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04/26/2006

一種のタイムカプセル

シーボルト、と言えば江戸期に日本を訪れ、いわゆる「シーボルト事件」の発端になったドイツ人としても知られていますが…その他色々なことに影響を及ぼしていった人物でもあります。例えば「鳴滝塾」という長崎の蘭方医・蘭学者養成塾?創成のきっかけになったり(もちろん塾長として赴任)。そして日本に西洋のことを伝える一方、西洋に日本のことを伝えた人物でもありました。
何せ日本の動植物ではかなりの数、この人が関わっています。
オランダ・ライデン自然史博物館の琵琶湖固有種の標本は淀川水系で採取か(Yahoo!:毎日)…アユモドキと言えばシーボルトが世界に紹介したことで知られている淡水魚ですが、これも淀川水系で採取したのではないか…とのこと。

当時、基本的に外国人(日本国内に入れるのはオランダ人と清国人)は長崎の外へ出ることはできませんでした。…特にオランダ人は。出島という扇型?の埋立地にのみ居住や行動が許されていました。実際は他国人でも(シーボルトはドイツ人)オランダ人のふりをして日本に入って来ることはできたそうですが。逆に出島に入れる日本人も制限されてました。が…こっちも通詞(通訳)の付き添いという名目で出島に出入りしてた日本人もいたそうですから、あいこ、と言えばあいこではあります。
しかし、そういうオランダ人のふりした他国人が唯一江戸にまで来れる機会があります。数年に一度商館長が「江戸参府」して将軍を訪ねることがあるのです。当然長崎から江戸までの大名行列が組まれることになります。瀬戸内海は海路で行くのですが、東海道はずっと陸路。…シーボルトもこれに同行していて、この間に色々調査してたのではないか、とされてるわけです。動植物の採取だけではなく富士山の高さを測量した、とかそういう話もあります。
こういう調査等はシーボルトに限ったことではなく、例えば浅間山の大噴火にちょうど居合わせたオランダ人が描いた噴火の絵?なんてのも残っているんだそうです。

江戸期の標本の数々…。
こういうのをきちんと調査できたら江戸期の日本の淡水魚の様子、だけではなくその他にも色んなことが分かるのですが…結構シーボルトの標本、てのは散逸してしまっているんだそうで。それらを集めて調査、となると…かなりの時間がかかりそうではあります。すぐに、というのは無理っぽい。言い方変えれば今まで知られていなかった標本、なんてのがどっかからひょっこり出てくる…なんて可能性もあるんですが…。
いや、標本ではないのですが…実はシーボルトが江戸へ来た時になんと江戸城の見取り図を手に入れていた、という話があったそうで。でも現物がないので本当かな?という状態だったそうです。しかし平成になってからそれが発見されてます。こういう話は他にもまだまだあるのかも知れない…。

なお、多数の逮捕者が出て自身も国外退去になってしまった「シーボルト事件」、その発端は大きな成果をあげることのできたこの「江戸参府」にあった、という…なんだか皮肉な結末になってます…。

08:33 PM | 固定リンク

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コメント

こちらこそ初めまして。今日(9/23)がシーボルトの命日だったのですね。色々影響してった人物ですが…まだまだ分からないことも多いんだそうで、今後も何が飛び出してくるか楽しみ?ではありますね。

投稿者: 信天 (Sep 23, 2006, 5:22:54 PM)

はじめまして、私もシーボルトに興味を持っています。

彼の残した資料やコレクションはとても貴重で詳細にまとめられていますね。川原慶賀の描写力もさすがです。

私も今回ブログでシーボルトについて記事にしました、よかったらいらして下さいね~ではまた!

投稿者: ルーシー (Sep 23, 2006, 3:42:39 AM)