yahoo!:産経)。・・・いや、まあ、「期待」も何もないもんじゃないか、とか個人的には思ってしまいますが。そもそもエンターテイメントで「これでないとダメだ」的な発想が見え隠れし始めるとロクなことがないような。
ちょっと話としてはズレますが。これは別にエンドコンテンツというわけではないんですが・・・例えば昭和初期の頃の落語家だと「ナントカ(大御所)でないとダメ。カントカ(やはり大御所)? ダメだよそんなの聴いていちゃ」というような風潮があったとか。・・・これは別に落語に限った話ではなく。実は今でも似たような状況はそこかしこで再現されていたりします。
テレビも同様であります。テレビでないとダメ、なんてな古い話をいつまで引きずるんだろうか、と・・・。

そもそもテレビだって映画から顧客?を奪ってここまで来たわけで。
その映画は地道に今まで集客しよう、集客しよう、とやってきています。・・・もちろんこっちも隆盛というわけではなく。それでもここんとこはホント色々やってるな観が強いような気がしています。一方でテレビは・・・となると。
色んなことを雑多にできるウリのエンターテイメントが、判を押したようなコンテンツばかり放出しちゃあなあ・・・と。
もちろんネットも同様の方式であります。が、そこにはいくつかの「違い」があって、そこから優位性を・・・映画が「テレビにはできないこと」を重ねてきているような・・・そういうもんを掘り起こしていけばいいんでは、とかそういうことを思ってしまうわけです。

・・・長寿番組を終わらせてテコ入れ、というのはたしかに一つの方法ですが。じゃあ、その「次」はどうするんだろう、と。結局は同じような番組を出演者の年齢層下げただけで再開、というのなら結局は変わらんわけで。
年齢がどう、という話ではなく。時代の流れがどうなのか・・・と、そっちの方を変革していく必要があるのは、まあ・・・どこの業界でも一緒ですか・・・。

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03/10/2021

意外とありそうでなさそうな

ヒトだって部分的には再生できますが・・・。
ウミウシの一種、自切後に頭から胴体を再生(Yahoo!:時事)。通常?の「アタマと胴体を分離」の場合だと胴体の方からアタマが生えてくる、ということが多いのですが・・・こちらはアタマから臓器を含む胴体丸ごと再生した・・・と。これがプラナリアのような再生力の強い連中だと、胴体の方からもアタマが生えてきてしまうのですが。このウミウシはそこまではいかず胴体からアタマが生えてくることはなかった、とのことであります。
ファンタジー物などでよくある「多頭性モンスター」の定番である「首切り落としてもまた生えてくる」の逆、という風にも言えますか・・・何せこの手の連中への対処法は「切り落としたアタマからは再生しない」が前提になっていることが多いものですし。

ただ、↑この話には少し特殊?な事情があったりします。
例えばトカゲも尻尾を自分で切って再生します。が、これはさすがに「尻尾」どまりで・・・胴体を切ってしまえば死んでしまいます。あるいはヤモリの類だと手足を再生できるケースもあったりします。が・・・こちらもいくら何でも臓器を含む胴体丸ごと再生したりはできません。
構造の単純な・・・と言うとなんか語弊がありますが・・・プラナリアやゴカイといった連中は結構タフ?な再生できるのですが、これが少し複雑な部位になると再生が難しくなる、ということがままあるということであります。
・・・ヒトだってケガした部分は再生できますが、大ケガしたら無理であります。しかし↑このウミウシは明らかに複雑そうな部位すらも再生してしまった・・・という辺りが特殊?ということであります。

恐らくは自分で切ったら100%再生できる、というものではなさそうではあります。最終手段みたいなものかも知れません。
こうなるといずれはこの技術をヒトにも・・・とかそういう論調になってきそうですが。考えてみれば幹細胞からの再生医療というのはすでに始まって進んできている分野であります。やはり近いうちには・・・ということにはなるかも、ですが・・・?

