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12/24/2013
美味しく食べてあげる
変革を迫られるフランスのフォアグラ産業(Yahoo!:AFP=時事)。ちょっと前から言われてたことではあります。フォアグラとはカモの肝臓、それも脂肪肝となってしまったものであり・・・そうするためにはカモに苦役を強いるのだ、と。
ニュージランドでしたか「調理の際に苦痛を与えてはいけない」的な法律があるのは。フォアグラの場合は「調理の際」ではないわけですが、考え方としては同じようなものかと。
・・・そうなると例えば活け魚の生き作り、なんてのは論外になってしまうわけです。でも育てている最中にあれこれやって性質を良くしたりするのもその生き物に苦痛を与えていないか? とか言い出したらこれはこれで大変にややこしくなってしまうわけです。
牛や豚、羊などはそもそも野生にいたものを人間が飼い慣らして現在に至っています。
そのため「家畜などという人間のエゴの塊のようなシステムは廃止せよ!」とかそういうこと言い出して、牧場にいる牛や豚を全部放した、としても・・・どこまで生き延びられるか(豚あたりは大丈夫かも知れませんが)、それに再び捕らえて食材にする・・・となるとそれまでの質とはかなり違ってくることが予想されます。
生まれてきてから食材になるまで、手をかけるのが現在の畜産なわけです。
そういう風に作られている、というと語弊があるかも知れませんが。そういう風にしか生きられない生き物、という言い方もできるかと。だからそういった生き物に報いるためには美味しく食べてあげること。そういうものだと思うのですが・・・。
狭いゲージに押し込められて強制的にエサを流し込まれる。・・・なんて非人道的な、と、そういう感覚はどうしても芽生えてしまうもんだろうなあ、と。
たしかにやりすぎな面もあるかと思われますが・・・何をもって「やりすぎ」になるんだろうか、と。↑コレ、カモを養殖魚に置き換えたらそんなに変わらないような気もします。まあ、たしかにどんだけぎちぎちに詰め込んでも「魚が泳げないくらい」というわけではありませんが。
やり方や方法としてはそれほど変わらないわけです。大量の「太る」ためのエサをがんがん与えているのですから。
そういう側面もあるんでは・・・と思うのですが・・・一部の動物愛護団体のエキセントリック?な主張というのは多分に視野が狭いことに起因してるようですんで・・・そういうとこまではいかないもんなんでしょうなあ・・・。
02:01 AM | 固定リンク