06/18/2010
肉を喰う
平城京の役人は肉食だった?(Yahoo!:産経) 基本的に日本人は肉食をしない、ということになってます。一つには675年に天武天皇が肉食禁止令を出しているからでしょうか(理由は諸説あるんですが)。その後も「仏教徒は肉食を禁じられているから」ということで肉を食べなくなった…ということになってます。江戸期にロシアに漂流した大黒屋光太夫も、漂流先では勧められた肉を断っていた…とかそんなエピソードも残っています(もっとも、後にはみんな食うようになった、てな話もあります)。
…じゃあ、動物を狩ることを生業としている猟師はどうしていたんだ? という疑問も湧きますけども…↑の肉食禁止令は猟師は対象外だったとのことで。でもその後もみんな結局肉食してたんではないか、とか。あるいは江戸に存在していた獣肉販売店「ももんじ屋」の存在とか。江戸幕府は仏教保護が方針でしたから、肉食がダメな仏教がそれほど広まっているのならそういうのがあるのはおかしいんでは…?
実際のとこ「ももんじ屋」で売られてるのは「薬」ということにされてたりして。あるいは「四足」を喰うのがイカンのであって「二足」の鶏やそれっぽく走るウサギならいいんではないか…と、結局は喰える機会は実はそれなりにあったんじゃないかと思われます。獣肉系の特産品が伝わっている地方もありますし。
そもそも「仏教では肉食を禁じているから」てのもどうか、と。戒律の一つ「不殺」からで精進料理とかそういうところから来ていると思われますが…じゃあ、一般市民は結婚もしなかったんかい、と。修行僧ではないヒトがそこまでしていたのかなあとか思ってしまいますが。まあ、流派が多いですからそういう宗派があってもおかしくはないですが、ここまで皆が守るほどだったのか…と言えば疑問が残るような気がします。
今ほど普通に流通してなかっただけなんじゃないのかなあ…というのが個人的な考えだったりします。
実は日本でも牛を喰ってた、という記録はあります。いや牛だけじゃなくて馬も。こういうのは基本的に農耕用ですんで喰ってしまうとそれだけ力が減ってしまいます。だから、食べるのは老いてしまったりよほどの場合のみ。が…その場合は正に「薬」なわけで。調理法にもよりますがかなり硬いものだと予想されます。現代の食肉用の若い牛とは全然違うほどに。
鶏だって今の50~60代以上の方なら結構普通家庭で「シめ」てましたがやはり若鶏の方が柔らかくて美味いんだそうで。今、スーパーで売ってる鶏肉は若鶏のみです。もし、卵を産まなくなった廃鶏が出てきたら…食べ慣れてない人はまず受け付けないんじゃないでしょうか…?
今とは位置づけが違う、とでも言いましょうか。牛や馬はあくまで「農耕用」であって「食用」じゃない。でも食べる時は食べることもある…くらいの。で、食用はまた別の肉があったわけで。
「ももんじ屋」で売られているのは牛や馬ではなく狩ってきた野生動物の肉。こういうのの処理方法(血抜きとか)は時代が変わってもさほど変わらんもんですが、鮮度の問題は残ります。ある程度「熟成」させた方が美味い、という話もあるにはあるんですが…程度ってもんがありますし、今のような交通網がない江戸期に周辺の地からの即日配達なんか期待できますまい。良くて現在で言うところの東京都二十三区内くらいなんではないでしょうか…当時は今とは違って結構そういう動物がいそうではあるのですが。そういうのを主に喰ってたんではないか、と。
…一説には肉食をしてた(というより誰も禁止できなかった)戦国期から江戸初期の頃の日本人の身長は今とさほど変わらず。逆に肉食をしなくなったとされる江戸中期以降の日本人は背が低くなった…と、そういうのもあるんですが。
なんか、もっと貪欲に色々喰ってた気がするんですがね。まあ、守らないといけないもん、てのは時代それぞれですんで何とも言えんところもあるんですが。でも人間てのは喰うことに関してはどんな制約も跳ね除けてしまう、そんな生き物ではないかと思ってるんですけど。
09:08 AM | 固定リンク