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06/01/2011

常識は変わる

きわめて日本人的と言うか何と言うか…こういうのにも国民性は出てくると思いますが。
「在宅勤務」に不安を覚える日本の会社員(Yahoo!:JBpress)
…たしかに休日でもないフツーの日の昼間に働き盛りの若い男がうろうろしてたら怪しまれますわな。実際は仕事内容によってはそういう人も大勢いるはずですんで…例えばオフィス街とかそういう場ならそうでもないかも知れません。しかし住宅街で、となるとやはり色々な目で見られそうですし…やりにくいだろうなあ。…ま、そういう職場ばかりの自分はもう慣れてしまってますが。

「何をやっていいのか分からない」とかそういうのもあるかと思われますが、「働く場所」の設定なんではないか、とも。つまり自宅というのは休んだりする場であって働く場ではない。逆に会社は働く場でしかない。そういう概念と言うか感覚が一度身に着いてしまうとなかなか変えられないもんなんではないか、と。
これがもし自営業で自宅=店=職場という人にとっては別に何ともないわけです。ただ、そういう立場の人が「在宅勤務」をやることになるか、となるとこれはまた問題が違ってくるのですが。

これも自分の例になりますが…育った場所、というのがあまり自営業の人が少ない場所ではありました。ごく近所に商店街があるわけでなし(あるにはあるんですが)。学校の同級生の親はほぼ100%会社員。そういうとこで育った人間がよそへ行って、小売店とかそういうのを実家に持つ人間ばかりのとこへ行くと…混乱することになります。いや、ある程度年食ってからなら適応もできるでしょうけどそうでもない時、となると。慣れてしまえばどうってことないんですがちょっとしたカルチャーショックみたいもんでありました。
それまでは「仕事と言うのは電車で会社まで行ってやるもんだ」と思っていたのが実は自宅でやってるケースもある、と。もちろん知識として知ってはいたのですが実際にそういうのを目の当たりにあると結構驚くもんであります。

やや大げさに見えたかも知れませんが。今まで学校卒業してからずっと会社に通勤してた人がいきなり今日から「自宅で自由に働いていいんだよ」と言われた時も似たような感覚になるんではないか、とか思っていたりします。あり得へん環境なわけです。それでずっと長いことやってきたのにいきなり、となると戸惑いが出る。
1960年頃の日本はいわゆる高度経済成長期というやつで、今では普通になっているサラリーマンが増えた年代でもあります。…それまでだって日本にもいたんですが今ほどフツーの存在ではありますまい。会社も小さなものが多かったでしょうし…何より終戦後で一から始める時代でしたし。
その時「働き盛り」だった人たちの子供たち、いわゆる「団塊の子供たち」は今、社会の中枢で頑張っています。そしてその子供たち「団塊の孫たち」が社会に出始める時期でもあります。

…その「団塊の子供たち」は親が会社行って働くのを見て育ってるわけです。そして自分たちも。それがいきなり「じゃあ、自宅でね」と言われても戸惑うってもんじゃないんでしょうか。その子供たち「団塊の孫たち」ならまた違ってくるかも知れませんが、世代的にはまだちょっと無理なんじゃないのかなあ、と思うのですが…「在宅勤務」って。
こないだ某情報報道番組で「節電しないといけないんだから、もう短パンで会社行ってもいいようにしましょうよ」とか言っててスタジオでも賛同を受けてましたが。短パンで会社行くのは問題ないんです。ただ、短パンで他の人に会うのが問題なわけです。それは過去から受け継がれてきた「恥」「礼節」の心の表れの一つであり…早々変えられるもんではありません。
…ただ、これも立場によっては全然問題ない(スタジオの人たちはそういう立場)わけで。しかしこれが日本全体のスタンダードになるには…まあ、百年近く必要なんじゃないのかな、と。多分我々より三世代くらい先には今では考えられないようなことが「常識」になってる可能性は高いと思うのですが。

01:03 AM | 固定リンク

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