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06/16/2012
でじたるねーてぃぶ
「伝える」ことの大事さ、学生に伝えたい(iza!)。「SANKEI EXPRESS」で実施されている「君たちに2ページあげます」であります。学生さんが自分達で取材し、実際に記事として載せる。結構いい経験になるのでは、と自分も思います。少なくとも自分が学生の時にはこんなチャンスありませんでしたし。
「君たちは『伝える』ことよりも前に、ものを『知る』ことが必要じゃないのか」(「」↑記事より引用)
と田原総一朗氏に言われたこともあったそうですが。まあ、その辺も含めての「経験」なんでは、と。
こういう取り組みそのものを批判する気は毛頭ないんですが。ただ・・・なんかちょっと気になったところがいくつかあって。まあ、コラムにそういうこと言うのもなんかヤボな気がしないでもないですけども。
「デジタルネーティブ」つまり最近の若い世代はネットを繋げばすぐに欲しい知識が手に入る。ツイッターなどで「伝える」ことも容易になった。PCに限ったことでもなくどこでもどんな時でも。しかし記事を書き、それが記事になる、というのはそんな簡単なもんじゃないよ、と。
・・・そりゃ現役の新聞記者から見りゃそんなもんかも知れませんが。しかし道具が変わっただけでやるこた変わってないわけで。ネットでだって即座に正しい知識が手に入るわけでもない。ツイッターやメールででこちらが伝えたいことと真逆の意味に相手がとってしまって、トラブルになった・・・とかそういう例はたくさんあります。
むしろ実際にリアルで接しているのとそれほど変わらないんじゃないか、と。
こう言うと何ですが・・・こういうのは年代によってかなり認識に差があります。たしかに若い世代ほどこういう「でじたる」には偏見がなく、すぐに受け入れる。でも、「でじたる」だからと言ってカンタンなわけじゃない。相手はまだ人間なんですから。これが接する相手も全部「でじたる」ということになったら、それはそれでまた方向性が変わってくるとは思いますが。
人間なんてそんなカンタンに変わるもんじゃないと思うんですがねえ。・・・結局は「人」を相手にしていることは変わらない。ただ道具が違うだけで。ネットなんて所詮は分厚い百科事典に過ぎんのです。自分で知ろう、と思わない限りタダのジャマな置き物。しかも載ってることも玉石混交。その中から「真」の情報を選び出さないといけない。
ツイッターにしてもメールにしても結局は言葉のやり取りに過ぎない。やはり道具が違うだけで。
・・・必要なのは「あんなモノはだめだ」ではなくて「どう違うのだろう?」と「知る」ことだと思うのですが。知って、それから伝えていけばいい、というのもやはりどれも変わらんと思うのですが。
02:05 AM | 固定リンク