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08/06/2020
やっぱりさびしいけれど
仕方ないっちゃあ、仕方ない。
瓶のキリンレモンが生産終了へ(Yahoo!:ねとらぼ)。もちろんペットボトルでの販売は継続なので「キリンレモン」自体が無くなるわけではないのですが・・・。
まあ・・・仕方ないっちゃあ、仕方ない。そういう話であります。
ガキの頃に父方の祖母(祖父は自分が生まれたくらいに他界)の家に行くと・・・必ず瓶でキリンレモンがありました。ブルートレインで近くまで行って、そして列車で少々。ガキでも疲れるものであります。で・・・着いたら暑いせいもあって眠ってしまいます。
「おめざに、どうかね?」
そんな言葉だったと思います。瓶のキリンレモンに甘いお菓子。そして・・・今は亡き祖母と叔母の笑顔に・・・クマゼミの大合唱。庭には大きな水盤があってそこに「何年いるんだかねえ?」という巨大な金魚。夜には親せきが集まって宴会・・・自分やいとこらはジュース・・・そして夜に眠る床の間にはどこか怖い虎の掛け軸と、そして幼い女の子とりりしい男性の白黒写真。
後で知ったのですが、女の子は幼くして亡くなった父の姉たちと・・・そして出征して死んだ父の兄、でした。あのおどろおどろしかった虎の掛け軸は・・・何だったんだろう、今はもうその家も取り壊しになってなんもかんも分からんのですが。
それが全部「瓶のキリンレモン」に繋がっていたような気もします。「木」という存在・・・木の扉に木の床板。そういったもの・・・縁側から繋がる庭の水盤からのクマゼミの声・・・とかそういうものまで。瓶から注いだコップで飲んだアレから始まって、その後に脳に入り込んできたもので全部が繋がって、記憶の奥底に折り重なってきている、そんな気がします。
まあ・・・思い出であります。今はもう、どうしようもない思い出。時々キリンレモンをペットボトルでも今でも飲んでみたりするのですが・・・あの頃のような興奮を覚えることはありません。
ただこういうもんはヒトの人生に少なからず影響を与えるもんであります。・・・あの日、瓶から注がれた透明な泡。そして・・・夏の祖母の家。あれは・・・もう見ることは絶対叶わないけれど、自分の中では今でも唯一無二の最高の一瞬であります。
12:31 AM | 固定リンク