10/27/2005
「女性」と「女系」
小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が「女性・女系天皇を認める」方向で一致(Yahoo!:YOMIURI)。ずいぶんと長いこと議論してて結局その結末かい、とちょっとやさぐれてみたりして。…いや、天皇は必ず男でないといけない…なんてことはないんですが。ただ、なんだかずいぶん長いこと引っ張ってきた観が強いもので。まあ…簡単に結論が出る問題ではなく。今の皇太子殿下はまだお元気ですし(…当たり前だ)、愛子さまも問題なし、となると…やっぱり時間のかかることになりそうな。今すぐ次の天皇を…というわけではありませんし。
いわゆる「二元支配」という体制でした、昔の日本。
天皇家の祖先については神話の世界になってしまうほど古い家系、ということは分かっていても、そもそもは…となるとよく分からない。…この辺、民族だの思想だの色んな要素が複雑に絡み合ってますんで…うやむやの方がいいかも知れないんですが。
ともあれ、天皇家+どこかの家、という形はすでに貴族社会が繁栄し始めた頃からあったわけで。その後の武家社会においても同様。江戸期になって安定してきても「天皇は京都、将軍は江戸」ときっちり分かれてました。…建前は天皇家の治める国家、しかし実は徳川将軍家が実権を握っている…という形だったわけです。外国からは結構奇妙に見えたようで。開国を迫る国にとってはどっちと協議したらいいのか分からない。
これが崩壊?したのが明治以降。天皇をもって日本の元首とする…という方向へ。この時「二元支配」はなくなり、後の民主主義国家への変遷、そして終戦後「象徴」として権力のない存在となって現代に続いています。
しかし、権力がないったって影響はばりばりにあるわけで。特に戦後、無数にあった「宮家(天皇の血族)」を解体していくつかが民間人?となりました。それにしたって一般庶民のように路頭に迷ったわけではなくそれなりの地位になりました。なお…宮家と、江戸から明治に変わった時の「華族」は違います。こちらは公家がなったもの。つまりは天皇家の家臣がなったもの。将軍家の家臣などの武士は「士族」となりましたが…こちらの多くが没落してしてったのに比べると…いや、華族もそれなりに大変だったんでしょうけど…。
ちなみに天皇家から民間に嫁いだ先は「島津」と今度は「黒田」。…いやまさか関係ねーとは思うんですが、ね…。
さて…宮家も整理されて数が減って、正式な跡継ぎは今上天皇陛下と正妃である皇后陛下の御子のみ…となってくると今度は大きな問題が。
子供が生まれなかったら…どうしよう。
それまでは側室もありましたし、宮家もたくさんあったんで、正統に生まれなくても二番目、三番目が控えてました(この辺は江戸期の武士も同じ)が…側室もなく宮家も減って。しかも…昭和天皇~今上天皇~皇太子…と「男の子」が生まれていない。皇太子が即位されたとして、次はほぼ間違いなく愛子さま。で、その次は…? となってしまったわけです。
別に今まで男尊女卑だとか、そーいう理由で「女性天皇」を認めてなかったわけではないのです。「女性天皇」は問題ない(過去にもたくさん例がありましたし)のですが「女系天皇」を認めるかどうか…が大きな問題になってました。「女系」とは女性の子供の意。女性天皇の子供が天皇になる…というケースは今までなかったんです。皇室典範でも「男系の男子を天皇とする」になってますし。
今回の結論はこの「女系」を認めた…というところに大きな進歩があります。生物学的・遺伝的に見れば男系だの女系だの、てのはおかしな話なんですが。しかし…色んな要素が歴史的にもこんがらがってしまってきてる天皇家。一応の結論は出ましたが…例えば女性天皇と結婚した男性の扱いであるとか、そういう面での問題は山積み。やっぱりまだまだ時間がかかりそうです…
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