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03/08/2021

向き不向きがある

こういう「ブロック」もいつかは破られるもんではあるのですが。
ツイッター創設者の「最初のツイート」競売に2億円を超える入札(Yahoo!:AFP=JIJI)。創始者、と言ってもただのツイートなわけですからいずれはネットの海に埋もれてしまってしかも誰がツイートしたかも分からんようなものになるんでは・・・と思いがちですが。
この「ブロックチェーン技術」というのはそういう安易?なものではなく。複製などを限りなく防御できるクラウド・・・のようなものなんだそうであります。ここに保存してしまえば他からは手出しできなくなる・・・と。
そこへツイッター創業者のツイートも、そしてそれへの「価値」は2億円以上、という記事なわけでありますが。・・・しかしそれもいつかは破られるもんではないのかな・・・とか。とかく「確実に守れます」という文言がここまでアテにならない世界もないもんであります。

コトは結構単純であります。・・・誰でも見ることができて、誰にも複製されない技術が欲しい。

実は人類はすでにこの技術を獲得しています。個人の「筆跡」「筆致」「描き方」「作成方法」などなどの確立。いわば個人の「クセ」を鑑定することによってその人が描いたり書いたりしたモノだ・・・という技術。これは骨董業界だけではなく、個人の「自分の創作」を表せる場ならどこでも適応される方式、だったのですが。
PC等によるデジタル技術の躍進により、敷居が大きく下がった(シロウトでも発表の場がずずんと増えた)代わりにコピーが粗製濫造されるようになりました。これはすでに国際的にも色々な場で議論が重ねれらて規制へ進みつつあります。

が・・・そこへ一石「ブロックチェーン」ですか・・・。
いずれはこれも破られてさいまうのだろうなあ、と。・・・いや、デジタル関連の方向性とは全く合わんわけで。唯一無二の創作物を残そう、と思ったらそっちではなく手書きのアナログで残すしかない、と個人的には思ってます。向き不向き・・・というコトバだけでは片付けられませんが、デジタルにはデジタルの、アナログにはアナログの主戦場があるわけで。
・・・君はここじゃないだろ、と。それぞれに合った方式を選んでいくのが最適解なんではないか・・・と。

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03/07/2021

夢の中へ

夢の中と交信できるかも(Yahoo!:GIZMODE)・・・そっちの意味で「夢」のような話ですが、ここで言う「夢」とは「明晰夢」のことであります。
カンタンに言えば「あ、コレ夢だ」と自覚できている夢、ということであります。
そんな中で外からの問いかけに反応できないだろうか・・・という試みなわけです。そのためには一般人の場合は一定の訓練を受ける必要があり・・・フツーの人が見ている夢の中へ・・・と、そこまではまだ、ということのようであります。

古今東西を問わずヒトの文字通り夢想を駆り立ててきた存在でもあります・・・夢。
ヒトは寝ると必ず夢を見ている、という説もあります。これは身体を休めているその間に脳がその日のうちの出来事を整理しているからだ・・・という話ですが、これもまた確証はありません。昔々から夢とはナゾの存在でありました。
例えば↑「明晰夢」ですが・・・自分は一度も見た記憶がありません。いや、夢は結構見ているのですが、そのほとんどを覚えておらず。覚えていても断片的に「ナニカの名前」とか「なんかのブツ」とかそんなもんばかりであります。
あるいはよく言われれていたのが「見る夢に色が着いているかどうか」ですが・・・これも覚えていません。自分にとって夢とは正に雲をつかむがごとくの「夢」であって・・・それの中へ、とか反応する、とか、と言うのは・・・一体どんなことになるのだろう、とかそんな風にも思ってしまいます。

将来的には無意識下の意識、と言うか・・・そのヒトが本当に抱え込んでいるモノに触れる、とかそういう病理的な方向へ進むかも知れんのですが・・・自分としては↑記事のコメントにもあるような「夢を見ている人と会話してはいけない」という・・・なんか、そっちの、ホントウは触れるのに細心の注意が必要な分野なんではないか・・・とかそんなことも思うのですが・・・。

