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12/28/2009

ホントなら

すごいことですし、他の国でも盛り上がりそうなんですが。
中国の安陽市安陽県の安豊郷西高穴村の「曹操高陵」を三国志の「曹操」の墓と断定(Yahoo!:サーチナ)…別ソースでも三国志・曹操の墓発見(Yahoo!:時事)と、ありますが。
…なんだかホントなのかな、とか思ってしまうんですが…2世紀とかそれくらいのことになるのに、ここまで言い切れるのかしらん? とか…。ま、そういう事例が世界中に全然ないってわけでもないんでアリなのかも知れませんが。

なお、その頃の史書が「三国志(正史)」となります。今現在色々なメディアで活躍?してるのは後に編纂し直された「三国志演義」と呼ばれる創作要素の多分に入った書物が基になってます。一応「正史」では魏が正統ということになっているんですが…ご存知のように演義では(特に日本では吉川英治版や横山光輝版の影響が強い…)劉備の蜀が中心になっていたりします。
その魏を建て、発展させたのが曹操であります。曹操と言えば三国志では非常に名の知れた、どころか主役級の一人であります。三国志そのものをあまり知らない、という人でも「ソウソウ」という名前くらいは聞いたことがあるかも…知れませんがちょっと希望的すぎますか。いずれにせよ高名な人物であります。

よく知られている話の一つに軍略書として名高い「孫子」に曹操が注釈をつけた「魏武註」「魏武帝註」の孫子が存在している…というのもあります(入手もカンタン)。孫子の成立は紀元前ですから時代的にはもちろん、内容的にも高く評価されてる、ということになるのでしょうか…。

…日本では織田信長と並んで「悪のヒーロー」的な扱いの曹操なんですが。それでも人気のある人物には違いないわけで。そういう人の墓です、てのは…なんかやっぱり複雑なんですが。一説には曹操は墓荒しを嫌ってかなりの数の墓をダミーとして造らせた、なんて話もありますし(ちなみに剣豪・宮本武蔵の墓も荒されないために複数ある…なんて話もあったりしますけども)。
それでも学術的に正統ならばそれはたしかに曹操の墓、ということになるのが正しい、とは思うのですが。まあ、2000年近くも経っちまえば100%の真実なんてのは誰にも分からなくなってるもんなんですが。

05:10 AM | 固定リンク