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06/25/2017
あってもなくても
20兆円「徳川埋蔵金」は実在するのか(Yahoo!:東洋経済オンライン)。個人的には「どっちでも・・・」と、なんかそんな感じだったりします。なんだか・・・現実感がない、と言うか。
ただ、一部の熱心なマニアやファンの間では頻繁に情報交換が行われていたり、実際に「掘っている」人も少なからずいるようであります。
自分が「なんだか・・・」というのはテレビでよく取り上げられるから、とかそんなこともあるかも知れません。昔から何度か番組化しているのですが。んー・・・なんでしょうね、なんか・・・「作ってる感」が激しいと言うか。エンターテイメントとして割り切って見る分には面白そうなんですが、実際にどう、となるとなあ・・・と言うか何と言うか。
「歴史」というのは欠落していくのが当たり前だろ、とかそんなこと思ってるからかも知れません。
100年前。日本では明治時代頃、ということになりますが今とは生活様式も言葉も全然違っていたわけです。その辺の文献もきちんと残っています。が・・・それはあくまでも「誰かが書き記したモノ」であって実際に自分が体験したことではない・・・いや、当たり前の話なんですが。でも結局は「伝聞の伝聞の伝聞の伝聞の・・・」に過ぎない「事実」というのはどこまで「真の『事実』」と言えるのだろうか・・・とかそんなことを思ったりするのです。
恐らく神サマ的な、ヒトを有史以前から・・・いやいやこの宇宙ができた頃から存在している「ナニカ」に示してもらわない限りこの「?」な気分は晴れることはないのだろうなあ・・・と。
その「?」を最も顕著に感じるのが「埋蔵金」だったりします。・・・ハナシ的には非常に興味深い。でもなんかな・・・と。
「埋蔵金」つまり「埋まってたお宝」そのものは実在します(出てきた時点でそれは「事実」です)が・・・どうにもあやふやな状態で「ある」モノ、というのは・・・どこまで信じたらいいのだろう、とかそんなことまで考えてしまって・・・???
12:50 AM | 固定リンク