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06/30/2016

むしろ実用感

・・・「使い切ってる」感が好きな人にはたまらないんでは・・・とか。
鉄道ファンに「国鉄時代に製造された車両」が人気のワケ(Yahoo!:週刊SPA!)。そうですか・・・もう28年も経ってしまったのですか・・・民営化、すなわちJRに変わってから。
民営化直後はさほど変化はなかったように思います。ただ地方によって分割されたんだなー、くらいで。でもしばらくするとなんとなーく「差」みたいなものが現れ始め・・・段々とカタチになってきたような。「格差」と呼んでもいいかも知れません。国鉄時代、というのは実はかなり古い車両を使い切って使い続けてきていたので(そのため↑のように反動?で新車両サイクルが加速)「こんな年代のが今頃?」というのも結構あったりしたもんであります。それが・・・地方によってはどんどん新しくなっていく。

安全面とか環境面から言えば新型の方がいいに決まってるんですが。でも「使い込んだ」「使い切ってる」モノ、というのは愛着を通り越して神々しささえ感じることがあります。・・・そういうのが好き、と言う人は決して少なくないと思うのですが、そういうところからも「国鉄時代の車両の方が・・・」ということになっているのかも知れません。
ただ・・・これが「使わなくなる」と一気に色あせてしまいます。
SLの保存方法に「動態」「静態」というのがあります。いつでも走れるようにきちんとメンテしながら保存する「動態保存」もう動かないから置物のように据え付けてしまう「静態保存」、言うまでもなく前者の方がお金も手間もかかるので後者の方が多いです。
が・・・そうなってしまうと一気に魅力が薄くなっていくような。やはり「使っている」というのはかなり大きな要素ではあります。

さらに個人的には最近のオッシャレーな車両とか豪華なやつとか。ああいうのはどうも好きになれず・・・生活の足として使い古されたモノの方に魅力を感じてしまったりします。・・・最近はJRは「豪華」な方にシフトしつつあるので・・・なんか、その辺からも「国鉄時代の車両の方が・・・」となってしまっています。
これがあと数十年経って。「ああ、あの頃の車両には旅愁があっていいよなあ」と言うのか・・・どうか、と。なんか薄っぺらいんですよね、最近のは。その「重厚さ」も「使い切ってる」ところから来るんでは・・・と思ってますが。

01:38 AM | 固定リンク