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03/03/2021

必ずウラがある

「お金配り」普通の会社員も(Yahoo!:朝日新聞)・・・ウマイ話には必ずウラ、と言うか何らかの事情があるものであります。純粋に困っている人を助けたい、という方もおいでかと思われますが・・・大抵の場合はあまりよろしくない結果になりそうな。
むしろ某社長みたいに「ビジネスですから」的に割り切ってしまってる方がマシ、ということかも。

ネット上での「お金配ります」を、そのままリアルに置き換えてみたら・・・結構スゴイ光景になります。
繁華街とかショッピングセンターなどの人の集まる場で
「お金配ってます、さあ、どうぞ」
と直接現金手渡しやってたら・・・一体どれだけの人が何の遠慮もなくもらえるだろうか、と(国民性的なとこもあるかも、ですが)。
ついでに
「ココに名前と住所とメアド書いてくれたらさらに額アップです~」
とやってたりしたら・・・さらに皆不気味に思って近寄らなくなるか、と。

しかしネット上ではあまり気にすることもなく「お小遣い稼ぎ」的にやってることもあるかと。ただ・・・ホントにそんな聖人のような人、というのはほとんどいないと思った方がいい、というのはリアルと変わらんわけで。
一方的に「得する」なんてのはまずあり得ないのですが・・・しかしそう思ってはいてもついつい術中にハマってしまう、そんな人が多いのも事実であります。気を付けたいところであります。

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03/01/2021

なんか動くもの

「車輪もの」の魔力・・・子供が電車にハマる、これだけの理由(Yahoo!:withnews)。・・・どっちかと言うと子供は「なんか動くもの」に反応しているような気がします。そしてそこから「大きい」「小さい」に発展していく・・・ような。
自分はそっち系の専門家でも何でもないんですが・・・まあ・・・なんとなくそうかなあ、と。

例えば自分は「生き物好き」「列車好き」ですが、そもそもは「生き物好き」でした。親父が釣ってくる魚から、身近で目にしていたバッタやコオロギ、飼っていたジュウシマツなどなど。もう数十年経った今の記憶の中ではそういった「生き物」への興味が先に立ってきています。
が、どこから「列車好き」になったか、と言えばこれは兄貴の影響であります。
兄は今でもかなりの鉄道好きで・・・それはガキの頃から変わらず。その影響を受けて自分も列車好きになった、という経緯?があったりします。・・・こうなるとなんだか「回るもの」というより自分の場合は「なんか動くもの」に興味持つようになったんかなー・・・とかそんなことも思ったりします。

三つ子の魂なんとやら、とは言いますが。・・・実際に結構年喰った先までもあの頃の思い出、というのは先々にまで影響してくるものであります。
自分の場合はそこから「文字」に触れたことでしょうか。親が「ナントカ全集」という47冊(ホントは52冊あるらしい)の世界や日本の名作を集めた全集をどこからか買ってきて・・・しかし両親は共に全然読まず・・・これを全部読破したのはいつだったか・・・小学生低学年の頃でしたでしょうか。
そこから今度は「ドルトル先生」これは47冊の中にもあったのですが、岩波の井伏鱒二訳に触れ・・・シートン・ファーブルに触れ・・・北杜夫へ、と。
ただ、その後中学になると今度は歴史小説(ご多聞に漏れず司馬に染まる)のは、まあ・・・これも親の影響かも知れませんが・・・。
動くものから文字へと気が移っていた、まあ、そんなもんでありました。

結局色んなもんに移り変わっていくものではあります。その中でこれはダメ、あれは良くない、と親が決めつけるのだけはやめて頂きたいなあ、と。・・・うちもそうでしたから。まあ、学校の勉強はしろ、といい家庭ではありましたが・・・。

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