10/09/2016
制定までアリ?
「明治の日」制定の動き・・・維新150年の記念事業(Yahoo!:朝日新聞デジタル)。2018年に「明治維新150年」というのは西暦1868年10月28日(旧暦9月8日)に「明治」という元号になったから、ということのようであります。・・・当然ですが「明治維新150年」と言っても何をもって「150年」とするか・・・どの時点を「維新」とするか・・・と言うのは色々解釈できます。
例えば「坂本龍馬の土佐脱藩(1862年)」と捉える人もいれば「吉田松陰が松下村塾を引き継ぐ(1857年)」と見ても問題はないわけです。明確に「いつ」というのがあるわけではありません。
・・・まあ、でも・・・実際に「この辺りが明治維新の期間」というのはそれほど長いものではないですから、「大体150年くらい」という感じ?でもいいのかも知れません。
ただそれで「明治の日」制定、となると・・・なんかちょっと違うような気もしてます。
一つには「ナントカの日」というのが実は相当な数日本にある、ということであります。そのほとんどは休日でもなく(明治の日だって休日になる、というわけではなさそうですし)世の中でも知ってる人の方が少ない「記念日」だったりします。
「この日をナントカの日にしよう」というのは別にどこかに届け出る必要はないですから、団体や個人が勝手に(と言うとなんか語弊がありますが)作っても別に問題はないわけです。
もちろん↑今回の「明治の日」は与党内でそういう話が・・・というのが事実ならそういう「私的」な記念日ではなくなるのでしょうけど。
ただ。個人的なとこで。いや、そこまで明治維新を持ち上げるのはどうなんだろう、というもあります。スーパースターたちが綺羅星の如くその命を燃やし尽くした華麗な時代・・・みたいな印象もありますが、実際のところはそういう超人の世紀みたいな時代ではなく。
フツーの人たちがフツーに成し遂げた、それだけではないか、と。そりゃあ・・・今の時代に同じことやれ、となると話は違ってきますがあの当時はそういうことを起こせる「機」があった、と。それに乗った人たちが成し遂げた・・・と自分は思ってます。人間が起こしたことであって、それ以下でもそれ以上でもない・・・と。
だから必要以上に持ち上げて見せたり経済的な何かを期待する、とかそういうのもなあ・・・なんか・・・そこまでする必要あるんかい、とか思ってしまうのですが。
01:30 AM | 固定リンク