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12/22/2010
昔から
そんなもんじゃないのか、と思いますが。
日本の美術品オークション大手、シンワアートオークションが日本国内ではなく香港で現代アートを取り扱う店舗を開設(Yahoo!:ウォールストリートジャーナル)。「芸術に冷たい日本人」ではなくて「実物を尊ぶ日本人」なんではないかな…と個人的には思っております。何度かこの「あれこれ」でも記したことのある「日本人は無形のものにお金を使いたがらない」というのはここんとこの不況の影響もあって、一部ではさらに加速しているような気さえするのです。
…↑記事は「現代アートが日本ではあまり見向きされていない」ということであります。現代アートは別に「無形」のものじゃないんですが、なんか、どっかで繋がってるような気がしたのであります…。
これは日本人に限ったことではないのかも知れませんが…でも日本人らしい?と思うものに「自分の理解の範囲を超えたモノを拒絶する」というのがあります。先の東京都のマンガ規制条例も同類かと思われますが、「自分」という個人が拒絶反応もしくは理解不能、となったモノに対しては「あんなもんくだらねえ」と切って捨ててしまう…。
ただ、日本人だけではない証拠?に↑記事でも取り上げられている村上隆氏の作品がパリ・ルーブル美術館に展示された時、地元の一部から「あんなもん置くな」と抗議がきたとのことで。だからこういうのは世界共通なのかも知れんのですけども。
日本人の場合、何と言うか…やけに「結果」と「儲け」にこだわるような。例えば骨董趣味というのは日本でもれっきとした趣味となってますが、これが古い茶碗であったり掛け軸であったりすると「粋ですな」「わびさびですな」となるのにアニメDVDやフィギュア、さらには鉄道各線のスタンプ収集とかそういうのになると必ず言われる言葉があります。
「そんなの集めて何になるんだ? プレミアでもついてるのか?」
…まー歴史のあるなしでも違ってくるかも知れませんけど。骨董趣味というのは戦国期にその源がある、と言ってもいいくらいですし。
「これは将来いくらになるのか」
とかそういうこと考えながらアート買っても面白くないんじゃないのかな…と。骨董趣味にしても将来への投資、という位置づけでやってる人がいるのは事実で、まあ、その人のお金なんだからとやかく言えるわけもない、というのは分かってるんですが。
純粋にアートを楽しむ余裕もないのが日本人、ということになるのかも知れません。たしかに「超」お金持ちてのはバブル以降激減してます。でも「アート」ということで楽しむなら別にそんなお金持ちでなくても楽しめるとは思うのですが。…たくさんのお金持ちが高額で買うことでお金の循環ができてクリエイターにもお金が入りやすくなって創作しやすくなる…てのもあるにはあるんですけども。
そしてもう一つ。教育もあるのかな、と。感性どころかヒトの思考てのは無限大であります。が、例えば絵にしても「本物そっくりに描く」とか物語読むにしても「これこれはどんな気持ちなのか」で正解が用意してあったり(最近はそういうことまでやってないのかなあ…)すると、そんなもん育ちようもないでしょうに。
もし、現代アートに限らず無形の創作物から自由な発想とやらまでも根付かせたいのなら…教育から変えていく必要がある…のかも知れません。
01:14 AM | 固定リンク