08/23/2012
「変化」って?
どれくらいまでの「変化」なんでしょうね。
「変化を楽しめる」激動の昨今に増える「flux(フラックス)」世代(Yahoo!:ダイヤモンド・オンライン)・・・たしかに現代社会、というよりも21世紀に入ってから世界情勢はその混迷ぶりを明確にしてきています。日本もその例にもれず、これまでの「枠組み」が少しずつ溶けるように崩壊してきている・・・ような印象を受けます。新しい時代が始まっている、という言い方ができるかも知れません。その過渡期にあるのだ、と。
そんな中、その「変化」を楽しんでしまおう、という人たちが増えている、という話であります。
・・・しかし個人的には一体どれくらいまでの「変化」を楽しめるものなのかな、と。
例えば勤めていた会社がいきなり潰れる。多少の補償はあっても基本的に放り出されてしまう。・・・そこである程度スキルや人脈のある人なら「どうにかなるさ」と楽しめるかも知れませんが・・・そういったのが何もない人は楽しむどころではありません。何としてでも働き口を探さないといけなくなります。
あるいは大きな災害が起きて家や資産が消える。犯罪に巻き込まれる。そういう「変化」も果たして「楽しめる」もんなんでしょうか・・・?
恐らく↑記事で言いたいのは社会体制とか旧態依然とした仕組みとか。そういったものを「変化」させていくことを恐れない、そういうことをも「楽しめる」人たちが増えている・・・ということだと思われます。たしかにそういった「変化」はこの激動の21世紀には必要かと思われます。
が、個人的にはそういうことやるんだったらもっと根本から「変化」させろよ、と思うのですが。
一線級でばりばり働く人たちではない、フツーに暮らしてる人たち。そういった人たちを「変化」させていかないと一部のトップの人たちだけが「変化」していったって結局はゆり戻されるだけではないか、と。
まあ、その辺も含めての世相の「変遷」なのかも知れませんが。色々変わっていくというのは世の常でもありますんで、なんとか世代とか言われてもなあ・・・とかそんなことも思ってしまうのです。
02:14 PM | 固定リンク