06/06/2005
古名「黒瀬川」
同じ名前の川もありますが、こちらは「黒潮」のお話。
昨年夏から始まっている「黒潮大蛇行」はまだまだ続く見通し(Yahoo!:YOL)…本州南方海域の黒潮の流れについて(第四報:気象庁)。
黒潮とは南の方から日本列島に沿って北東へ進み、だいたい銚子沖くらいで大きく東へ進んで日本から離れてしまう海流のことです。「黒」潮の理由は、黒潮は普通の海水に比べて不純物が少なく透明度が高いので周囲より色が暗く見える…という説もあります。
なお、逆に北から南下してくる海流は「親潮」と言います。
さらになんで古名が「黒瀬川」かと言うとこれが本当の川のように流れが速いから。しかも基本的に日本列島の沿岸に沿って流れてますんで、昔から海運事業などに利用されてきました。江戸時代以前の船、てのは結構大きかったんですが…徳川家康が江戸湾から船で攻め込まれるのを恐れて船に規制をかけた(帆柱一本で積める石数も指定)もんで、あんまり大きくなく、しかも海岸線に沿って航行する船が江戸時代では主流でした。
そういう船ですが黒瀬川にうまく乗れば江戸に早く着ける。
しかし…今回のように東海沖あたりで沿岸を大きく離れてしまう「大蛇行」が始まってしまうと…当時は羅針盤だの何だのてのはありませんでしたし…漂流して遭難してしまいます。
土佐の漁師だった中浜の万次郎(ジョン万次郎)が遭難したのもこの黒潮の大蛇行で流されたのではないか…とされているとか。現代ではこういう漂流遭難てのはめったにありませんが、この頃は命がけの航海でした…。
一方で高知ではカツオが不漁。同じ黒潮の恩恵を受ける和歌山もヤバそうなんですが…どうなんだろう。
明確な理由もまだまだ分かっていない黒潮大蛇行。早いとこおさまってくれるといいんですが。
06:38 PM | 固定リンク
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