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11/19/2019

もういいよ、そういうの

紅白AIひばりさんの次は「AI裕次郎」?(Yahoo!:東スポ) 正直なとこ・・・そういう「作り物」で満足する程度なのかなあ、と。はなはだ疑問でもあります。AIで復活させてもそれは「AIで復活させた」だけであって当人ではないわけであります。
・・・それに遺族や関係者はどう思うんだろうか、とか。亡くなって一番悲しいのはそういう人たちだと思うのですが。もちろん許可はもらってると思いますが・・・心情的には・・・と。
偉大な人物が亡くなって、そに姿をもう一度見たい、という気持ちは分からんでもないですが・・・一度死んだら復活はできんのです。仮に同じDNAを使ってクローンを作成してもそれは「当人」ではなく「当人と同じ資質を持った人物」であります。それは同じ、ではなく・・・容器は同じですが中身はもう絶対に再現できないモノなのであります。

・・・これと似た感覚に「懐かしのアニメ大集合!」「あの芸能人は今?」とかそういうのもあります。
当時を懐かしむ気持ちは誰でもあります。だけど・・・そればっかやられても意味はないわけであります。いつまでも過去を振り返って「あの頃は良かった」だけを繰り返す内容。そんなので先に進めるか、ということであります。
過去はないがしろにはできません。だけど乗り越えていかないと先はないのです。
新しい技術が生まれると「先にあったこの技術は時代遅れ」とかそう断じる動きがよくありますが・・・実際には「100%新しい技術」なんて存在しません。過去からつい先ほどまで連綿と紡がれ続けてきた「過去の技術」が「今の新しい技術」を生み出す土台になっているのです。・・・それが程度の差はあれ、どんなことにも言えます。

しかし「過去の技術」はそのままでは意味を成さないのです。・・・それは「新技術」に継承されていくことで生き永らえ・・・そして今の「新技術」は未来には「過去の技術」になってその時の「新技術」の発展に受け継がれる。・・・その「技術」とは工業や職人のナニカではなく全てに言えることであります。
・・・過去がなかったら未来なんか存在せんのです・・・。

かと言って過去を礼賛し続けるだけでは何も始まらんのです。そりゃあ、昔は良かったでしょうよ、でも今は・・・?
真物ではないマガイモノで「ああ、復活だ」と本当に皆が喜ぶものかなのかどうか。・・・そういうとこ、考えていく必要があるのではないでしょうか・・・?

12:56 AM | 固定リンク