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06/10/2011

思い込みの鎖を外せ

…とかそういう風に言うだけなら楽なんですが。じっさいに「やる」となると実はなかなか難しそうではあります。
災害時になぜ人は逃げ遅れるのか(Yahoo!:読売)…心の中の「あそび」つまり危機を危機と認識せずに正常の範囲内だと思ってしまうことが原因の一つだ、というお話であります。

実際に「こういうのが危険だ」という「知識」がないから…と言う言い方もできます。今回は津波の被害が大変に大きな地震でした。しかし中には一回高台に逃げたのになぜか自宅へ戻ってしまい、十分後くらいに再び来た津波に襲われた…というケースもあるとのことであります。
一回目の津波から逃げられたことで安心してしまって、ということもあるらしいのですが「津波は第一波が一番強い」という迷信?があって、それで戻ってしまったのではないか…という話もあります。実際はどのような状況だったのかは分かりません。しかし津波は何度も何度も襲ってくることもあること、とにかく高いところに逃げること、というのを徹底していれば被害はまぬかれた…。

と、当事者でない我々が言えるのはあの惨状を知っているからです。ちょっと時間を戻してみましょう。3/11より前の段階で「津波警報」が出たとして…果たしてどれだけの人が逃げるでしょうか? ここ何年、何十年と「津波って言うけどあんなもんだね」と警報が出ても何も変わらない港の様子を見続けていたわけです。
専門家は警告します。しかし専門家でない人間はそれが分からない。
だから今後どこかで「津波警報」が出たら皆さん真っ先に逃げることでしょう。もう理解できているのですから。…経験からしか理解できない、と言うのではなくどこかで可能性を限定しちまっているのです、人間は。そうでないと際限なく情報が集まり続けることになり…処理しきれなくなります。だからある意味仕方のないことなんですが…これが数十年も経ってしまうとまた同じことを繰り返すことになります。これも忘れる、と言うより「そんなことあるわけないだろ」と可能性を限定しちまう。そしてまた悲劇が起きる…。

…これを解決するにはどうしたらいいか。人類全部が可能性を広げたまま「ああいうこともあるかも知れない」「こういうことが起きるかも知れない」と思いながら生活することなんではないか…って、正に「杞憂」の故事そのものになりそうな気もしますが…でもこういうことも現代の人間には必要なの…かも知れない、とか思うことがあるのです。

02:01 AM | 固定リンク

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