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04/28/2012

無知は恥でも罪でもない

でも誇るな。自慢するな。
「鳥インフル」の論文から科学の倫理を問う(Yahoo!:読売新聞)。実際にこういう事例は多々あるかと思われます。「同業」である学者からすれば他の学者の論文というのはインスピレーションや発想の源であり…良くも悪くも活用方法はいくらでもあるアイデアの泉でもあります。特許とかそういうのは技術としてある程度確立しないと認可されないものではありますし、欲望やしがらみで「悪用」する学者がいない…とは限らないのはどこの世界・業界でも似たようなものかと思われます。

要は学者に限らずヒトの用法次第だと思うのです…。

最近よくニュースで流れる痛ましい事故に「クルマによる歩行者への危害」というのがあります。多くはガードレールなどの設備のない(作りようもない?)場所で…運転する側が無免許だったりぼおっとしていたり、というなんともやるせない事故であります。
…しかしこれに「自動車が悪いから全部なくそう」という意見が出てきたりするとほとんどの人は「?」となるかと思われます。実際に危害をくわえたのは「自動車」なのですが…罪は運転していた人間にあるからです。
自動車…動力を自前で持っていて線路なんかに頼らず制御は人間がやるクルマ…というモノは18世紀頃から存在していたとも言われますが…その頃すでに「自動車事故」というのはあったでしょうけど↑のように故意ではない人身事故、あるいは故意に殺人を狙う、そんなこともできるモノになる…とは誰が想像したでしょうか…?

科学というのは一部の専門的な知識や経験を持つ人たちだけのものではなく。この世に存在している全ての人たちと密接に関わっている事象群であります。そしてそれらはただそこに「ある」のです。ただ「在る」だけ。それをどう活用するか、良くも悪くも人間次第なのであります。
それを悪用しない・させないためにはどうするか。「知れば」いいだけなのです。知らないことは別に恥ずかしいことでも何でもないんですが…なぜかそこで止めてしまうケースの多々。あるいは「そんなことは知らない。だけどこれでいいんだ」とかそういう荒唐無稽な方々がおられるのも事実。
…そういう人たちはそれが真実なのでしょうけど。でもそれは事実じゃない。

そういうのはなんだかとってももったいないなあ、と思うのですけれど。こういう問題はプラトンのうさぎのノミの話の頃からあるので…人間の宿命みたいなもんなのかなあ、とも思うのですけれど…やっぱりもったいないなあ、と。
知ろうとすればいくらでも知ることはできるのに…なんで止めちまうのかなあ、と。↑記事よりやや離れてしまいましたけど、なんかそう思うのです。

01:45 AM | 固定リンク

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