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05/31/2011

終わった方がいいのか?

訪れなかった「世界の終わり」 その歴史をたどる(CNN)
先日の5/21もそうでしたが。「世界が終わる」という予言めいた発言は実は世界中にあったりします。…星新一だったかなあ、神話には始まりと終わりがあるものが多い、的なことを書いていたのは…。まあ、全部が全部じゃないと思うのですが、大抵の創生神話には終わりが明記されていたりします。有名なとこですと北欧神話の「ラグナロク(Wikipedia)」とかこれは諸説ありますが新約聖書の「ヨハネの黙示録(Wikipedia)」とか。

もっとも、これは「終末思想」というわけではなく、「ここで一旦終わって新しい時代が始まる」的な考えが強いものかと思われます。…「世界はもう終わりだあ!」とそのまま投げっぱなしで終わる、という考えよりも「もうちっとしたら今の世界が終わって新しい世界が来る」という考えの方が多いんではないか、と個人的には思っておるのですが。↑ヨハネの黙示録にしてもミレニアムの始まりの前に大変なことが起きる…という論調ですし。ラグナロクにしても神々の戦いの後に新しい生活が始まってますし。
日本の場合は…平安から鎌倉辺りに流行?した「末法思想」というのがあります。
末法思想(Wikipedia)
ただ、これは仏教の正しい教えが広まりにくくなる時期を末法としていて、これが始まるということは仏教が広まらない→救いがなくなる…ということから「世も末だ」となった、とのことで。当時の社会的不安なんかもあって広まった、やはり一種の「終末思想」なのかも知れません。

そう言えばノストラダムスの大予言、なんてのもありましたか。…あれは実は日本でだけ流行した血液型占いみたいなもんだ、という話もありますが…ノストラダムスという人は実在した医者だ、というのは逆に日本ではあまり知られていなかったりします。
…西暦何年、というなんか意味ありげな年数の時に何か起きる、というのはよく聞いたりするんですが。よく考えてみたら西暦なんて人間が勝手に作ったもんで、自然現象がそれに合わせて何かする、というのはおかしな話なんですが…結構もっともらしい話になっている場合もあったりして。そう言えば「惑星直列の時に人類滅亡」みたいな楽しい説もありましたな…。

前にも書きましたけど。こういう話、嫌いではないんです。むしろ好きな方で。ただ、デキの悪い話を見聞きするとツッコミたくなってしまう、というアマノジャクな性分なもんで…。

まあ、それはそれとして。「終わり」を望むというのは古今東西どんな人間でも持っていた一種の「願望」ではないか、とも思うのです。終末思想というのは究極の「逃げ」であります。自分だけではなくて周りどころか世界全体を終わらせて逃げてしまう。…しかし逃げっぱなしというわけにもいかない。だから終わったら何か始まる、新しくて素晴らしい悩みのない素敵な世界が…とかそんなところに落ち着いたのではないか、と。
自分の人生をやり直したい…いや、全部をやり直したい。世の中全部。一回なくしてしまって新しく作り直した方がいいんじゃないのか…?
…そこまでカンタンなもんではないのでしょうけど。でも人間なんてそうそう変わらんもんでありますから…昨今の目を覆いたくなるような、もう全部リセットしちまえ的な現状を見聞きするたびにいっぺん終わって、また別の世の中を始めた方がマシになるんじゃないのか…てのはどっか賛同できそうな気もするのです。

ただ。終わってまた始まってもまた同じよーな世の中にならないって確証もないわけで。結局そんなのを何度も何度も繰り返しているだけ…なのかも。世の中なんて。

02:00 AM | 固定リンク

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