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08/09/2011
酒の席とかの
場の盛り上げ、とかそんなんなら別に構わないのですが。
BPOの「血液型番組は差別」要望に対して「血液型人間学研究家」が提訴(MSN産経ニュース)。…ああ、それと学問として研究してらっしゃる、というのももちろん問題はないと思われます。でも「AはきちょうめんでBはいいかげんでABは両方持っててOはおおらかで…ほら、当たってるでしょ?」とか何とか押し付けてくるとなると、また話は別であります。場の空気がどう、と言うより一種の狂信者みたいである意味不気味ですらあります。
繰り返しますが…話題づくりとかそんなんなら別に構わないのです。
問題なのは暴言吐いて辞めた九州だのB型だの元某大臣とか。あるいは会って数回で血液型聞いてきて「やっぱりなあ~そうだとおもったんだ~」とかしたり顔でのたまう連中だったりするわけです。…そんなカンタンなことで他人の人格まで決定されてたまるもんか。よく出てくる反論にABOのかなり偏った国や民族がいる、というものがあります。そもそも星座占いにしても十二支占いにしても分ける数、つまり四つとか12とか分類する数が少なすぎます。
その「血液型」に今まで人類が明らかにしてきた「血液型」全部が含まれているのなら…それはそれで分類のやり方があるかと思われます。しかし大抵の「血液型占い」というのは今さらのABO式のみ。この方式はそれぞれかっちり決まっているのものではなく、例えばAAとBBの両親からOが生まれる確率だってゼロではありません(実際、それであいつはオレの子じゃない、と訴訟沙汰になったケースもあるとか)。輸血の話にしたって今はO型から他の血液型の人へ…なんてよほどのことがない限りやらないと思いますが。輸血、というのは実はかなりリスクを伴う行為で、近親者からならともかく同型であっても赤の他人からの血液供与、というのは体調の不良を訴えたりするケースも多々あったりします。元々自分の体にはなかったモノを取り込むわけですし。
…占いというのは占星術にしてもタロット占いにしても、平安貴族の吉凶占いにしても、こんな安易なものではなかったはずであります。人間をいくつかのタイプに割り当ててその運勢を占う、というものではなく。あくまで占い師が相手の動向や状態から将来を予測する技術であったと思われます。…近年の「なんとか占い」というのはそういうのとは一線を画して未来や現状を予想して楽しもう、というエンターテイメントだと自分は思ってます。
例えば雑誌やテレビのちょっとした占い。それに一喜一憂するのも一つの楽しみですし、「今日の運勢いいのか」と楽しみにするのもよし。あるいは「悪い占いは気にしない」というのも一つの楽しみ方であります。もちろんあんなもん信じないよ…と言いつつなんとなくチェックしてしまう、というのもアリかと。
しかし、ああいう「占い」の技術というのは実はかなり高いものではあります(専門学校なんかもあるそうで)。つまりなるべく多くの人に当てはまるような、しかし誰か特定の人にも当てはまるような。そういう要素だけを簡潔に抽出しないといけない。さらに伝える側、つまり占い師はどんな状況でも落ち着いて対応しないといけない。
ちょっと考えてみるとホントはかなり難しいものであります。↑冒頭に挙げた血液型のそれぞれの特徴。コレの冒頭の「何々型は~」というのを消して「きちょうめん」「いいかげん」「両方」「おおらか」という単語だけで考えてみると。…シーンによってはどれもこれも誰にでも当てはまるものばかりであります。人間なんてそう単純ではありませんからコレの中の一つだけが性格として当てはまる…なんてなことはそうそうないもんであります。
血液型の分類に関しては諸説ありますがそれぞれを組み合わせるとその数は億を越える、という話もあります。その数で性格分類してくれるのなら説得力もあるかも知れません。億、ということは全人類の人口を約70億人とすると…それでも約70人は同じ性格、ということになります。…70人。最近は一クラス辺りの生徒数が減っているらしいですがそれでも2クラスほどにはなります。丸々2クラス。それが全部同じ性格…?
…まあ、ホント酒の席とかでの話題なら別にいいんです。でも…いいかげんそんなカンタンにコトが運ぶもんじゃないってこと…気づいた方がいいと思うのですが。完全にムダとは言いません。でも、もっと他の世界に目を向けてみてもいいと思うのですが。
…ああ、でも、訴えられたBPOてのもまた…なんか色々あるところですしねえ…血液型が差別、という考え方もなんだかなあ、要望書出すほどのことかな、とか思ってしまいますが…。
04:24 AM | 固定リンク