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03/08/2012
そんなに勉強したくないのなら
しなくてもいいんじゃないか、とか思ってみたり。
中央教育審議会の大学分科会大学教育部会が学生の勉強時間を増やすような調査や対策をした大学を財政面で優遇する素案をまとめる(Yahoo!:読売)。まあ、勉学は時間だけで決まるもんではありませんが…それでも一つの指標となり得るものではあります。
本来なら時間という「量」ではなくて内容という「質」ではかって頂きたいところではあるのですが…。
一つにはやはり大学の数が増えちまったからなのかな、と。
こないだビートたけし氏がどっかに書いてましたが。明治とか昭和初期とかは「大学=狭き門」だったわけです。正に末は博士か大臣か、といったところで。やはり現代のように入学するのも大変だったと思われます。もちろん経済的な差、というのもあったのでしょうけど。ほんの一握りの人たちだけが入学できて、そして地位や名誉を得ることができた。
…しかし現代ではそんなこともなく…経済的に、という入学希望者は今でも存在してますが…その頃と比べる必要もないくらいにたくさんの人たちが大学に行ってるわけです。これでは高等教育の場としての「大学」の意味はないんではないか…。
ただ、これはこれで悪いことではないのかも、と思います。学問、それも高度に専門的な学問に触れる機会が増えたのですから。
問題はその機会を生かせていない学生が多いことなんではないか、と。それを学校側からどうこうするのではなくて学生の方から触れようとするように仕向ける…これもやはり難しいですか。この手の「日本では年齢が上がるほど勉強しなくなる」話というのはもっと根深いもので、ちょっとやそっとでは解決しないもんなのかも知れませんし。
12:47 AM | 固定リンク