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07/17/2013
自分、サッカー好きじゃないんですが
むしろ球技全般あんまし好きじゃないんですが・・・格闘技系とか、すぱっと勝敗が決まるのが好きだったりして。
世界と戦えるサッカーのために本田圭佑はいらない(Yahoo!:webスポルティーバ)。まあ、「専門家」はそういうところなんでしょうけど。サッカーとしての動きとか(空手なんかの格闘系の動きなら・・・さて?)は全然分からん門外漢としてもちょっと気になったのは・・・意識かなあ、と。
海外と国内は全然事情が違うわけです。
格闘系だとよく言われるのがムエタイでしょうか。母国タイでは生活のためもあって強くなろう、と必死な若いファイターがたくさんいます。・・・正に一攫千金、登りつめれば大金が入りますが・・・ほとんどは夢破れてしまいます。しかしそういったハングリーさで今でも真剣勝負を見ることが出来る・・・(一部では真剣ゆえのむにゃむにゃ、というのもありますけど)。
サッカーに関しては日本は後進国だったわけです。各種予選に参加しても進めない。
それが近年になって躍進を続けている、というのは戦略や作戦が高度になった、というわけでもなく。ただ、そういう意識が高まったからじゃないか・・・と自分は思ってます。アジア系選手がどうしても「高さ」も「強さ」も欧米系やアフリカ系選手に比べたら負けてしまうのは別にサッカーに限ったことではなく。そこで勝負したら負けてしまうのは当たり前だ・・・と。
では何で勝負するか、と言えばチームプレイしかない。個人個人で勝てないなら集団で勝ってしまえ、これは人間に限ったことではなく。明確な例だとアリやハチといった社会的昆虫とか・・・類人猿の系統も個々では勝てない敵に集団で襲いかかる戦法をとったりします。
そのセンから行けば日本の戦法はそれ決まり、かと思ってたんですが。
本田選手は「あんなんは当たり前だ」と切って捨て「個々の力を高めんでどうする」と言い切りました。・・・この辺の「意識」というのがどうなんだろうな、と自分は思うわけです。サッカー、というかなり人間の野心に基づいたスポーツならでは・・・とか。
そもそもボール一個でできるスポーツ、というのは今でもなかなかありません。さらに古代、と言うかそもそものサッカーは「ボールを奪い合う」というのが目的であって「足で~」とかそういうスポーツではありません。
例えば「ラグビー」というスポーツがあって、これは足しか使えないサッカーの試合中に興奮した選手が手で持って・・・というのではなく。どうも「何でもできる試合じゃ危ねえだろ」「じゃあ足限定にしようや」「ちょお待てや、それやったらオモロないやろが」「しやったら足だけと何でもありに分けたらいいやろ」「それええな、そうしよか」・・・という会議があった、とかそんな話を聞いたことがあります。・・・いや、真偽のほどは定かじゃないんですが・・・サッカーというのはあまりにも限定的なスポーツな割にルールの軽視(完全無視ではななくて・・・バスケットボールもそうなんですが、ルールをある程度は無視できる幅が広いと言うか何と言うか)が大きいので、そういうこともあるのかな、と。
その分人間の本能に訴えるとこも多いスポーツなわけです。
だからこそ「上」を目指す「意識」というのは必要なんではないか・・・と思うのです。馴れ合いはいらない。そういう「意識」は必要ではないか、と。・・・技術うんぬんよりもまず「意識」、というのはどこの世界でも同じなわけで。身体的特徴とかそういうのの前に・・・となるとサッカーも格闘技もあんまり変わらんな、と・・・。
04:45 AM | 固定リンク