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04/14/2010
割り切れない
「効く」「効かない」だけでは割り切れん世界だと思うのですが。
「伝統薬」都内にアンテナショップ(Yahoo!:毎日)。「伝統薬」とは日本各地で生薬や漢方薬、もちろん西洋薬も取り入れて発達してきた「薬」のことを言います。長い歴史を持つものも多いです。それだけ地元のみならずたくさんの人に支持されてきた立派な「薬」なのですが。…ここまでしないといけないもんなんだろうか…。
日本では置き薬という風に各家庭に薬が常備されているのが当たり前だったりします。これが欧米とかよその国になると「薬は医者で処方してもらうもの」という認識が当たり前で「家に薬がある」というのもなかなか理解されなかったりしますが…それも国民性のようなもんではないか、と個人的には思っていたりして。一定の効能のある薬が常備されている、てのはある意味万全の備えで素晴らしいんでは…とか。
例えば時代劇では有名な「水戸黄門の印籠」ですけど。「印籠」とは別に家紋を示すだけのものではなく。旅の道中に何かあった時のための「薬」を持ち運ぶためのものだったりします。もちろん命を左右するような大掛かり?な薬ではなく…水あたりとか食あたりとか。そういった軽い?もののためではあったようなんですが。
日本中で旅行などが盛んになった江戸期はもちろん、それ以前から現代に至るまで脈々と伝わってきている「伝統薬」もあります。そりゃあ、科学的にとか医学的とかそういうことを言われるとたしかに「怪しく」なる要素があるのも否めません。が…実際に効能のある人がいたりして。さらにその効能を信じて今までそれをよりどころとしてきた人も多数いるのも事実ではあるのです。…そうでないと数百年とか続いてるわけがない、と思うのですが。
しかし。例の改正薬事法で第2類以上となった「薬」は「対面販売」、つまり売る側の人間と直接会わないと販売できないようになってしまいました。地域性の高い「伝統薬」は現行では電話に頼る面が大きく、このままでは廃れてしまう可能性があります(一応2009年6月から2年間は継続的に利用している人なら今のままで利用できますけど…2011年6月以降はどうなるのか、まだ分かりません)。
なんでこう簡単に割り切ってしまうのかなあ…その辺が疑問であります。↑記事中にあるようにこの改正案はそもそもはネットなどで簡単に違法性のある薬物が手に入る状況をどうにかしよう、ということで始まったものであります。もちろん、その方向性は問題はないのですが…。
だったら「大衆薬」「伝統薬」などそういうものを精査して、違法性はないのだから今まで通り電話受注も可、というようになんでできないのか、その辺が非常に疑問なわけです。「これこれだから全部ダメ」とか簡単に割り切ってしまうのではなく。もっと柔軟性を持たせてもいいんではないか、と。「杓子定規」と言えばお役所の定番ではあるのですが、今こそそういう「お役所仕事」から脱却すべきではないんでしょうか…?
そんなに難しいことだとは思われません。ただ、前例がなくちょっと気をつかうだけだと。そして…こういう事例は改正薬事法に限ったことではなさそうな気がしてます。…もうちっと自分以外のことを考えてほしいな、とかそんな風に思う次第ではあります。
06:31 AM | 固定リンク