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10/28/2016

人は元々残酷な生き物です。

石器時代は平和じゃなかった? 6000年前の墓が怖すぎる(Yahoo!:ギズモード・ジャパン)。でもこういうのはいつの頃もある話なんじゃないのかな、と。現代の殺人事件で起きてることを後世の人たちが知ったら「まあ、怖い」と思う・・・かも知れませんし逆に「この程度か」と思うかも知れませんし。
いつの時代もそんなに変わらんと思うのですが・・・世界に一切の戦争や紛争のなかった時ってのは・・・「ヒト」が始まってから存在してたんだろうか、と。必ずどこかで殺し合いは起きているものであります。

・・・残酷だから、そういう性根だからこそ「救い」を他者にも差し伸べられるようになった、という見方もできたりします。
宗教なんかはその一端かなあ、と。救う対象はあくまでも一般人なのですが、救うのは神とか仏とか尊い存在ばかりで。・・・その代理人が言葉を伝えて救う、というのは実は結構残酷なことかも。いや、その存在そのものは一体何をどうしてくれたんだ、何もしてくれなかったけどあの代理人がなんか良い話してくれたぞ、あっちの方がエラいんじゃないのか・・・とかそんな風になってきたりしますし。そうなると何が「救い」なんだかよく分からない。

しかしこういうのはやはりある程度の「余裕」ができた頃合で生まれてきたのかなあ、とも。人間は残酷ですがそれだけではない。その一端が現れるにはちょっとした「余裕」が必要であります。
かと言って石器時代にそういう「余裕」がなかったとも思えません。なに、ちょっとしたゆとりなんてのはどこにでも作ることのできるもんであります。ちょっと美味いものが食えた、今日はなんだか気分が良い、とかそんなもんでもいいわけで。
・・・いつの時代も↑こういった残酷と救いはあった、と思われます。いや・・・今後もそんなもんだろうなあ、と。ニンゲンなんて早々変われるもんではありません。

01:08 AM | 固定リンク