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03/29/2007

「いが」と「こうか」

三重県伊賀市の市長さんと滋賀県甲賀市の市長さんが手裏剣対決、負けたら勝った方の市をPR…というのが3/24に行われたのですが。結果は伊賀市長さんの勝ち。…ということで甲賀市役所に伊賀観光のポスターがお目見え(Yahoo!:京都新聞)。「ノルマ」ではあるのですけれど、甲賀市役所では今後も伊賀ポスターの掲載を続けていくとのことです。
なお、「伊賀」は「いが」と読みますが「甲賀」は正式?には「こうか」と読みます。地名では「甲賀市」は「こうかし」となります。…しかし忍者関係の時だけは「こうがにんじゃ」になるんだそうで。
伊賀上野観光協会
甲賀市観光ガイド

江戸期の講釈辺りが起源になるんでしょうか…伊賀vs甲賀の忍者対立。もっとも徳川方についた伊賀と豊臣方についた甲賀ではどうしてもそういう構図になってしまいそうではあります。格好のネタではありますし。…ただ、どうしても伊賀が善で甲賀が悪、といった風になるのも時代の流れと言うか勝ったのは徳川だから仕方ないと言うべきでしょうか…。
そもそも「にんじゃ」とは何だろうか、という疑問もあります。
元々は鎌倉時代とか室町時代とか。あるいはそれ以前から存在していた諜報活動を専門に行う人たち…といったところでしょうか。敵方の情報を探ったり様々にかく乱してみたり。暗殺などの「ウラ」で動いていた人たち、という印象があります。
実際のとこは…どうなんでしょうね、正確なことなど分かりはしないのですが。
ただ、江戸期以前の武士というのは普段は農耕作業やってていざという時に刀や槍持ってはせ参じる…という形が基本だったわけで。忍者と呼ばれた人たちもやってることはそういう「武士」と変わらない。フツーにそういう業務?をこなしていただけだ…ということなのかも知れません。海外物でよくあるようなスーパーマン的な役割では決してない存在。フツーに呼ばれてフツーに仕事してただけ、なのかも知れません。
それでも特殊な技能を持っていたことは間違いないわけで。例えば薬作ったりだとか罠仕掛けたりだとかはそこらの人が簡単にできるもんではありません。そういう特殊な技能を持った人たちの集団なわけですから色々と使われたんではないでしょうか…ホント、色々と。

現代でも宗家みたいなのが残ってるとか、秘伝の巻物もある…とかそういう話もありますが。…市長同士の手裏剣対決とか、そういう害のない方向で残っていく方がイイのかも知れません…色々と。

02:31 PM | 固定リンク

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