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06/30/2012
オトモダチニナリタイノ
とかそんなんではなさそうですが。
なぜ日本の技術者は「人型」のロボットにこだわるのか(Yahoo!:nippon.com)。「そんなにこだわってるかなあ」とか思ったりもしますが・・・たしか、アメリカかどっかの軍関係で「イヌのようなロボット」というのがあったような。四足でがっつり走るわけですが、なんだかスマートではない。後に改良版?が出てそれなりに「イヌっぽく」なってましたが・・・アレ、日本のロボット関係者がリメイクするとなるとどんな風になるんだろ、とか思ってしまいましたが。
個人的には「人型」にこだわってるわけではないような。まず作ってみたのが「人型」だった、とかそんな印象なんじゃないのかな・・・と、まあ、自分は別にそっち関係の技術者でも何でもないんですが。ただ、心のどっかで「ヒトそっくりに動く機械」というのを望んでいる・・・のかも知れません。他の国だとまず別形態が出てくるのに、まず人型が出てくる。
年代にもよると思いますが・・・自分たちくらいだと(もう少し上まで)アトム辺りの影響が大きいのかも知れません。あるいはある意味SF全盛期でしたからそういう方面からの影響も。
しかしそれより前。例えば戦前とかそれくらいの頃はどうだったんでしょうね。
推測に過ぎませんが、「根っこ」みたいなものはあったと思います。各種の精巧なからくり人形もありましたし。ただ、あくまでも「人型」、つまりヒトを再現しようとする試みがあったか、と言うと・・・寡聞にして知りません。そこまでいかなくてもそういう思考はあったか、とかそういう方面だと・・・ううむ、どうなんでしょう。なんだかこういうとこまでくると洋の東西を問わないような。考えたことのあるやつはどこにでもいつでもいたんじゃないか、とか・・・。
・・・拙作「マズルカ・マズルカ」でも人型だけどヒトじゃない存在が出てきます。でもこれは当初は「人型」を再現しよう、という目論見があったのかも知れませんが、もう時代が進みすぎてそういう存在が当たり前な時代にしてしまっています。そこまで来てしまうと「人型」とかそういう考え自体に意味がなくなってしまう・・・のかも知れません。
『充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない』
とはアーサー・C・クラークの定義。ま、魔法も理解できちまえば科学になるもんなのかも知れませんけども。
02:03 AM | 固定リンク