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10/19/2012
手打ちか痛み分けか
日本維新の会代表の橋下徹大阪市長の出自を題材にした連載記事について、週刊朝日編集長名で謝罪コメント(Yahoo!:産経)・・・コメントがどう、という話ではなかったような気がするんですが橋下市長、「朝日放送」への取材拒否は撤回(Yahoo!:読売)という方向になってきてます。
・・・まだ「朝日放送」だけ、という見方もできますが。いわゆる「朝日グループ」に対してはまだ警戒を解いていないようにも見えますけども。
別に今回が最初、というわけでもないですし・・・朝日vs橋下氏。
記者会見とかその他の場でもかなり噛み付かれていたのは事実ではあります。たしか、朝日新聞の取材はお断りする、みたいなコメント出したこともあったような。まあ、社風と言うか流れと言うか。どうにかして人気者や特定の人物を引きずりおろしたい的なものがあるのは・・・なんか否定できないような。
「こういう風に世論を持っていきたい」というのはどこの新聞社や雑誌社にもあるかと思われます。それがやけに鮮明に表れてきてるような気がするのですが(そんな中から「事実」だけを掴み取らないといけないのですから、読者というのは実は大変な労力を要するものだったりします)。
今回の会見、ちょっと生放送で見てたのですが。
なんで記者諸君は「社の意見」というのを持ってきて堂々とぶつけなかったのかな、と。あれじゃ市長の独擅場じゃありませんか。こういうところで必ず出てくる「報道の自由vs個人の自由」ですけど、実際にあるかどうか分からん記事(橋下市長はそう言ってましたが反論なしでしたし)、それも当人ではなく家族が標的にされたらたまったもんではありません。公人かどうか、というのとはまた問題が違ってるような(記事を書いたライターは有名人の生い立ちとか生き方を中心に書いている、みたいなニュースのコメントもありましたけど・・・そういう記事を当人に無許可で書くわけはありますまい。今回は明らかに橋下市長には無許可だったでしょうに)。
・・・なんか、名誉毀損で訴えられたら謝罪文出しておけばいいや、とそこまでは・・・思ってないと期待したいのですが。
今後もこういうことはあると思うのですけれど。なんだかもうちっとオトナと言うかお互いのことを聞く姿勢くらいは持って欲しいと思うのですが・・・いつまで経っても子供のケンカみたいなんで・・・。
12:31 AM | 固定リンク