« サンタ追跡 2007 | トップページ | 黄金色の液体のパン »
12/25/2007
パトラッシ!
「フランダースの犬」と言えば日本では涙腺決壊アニメの定番で、本放送はもう相当前になるんですが、今でも熱烈なファンの多い作品ではあります。特にネロとパトラッシュが大聖堂でルーベンスの絵を見上げながら死んでいくシーンは…もう。…ところが欧米では「負け犬の死」というイメージが強く評価されることもなかった(Yahoo!:読売)んだそうで。限定的に言えば日本人だけに「泣けるアニメ」ということで人気がある、という…そこでベルギーの方が検証映画を作ったんだそうであります。
それによりますと日本人というのは友情や信念によって死ぬ、など一種「潔い敗北」に大いに共感するのではないか、ネロとパトラッシュの死はその象徴的なものではないだろうか…という見方なんだそうですが。
…アニメではパトラッシュはセントバーナードっぽい犬ですけど原作は黒い別の犬種だ、とかそんなどうでもいい?知識もあちこちで披露されておりますけども。
本編、見たことないんだよなあ…全部は。あの有名なラストシーンはあちこちで見るんで、知ってはいるんですが。これもアニメやマンガに本格的に触れ始めたのが遅かったせいでもあります。ガキん時は禁止されてたんで。
逆に、そういう人間からすると「フランダースの犬=泣けるでぇ」という絶対的?な図式に触れるとどっか、疑問を感じることもあったりします。特にテレビ番組なんかで「懐かしのアニメ」とかやられても…ほとんど見てないこっちは懐かしくもなんともないわけで、その流れでパトラッシュ出てきてスタジオで同年代のタレントさんが号泣したりしてても…こっちはその因子を持ってないんで「はあ、そうっすか」とどこか冷めてしまったりします。
しかし「滅びの美学」と言うか何と言うか。
星新一のシリーズ物「ほらふき男爵の冒険」で男爵が地下から日本へ来る話があって「人間、滅ぶ時は滅ぶんです」とそういう「美学」を語る日本人(でもなぜか核シェルター在住)が出てきた、と、そんな記憶があるんですが…いや、原本が手元にないんであやふやなんですけども…たしかそんな内容だったかと。
何か一本貫くモノがあるなら敗北や死もまた美しい。そういうのを尊ぶ考えてのはたしかに欧米にはないもんかも知れません。
…でもなあ、実際は「弱いモンへの憐憫」とかそういうのもあるんではないか、とも思うんですが。「フランダースの犬」で大聖堂で死ぬのが生活に疲れ果てたおっさんとそこらの野犬だったらここまで「泣ける」モノにはなりますまい。…例としては極端ですけども。
あるいは「弱いモノが強くなろうとあがく」モノも日本人には受け入れられやすいのかも知れません(欧米の映画ってえとハナから強い主人公が多いような、そんな気もするんですが)。強くなる途中で死んでしまう…という流れもアリなんではないか…とか。
こういうのは「日本人はこうだから」「欧米の人はこうだから」と簡単に決めてしまえるもんでもないんですが。日本版フランダースの犬見て号泣するアメリカ人だっているでしょうし、いわゆる「泣き」系の創作物を「暗い」と言って切って捨てる日本人だっているわけですし。
…それでも、どっか、「流れ」みたいなもんはあるわけで…そういう差異をきちんと理解して作っていけたらいいんじゃないのかな、いやでもそういう「違い」を楽しむのもまたアリなんではないのかな…と日本原作であっち創作のアニメやら映画やら見るたびに思うのですが。
02:10 PM | 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
この記事へのトラックバック一覧です: パトラッシ!: