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02/23/2012
…悪くないと思いますが
日本語に「主語」がなくて何が悪い?(Yahoo!:japan.internet.com) いや、別に悪くないとは思いますが。所詮コトバなんてのは相手に通じればいいわけで。その手段?の過程で「主語」を省くのが日本語なら、それはそれでいいんじゃないんですか、と。
たしかに英語などいわゆるラテン語系の文章だとどうしても主語が出てきますが。
むしろ「主語」が、ではなくて「誰が」が重要になってるんではないか、とか。基本、「誰(私とかあなたとか彼とか)」によって次に来る単語…大抵の場合は動詞…が変化しますし。日本人が外国語を学ぶ場合、まずコレを納得とか理解する必要があります。
なんで同じコトバがこんなに変化すんねん。
アタマや並ぶ単語によって色々変化しちまう。ある程度バラバラにしても大丈夫な日本語に比べてやや窮屈に感じたりするものであります。…しかし実際にそういうコトバを使ってる側からすれば今度は
なんでそんなにアバウトなんや。
ということになるかも知れません。
…いや、日本語だって変化はしてるんですが…その変化の仕方が明らかにその場、つまりシチュエーションによって変化してるので、「主語」によって規則的(一部不規則ですが)に変化させるコトバの国の人からすれば…奇異に見えてしまうのでは…とか思ってしまったりして。
いい例が敬語ですけど。あるいは「ある」「いる」の差、とか。敬語はいわゆるラテン語系にだってそういう概念はあるのですが日本語ほどややこしく?はありません。
まあ、こういうとこも含めて「文化」なのだ、と言ってしまえばそれで終わりなのかも知れません。一番「悪い」のは「ややこしいならイラネ」って簡単に捨ててしまうことなんじゃないのか…とか。色々知ってる方が便利だと思うのですがねえ…。
02:25 AM | 固定リンク