01/28/2015
方向が見えない
北海道教育委員会、毎月第一・第三日曜を「ノーゲームデー」に(Yahoo!:ねとらぼ)。・・・いや、指定するのなら「ノーゲームデー」じゃなくて「外で遊ぼうデー」とか「一家で話しましょうデー」とかそんなんの方がいいんでは、と思いますが・・・これじゃ「ゲームさえしなければ家族団らんも増えてコミュニケーションも増えてオールオッケー!」というなんだか思考停止にも見えるほど方向が見えない、と言うか・・・今さら、と言うか何と言うか。
北海道が学力の全国平均を下回っている、というのも一因らしいのですが。でも何もかもゲームのせい(あるいはゲームやネットのせい)と言うのはなあ・・・いっそのこと「道内ではスマホとゲームをこの日は禁止」とかそういう風にした方がいいんでは、とか思ってしまいますが。
さらにコレ「大人もゲームやネットをしない」という・・・。
やはり方向性が若干違う方を向いているように思うのですが・・・しかしこういうのはどこでもスタンダードなことなのかも知れません。
人間と言うのは自分が知らないモノに対しては「好奇心」か「恐怖心」かいずれかに近い感情を抱くのだとか(中間に「無関心」というのもありますが)。後者を抱いた場合、ほとんどのケースで「除外」が選択されます。
つまり「あんなのはダメだ」、とこうなってしまう・・・。
これが一個人ならそりゃあ個人の好き嫌いだから、で済むんですが集団で、しかも社会的に影響力のある集団が一斉にその方向を向くと一気に「除外の風潮」が高まることになります。・・・ただし、これは一種の芽みたいなもので、さらにそれを成長させる「何か」が必要となります。この場合は「ゲームってやると頭悪くなるらしいよ」といった世論であります。対象についてろくな知識も得ようとしないまま、「あれはダメだ」という論調のみが広がって、やがてスタンダードになってしまうわけです。
最近はそうでもありませんが、20年から30年ほど前まで日本ではゲームはもちろん、マンガやアニメは「悪」でした。あんなもん見たりする奴はロクな人間ではない、と。ただの一趣味に過ぎないんですが、「あんなのはダメだ」という烙印は今でも続くほどに深く根付いています。
・・・↑もそういう流れなんだろうなあ、と。
より現状に即して「親子のコミュニケーションを増加させたい」「成績を上げたい」というのならゲームなんかより先に親子間の距離を減らす、とか、学校や塾の強化、とかそういう手もあるわけで。その道の専門家だっているわけですから色々できると思うのですが・・・。
「とにかくダメ」というのは・・・どうにもなあ、と。思考を止めた方が楽っちゃあ、楽なんですが・・・ここでそれやっちゃあ、それこそダメだろ、と思うのですが・・・さて。
01:13 AM | 固定リンク