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11/09/2008

意思は必要なのだけれど

内閣府が昨日、「臓器移植に関する意識調査」の結果を発表しました(Yahoo!:読売)。それによると…「提供する意思のある人は」は全体の44%で、1998年の調査開始以降最高値になった、とのこと。
が…臓器を提供する・しないの意思を表示できる「臓器提供意思表示カード」の普及率は8%と依然低迷したままではあります。
トランスプラント・コミュニケーション [臓器移植の情報サイト]
 →臓器提供と意思表示カードについて(トランスプラント・コミュニケーション)
…↑上記ページにどこでカードが手に入るか、ということが記されてあります。結構意外なところ…行き慣れたスーパーとかコンビニとか…にもあったりして、入手自体はそれほど難しくないのが現状なんですが。ただ…同ページのちょっと下に2000年の普及調査の結果が載ってますが…9.4%。今年と8年前と調べた方法が同じかどうかとか、そういう詳細が分からないので単純に比較するのはどうか、と思いますが…ほとんど普及してないってことには違いないような。やり方は色々あると思うのですが…もっと普及しないと意味がないような気もしてます。

臓器移植というのは当たり前ですが受ける側・渡す側が存在します。自分の臓器を誰かに渡してしまう。もちろん医学的に様々な審査や調査を行なって適正である、と判断されて手術が行なわれます。…受けることができれば死亡が確実視されてる患者さんでも持ち直す確率がぐん、と跳ね上がるので医学技術の進歩した現在では世界中で行なわれている治療法ではあります。
しかし…当然高度な技術が求められるのでその代償は非常に高価になります。そのためヤミでの臓器売買が横行している地域、というのも多々あるという話です。基本的にどの臓器でも生きてるうちに取ってしまうと生命活動が怪しくなりますが…唯一二つある腎臓だけは生きてるうちに売ることができます。…さらに悲惨な例、というのも存在してますけども…。
そこで亡くなった方から臓器の提供を受ける、というのが一般的ではあります。これはあくまで善意なので金銭的な取り引きは存在しない、というのも前提になってます(移植を施すお医者さんには術費を払いますが)。そうでないともっと悲惨な例が横行しかねません…過去に日本でも「献血」ではなく「売血」というのがあったんですが…やはり悲惨な例は多数あったそうであります…。

そういう臓器移植に対して、自分がもし提供できる状態になった時…そういう場合、自分で意思を表すことは不可能…その時にどうしたいのか? それに対応するのが「臓器提供意思表示カード」になります。ただ、これはあくまで「自分の意思」であって家族が反対すれば例え「移植します」としてあっても移植はされません。そういったガイドラインは結構厳しいものなので、そういう状態になったから問答無用で臓器持ってく…てのはあり得ないことになります。
つまりは自分と家族…周囲の人たちとの連絡によって成り立つのですが。
こういうのは普段の状態ではなかなか話しにくい話題ではありますし、臓器提供、ということで普通にOKしててもいざとなったら拒否…ということもあり得ます。提供することには反対しなくても自分の家族が…となると反対が起きそうな。考えてみてください、自分の身近な人がそういう状態になって。カードには移植しますとの意思表示。家族も総意としては賛成してる。でも自分は…どうする?

「移植する」「移植しない」これだけのことではあるのですが…難しいことではあります。でもこの判断は非常に重要なことなんですがあんまり世間的には認知されてません。そのいいきっかけになる「臓器提供意思表示カード」が今の普及率のままこのままずるずるってのは…なんか、もったいないように思うのですが。

12:41 PM | 固定リンク

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