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10/03/2010

日本最古?のスシ

鳥取・大山寺僧坊跡から最古のスシの遺物発見?(Yahoo!:毎日) とは言っても見つかったのは炭化米、つまり焦げて真っ黒になってしまった米の塊で…当初は「最古のオニギリ」とか言われていたんだそうであります。…それが「スシ」ではないか、とされたのは「押し固めた跡」があったこと、何か植物質のモノ(葉?)で包んであったからなど、とのことであります。
なお…この「スシ」は押し寿司と見られています。関西地方では良く見るバッテラとか鱒寿司とか。ああいうのに似たものではないか、と。

誤解のないように申し添えますと。現在寿司屋や回転寿司店で見る「握り寿司」ではない、ということです。
寿司がいつ頃からあったか、というと。今現在主流の「握り寿司」なら江戸期、大体1800年代の始めから中ほどの頃の文化や文政年間が発祥となってます。その頃の寿司は今とは違う点がいくつかあったようで。例えば今のと比べると大きい。時代によっては1カンでご飯茶碗一杯分はあったようで…こうなると主食であります。さらにネタにいわゆるナマモノが少ない。当たり前ですが保存技術が今ほどに発達してなかったので…煮たり焼いたり。あるいはヅケにするのが主流だったようであります。
そして屋台が基本。戦後になって屋台でナマモノが扱えなくなって姿を消しましたが。寿司屋の「カウンター」は屋台をそのまま屋内に持ち込んだから、という話もあります。

それとは別に文献上なら平安期、日本でも日本以外でもさらに昔からあったとされている「スシ」は「なれずし」とも言い、米と塩と魚を合わせることによる発酵食品で、多くは保存食でもありました。
今現在ですと、正式?に残っているのは滋賀県は琵琶湖産のフナをつかった「ふな寿司」でしょうか。…フナを米と合わせるんですが出来上がると米はほとんど原型をとどめていません。古来の「スシ」はこの米をとりのぞいて漬かった魚を食べる、というものだったようで。米は発酵させるための調味料?だったわけです。
しかし時代が進むと時間がかかる「なれずし」は「米も一緒に食べる」形式に変化していきました。米粒の形をなくすにはかなりの時間がかかりますが、そこまで時間かけんでも…ということで米粒残して一緒に食べるようになったのではないか、と。一説には取り除いた米は捨てることになり、もったいないからそうなったんだそうであります。

今回見つかったのもこういうタイプのもの(そうでないと米粒まで残らない)なんですが。現在は押し寿司には酢飯を使いますけど当時は多分使ってなかったんじゃないのか、とか色々違いや疑問はありそうで。しかし…調理したモノ、というのは遺物としてはまず残りません…これまでスシや料理の研究が困難なのもそこに原因の一つがあるんだとか。…そういうとこ、生物の化石に似てるような。基本的に骨格など硬い部分がないと残りませんし。羽毛が化石として多数残っていたら恐竜の想像図だって大分違っていたのかも知れません。

多分火事か何かで焼けたため今回は残った、とのことで。…焼き寿司? いやいや、炭化ってことですから非常な高温にさらされ続けたと思われますが。

01:05 PM | 固定リンク