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11/18/2011

きのうかいきん

件のボージョレ・ヌーボー(ボジョーレ・ヌーボー?)であります。一頃はなんかお祭り騒ぎみたいにしよう、というどっかの魂胆がみえみえだったんですが、最近は落ち着いたせいか逆に?好きな人にとっては静かに楽しめるようになってきてるような…気がします。
「ペットボトル禁止」を断念、ボージョレ生産者(Yahoo!:JIJI)。これは去年だか一昨年だかに低迷するボージョレ人気をどうにかしよう、とビンをペットボトルに替えて安く売ろう、としたらボージョレ側から「そんなんボージョレ・ヌーボーと呼んで欲しくない」とクレームがついた、というのが発端だったかと。
今年はすでに日本国内では「ペットボトルボージョレ」が安価で発売されてるわけで。実際、中身で勝負してるんだからどんな入れ物でもいいじゃないか、と個人的には思ってたんですが…やっぱりこういうのはきちんとした?ビンの方がいいのかなあ…?

前にコレ関係書いた時も書きましたけど…実はワインそのもの方がビンより歴史ははるかに長いわけです。
ビンどころかグラスですら。ガラスの製法が安定する前、どころか紀元前何千年前、とかそういう頃から「ワイン」という酒は存在していたことになってます(次がビール…これも紀元前何千年前)。その頃は今とはまた違った飲まれ方をしていたのでは…と。
製法も大分違うでしょうし。でも「ワイン」と呼べる飲料があって連綿と続いてきてることには違いないわけです。
そこへ「ビンじゃなきゃイヤだ」てのはなんか浅薄だなあ、と思ってしまうのですが…まあ、それでも今は紀元前じゃあ、ありませんし。現代には現代のワインの飲み方があって然るべき…という意見もかなり説得力があります。

日常的に飲んでるではちょっと違うんですが、日本の場合「ワインは高くて当然」みたいな意識が最初からあったので…どうも敷居が高くなってます。ボージョレも最初はなんかえらく高かったような記憶が…。いくらくらいだったかな、今みたいに千数百円で買えるような、あるいは数百円でも買えるような値段じゃなかったような…。
それでも酒はしょせん酒なんで。楽しく飲めるんならどんなんでもいいかな、とか酒が飲めるだけですでに十分なケチな酒呑みは思ってしまうのです。

02:03 AM | 固定リンク

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