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05/22/2013
目ではわからない
狩野山楽・山雪の襖絵をデジタル複製(iza!)・・・複製「元」は京都国立博物館に。そして複製された方は元々あった妙心寺の天球院に奉納されました。
アナログカメラで撮ったものとは違い、デジタル技術で「複製」となると際限なく「画素数」が上がることになります。・・・よくデジカメなどで「画素数が違う」とかそういう言い方をしますが・・・もうこれ以上画素数を増やしてもあんまし意味ない、という見方もあったりします。フツーに画像として残す分には、そりゃ画素数が多い方がいいような気がしますがそんなに多くたって結局はそこまで見ないわけです。ある一定数以上いっても感知できないのでは意味ないのでは・・・とそういうことであります。
画素、というのはその画像を構成する一区分みたいなもので、一枚の画像を小さなブロックに分けていく・・・とかそんな感じであります。「画素数が多い」ということはその小さなブロックの数が多い、ということでそれだけ精密に表現できるということになります。
小さなブロックにはそれぞれ一つずつ色を乗せることができます。2×2の4つのブロックより、4×4の16のブロックの方がより複雑な表現をすることができます。これがさらに増えていけば・・・。
アナログはブロックで分けるということはせずにその「領域」ごとに彩色していくことになります。・・・言い方を変えればアナログ彩色というのは究極のデジタル彩色だ、と。すでに目視や解析するにも困難なほどの極小のブロックがあって、それへ一つずつ色を乗せてあれだけの表現ができるなら、と。しかしそれだと尋常でない手間がかかることになります。
デジタルでの表現、というのは実は技術的に簡易になる、ということでもあります。どんなカタチになるか分からない「領域」よりも決められた「ブロック」に一つだけ色を乗せる方が簡単ではあります。
しかし。普段使いのデジカメならそれでもいいんですが・・・学術的に貴重なものだとか芸術的な作品とか。そういう代物を「複製する」となると。最大限にアナログに近づけるため最大限に画素数を上げ・・・さらに細かい調整などが必要になります。
それでも本物ではない・・・という言い方もできますが。それでも「限りなく本物に近い複製」ということであります。本当は本物を置くのが一番なのかも知れません。しかしこれで心配もなく公開できるのなら・・・その方がいい、という言い方もできるわけです。
02:01 AM | 固定リンク