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05/01/2016

見られている

どう「見る」かではなくてどう「見られている」かが問題なわけで。
早めのライト点灯なぜ浸透しない? クルマのオートライト義務化が抱える問題(Yahoo!:乗り物ニュース)。二輪は昼間でも「常時点灯」となってるのに四輪はまだ・・・というのもちょっとおかしな話であります。
「自分が見えるから問題ない」
と言い切ってしまう四輪ドライバーは・・・薄暮の中、他のクルマや歩行者が見えず、はっとしたこともないんでしょうか・・・同様にウィンカー出さないクルマのドライバーもこの方面への認識が欠けていると思われます。

いつも見られているのです、誰かに。
その世界は「あなたが見ている」世界ではなく。「あなたを見ている」全然違う世界です。その辺が理解できないと・・・しまいには「なんでオレの言うことがみんな分からないんだ」と他者への気配りはおろか他者を認識することもできない人間ができあがります。
実はこういう思考法は子供に説明しても十中八九分かってもらえません・・・ということは大人はもっと難しいわけです。宗教や哲学などではこういった方面を探るものも多数ある、ということはやっぱり人間というのは基本自分のことしか考えない生き物なのかも知れません。

しかし「経験」という最良の教師がいます(高額な授業料ぼったくりますが)。↑クルマを運転していて「ヤバい」と思った時に理解したり、「今までヤバかったな・・・」と反省してみたり。そういうことからライト点灯に関してもある程度のドライバーは真剣に向き合っていると思われるのですが・・・。
残念なことにそういうことに気付くこともできないドライバーが主に事故ってるわけで。・・・その割合を減らしていくのが事故削減への道のりであります。そのための一つがオートライトになるわけで。
・・・でもこれだけではダメなわけで・・・まだまだその道のりは遠かったりするわけです・・・。

12:54 AM | 固定リンク