« 二つほど 1/25 | トップページ | 一言あっても »
01/26/2012
そぐわないのかなあ
むしろこういう人物の方が未来には必要なのかも。
二宮金次郎像、各地で撤去相次ぐ(Yahoo!:毎日)。とは言っても誰かが各地の金次郎像にいちゃもん付けて回ってるわけではなく。元来が戦前から戦中にかけて建立されたものばかりなので…やはり老朽化、というのも大きいようであります。戦中には金属像は軍に供出された、という歴史もあったりします。
…自分の通ってた小学校にも石像があったような記憶があります。あれは…まだ建ってるんでしょうか…?
二宮金次郎は後に二宮尊徳と名乗った人で…江戸期、相模生まれの人であります。
1787-1856ですから江戸の中期から後期、ということになります。実際、天保の大飢饉の時に「夏なのに秋ナスの味がする」と細かな異変に気づいて近隣の農家に稗を植えさせて飢饉の被害を減らした…という話も残ってますが(どうも伝説っぽいと言う説も)。いずれにせよ様々な施政によって藩だけではなく民にも大きな影響を与えた人物だったりします。
そもそもは農民の生まれですが、最後には幕臣に取り立てられています。こういう例は実は地方の豪農や豪商から武士になった、ということで少なからずあったりします(多くはないですが)。例えば伊能忠敬もそういった人物の一人だったりします。
…しかしそうカンタンに名字帯刀できるわけもなく。当たり前ですが相応の実績があった人物にのみ許されることではありました。
尊徳の場合は己や家族が消費する分を計画しておいて(分度:ぶんど)残った分を村の役に立てる(推攘:すいじょう)方法を推し進めていってます(これを金貸しで行なっていた、という話もあります。通常より長めに貸し付けて安い金利を得る、これを推攘として役立てる)。当然ですが各人が各人でばらばらに「利」を得ていて貯め込んでいては村の役には立たないわけで。長い目で見れば、自分のもうけ分?を差し出して今は損したと思ってもいずれ村が栄えればその何倍もの「利」が還ってくる…という思想かと思われます。…実行するのはかなり難しそうですが。でもそれなりに力のある人物の呼びかけなら実行は不可能ではなさそうな…。
…でも石像の二宮金次郎は薪を背負って本を読む少年の姿。
どうもそういった「改革者」ではなく「薪を背負いながら本を読んで勉強したえらい人」みたいなイメージで。「勤勉」「節約」…実際にそういった思想はあったようですが戦前や戦中のそれとはまた違っていたような。しかしそういったイメージで道徳の教科書にあたる「修身」にも取り入れられ小学校に像が建てられた、ということのようで。
…そのせいでどうも「戦中教育の象徴」みたいに言われることもあったようであります。さらに↑記事のように「歩きながら本を読むなんて危ない」とかそんな声もあって…さらに老朽化もあって…撤去。
戦国期の武将などのように派手な活躍してた人ではありませんが…こういう人たちがいたから今がある、というのもあると思うのです。歴史ブームだ、とか言われてますが結局は一部の有名人にだけスポットが当たっている、というのはブーム前と変わってなかったりします。
小さなことから再評価に繋がることもある、と、そういう見方もできるんですが。よく知られていないけど実はスゴイ人、というのはまだまだたくさんいるものなのです。
12:41 AM | 固定リンク