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03/06/2014

密かに大きい問題

「墓じまい」墓守の後継者なく・・・代行業者も(Yahoo!:ヨミドクター)。一定以上の年齢いかないと実感できない話かと思われます。場合によっては「檀家って、うちの菩提寺ってどこ?」とか「先祖代々の墓・・・?」とかそういう疑問の多い家も多いかと思われます。

檀家とは寺に近親者もしくは先祖の墓地を持っている家のことで・・・例えば「何回忌」の時にそこで法要を行ったりします。
日本人は宗教に関心が薄い、と言われる一因が「結婚式は神道、葬式は仏教」さらにはキリスト教のクリスマスを祝い、子供の健康を祝いに神社に詣でる、という・・・。
その原因の一つが徳川幕府だったりするのですが。
江戸期にはほとんどの人間が「寺」に属していました。・・・属す、というより「どこそこ村の何兵衛」は「ナントカ寺」の帳面に記載されてますよ・・・というのが当たり前だったわけです。これを「人別帳」と言って今でも重要な歴史的文書だったりします。
一つにはキリスト教徒選別のためであり(仏教の寺の人別帳に名前が載る、というのは宗教的にキツイ)幕府の人材把握のための一つの方策であった、とされています・・・後にこれが「戸籍」に発展していきますし。

例えば江戸中期以降庶民も手に入れられた「通行手形」ですが・・・モノによっては「自分はどこそこのナントカ寺の者だけど行き倒れたら別にそこまで送ってくれなくてもいい」的なことを記されてあったりしました。・・・あるいは大変な罪を犯した者は人別帳から抹消され・・・無宿者となったりしました。江戸期では今以上に「寺」というのは重要な存在であったわけです。
・・・まあ、それがどこまで関係しているか・・・日本人の先祖供養というのは篤い信仰の対象となって今に伝わっているわけです。

それが・・・昨今では昔ほどではない、というわけであります。実際、お寺に払う「供養料」がめんどくさくなって払わずにどっかいってしまった、というケースは多々ありそうですし。「何回忌」でいちいち法要なんて・・・というのも多そうではあります。
さらに最近は「別に子々孫々祀ってもらわなくても」という風潮が多いのも事実だったりします。

その辺の事情は、まあ、分からんでもないのですが・・・最低限皆と話し合っておけよ、と個人的には思うのですが。
親戚にとっては大事な場であったりすることもあるのです。それがいきなり「合祀したからあっちで」とか「墓はもうないから」というのはあんまりではないか、と。さらに寺からの無理な要求とかそんなことになると・・・なんだかなあ、と。
「参るのがめんどいから」で疎遠になった先祖の墓を独断で移しても・・・それが自分にとっての恩人の墓を勝手に移した、と捉える親戚がいるかも知れんわけです。

一種の過渡期、と言いますか昔のような状況と今は違ってきてるのでしょうけど・・・血や縁の繋がりてのは今の時世になっても変わらんでしょうに。そういうところへの「気配り」てのは今でも重要だと思うのですが。

02:05 AM | 固定リンク