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02/15/2017
完全に閉じるのは
まあ、不可能ですし。
小中社会科、「鎖国」表記消える(Yahoo!:読売)。「幕府の対外政策として一部の港しか開かなかった」とかそういうことになりそうであります。
・・・完璧に閉じた国、というのはちょっと難しい話で。「鎖国」と言われていても実際には海外の物品や情報は日本に入って来ていた、というのはよく知れらています。
例えば「解体新書」これは「ターヘル・アナトミア」という医学蘭書を訳したものですが、じゃあ、その原本はどこから来たんだ・・・と。完全に「閉じて」いたらそんなもん江戸にまで来るわけないはずであります。
ただ・・・情報的に、と言うか。一般大衆はほとんどそういうこと知らなかったわけで。
長崎や松前、というのは江戸市民にとってははるか彼方の地であります。江戸も中期以降になると庶民が各地を旅行するようになります。しかしはるばる長崎にまで行った、としても。出島からオランダ人はほとんど出られませんし清の人たちの町はあっても早々に立ち入るわけにもいかない。・・・あまりそういうのとは触れあえなかったりします。
・・・もちろん例外はあります。遊女は出島に出入りできたので・・・まあ、そういう出自の人が少なからず長崎にはいたのではないか、ということになってます。
それでも学問としての「蘭学」や清で漢訳された書籍などは入って来ていたわけで。そこから海外を見ようとした人たちの努力があったことは言うまでもありません。
海外への渡航は死罪であります。・・・その時点で鎖国じゃないか、という見方もできます。しかしそれも幕府の対外政策の一環で・・・と言われればたしかにそういうもんだ、ということにもなります。「大多数が外に対して目を閉じさせられていた時代」という認識は変わらないかと思われます。
ただ・・・個人的には「鎖国」という表記は嫌いではなく(好き嫌いの問題ではないのですが)。開国に対しての「閉国」とか「閉じ込められてた」的な言い回しとか、そういうのとはちょっと違っていて、実は鎖のすき間からかすかに外が見えていた・・・そんな雰囲気?があるような気がしていて・・・。
02:02 AM | 固定リンク