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10/28/2005

積ん読

いわゆる「活字離れ」中高年の方が深刻(Yahoo!:YOMIURI)…そんなもんではないか、と思いますが。活字=本を絶対、必ず読まないといけない…なんてなこた、ないわけで。雑誌や新聞などが主な情報収集源だった頃とは事情が違ってきてますし。何より…「本を読まない奴はバカだ」てな論調は、どうも…と思ってしまうのですが。

たしかに活字には他にはない面があります。例えば得た情報を自分なりに組み直していく能力の訓練だとか。「活字」てのはあくまで情報のかけらに過ぎないので(外国語の本なんか読めなかったらタダの模様ですけど、読めたら立派な情報ですがな)そこから何かを自分で構築していく必要があります。
とあるミステリ作家がこんなことを書いておられたような。
『作者は舞台と役者と小道具を揃えて演出までやる。しかし実際に上演されるのは読者の頭の中だ』
…原文が手元にないんで、詳しいとこまでは…ちょっと。だいたいこんな感じだったと思うんですが…。「活字」という情報から得たモノを自身の中で組み立てて、自分のモノにしていく…というところでしょうか。

ところで。テレビやらゲームやらが活字に比べて数段劣っている、というような見方が多い世の中ですが(ついでに笑いも下劣なものとされてますが)、これだって立派な情報です。そこから組み立て直して自分のモノにすることはできます。
…なんだか言い方固いですけど…勉強しろ、というのではなくて。何か役立つモノを必ずゲットしよう…という観点から言ってるわけではないのです。ンなことだけ考えてたら世の中のモノ全部そういう「面白くない」対象になってしまいますがな。なんでもいいんです。「あ、キレイだな」「これ欲しいな」「こんな人がいたらイイな」「カワイイ!」「ちょーキモいんだけど」などなど。興味を引く、何かを感じることのできる対象は星の数ほどあります。
そうやってあっちこっちから色々取り込んでいって自分のモノにしていく。…別に活字だってテレビだって絵だって何だっていいわけで。面白けりゃ、どんな媒体だってOK。

…ちょっとズレてしまいましたけど。まあ…なんでこんなに活字にこだわるんかいな、と。他の媒体を貶めてまで活字の復権を目指さんでもいーだろーに、と。たしかに昔は活字が主流だったわけで。しかし今は他のモンがたくさんある。そこから得られるモノは活字から得られるモノと違いはない。ただ、取り出し方が違うだけなんではないか、と。

それと…実は中高年の活字離れって…「買ったはいいけど読んでない」てのも多そうな。そんな気もしてるんですが…。

01:34 PM | 固定リンク

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