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06/06/2007
やや不謹慎(自分が)
…最初聞いた時はシャレかジョークかと思ってたんですが。
アメリカのオハイオ州にオープンした「天地創造博物館」で聖書の観念を科学的?に証明(FNN HEADLINES)…と、そういう展示をしているとのことで。
…別にどういう宗教が悪いとか(そりゃ人に迷惑かけてるのはイカンですが…って、あれ?)そういうことは言いたくないのですが…でもそういう「真実」てのは人の数だけあるって言われりゃそれまでではあるのですが。
自分もキリスト教徒というわけでもないですし、近くにそういう人がいるわけでもないので…どうも見方が偏ってしまうのをご了承ください。…部外者が言うとやっぱり不謹慎になるもんではありますんで…。
宗教と科学というとどうしても「対立」が出てきてしまうものではあります。
今現在でも科学サイドでは「生命の起源」というものを探っております。これはまだまだ諸説あるものでどれが完全に「正しい」とは言えない状態。もしかしたら正解を探し出すことは限りなく不可能に近いのではないか…という見方もできてしまいます。
が、宗教…キリスト教ではこれに答えを出してます。「神が全てをお造りになった」と。
ではそれを万人が理解できるように説明してくれ…というのが科学サイドの意見なわけですが宗教側はそれをなし得てません。…「神」の定義そのものだって宗教宗派個人によってバラバラなのに万人が理解できるように、てのはかなり難しいような。そもそも宗教てのは救いを求める場であって真相究明をする場ではない、という見方だってできますし。
考え方の根本が全然違う「宗教」と「科学」なのでどうしても「対立」が起きてしまうわけです…。
で、↑こういう博物館というのは科学の領域だと思ってたんですが…そこへ宗教が乱入?してしまうとなると。これはなんだか一種のルール違反のような気がしてしまうわけです。これが「こういう考え方もあるんだよ」的な展示ならまだ理解できるんですが、「こっちが真実だ」的なもんだとすると…そこまで介入?してもいいもんなのかどうか、と。
しかも↑いくつかツッコめるところがあったりしますし(ただの誤植なのかも知れませんが)。そもそも恐竜の形だって調査方法だって科学の手法で得てきたものなんじゃないのかなあ、その辺も宗教の手法でどうにかした方がまだよかったんではないかな…とか無宗教の自分なんかは思ってしまうわけではあります。
04:10 PM | 固定リンク
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