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05/31/2020

伝説なんてそんなもん

伝承とか昔話とか・・・ニンゲンの語り継ぐもんなんてそんなもんだと思うのですが。
アマビエブームで見逃されたこと、民俗学者がつづる「物言う魚」(Yahoo!:withnrews)・・・実際にはこの「物言う魚」アマビエは疫病の象徴ではなかったのか、という論調であります。実際、このアマビエは画としては一点しか現代には流布しておらずその但し書き?には「疫病が流行るからこの姿を護符にせよ」というだけで「我が姿を護符にすればその疫病を防げる」とは明記していません(そもそも「アマビエ」という名も「アマビコ」「アマエビ」の誤表記という説もあり)。
じゃあ、そんなもん意味もないのではないか、外見上?が良かったコレが流行ったのではないか、という話なのですが・・・。

いや、まあ・・・そんなもんでしょ。

人間一人の記憶にしたって曖昧なもんであります。それをネタに扱うテレビ番組があるくらいで・・・いやしかし実際のとこ、今から30年40年も前の頃のことを事細かに語ってみろ、と迫られて・・・当時のこと100%完璧に語れる人間が果たして実在するのかどうか。
30年どころではありません。20年・・・いや10年前でも。「あの時あんたこう言ってこうやったよな?」と言われて完全に再現できるのか、と言えば・・・アヤシイもんであります。・・・もちろんそこに「あ、アレはヤバかったからごまかそう」という意識はない。とは言い切れません。しかしそれも含めて。ニンゲンの記憶、そしてそこから紡ぎ出される伝承なんか曖昧極まりないもんなのであります。
だから後世の歴史家は複数の記録を求めます。文字に残された記録。第三者とされる記録。が、そういうのも限界があって、時間が経てば経つほど記録数に限りが出てきてよく分からん状態に陥っていきます。
だから歴史なんてのはどこからどこまで「事実」か、なんて考えるのはある意味無意味であります。タイムマシンでも開発されて、その目で直に歴史上の現場を「視た」としてもその「視た」ニンゲンによってその「事実」はそのニンゲンの「真実」となって他へ伝聞されて・・・広がっていくかと。

結局100%の「事実」なんてな伝わりようがない・・・どこかに主観的要素が入って、そしてそこへ後の世の主観がさらに入り込んで、入り込んで、入り込んで・・・全く違う要素になっている可能性もあります。
例えば今のコロナ禍だって後世になっては「どこかの国の陰謀で~」とか「海中から現れた妖怪が~」とかそういうことになってるかも知れません。伝説伝承なんてのはそんなもんであります。時勢や状況、国内の状態や国民情勢によって・・・生かされたり殺されたり。都合のいいものだけが残るわけでもなく、そうでもないもんでもキッカケや縁によって思わぬ変化を遂げたり。
まあ・・・そんなもんだと思うのですが。

12:11 AM | 固定リンク