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11/10/2020
そこら辺が違う?
「宿なし」ヤドカリを助けて! タイ国立公園が貝殻寄付呼びかけ(Yahoo!:AFP=時事)。日本の感覚からすると「?」になりそうな話ではあります。自然下で増えたヤドカリを助けるために貝殻を寄付してくれ、というのは・・・なんか違うんじゃないのか、と。
それが観光客の激減によるものだとしても・・・。
いや、そもそも観光客が減ったこととヤドカリが増えたことのどこに関係があるんだろう、とか。例えば観光客がヤドカリの居場所に立ち入っていたのが、その数が減ったことで生息域が安定して増えた、ということなのかそれとも・・・。
この辺の検証も必要かと思われますが・・・さて。
ヤドカリの「救済」には一つにはタイが仏教国だ、というのも関係しているのかも知れません。
自分以外を助けて功徳を積む、という考えは仏教にとどまらずイスラム教やキリスト教もあったりします。例えば中東のバサールに使われる大きな建物が今でも残っています。これは昔のイスラム教の豪商の「喜捨」によって建てられたものだとか。あるいはキリスト教の教会による貧者への「施し」はどこの地域でも見られるものであります。
仏教の場合は対象が「他の生き物」となることもあります。・・・昔の東京ではなく江戸の頃には池に亀を放す「放生会(ほうじょうえ)」というしきたり?があり、池に放す用の亀などが売られていたりしていました。歌川広重の「名所江戸百景 深川万年橋」はこういった放生会を描いた、とされています。
今の日本ではこの習慣はほとんど残っていませんが・・・タイなどでは今でも「放す用の生き物」を売っているんだそうであります。いくばくかを支払って放すことで己の功徳を積むのであります。
・・・タイのヤドカリ救済もそういった思想の上に成り立っているのかどうか、その辺はちょっと分かりませんが。少なくともその辺の「違い」は存在しているようであります。
10:46 PM | 固定リンク